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rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

メッセージのないテロ

2008-12-01 00:29:51 | 政治
インドムンバイで起こった今回のテロはようやく終息を迎えたようですが、これだけ大きな犠牲を出しながら一体犯人達は何を望んでいたのかが明らかになりません。デカンの聖なる戦士と名乗っているそうですが、意味が通らなければテロを起こした意義がありません。無防備の一般人をターゲットにした無差別テロは最も卑劣卑怯なやりかたであり、どんなメッセージがあろうと正当化できるものではありませんが、そのメッセージすら出ないのであれば、日本でも時々おこる通り魔殺人となんら変わりがありません。

911の時は、イスラム諸国にキリスト教国の米軍基地を置くことが赦せないというアルカーイダのメッセージだったようですが、100年前の大英帝国の時代から基地はあったのであり、むしろ後から出された「これからはテロとの戦争の時代だ」というアメリカのメッセージの方が明確で説得力を持ってしまいました。

今回のテロの背後にはパキスタンがいるという憶測もありますが、もともと仲の悪いインドとパキスタンの関係を険悪にさせる意味、犯人は英国人と米国人を狙ったと言う話しなどからこれらの関係国からテロを受けてどのようなメッセージが発せられるかが注目されます。どうも結果的にまた新たな戦争が起こされるのではないかと心配です。

第二次大戦の敗戦国である日本とドイツは倫理的に悪であると規定されたためもあってその後戦争を起こす事はありませんでしたが、戦勝国は全く同じ(或いは敗戦国以上の)ホロコーストを行ったのに「倫理的に良い戦争」をしたことになったために戦後も紛争解決の手段として戦争をし続けています。朝鮮、ベトナム、印パ、アフガンなどは勝敗がはっきりしないために戦後倫理的な善悪を決めつけることができず関係国は犠牲を出したのみで歯がゆい思いだったでしょう。だからボスニアやグルジアでは発生早期からマスコミを使って善悪の決めつけをいかに行うかが競われたりしました。それでも90年の冷戦終了後は圧倒的な軍事力を持つ米国に対して「国軍」対「国軍」で戦争をすることがなくなりました。イラクは例外ですが、これは米軍が一方的に「これから悪をやっつけます」と宣言してイラク軍を滅ぼしてしまった戦争です。

「国軍」対「国軍」の戦争がなくなると、次は「国軍」対「武装グループ」という戦争になりました。軍隊というのは本来相手国の軍と戦うように組織され、武器を揃えていますので、市民に紛れ込んでいるような「武装グループ」を相手に戦うことは苦手であることは以前のブログ(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/d143d1dff0d4c2178ddbf3e1ad3e3bf4)にも書いた通りです。南京陥落時に安全区域に避難している市民に紛れ込んだ中国軍を掃討する際に市民も一緒に殺害したとして後に日本軍は「南京大」とアメリカを含む戦勝国から批難され戦犯として裁かれ現在に至るも謝罪を要求されています。同じ構図がイラク、アフガン、パキスタンで毎日のように起こされていて、米軍人を含む当事者達が心身に深い傷を負っていることが明らかなのに何故戦争のやり方が間違っていると誰も指摘しないのか不思議です。

「国軍」対「武装グループ」の戦争は国家が相手ではないのでいくらでも続けられ、何処でも起こす事ができるので、戦争で儲かる人達にはたまらない商売です。武装グループに安めの武器を横流ししておけば永久に続けられる錬金術のようなものです。後は「テロとの戦いは正義の戦争」ということを「国軍を派遣している国民」(納税者と兵士の供給元)に納得させるために本当のテロを時々起こせば良いのですから。

私はテロをなくすには「国軍」対「武装グループ」という戦争を止めることが第一であると確信します。第二は武器商人を取り締まること。第三に戦争に使われる金をテロリスト達の供給元になっている政情不安定な地域の生活を安定させるために使うこと、だと考えます。言うは安し、行うは難しで世界中の8割の人達は平和を望んでいるのでしょうが、2割の経済と権力を握っている人達は望んでいないのでしょう。

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