rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

全ての採決に党議拘束をはずそう

2009-06-21 23:02:00 | 政治
先の「改定臓器移植法案」の採決では、脳死を人の死と認めるかどうかについて、議員各人の死生観にかかわる問題だからとして採決にあたっては党議拘束を外して各人の判断に任せました。結果として自民党内でも総理と閣僚で判断が異なるなど興味深い結果が出ました。

私自身は「臓器移植」について、かつては腎移植に携わっていた経験もある一方で、「神の予想した医療(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/7c43d4eea8133f73e5014129f9cf8c0c)」の所で述べたように全面的に賛成でも全面的に反対でもありませんが、米国のように脳死になったら「じゃ、よろしいですね。」とばかりに体中の臓器を抜かれてしまうのも日本人の死生観には合わないように感じています。日本においては少しずつドナーになっても良いという人が増えてゆくのを待つことが大切かと感じます。ちなみに私はドナーカードを持っていますが、家族には勧めていません。日本では移植に従事している医師達は、移植は「学問」ではなく「移植道」という「道」だと表現されるように、決して金がもうかるでもなくひたすら地道にかつ真剣に症例を重ねて良い成績を出す努力をしている「忍耐と体力」の医師達だと言うことを知っていますので、今回の法案成立で少しでも法律的に移植のハードルが下ることは喜ばしいことだろうと思います(やや他人事的な表現ですが)。

「全ての採決に党議拘束をはずそう」というのは普段から感じていることです。米国では党議拘束という制度はなく、それぞれの法案の良否は議員各人が判断しているはずです。党議拘束があると、国会でいくら審議をしても党の結論が出ている限り採決する前から結果が分っていることになり国会中継を見ていても何ら興味が沸きません。せいぜい与野党の議席数に応じて少々手直しをする程度でしょう。しかし全ての採決で党議拘束を外せば、与党からも反対票が出る可能性があり、国会の審議もより真剣になるでしょうし、国民の関心も高まり、選挙は党よりも人を重視して選ぶようになるでしょう。共産主義者会のように「党が決めたことに全て従う」ような「党議拘束」の制度は議会を死んだものにする危険があり早くなくすべきです。

党議拘束をなくすと、米国のように議会におけるロビー活動が盛んになって、今より議員各人に金や利権がからむ政治になる可能性もあります。また法案が官僚主導で政権党=政府として「必ず通るもの」としては出しにくくなるかもしれません。しかし現在は三権分立などではなく、立法・行政が一元化してその下に司法がぶら下がり、もう一方のマスコミ(闇権力)がこれらの上になったり下になったりして影響しあっているというのが日本の政治の姿と言えますから、もう少し国民主権の本来の姿に戻すためにもまず全ての議決において党議拘束を外す事は良い事ではないかと思います。

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