ヨハネス・ブラームスは、付人に手を引かれながら墓地にたどり着いた。
すでにクララの埋葬が始まってゐた。
四十時間近い、汽車の長旅の果てだった。
「クララ! クララ!」
哭くやうな呼び掛けの声に、参列者の人々が振り向いた。
ブラームス先生ですよ、とざはめきが拡がった。
六十歳を超へた身体を打ち棄てるやうに棺に運ぶと、
ブラームスはひと握りの土を棺の上にのせた。
これだけか! たった、これだけか!
四十年も貴方を慕ひながら、最后の私に許されたのは、
悔やみの言葉も云へず、このひと握りの土くれだけか!
―心からのお祝ひを。
貴方の、クララ・シューマンより。
まう、これ以上は、うまく書けません。
でも、あるひは、間もなく貴方のー
三週間前、ブラームスの誕生日に届いたクララの手紙は、
病のために判読が出来ないほど乱れてゐた。
解ってゐる、すべて解ってゐる。だから、かうして貴方の元へ来たのだ。
ヨハネス・ブラームスは、棺に頭をのせながら、つぶやくやうに云った。
蕎麦の花が咲いてゐます。
近年、山形の蕎麦は有名になりつつありますが、
なるほど、それだけのことはあると思ひます。
小生は、太目の田舎蕎麦が好みですが、
それなりに調べて伺った蕎麦屋さんで
落胆したことは滅多にありません。
今は、全国的にもさうなのでせうが、
どの店でもこだはった蕎麦を出してゐますから。
更科系のお蕎麦が好きな方にはやや不得手でせうが、
山形の風土そのものの、素朴で土のかほりに近い蕎麦は
これからの食の主流なのでせう。
小生も、時折、知人と蕎麦を打って食しますが、
細かなことは別にして、楽しみこれに勝るものはありません。
\(^o^)/
我が家の庭先で咲いてゐる、花達。
ひとつは、アマチャ、です。ガクアヂサイではありません f^_^;) 。
シャクヤクの横にあるのですが、すっかり押されて花の数も減ってきてゐます。
抜本的な!位置変へをしないといけません。
まう一枚は、ドクダミ、です。
その名前とは裏腹に、実に清楚で力強い花で、とても好きです。
煎じると、色々な効用があるさうですが、
小生もそこまでは勉強できません、のでー。
見て、楽しむだけにしてをります。(∩_∩)ゞ
ウジェーヌ・アジェ(Eugene Atget)の写真が好きです。
一時期、漁るやうに写真展ばかり見てゐた時がありました。
何かの展覧会で、アジェの写真を見てからでした。
葉書きほどの大きさの、セピア色に退色したものでした。
10年以上も前、イタリアとフランスへ行ったとき、パリの美術館でアジェの写真集を買ひました。
新書版より少し大きめのものです。
どれも、眠るやうな、あるひは死にかけてゐるやうな静けさのある写真です。
取り壊される建物を、写真といふ新たな手段で残したものですが、
不思議な静謐感は、アジェ自身の慈しみが印画紙に写ったのかも知れません。
小さな写真集を見ると、100年近くも前、大きな写真機を肩に担いで
パリの街角を歩いてゐただらうアジェの姿が浮かんできます。
清池(しょうげ)の石鳥居、です。
仕事である場所を探してゐたら、偶然、この鳥居の横に出ました。
近くの工業団地に似た場所があったので、以前から、そこだらう、と
思ってゐたのですが、小生の勝手な先入観でした。
山形の三大石鳥居と云はれてゐる内のひとつです。
5、600年前のものとされてゐます。
束や貫が欠損してゐますが、威風堂々としてゐて、見事な鳥居です。
やはり、山岳信仰の過程で出来たものらしいですが、
今はその向きがあらぬ方向を向いてゐます。
太い幹の染井吉野に守られるやうに建ってゐました。
桜の季節、まう一度、訪れたいと思ってゐます。
仕事である場所を探してゐたら、偶然、この鳥居の横に出ました。
近くの工業団地に似た場所があったので、以前から、そこだらう、と
思ってゐたのですが、小生の勝手な先入観でした。
山形の三大石鳥居と云はれてゐる内のひとつです。
5、600年前のものとされてゐます。
束や貫が欠損してゐますが、威風堂々としてゐて、見事な鳥居です。
やはり、山岳信仰の過程で出来たものらしいですが、
今はその向きがあらぬ方向を向いてゐます。
太い幹の染井吉野に守られるやうに建ってゐました。
桜の季節、まう一度、訪れたいと思ってゐます。
山形市西部の、出塩文殊堂、です。
仕事で近くまで行きましたので、寄ってみました。
東慶寺の紫陽花を見たい、と今の季節、わざわざ鎌倉へ行った小生の知人が、
「たいした事ない、文殊堂の方がよい」と云ってゐたのを思ひだしました。
平日にも関はらず、散策してゐる人は(小生も?)多かったです。
杉木立と竹林に囲まれた参道が、500メートル以上も続いてゐます。
整備のいき届かない参道の敷石が、とてもよかったです。
近くの集落も少し見ましたが、あたり一帯が歴史の匂ひがあって、
雪景色もさぞ美しいのでは、と今からほくそゑんでゐます。
※も少し写真をご覧になりたい方は、サイドのアルバムaをどうぞ。
1986年5月19日.東京・昭和女子大学人見記念講堂
指揮:カルロス・クライバー/バイエルン国立管弦楽団
プログラム 1.ベートーヴェン/交響曲第4番
2.” /交響曲第7番
アンコール/ヨハン・シュトラウス/「こうもり」序曲
” /” /ポルカ「雷鳴と電光」
とてつもない演奏会です。
ひとしきりのチューニングが済み、指揮者を迎へたざはめきが終はらないうちに
第四番の音が鳴り始まる。
第四番の第一楽章は、アダージオで始まるのに!
そして、メリハリのきいた早めのテンポ。
細部にわたって刻まれた曲全体の造形の何と引き締ってゐることか!
「英雄」と「運命」とにはさまれたギリシャの乙女のやうな曲、といふ
有名な例へが(曲の古典的な美しさは兎も角)影薄くなるやうな、
闘争的な演奏です。
山門に立ち尽くし、にらみを効かせる仁王像のやうに、すっくとした演奏です。
続いて第七番である。
既に、指揮者を迎へる拍手が興奮してゐる。
テンポは、さほど動かさない。
けれど、弱音から強打に向かって立ち上がってゆく音の滑らかさは、
何といふしわざだらう!
終楽章にかけて、徐々に音楽はたたみかけられてゆく。
勿論、圧倒的なラスト。広い講堂の天井に、拍手が突き刺さる。
スリリングだけではなく、カタルシスの直前で踏みとどまった、
誰の口出しや手出しも不可能な演奏である。
そして、アンコールの演奏の、何と素敵なこと!
これがオペレッタの序曲? と疑ふ、骨太で華麗で艶やかな演奏である。
これ一曲だけで、故カルロスの名は歴史に残る!
これだけ細部への細やかな要求や、早めのテンポを求めらながら、
オーケストラは見事に応へてゐる。
途中、幾度か管奏者が音をはずしてゐた。
故カルロスに、しこたま文句を云はれたに違ひない。
改めて、カルロス・クライバーに合掌。
指揮:カルロス・クライバー/バイエルン国立管弦楽団
プログラム 1.ベートーヴェン/交響曲第4番
2.” /交響曲第7番
アンコール/ヨハン・シュトラウス/「こうもり」序曲
” /” /ポルカ「雷鳴と電光」
とてつもない演奏会です。
ひとしきりのチューニングが済み、指揮者を迎へたざはめきが終はらないうちに
第四番の音が鳴り始まる。
第四番の第一楽章は、アダージオで始まるのに!
そして、メリハリのきいた早めのテンポ。
細部にわたって刻まれた曲全体の造形の何と引き締ってゐることか!
「英雄」と「運命」とにはさまれたギリシャの乙女のやうな曲、といふ
有名な例へが(曲の古典的な美しさは兎も角)影薄くなるやうな、
闘争的な演奏です。
山門に立ち尽くし、にらみを効かせる仁王像のやうに、すっくとした演奏です。
続いて第七番である。
既に、指揮者を迎へる拍手が興奮してゐる。
テンポは、さほど動かさない。
けれど、弱音から強打に向かって立ち上がってゆく音の滑らかさは、
何といふしわざだらう!
終楽章にかけて、徐々に音楽はたたみかけられてゆく。
勿論、圧倒的なラスト。広い講堂の天井に、拍手が突き刺さる。
スリリングだけではなく、カタルシスの直前で踏みとどまった、
誰の口出しや手出しも不可能な演奏である。
そして、アンコールの演奏の、何と素敵なこと!
これがオペレッタの序曲? と疑ふ、骨太で華麗で艶やかな演奏である。
これ一曲だけで、故カルロスの名は歴史に残る!
これだけ細部への細やかな要求や、早めのテンポを求めらながら、
オーケストラは見事に応へてゐる。
途中、幾度か管奏者が音をはずしてゐた。
故カルロスに、しこたま文句を云はれたに違ひない。
改めて、カルロス・クライバーに合掌。
(写真は、イメージです)
女は、DMの封筒を手に取って小さく溜め息をついた。
再び訪ねることもないだらう、東北の小さな美術館からだった。
郵送の停止をー、と思ひながら二年も過ぎてゐた。
年に四、五回、企画展の案内が送られてきてゐた。
三年前、建物がアメリカの建築家によるものだったので見に行った。
男も、一緒だった。
まう、別れなければいけない、と思ってゐた頃だった。
さして期待もせずに入ったが、天井から上手く光を取り入れた設計に、
「来て良かった」と男とテラスで話した。
よろしければご案内を差し上げますが、といふ店員の誘ひに、
アンケートと一緒に郵送を依頼した。
男が書いた後だった。
普段は自分でも嫌になるくらゐ素っ気無く断るはずだったが、
その日は妙に気持が高ぶってゐた。
半年後に、男とは別れた。
再び、変はり映へのしない毎日に戻ってゐたが、時折、DMが来てゐた。
今度こそ、と思ひながら、女は連絡先の電話番号を控へた。
女は、DMの封筒を手に取って小さく溜め息をついた。
再び訪ねることもないだらう、東北の小さな美術館からだった。
郵送の停止をー、と思ひながら二年も過ぎてゐた。
年に四、五回、企画展の案内が送られてきてゐた。
三年前、建物がアメリカの建築家によるものだったので見に行った。
男も、一緒だった。
まう、別れなければいけない、と思ってゐた頃だった。
さして期待もせずに入ったが、天井から上手く光を取り入れた設計に、
「来て良かった」と男とテラスで話した。
よろしければご案内を差し上げますが、といふ店員の誘ひに、
アンケートと一緒に郵送を依頼した。
男が書いた後だった。
普段は自分でも嫌になるくらゐ素っ気無く断るはずだったが、
その日は妙に気持が高ぶってゐた。
半年後に、男とは別れた。
再び、変はり映へのしない毎日に戻ってゐたが、時折、DMが来てゐた。
今度こそ、と思ひながら、女は連絡先の電話番号を控へた。
我が家のアヅマシャクナゲ。
昨年に続き、今年も幾つか花をつけてゐます。
坊平高原の麓、森林組合の即売会で求めたものですが、
見事に、花が咲きませんでした。
数年は仕方がないのかな、と思ひつつも、
いつまで待っても春先の芽は全て葉になってしまふ。
早く花を咲かす手立てが無かった訳でもないのですが、
かうなったら我慢比べと腕組みをし、
結局、7年目の昨年、二つ花を咲かせました。
身土不二(しんどふじ)といふ言葉があるさうです。
このアヅマシャクナゲも、高原の涼やかな気候と土から離れ、
冬は川風の強い(土は天然の腐葉土たっぷりですので喜んだはずですが)
我が家の庭先に慣れるのに、7年かかったといふことでせう。
やはり、植物は、彼等の摂理に従ふよりほかないやうです。;^_^A