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Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

東日本大震災

2011-03-21 15:55:43 | Weblog
3月11日(金)午後2時46分,東北地方の太平洋岸,三陸沖を震源地とするマグニチュード9.0の地震が発生した。それがもたらした惨禍は筆舌に尽くし難いものだ。現時点で,この震災で亡くなられた方の数は2万人を超すと報じられている。被害の総額は20兆円ともいわれている。戦後日本が経験した,最大の惨事であることは間違いない。

地震が起きたとき,ぼくは山形県蔵王の山中にいた。蔵王で開かれたネットワーク生態学シンポジウムのフリータイムに,他の参加者とともに樹氷を見に出かけていたのだ。その帰り際,山腹でロープウェイに乗ろうとした瞬間,駅が大きく揺れ始めた。それから約6時間ほど,停電した駅の構内で,数十人の方々とともに救援を待ち続けた。

その間,iPhone を通じて,特に Twitter を通じていま何が起きているのかの情報を収集し続けた。最初に見たのは,仙台駅構内で掲示板が落ちている写真だと記憶する。蔵王だけでなく,東北全域で停電が起きていることもすぐに分かった。だが,それをはるかに上回る悲惨な出来事が各地で起きているとを,当初全く想像できなかった。

Twitter はさまざまなニュースを告げるとともに,シンポジウムの参加者の安否情報も伝えてくれた。遥か遠方の友人から励ましをもらった(なかには,仙台で被災された方もいた)。Twitter は非常に有用なメディアだと実感したが,充電池の残量がなくなってきたのには焦った。アクセス回数を減らしてしのいだが,スマホの脆弱性も実感した。

停電したままのホテルで一晩過ごしたあと,被災を免れている新潟経由で東京に戻ることになった。これをコーディネートしたのは,同宿の初老の男性だ。彼はバスをチャーターし,自分たちのグループ以外にわれわれにも声をかけた。その判断力や交渉力には感服した。災害時には,こうした無数の草の根リーダーの役割が大きいと感じた。

それから1週間,つねにTVを眺め, Twitter を眺めたり呟いたりしながら,非常に低い生産性で仕事などもしている。Twitter は便利なメディアだが,負の側面も多いことがわかってきた。単なる事実誤認から政治的な思惑を秘めたものまで,さまざまなデマや毀誉褒貶が飛び交っている。主観的には,その量が時間とともに増えている印象だ。

ぼくの研究テーマの1つにクチコミがある。新製品について様々な情報が伝播され,消費者がその影響を受けて選好を形成していく状況を想定していた。いま,Twitter 上ではそこでの想定をはるかに上回る速度で,激しい感情を伴ったクチコミが流布している。善意が悪意に,正義感が攻撃性に転化している。Twitter がそれを拡散している。

Twitter 上のデマがマスメディアに起点を持つ場合もある。マスメディアの報道に,Twitter 上で怒りが集中する場合もある。扇情的な既存メディアが非難され,これからはソーシャルメディアの時代だと語る人もいる。しかし,デマと憎悪が席巻している点で,ソーシャルメディアは必ずしも胸を張れない。そう単純な話ではないと思われる。

この事態に何か社会に役立ちたい,日本の復活に貢献したいという気持ちは誰もが持っている。それぞれの持ち場でそれを行うべきだとしたら,ぼくにとっては,研究と教育がその場になる。マーケティング研究者として何ができるか。ぼくにとって,クチコミの研究がその1つ。さらには,クリエイティブ・ビジネスの研究と教育がある。

救援は一刻一秒を争うが,復興は長丁場である。この1週間ですら,あれほど愛と善意が膨れ上がったように見えた日本社会で,憎しみと悪意が膨れ上がっているように感じる(それが誤認識であればうれしい・・・)。何ができるかわからないが,何かをする必要があるだろう。しかも,一時の盛り上がりで終わらない,持続するかたちで。