やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

『天下騒乱』、を読む

2007-04-18 | 雑記

           

残念ながら、当地山形ではテレビ東京の直接の配信がないもので、
小生が、昨年の正月番組『天下騒乱』を見たのは、少しあとになってからでした。
それでも、とても面白い話でしたので、やっと、原作を読む時間がとれました。

『天下騒乱』(池宮彰一郎著/角川書店)
幕藩体制の初期を固めやうとする老中・土井利勝と、一介の武士として生きる荒木又右衛門を双頭主人公にして、複雑極まる話が、軽快なテンポで、決闘の場所鍵屋ノ辻へとなだれ込む。
詳細に調べられた話のバックボーンと、小気味の良い文章が上下二巻を一気に読まさせます。
また、事件の当事者たる若い武士を預かる人物が、山形の最上家の四男であるところも面白く、山形52万石をお家の内紛から継げずに水戸藩の家臣となったその人物に興味も尽きないところです。

まだ、TVのHPはこちらに残ってゐました。

春どまり 

2007-04-17 | やまがた抄


3月の異様な暖かさで、「この陽気では、山形でも、東京並みに入学式に桜だな」と知人と話してゐた桜が、
ここしばらくの冷え込みで、さっぱり開花が進みません。
山形市の城跡での観桜会も、桜半ばで行なはれたのかしらん。

小生の体調も、いまひとつの状態を引きずったままで、
まあ、桜の花と同じで、留まったままです。

春迎へ

2007-04-15 | 大岡山界隈



延ばし延ばしにしてゐたタイヤの交換をすべて済ませ、
(我が家は、都合4台ですので、結構、大変です…)
一服してゐたら、先発隊のツバメが小屋の中に下見に来てゐました。
また、巣をつくってくれるとよいのですがー。

ここ数日の肌寒で、近くの染井吉野も2、3部咲きにとどまり、
花見は、来週末になるでせうか。

庭先でも、椿が紅い花をほころばせ、
根元で、フッキソウが花をつけてゐました。
富貴草であり、吉祥草の名もあるめでたい低木です。
我が家にも、ちいさくてよいので、幸せが舞ひ込んでくると嬉しいのですがー。

滝桜醜話

2007-04-12 | 櫻探訪
    

やっと、春風邪が通り抜けたやうです。

山形市でも、昨日あたりから染井吉野がぽつらぽつらと咲き始め、
来週はいよいよ、桜の時間、です。

この季節、必ず取り上げられる桜に、福島県三春町の滝桜があります。
樹齢1000年を越す、本当に見事な枝垂れの江戸彼岸です。
小生も、17年ほど前に初めてその姿を見、その後にも都合5、6回は足を運んでゐますが、最近は(他の桜を探すのに忙しいせゐもありますがー)行く気が起こりません。

4、5年前でしたか、
さる小説家の方に「お前がよいといふその桜を案内しろよ」と所望され、数人の方を案内致しましたが、その時の印象が最悪でした。
春の遅い年でしたので、時期的に100%咲いてゐませんよ、といふ小生の言葉に事前に承知をして頂いて現地に行ったのですが、
大規模に拡張整備された三春町運営の駐車場は、先生も同行の方も驚くほどの観光バスの列!
以前は寂れた風情のあった細道は、石やタイルで拡幅舗装され、桜への道はまるで善光寺参りの蟻の行列の様。(小生が初めて行った頃は、桜の見へる道に車を捨て、土手に腰を掛けて眺めたのですがー)

けれど、その時期、間違っても桜は一輪も咲いてゐるはずはなく、
ノボリの元に集められた観光客にガイドの方は、「あいにく、咲いてゐません、ねえ」と説明をしてゐましたが、
その姿を見ながら、小生も小説家の先生も
「アイツ等は、確信的に、詐欺だ!」と、開いた口が収まらずー。

帰路、福島駅近くの小路で酒を飲みながら、再び昼の話を肴に、周辺整備のひどさと観光会社の悪口に花が咲くー。
(確か、翌年、同じメンバーで再訪し、満開の姿をお見せすることは出来ましたがー)

 
きっと、下のサイトで、滝桜の狂騒ぶりを見ることができます。

ライブカメラはこちら

見事に咲いてくれた一本の桜の樹に出会へるのは、本当に難しいことです。
季節のズレもあります、仕事の都合もあります、体調の具合もあります、金銭的な都合もあります。
桜は、行ってみたら咲いてゐる、といふものでは決してありません。
ですから、桜に逢ひにゆくのですがー。




春風ではなく…

2007-04-07 | 大岡山界隈


春風が庭先を流れ始めてきてゐるのに、
すっかり、春風邪にやられてしまひました。

数日前、出かけてゐる時に急に悪寒がし、身体がダルイなと思ったら、
そのまま一日半起き上がれず、
病院嫌ひの小生は、タフミルで錯乱状態になるのも嫌ですから、
粥とポ○リとウヰスキーと漢方の風邪薬で回復を試みるも、
一向に回復せず、仕事をしては休み、休んでは仕事の数日間でした。

微熱、頭痛、咳、のどの痛み、関節痛、腰の痛み、だるさ、等々、
これだけ症状がでてくると、如何に自分の身体に自信過剰気味の小生でも白旗で、
なすすべなく、
通年ですと、身体の状態の不具合は5月から6月にかけて出てくるはずなのですが、なるほど、季節が早まってゐるせゐか、
小生のそれも、少し早まって出てきたやうです。

とまれ、以前に比べ、少し回復の遅くなった我が身体をだましながら、
来週にも咲くらしい山形の桜を楽しみにしませう。


ヒトラー…/1

2007-04-04 | 雑記

しばらく前に『ヒトラー~最後の12日間~』(岩波書店)といふ本を読み、



偶然に、同名の映画をGyaoで見てから、(映画の公式ホームページ(英語版))
今さらながら、しばらく、アドルフ・ヒトラーに関するものを見たり、読んだりしてゐました。

特に本は、見事な翻訳の細密な文章とテンポのよい構成で一気に読み上げ、
映画もまた、ヒトラー役の役者が見事な演技で、後戻りしない演出とともに、秀逸でした。
あまりにも好々爺の一面をみせる役者の演技に、ドイツでも他の国からも非難を浴びたやうですが、勿論、絶対の非は承知しながらも、ヒトラー自身にさういふものがあったのは間違ひのないことだったのでせう。

『アドルフの画集』といふDVDも見ました。参考HP
貧しく暗い青春時代のヒトラーの姿ですが、
彼は、決して画家になりたかったのではなく、建築家になりたく、その手段としての画才が(結局、建築家としての才能も含めて二重に…)認められなかっただらう姿が加はると、よりリアリティがあったやうに思ふ。

そして、やがて、
ゲッペルスといふ狂気な文人と(彼も、また、小説家になりたかった人間であり、浪漫風な小説も書いてゐます)、
シュペーアといふ冴えない若手建築家を従へて、未曾有の世界を創ってゆく。

ファシズムと建築、といふテーマで、井上章一さんが面白い本を書いてゐました。
(彼の視点は常に素晴しく、モーテルであったり、霊柩車であったり、…)



この本を読むと、ヒトラーの、夢と絶望が(勿論、建築的な視点から)よくわかります。
彼は、きっと、増幅アジテーターではあっても、政治家では決してなかった。
前述の映画でもそのシーンがありますが、ベルリンがソ連軍に包囲された絶望的な状況でも、夢に描いたベルリン市街のの再生プランの模型を大事にし、日々眺めてゐたやうです。


井上章一さんの本の中に、『太平洋を渡った日本建築』の紹介があり、読みました。面白い本でした。
建築的にも面白い事実が沢山あるのですが、戦争へと突入してゆくアメリカの中で、ドイツ系やイタリア系の方は、さうでもないのに、日系人がことごとく収容所へ送られたらしい事実は、色々な意味を残してゐます。





マンサク

2007-04-03 | やまがた抄

お客様のところへ行った帰路、
穏やかな陽気に抵抗できず、少し遠回りをしてマンサクの花を見てきました。

山形市内の、ある施設の一帯で、マンサクの丘と呼ばれてゐるところです。


   

   

   

   

まだ、枯れ野の斜面に、優しい黄色の花をつけてゐました。
よくよく見ると、錦糸玉子のやうです。
春浅い時節、まったく枯木のやうな樹にこつぜんと花をつけるので、
昔びとは、その神秘的な生命力に驚嘆し、この樹に敬意を感じてゐたやうです。

近くの桜の蕾も大きくふくらんでゐて、
山形にも、まもなく、急ぎ足で春が降りてきます。



宮本文昭さんの引退

2007-04-01 | 音楽を


オーボエ奏者の宮本文昭さんが、この3月末で引退をされた。
57歳。
日本でも最高峰の、世界でも屈指の奏者です。
連日のやうに開催されたファイナルコンサートは、超満員だったやうです。

先日、テレビに出演してゐた姿を少し見て、
「ええかっこしい!、なんです」と笑ってゐる姿が素晴しかった。

一度、オーボエ奏者たることを辞めて、
現在の大学の教授と、ディスクジョッキーと、そして、指揮者をめざすといふ
(すでに、小澤征爾氏についてゐるといふ)。
ケルンやフランクフルトのオーケストラに在籍してゐましたから、
小生も、東京でのそれらのコンサートを聴いた時に、その姿を見た覚えがあります。
オーボエ奏者では、ハインツ・ホリガーといふ、神の化身のやうな存在がありますが、ホリガーもまた、指揮に手を染めてゐました。
小生が敬愛するルドルフ・ケンペも、指揮者になる前にドレスデンでオーボエを学び、ライプツィヒのオーケストラでオーボエを吹いてゐましたから、そのあたりの共通する流れがあるのかもしれません。

宮本さんのディスクは、幾つかの協奏曲のものや、バロックもの等が棚にありましたが、ドイツ・バッハ・ゾリステンの一員として、ヴィンシャマンの指揮で録音した、J.S.バッハの「フーガの技法」を聴きました。
さう、ヴィンシャマンもまた、屈指のオーボエ奏者でした。

「フーガの技法」の演奏としては、グスタフ・レオンハルトのチェンバロによる演奏に限ると思ってゐますが(あの、数百年を持ち堪へた家屋のやうな、厳粛な絶対の美しさ! の演奏ー)、
オーケストラ版での演奏は、も少し浪漫的な印象になり、そこでのオーボエの存在はかなり大きなものになります。

30年以上も前の録音。
宮本さんは、まだ20台。
最近のやうな、艶が音色にはありませんが、それでもストイックな響きを残してゐます。

バッハ最後期の作品。
唐突に、音が止まる、最後の未完のフーガは、オーケストラ版の演奏で聴くと、
次の時代の音楽が少し見へてくるやうな気がします。


宮本文昭さんの公式のHPは こちらにあります。