Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

iPhone を初めて触る

2008-08-01 23:34:59 | Weblog
今日初めて iPhone 3G のユーザに会い,少し触らせてもらう。そして,すでにあちこちでいわれていることだが,確かにこれはいわゆるケータイではないな,と思った。操作性はもちろん,見た目,手に持った感触が,これまでにない,異質なものという感じがする。いや,だってそれは「スマートフォン」だから当然だ,という向きもあるかもしれない。しかし,それもいまいちピンとこない。

それをいえば,iPod が発売される前から携帯オーディオプレイヤーは存在した。だが,iPod が登場すると,そうしたプレイヤーなどまるで最初から存在しなかったように,市場を塗り替えてしまった。iPod があたかもプロトタイプのような存在になった。iPhone によって同じようなことが起き,スマートフォンという概念が消えるか,すかっり中身を書き換えられてしまうかもしれない。

iPhone は iPod の上位にある(iPod touch に電話機能が付いたもの)というよりは,MacBookAir の小さな分身であるように見える。インターネットメールのやり取りをしたり,ウェブサイトを見るのにわざわざ Air を開くのは面倒だ。ふだん仕事その他の理由で常時インターネットにアクセスしていたい人には,iPhone は非常に便利。一方,すでにケータイ・コミュニケーションにどっぷり浸かっている人にはさほど魅力はないだろう。

その意味で面白かったのが,小飼弾氏のブログのエントリだ。

  iPhoneがガラパゴスケータイより劣っていていい理由

小飼氏は,iPhone 3G の操作性が従来の日本のケータイより劣る,という論評に対して「わかってねえなあ、キミタチ。iPhoneの本当の恐ろしさを」と書く。彼のいう「恐ろしさ」は,iPhone が iTunes や App Store を通してOSやアプリをいつでもアップグレードできるところにある。だから,「「8割OKでリリースOK」という、インターネットを大成功に導いた開発モデルをそのまま使えるのだ」と。

このことは開発者にとって朗報であるとしても,ユーザにとってはどうなのだろう? ハードを一度買っておけば,ソフトをネットを通してアップグレードして,どんどん進化させることができる。このことをメリットと感じるのは,PC やインターネットの世界になじんでいる人々だろう。最近の若者のように,PC よりケータイになじんでいる場合は,ハードとソフトがワンセットになっているほうが便利だと感じるかもしれない。

iPhone 3G の成否は,PCとケータイの文化的対立がどこに行きつくかという問題でもある。