Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

神経経済学の夢と悪夢

2008-08-04 22:51:30 | Weblog
土曜の夕方から,研究棟の工事が始まった。頭上でバリバリすごい音が響いている。そのうち天井に穴が空いて,そこからドリルが飛び込んできそうな勢いだ。歯医者で歯を削られる音にも似ている。そのことを考えれば,音だけの問題だからまだ我慢できる。

朝,郵便局に行って試験の採点結果を「配達証明郵便」で送る。夜になって1ヶ月近く「滞納」していた査読結果を「返納」。これであとは「サービス・イノベーション」のデータ解析を残すのみ・・・ だが残された時間は意外に少ない。

久しぶり(いつ以来?)に『現代思想』を買う。字が小さくて読みづらい。しかし,今回の特集「ゲーム理論―非合理な世界の合理性」は,なかなか興味深い論文が多い。まずは関根崇康,茂木健一郎「「合理性」再考」(表紙では著者の順序が逆になっている・・・)。著者の肩書きはそれぞれ認知科学者と脳科学者。茂木健一郎氏については,いまさら説明するまでもない。

現代思想 2008年8月号 特集=ゲーム理論

青土社

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この論文,前半はゲーム理論あるいは経済学における「合理性」「利己性」といった概念に対する「世間の誤解」を解くのに費やされる。ゲーム理論家や経済学者にとっては心強い味方を得た気持ちになるのか,いまさら・・・といった気持ちになるのか,いずれにしろそんな議論を認知科学者と脳科学者が行っているところに不思議な感じがする。彼らはいったい何を企んでいるのか・・・

そして中盤に来て,話が急転回し,面白くなる。彼らは,これまで行われてきたさまざまなゲームに関する行動実験は,ゲーム理論の経験的妥当性の検証にはなっていない,と言い放つ。そのココロは,ゲームのプレイヤー(被験者)が受ける報酬は,プレイヤー自身が内発的に決定するもので,実験者が外的に強制した利得にしたがっている保証はない,というもの。

つまり,被験者たちは,実験者が意図したものとは違うゲームをプレイしていたかもしれない,と。いや,その可能性を最小化すべく実験を操作するのだ,と実験経済学者は答えるだろう。とはいえ被験者の心を完全に統制できるわけではない。じゃあ,そうすればいいの・・・ という問いに著者たちは明確な答えを用意していない。ただし,実験結果の解釈には多義性があることから,もっと代替的な可能性を考えてみる,といった実践例は示している。

人々がプレイしている「真のゲーム構造」を探るのに神経経済学が役に立つ・・・ 関根,茂木両氏はそう示唆しつつも,それがいかに困難であるかも語っている(正直,ぼくにはよくわからない)。神経経済学については,同じ特集で松島斉氏が「経済学におけるゲーム理論とは何か」という論文で批判的に言及している。彼は神経科学的アプローチの貢献に期待しながらも,「急進的」神経経済学のパラダイムに警鐘を鳴らしている。

経済学は,その根源で個人の「選択の自由」というパラダイムを持ち,それに基づいた経済厚生を考え,制度設計を提案する。ところが神経経済学は個人の快楽を直接客観的に測定できると考え,本人の意思に関わりなく,快楽の達成を一種の「治癒」行為としてサポートしようとする。このパターナリズムは全体主義につながる危険を秘めていると・・・。松島氏のいうように,神経経済学の一部でそんな議論がなされているとしたら困ったことだ。

神経経済学が何であるのかについて,まだ明確な合意はなく,実態もないといってよいだろう。期待が過剰になると,警戒心も高まる。一度バブルがはじけて,健全な研究だけが残るのかもしれない。だが,現実はそこまでも進んでいないし,そうした局面では一部の「狂った」人々にも何からの役割があるのではないか,と思う。