年末の休暇を利用してまた古い買い置きプラモを作りました。
第二次大戦時のドイツ空軍爆撃機にはいくつかの系譜があって、第一次大戦敗戦から空軍保持を禁じられていたことから再軍備を宣言するにあたって旅客機から転用したハインケル111やユンカース52など、郵便機から転用したドルニエDo-17、そして新たに高速爆撃機の開発を命じてから開発されたユンカース88やドルニエ217などがあります。
ユンカースJu188はその前型で大戦全期間を通じて活躍したJu88が1.5万機も生産されたのに比して開発が遅れたため数百機が終戦まで実戦配備されたに過ぎないものでした。実際はほぼ同時期に開発されたと記録されていて、Ju88AとBのBに相当する機体であったようです。真のJu88の後継機は長距離大型爆撃機としてHe177グライフ等と同様の系譜に属するJu388が当たります。
Ju188は当初目指した戦闘機よりも速い爆撃機の目標は達成されず、偵察機や夜間爆撃機として転用されることになりました。連合軍が大戦後半にかけてB17、B24、ランカスターなどの大型爆撃機の名機が多いのに比して枢軸軍は守戦に適した防空戦闘機が発達した事と対照的です。Ju188は卵型の特徴的なコックピットを持ち、視界が広く、パイロット用の計器類も天井からヘッドアップディスプレーの様に懸架されるなど近代的な工夫も見られました。エンジンはBMW星形空冷14機筒1,700馬力2機で最高速度は500km、爆弾積載量は3,000kg、航続距離は約2,000キロでした。
下面の風防は透明部品でないのでスモーク状に塗りました。 迷彩はやや特異な縞模様
模型はmatchbox製で1970年代の金型と思われ、後にドイツレベルに吸収されますが、懐かしい3色のプラスチック製(部品数によって2色だったりする)です。古い金型の割には整合は良い方で、説明書によるとJu188 F-1型、機首に機銃のない偵察機型です。塗装は43年頃デンマークに配属された部隊の物でBoxartに示されていた蛇の様な緑のシマシマにしました。エアスプレーは今まで色毎のスプレー缶のものを使っていたのですが、細かい作業ができないのでAmazonで購入したRaywoodの6千円の物を初めて使用しました。耐久性はまだ解りませんが、ダブルアクションも可能で、使用後の手入れも先端のノズルを緩めてシンナーのうがいも簡単に行えて使いやすいと思いました。尾翼の鍵十字は例によってキットに付いていなかったのでネットで見つけた愛知県の「模型工房みりたり庵」さんから購入。1/72キット用の鍵十字ばかり各種揃って1シート500円と手頃でメールでの対応も丁寧でした。前回作った旅客機から派生したハインケルHe111と並べるとJu88の様な急降下爆撃の機能はないものの、ハインケルより一回り小さい事が解ります。
ハインケルHe111よりも一回り小さくでスリムな感じ。
私は松本零士氏のレシプロ機戦記と、その弟子である新谷あおる氏の「エリア88」の間に空戦ものを読んで育った世代です。二人の間には、太平洋戦争の松本氏と、冷戦のジェットを描く描写で決定的な違いがあると思います。
私が幼少の頃には、教師にも戦地へ赴いた方々が多数にいて、その話は聞いていました。
私が幼少の頃に、兄たちのお下がりのマンガ本には、
「あかつき戦闘隊」や「紫電改の鷹」などの、日本のレシプロ戦記のマンガが多数あり、貸本屋には「0戦なんとか」が多数にありました。
それが中学入学前に、一斉に本屋や雑誌から消えるのですね。不思議です。
思想的な理由かと思いましだが、いくら左翼的なムーブメントがあったにせよ、不思議です。
当時の流行作家である梶原一騎馬氏も書いているのに。
何故に空戦マンガは消えたのかと。
戦いのマンガはスポ根からSFまで存在きたのに。
何か日本の世俗に変化あったのでしょうか?