やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

バルビローリのシューベルト

2007-04-20 | 音楽を
        

バルビローリのシューベルトのディスクが目に止まり、久しぶりに聴く。

シューベルトの最期の年のハ長調の交響曲。
小生、この曲の演奏では、セル/クリーヴランド管の身を切る鋼のやうな演奏、ケンペ/ミュンヘン・フィルの颯爽と吹き抜ける風のやうな演奏、そして、
このバルビローリ/ハレ管弦楽団の演奏をベストスリーとしてゐます。

1966年(65年末?)の録音。
サー・ジョン・バルビローリの最晩年の録音です。
小生が愛聴してやまない、バルビローリのブラームス同様、美しいカンタービレを特徴とした、穏やかで慈悲あふれる演奏です。
勿論、ヴィーン・フィルやベルリン・フィルのそれには遠く及ばないものの、サー・ジョンが手塩にかけて育てたハレ管弦楽団の音色が好ましい。
艶には欠けるものの、精一杯の美しさがあります。
そして、冒頭の管楽器の導入から、すっかりバルビローリ節に引き込まれる。

この”修辞的でも、英雄的でもない(シューベルト/A・アインシュタイン)”
作者31歳の最期の時の旋律が、同時期のピアノ・ソナタと同様に、いつ果てるともなく、朗々と、浪々と、50代半ばにさしかかる小生の中に何の抵抗もなく流れ込んできます。
まだ桜も咲き揃はないこの時期、ある意味、このひそやかな演奏は、何にもまして身体と心の慰めになります。

主題が激しく変転してゆくわけでも、闘争するわけでもなく、あるひは、シューベルトは心の師ベートーヴェンのやうな曲を作りたかったのかもしれませんが、
かうして、短い生涯の最後に出来た渾身の大作は、どの楽章も、まるでハミングから生まれたやうに、優しく、穏やかな旋律が続いてゆくばかりです。

2楽章の、あの、野を駆ける音色の演奏も素晴しく、また、終楽章もこれ見よがしな強弱を避けて、けれど、堂々と50分強の演奏が終ります。

(顔写真は、ジャケットの一部から)