「3.11」から20日が経とうとしている。東北から北関東にかけて太平洋沿岸を襲った津波は,多くの街や集落を徹底的に破壊し尽くした。港も住宅も商店も工場も農地もすべてが瓦礫に化した。3万人近い生命が失われた。どう考えても信じがたい光景だ。それを肉眼で目にした人々の悲しみは計り知れない。
多くの人々が自分に何ができるかを考えた。すぐさま行動し始めた人々もいる。そこでソーシャルメディアが果たした役割については,アジャイルメディアによる素晴らしいドキュメントがある。同社の徳力基彦さんによる論考もまた,ソーシャルメディアの限界と可能性をほぼ完璧にまとめている。
絶望で立ち尽くすしかないような被災地において,復興に向けて動き出す人々がいる。他方,その遥か遠方でも,誰に頼まれた訳でもなく,ネットを駆使して支援の仕組みを作ろうとする人々がいる。絵を描けるものは絵を描き,ウェブに通じたものはサイトを作り,語学に通じたものは翻訳を行っている。
こうした行為をクリエイティブといわずして,何をクリエイティブと呼ぶのだろうか。何かを創り出すのは,いうまでもなく一人ひとりの意志なのだ。それが最も純粋なかたちで,いま現れているといえる。法律や制度,あるいは政治がそれを推進することはあっても,邪魔することがないことを願いたい。
東日本における電力供給量の低下を含め,日本経済が巨大な供給力の喪失に見舞われた。有効需要の不足とか,規制による供給制約といった次元の話ではない。失われた生産基盤を取り戻すために,戦後経済のように行政(官)の役割が重視され,「人よりコンクリート」へと政策がシフトするかもしれない。
先週の週末,ぼくは名古屋大学で開かれた進化経済学会研究大会に参加した。ぼくが報告したのは「ロングテール」をテーマにしたセッションで,冒頭,塩沢由典先生が需要の飽和のもとで成長が抑制される現代経済において,その制約を打ち破るのは製品イノベーションであるという発表をなさっていた。
塩沢先生は,多様なサービスへの需要がベキ分布に従うとき,都市の集積がニッチ的なサービスを収益化させることで成長が起きると考える(詳細は『関西経済論』)。その前提には,クリエイティビティの力がある。では,現在のように供給力が大幅に失われたとき,今後の成長についてどう考えるべきか。
被災地ではインフラの再構築が喫緊の課題である。そこで復旧以上の復興を目指すのであれば,地元の人々の意思を踏まえたクリエイティブな取り組みが必要となるだろう。たとえば,地域経済の復興に一見それとは矛盾する集積のメリットを活かすために,ICT によるバーチャルな統合ができないか・・・。
一方,将来不安と「自粛」ムードで収縮しがちな需要の活性化が,被災を免れた地域の課題である。野菜や乳製品,水産品に対する安全管理と風評被害の抑止を両立させるコミュニケーションはどうあるべきなのか。製品開発にも広告・販促活動にも,この環境下で需要創出を行う革新が求められている。
あらゆる分野の専門家が,自分たちの専門性を日本の復興に生かそうとしている。マーケターもまた何らかの貢献が求められている。一研究者であるぼく自身,そこに向けて研究テーマを組み替えつつある。といっても,見通しの全く利かない新しいテーマに,これから挑むという意味ではない。
たとえば,これまで取り組んできたクチコミの研究で,非常に大きなリスクを伴う選択,善意に基づくものから政略的なものまでさまざまな誤情報の流布を扱うことが1つ。別のいくつかの研究では,地域の活性化や,コーズ・リレイテッド・マーケティングの視点を組み込むことを考えている。
それに向けて,様々な人々と準備を始めている。
![]() | 復刊アサヒグラフ 東北関東大震災 2011年 3/30号 [雑誌] |
朝日新聞出版 |
多くの人々が自分に何ができるかを考えた。すぐさま行動し始めた人々もいる。そこでソーシャルメディアが果たした役割については,アジャイルメディアによる素晴らしいドキュメントがある。同社の徳力基彦さんによる論考もまた,ソーシャルメディアの限界と可能性をほぼ完璧にまとめている。
絶望で立ち尽くすしかないような被災地において,復興に向けて動き出す人々がいる。他方,その遥か遠方でも,誰に頼まれた訳でもなく,ネットを駆使して支援の仕組みを作ろうとする人々がいる。絵を描けるものは絵を描き,ウェブに通じたものはサイトを作り,語学に通じたものは翻訳を行っている。
こうした行為をクリエイティブといわずして,何をクリエイティブと呼ぶのだろうか。何かを創り出すのは,いうまでもなく一人ひとりの意志なのだ。それが最も純粋なかたちで,いま現れているといえる。法律や制度,あるいは政治がそれを推進することはあっても,邪魔することがないことを願いたい。
東日本における電力供給量の低下を含め,日本経済が巨大な供給力の喪失に見舞われた。有効需要の不足とか,規制による供給制約といった次元の話ではない。失われた生産基盤を取り戻すために,戦後経済のように行政(官)の役割が重視され,「人よりコンクリート」へと政策がシフトするかもしれない。
先週の週末,ぼくは名古屋大学で開かれた進化経済学会研究大会に参加した。ぼくが報告したのは「ロングテール」をテーマにしたセッションで,冒頭,塩沢由典先生が需要の飽和のもとで成長が抑制される現代経済において,その制約を打ち破るのは製品イノベーションであるという発表をなさっていた。
塩沢先生は,多様なサービスへの需要がベキ分布に従うとき,都市の集積がニッチ的なサービスを収益化させることで成長が起きると考える(詳細は『関西経済論』)。その前提には,クリエイティビティの力がある。では,現在のように供給力が大幅に失われたとき,今後の成長についてどう考えるべきか。
被災地ではインフラの再構築が喫緊の課題である。そこで復旧以上の復興を目指すのであれば,地元の人々の意思を踏まえたクリエイティブな取り組みが必要となるだろう。たとえば,地域経済の復興に一見それとは矛盾する集積のメリットを活かすために,ICT によるバーチャルな統合ができないか・・・。
一方,将来不安と「自粛」ムードで収縮しがちな需要の活性化が,被災を免れた地域の課題である。野菜や乳製品,水産品に対する安全管理と風評被害の抑止を両立させるコミュニケーションはどうあるべきなのか。製品開発にも広告・販促活動にも,この環境下で需要創出を行う革新が求められている。
あらゆる分野の専門家が,自分たちの専門性を日本の復興に生かそうとしている。マーケターもまた何らかの貢献が求められている。一研究者であるぼく自身,そこに向けて研究テーマを組み替えつつある。といっても,見通しの全く利かない新しいテーマに,これから挑むという意味ではない。
たとえば,これまで取り組んできたクチコミの研究で,非常に大きなリスクを伴う選択,善意に基づくものから政略的なものまでさまざまな誤情報の流布を扱うことが1つ。別のいくつかの研究では,地域の活性化や,コーズ・リレイテッド・マーケティングの視点を組み込むことを考えている。
それに向けて,様々な人々と準備を始めている。