晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

半村良 『晴れた空』

2023-02-19 | 日本人作家 は

暦の上では春とのことですがまだまだ寒いですね。暖房費の高騰が気になって、基本的には冬場のアウトドアやキャンプなどで使用する、ポンチョとしても着られて、開けば布団に、ファスナーを閉じれば寝袋にもなるというあったかグッズを購入しました。さすがに朝晩はストーブをつけますが日中に家にいるときはそのポンチョを着れば意外とオーケー。家の中なのにアウトドア気分。

 

ソロキャンプに目覚めようかしら。

 

さて、半村良さん。この作品は戦前・戦中辺りからはじまってるので、父母か祖父母がその世代であればあまり「歴史」とは思えませんが、知ってる家族が全員戦後生まれだとこの時代の小説は「歴史小説」と捉えるのでしょうか。

太平洋戦争で劣勢になった日本はとうとう本土に空襲攻撃を受けます。そして一九四五(昭和二十)年三月十日、東京大空襲。その夜の死者数は公式記録では八万八千七百九十三人とされています。しかし、いたるところに黒焦げの焼死体が転がっていてひとりひとりの識別などできず、地域によってはガマ口の口金を拾い集めて数えて死者数を推定したといいます。

東京は上野駅の地下道。行き場のない人たちでいっぱいに。背の高い浮浪児が「おす」と壁にもたれている二人の浮浪児に話しかけます。「なんだ、バアちゃん」バアちゃんと呼ばれた浮浪児は「飴屋と級長には教えといたほうがいいと思って」と言います。バアちゃん、飴屋、級長というのは、浮浪児たちはもはや本名は必要とせずあだ名で呼び合っています。

「今日の昼にラジオで天皇陛下がなにか喋るみたいだぞ」

この日は八月十五日。バアちゃんからそう聞いた飴屋と級長の三人は地下道の外に出て、正午、君が代が流れます。

「敗けたんだってさ」「どうしようもねえや」

三人の浮浪児は仲間の浮浪児を探します。そこに新聞を積んだトラックがやって来ると級長は新聞の束を持って逃げます。他の浮浪児も参加した連携プレーで級長は逃げおおせ、この新聞を一枚一円で売ることに決めます。ちなみにすいとんが一杯一円の時代。

新聞を売りさばいた浮浪児たちはそれぞれ自己紹介をします。級長、飴屋、バアちゃん、そしてニコ、ゲソ、アカチン、マンジュー、ルスバン。バアちゃんだけが十四歳で他は偶然みな十三歳。

ある日のこと、駅の改札口近くで四歳か五歳くらいの女の子が座っておにぎりを食べています。級長が助けようとすると「この子をよろしくお願いします」という手紙が。急いで母親を探します。その母親は遠くで見ていました。そして級長は持っていた外食券を母娘に渡して「三月十日に僕らはみなあの晩母を亡くしました。がんばってその子といっしょにいてあげてください」といって食堂に案内します。

すいとんを食べて元気になった母娘を見て安心し、自分たちが臭いと思った級長と飴屋は盗んだ石鹸で土砂降りの雨の中で体を洗います。そして自分の母を思い出し「かあちゃん」「かあちゃぁん・・・」と泣き出します。

その日から母娘は級長ら浮浪児たちの仲間になって、故買商といえば聞こえはいいですが、ようは道端に風呂敷を拡げて彼らの盗んできた品物を売ることに。母はみんなから「お母さん」、娘は頭を丸刈りにしたので「ボーヤ」と呼ばれることに。お母さんは誰もがハッと見とれてしまう(もちろん級長たちも)ほど美人で小さな子が横にいるので売れ行きは良く、どんどん盗んできては売って、そのうち彼らの目標は「お母さんとボーヤの住む家を買う」になります。

級長が食堂にいると、酔っ払った飛行服を着た元航空隊が。級長が話しかけると、男は「俺は特攻隊の死に損ないよ」といいます。この前田という男は級長たちに妙に気に入られて彼らの仲間に。そして飲み屋で仕入れてきた有益な情報(どこの倉庫に何が置いてある)を教え、盗みに行って、それをお母さんとボーヤが売るのです。そうして金も貯まって、ルスバンの家のあった場所に家を建てることに。

しかし、この背後には、お母さんがじつは亡くなった海軍中佐の未亡人で、中佐に恩義がある影の実力者たちの手回しが・・・

この作品は文庫で上中下それぞれ四〇〇ページ以上、つまり千二百ページ超の長編で、ここまでが上巻の終わりのほう。このあとさらに中、下と続くのですが、まあネタバレにならない程度に触れますと、学校に通うようになった級長たちは彼らの特性というか長所を生かした道を歩むことに。お母さんは商才と人を惹きつける魅力があり、なんと会社を立ち上げます。そして前田はお母さんと少年たちの補佐というか日向となり陰となります。そしてラストは「ええ・・・」となります。この作品のタイトル「晴れた空」というのが、美しくもあり、悲しくもあります。

時間的に余裕があったらもっと早く読み終わっていたと思うのですが、ちょうど読み始めたあたりからこまごまと忙しくなって時間がかかってしまいました。機会があれば今度はゆっくりとじっくりと読みたい、そう思わせてくれる作品です。


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