山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

あっという間の5月

2009-05-20 23:08:52 | 運転・車・道路の事
いつの間にか5月も下旬に入ってしまいました。
早いな~と思います。
予約が思うように取れないということもあって、自動車教習はあんまり効率的に進みません。
そういえば、昨夜の学科授業は満席に近いような参加人数で驚きました。
40人はいたようです。

人に聞いたところによると、春休みころは学生が多いので、そのころを避けていた社会人が今いっぱい来ているということです。
だから、確かに夜と休日の時間が満員なのです。

技能教習の予約画面を見ても、平日の昼間などはまだ空きがあったりしますが、夜はダメです。また、キャンセルもあまり出ないようです。

確かに周りを見渡すと、以前よりも年齢が上がっている感じです。
20代半ば以上という雰囲気です。学科で見かけた人と教習でもよく出くわします。
おなじくらいの段階をやっているようです。

教習というのは、やはり立て続けにやってしまったほうがいいのでしょうね。
数日空けて、忘れたころにやるってのは、なんかあんまり調子がでません。

なんか、雲行き怪しくなってきました。
不安な気分だな~

それにしても、一日一日がすごいスピードで過ぎていきます。


落ち込む~

2009-05-20 22:43:46 | 運転・車・道路の事
中3日あけて4日ぶりの教習。ちょっと運転モードから遠ざかっていたためか、すっかりいろんなことを忘れている。
でも、久しぶりだなんていうのは、理由にならない。
今日は、自分でもわかるし、教官からもいっぱい指摘されたし、路上に一旦駐車して説明確認までされてしまったことからも、最悪の運転だった。
まきこみ確認
交差点の右折
適切な速度
進路変更
歩行者の保護 
障害物よけ  etc.
どれもなってない。

どうも調子の悪いときは悪くてしょうがない。しかし、それは、自分の欠点がもろに現われたということであり、結局はそれを改良するいいチャンスといえるだろう。
だから、めげずに頑張ろう。最初から運転がうまくいったら、自動車学校なんかいらないんだから。

自分の欠点のほかにも、今日は、信号無視をして横断歩道を渡る子供とか、杖をついて道路の真ん中をゆっくり歩き続けるおばあさんとか、あちこちに止めてある駐車車両とか、いろんなものに出くわして、とても走りにくかった。
でも、それもいい体験だ。

今日の運転は、自分で点をつけても、100点満点中、20~30点くらいじゃないかと思う。
最悪だぁ・・・・・・。

今日の先生は2度目の先生でした。
最後にもまとめて怒られるかなと思ったら、自覚しているということでか、繰り返し同じ注意はされず、頑張ってくださいと言ってくださいました。

うわああ・・・ 怒られるより、なんか身にしみる・・

今日の教官はマスクをしていなかったのですが、
マスクの教官の顔なんか観察しているどころじゃない。
もっと気を引き締めなければ。

明日は、今日のようなミスをせず、しっかり運転するよう頑張ろう。

よく当たる教官

2009-05-20 01:23:52 | 運転・車・道路の事
もう、28回くらい技能教習を受けているのですが、だんだん教官の顔を覚えてきました。
自動車の教習は並んで座っているので、あんまり教官の顔を見る機会はありません。
それに、インフルエンザ予防なのか、もともとそういう習慣なのか、教官の多くは大きなマスクをしているので、目より上しか見えない人も多いです。
確かに、狭い車の中でどちらかが風邪でも引いていたら直ぐに移ってしまうだろうし、また、相手がタバコ臭いとかニンニク臭いなんてこともあるかもしれません。香水の強い人もいるかもしれませんね。
まあ、そういう状況で、あんまり顔を認識していません。

ただ、教習が終わって教習簿に教官のはんこをもらっているので、過去の教官の名前がわかります。また、教習を受けるときにも、車の番号と教官の名前を知らされるので、そこで、名前を照らし合せ、以前習ったことのある先生なのかどうかを確認することができます。知らない名前だと、怖い先生じゃないかなと、ちょっとドキドキです。
今のところ、怖い先生はいなかったので、今までのどなたかであれば安心です。
ただ、同じ名前であっても、どんな人だったのか思い出せないこともあります。何回目だったかを見て、そのときに何を教えてもらった先生かということで思い出せることもあるし、それでもなお、記憶に浮かばないこともあります。
でも、いざ教習となって同じ車で顔を合わせると、確かに以前にも習った先生であることが思い出せます。

さて、30回近くも教習を受けていると、2回3回担当が当たる先生が出てきました。
そうすると、かなり安心な気分になってきます。
繰り返し当たる先生は、やっぱり、ベテランの先生が多いようです。どのくらいの年齢かな?自分よりかなり上の先生もいらっしゃいますが、上なのか、下なのかわからないような先生もいます。

おばさんは、若くてイケメンというのが好きな人も多いですが、私はやっぱり同年齢以上の人が頼もしいなと思います。それに、同じくらいの年月人生経験を積んでいるってことで、親近感もあるし、当然信頼感もつよいです。

最初のころに教わって、次に仮免とってから再び路上で教わった先生には、所内外周のカーブも曲がれなかったのに、よく走れるようになったなあ、などと驚いてくれて、嬉しかったです。
年輩の先生で複数回教わっている先生は4人くらいいるのですが、それぞれに有益なことを教えていただき、薀蓄のある言葉が思い出されます。
まだ、あと10回くらいあるので、さらにお世話になりたいと思うばかりです。

そういえば、親切だけど、ちょっとクールな感じって、私はビビッときてしまうんですよね。もろにいつもなごやかでやさしくて明るく親切な人よりも、なぜか、ちょっと沈黙あったりすると、おやっ、何考えてるのこの人?などとひっかかります。
そして、そういう人に限ってどんな顔だったかな?などと関心が湧いてきました。
顔はマスクで半分しか見えないから、口元ってのはわからないんですよ。実際、若い先生で、技能のときマスクしていた先生が、マスクをとって学科を教えてくれたことがあったんですが、正直、口は見えないほうがよかったね、という先生もいました。
私が関心を持ったちょっとニヒルな要素のある先生は、マスクの外からみたところ、鼻は高いほうだなと思いました。
それで、今日は学科を受けに学校に行ったのですが、校舎の窓からコースを見下ろしていると、ちょうど見ていた車からその先生が降りてきました。すごい偶然ですね。そこで、顔を観察しようと思ったわけですが、上から見ていたので頭ばかりよく見えました。以前の記憶では、額は狭くはないと感じていましたが、実際みてみると、生え際がちょっと後退しているようでした。
ふうん、なるほど・・・。でも、ステキだよ。
観察してしまってすみません。
また、教習あたるといいな。


仕事運絶好調

2009-05-19 01:10:34 | 日記
たまには、運転以外のことも書かないとね。

今朝、テレビを見ていたら、山羊座は全ての運勢が良かったが、特に仕事運が絶好調だとか言っていた。

そのときは、そんなの関係な~い、と思ったが、今思い出した。

今日、仕事で書類の点検をしていたところ、結構大きなミスをみつけた。
それがほんとうに間違いなのかどうかわからなかったので、当事者に確かめてみたところ、
やはりミスだったようで、当事者が、みつけたことを非常に感謝してくれた。

このミスは、普通に書類の文字をチェックしているだけではみつからない類のもので、
たまたま私が他部署の仕事を手伝っていて、そこでいつも確認している書類を見ると判明するようなものだった。
だから、たぶん、他部署の手伝いをしていなければわからなかったことだった。

無駄なことしておいてよかった・・・と、また思うのだった。

そして、わたしが確信したのは・・・
私は貴重な人材だということだ。

会社の人事はパートタイマーの取替えはいくらでもきくと思っている。
もっと安い時給で新人を雇えば用は足りると思っているようだ。
しかし、それは違う。
こんなに会社にとって役立つ人間が、そう簡単にみつかるもんじゃないよ。
私がこの仕事をやめたら勿体無いし、
私自身、自分の能力は、経験を積んだこの職場でしか発揮できない。

私が役に立っていることは現場の人たちが誰よりも知っているはずだ。

「みつけてくれて、ありがとうございます」と言っていただき、本当にうれしかった。




教官の気持ち

2009-05-18 23:14:05 | 運転・車・道路の事
またまた、日本語教師との比較ですが、自分が教える生徒を愛する気持ちというのがあります。
自分が日本語を教えた子が、日本人と日本語でコミュニケーションを取れることはあたりまえだと思っています。これはだいたい初中級くらいで充分です。
たとえ、完璧な日本語でなくても、知っている言葉を使い、もし相手の日本人がわけのわからない言葉をつかったならば、聞きなおしたり、説明を求めたりすることによって、必ず意味を通じさせることができます。

ところが、一般の日本人というのは、ちょっと外国語なまりがあったり、発音がおぼつかなかったりすると、この人には日本語は通じないんだと思いこんだりすることが多いです。
だから、もし何かの手続きとかに日本人である日本語教師が同行していたりすると、外国人本人ではなく、教師のほうに質問などしてくるわけです。
そのようなときは、この人日本語わかりますからと言って当事者同士で話すように促しますが、日本人があまりにも難しい言葉を使っていて外国人に理解できない場合のみ、私が平易な日本語に置き換えて説明し、返事は外国人本人にさせるというふうにします。
決して代わりに答えたりはしません。私は外国語ができないので、当然のことながら生徒の言語に通訳することはできません。
日本語だけで通じていることを見て、一般の日本人も、その人が日本語だけで意思の疎通が出来ることに気がついてくれます。

日本に来て間もないんだから無理でしょう、仕事なんかできませんよ、なんて思われがちですが、そんなことはありません。ちゃんと日本語学校で勉強していますから大丈夫ですよといいたいです。

自動車教習所だって同じですよね。ちゃんと教習所で運転教えてるんだから、まともな運転ができるはずです。免許とったら、初心者だろうと、一人で運転できるはずです。


流れに乗る

2009-05-18 22:35:17 | 運転・車・道路の事
平日の夕方の交通量が多い時間帯に、いままでになく長い距離、幹線道路を走らされた時間がありました。
流れに乗れってことですけど、前にバイクなんかが入ってくるとよけいに車間距離をとりたくなってブレーキなど踏んでしまいます。
すると、ブレーキ踏むなって言われてしまうのでした。
サイドミラー見てごらん、バイクが見えるでしょ、前に来ようとしているから入らせちゃだめだ、という具合。
言われてやっとミラーを見て気付き、アクセル。
他の車も入ってこようとしているよ、だとか。
バイクが入ってくるのは怖いけど、自動車が空いているところに入ってきてもそんなに怖くはありません。
あれえ、どうしてですかあ?入りたい車には入らせてあげちゃいけないんですか~?
なんか、どうぞどうぞとブレーキ踏んで入れてあげたい気分なんですけど、
そうすると当然どんどん遅くなります。そして、遅い車だとマークされると、つぎつぎに他の車が抜きにかかるのだそうです。
後ろのほうに走っている車は、他の車が何かを抜いているのを見ると、なにを追い抜いているのかと関心を持ち、ああ、あれが遅いのかとマークしたら、よってたかって追い抜きにかかるらしいです。

教官はきっと経験者なんだ。いつもへたっぴいの教習生が運転する車に同乗させられているんだから、なさけないというか、そういう気持ちわかるような気がします。
自分が教えている教習生が一人前の運転を頑張ってするならば、そういうことが回避できるわけです。教習車は自動車学校の名前と仮免練習中のプレートがついていて一目瞭然ですから、周囲の車も、やっぱりと思い、即座に抜きにかかるにちがいありません。

これは、教官のプライドか、それとも親心みたいなもんかな。
初心者だから抜かされてもいい、マイペースでいきなさいなんてどの教官も絶対に言いませんね。

そして、とろとろしていると、別の車が割り込んできたりして、よけいに怖い思いをするのだそうです。
ブレーキばかり踏んでいると、後の車はすごく疲れるのだそうです。変なところでブレーキを踏むと追突されるおそれも大です。

だから、きっと免許を取ってから一人で運転するようになったときに、そういういやな思いや、危険な思いをしないように、他の車にも迷惑をかけないように、しっかり教えてくださるのでしょう。

どこの自動車学校の卒業生がうまいかへたかってのも気になりますよね。

うん、教習車は学校の看板を掲げているんだから、教官の指導に従い、しっかり運転しないとね。



基本を教える専門家

2009-05-18 19:26:50 | 運転・車・道路の事
ふと思ったんですが、自動車学校の教官は、実際車に乗っている時間は長いですが、自分が運転している時間はどうかというと、一日中を足しても、そんなに長い時間にはならないということに気がつきました。
だって、ほとんど助手席で教えているのだから、自分が運転しているわけではないのですね。
それに、お手本で運転したり、車を移動する時に運転するにしても、所内のコースと路上教習の決まった地域しか運転しないってことでしょう。
どっちにしても大部分は教習生が運転してるってわけですね。
横でハンドル操作を助けてくれたり、ブレーキ踏んだりしてくれることはあるけども・・・。

それだったら、たぶんもともと自動車が好きだとは思うので、休日などはドライブにでも行くのかな~。普段走らない道や地域を走ったりね。

自動車学校の教官は、どこか日本語学校の教師にも似ている部分があります。
それは、「基本をわかりやすく教えるプロ」だということです。
日本語教師も自分ばかりがしゃべっていては、生徒の日本語は絶対にうまくならないので、生徒にしゃべらせるわけで、まずはその日の指導項目をわかりやすく提示し、説明したら、繰り返し練習をさせます。
そして、ある程度話せるようになっても、発音がおかしかったら舌の位置がおかしいだとかいうことを指摘してあげたり、いつも文法が間違う人には、こういうルールだからこれが正しいんだよ、などとわかりやすく説明し納得させます。例外があればそれも教えるし、基本はそうだけど最近の若者は別の言い方をすることが多い、などということも教えます。
それは、運転を教えるのと非常に似ているのではないかと思います。

それで、日本語教師はビジネス会話や討論などがうまいかというと、決してそうではありません。日本語教師は日本語学校という世界の中で日本語を知らない人に日本語の基礎ばかりを教えているので、自分が商社に勤めているわけでもないし、ディベートなんかをしているわけでもないのだから、自分自身が現実的に社会の中で日本語を武器や道具にして使いこなしているわけではないのです。

むしろ、基本的に正しいとされる言葉ばかりを使って初心者を相手にしているので、そのような特徴を備えているといえるでしょう。
しかし、基本ほど重要なことはないですよね。日本語を基礎からしっかり習った外国人はとても正しくきれいな日本語を話すようになります。
運転は誰もが基本から習うものだけど、やはり基本を教える人の重要性は大きいです。

とてもいい仕事だと思います。






地方での教習

2009-05-18 17:57:39 | 運転・車・道路の事
「静岡県自動車教習所のすすめ」というトラックバックをいただきました。

私も実は考えていたのですが、東京で免許を取ったとしても、故郷でペーパードライバー用の路上訓練をしてもらいたいなあ、と。

というのは、私の実家のあるところは、すごい傾斜地なのです。そして、S字坂道の連続なんていうのも少なくありません。
運転教本によると、下り坂でフットブレーキを使い続けると、ブレーキが過熱してききにくくなり危険だとのことです。このようなときはエンジンブレーキを使う、と書いてあります。
それで、オートマチック車の場合、上り坂ではDのままでいいようです。しかし、下り坂の場合は、ゆるい坂ではDか2、急な坂では2かLのギアを使うとかいてあります。
結局、平地で運転できる技術があれば、単にギアをこうすればいいってことなんだろうと思いますが、横に教官がついていてくれたらどんなに心強いでしょうか。

実は、私の姉は免許をとってまもなくのころ、坂道を登っているときに、カーブを下ってきた対向車が外側の姉の車線にでっぱってきたため、正面衝突を回避しようとハンドルを切ったところ、なんと崖の下に転落するという大変な事故を起こしたことがあります。
幸いにして、下に樹木がありクッションになって、怪我もせずに済んだのですが、田舎にはそのような道が多いのです。
今ではたぶんガードレールなどできて、道路も整備されているかと思いますが、30年くらい前は、道も狭く、路肩もいいかげんな状態だったのでしょう。

運転教本を見ると、坂道の場合、崖側の車が「上から降りてくる車のはみ出しを予測し」、また、「崖側の車が停止して道をゆずる」と書いてあります。
姉ももう少し危険が予測できれば、崖から落ちなくて済んだかもしれません。
しかし、もし路上でよけきれなかったら、衝突しているわけですから、ひどい怪我を負っていたかもしれず、落ちてしまったのが不幸中の幸いだったのかもしれません。

その相手というのは、しょっちゅう事故を起こしている人で、その後も別の事故を起こし結局免許停止になったとかいう噂だそうです。
怖いですね。こういうのはもらい事故というのか、あるいは道路にも起因する事故ってことでしょうね。
この事故では結局双方の不注意みたいになったようです。ぶつかってれば相手が悪いでしょうけど、結果としてはわずかの接触で、姉が必要以上にハンドルを切りすぎたため、勝手に落ちたということになったようです。

今やってる路上教習では、たぶん坂道ってのはないと思います。この地域には坂道といえるほどの坂道は存在しないようです。U字カーブなんかもないですね。
田舎でも教習コースにそんなのがいっぱいあるわけじゃないとは思いますが、記憶によると、自動車学校自体が山の上にあったようなので、街中に下りるだけでも長い坂道をくだらなくちゃならないようです。

今現在も、路上教習で教官に、こういうところはここに気をつけるといいよ、ということを教えてもらったりするので、田舎のうねうねした坂道の走り方など、現地の教官にアドバイスしてもらえるといいなあと思います。

しかし、故郷の教官はどんな人かな?
ちょっと東京の教官と違うかもな。
ちゃんと教えてくれるかな。
同級生とか後輩とか、近所の人の子供とかが教官だったら、びっくりだろうね。
狭い社会なだけに、こんな年で教習に来たなんて噂が広まっちゃうかもしれません。
田舎は怖いね。


教官の愛車

2009-05-18 00:38:08 | 運転・車・道路の事
自動車学校の最後の時間に行くと、仕事を追えて帰っていく教官の姿をみかけることがあります。
そういえば、自動車学校の周囲の駐車スペースには、教習車でない普通の車が置いてあり、それらは教官の車に違いありません。やっぱり、いい車に乗っているんでしょうかね。どんな車かまではいちいち見ていませんが、それぞれにこだわりがあるのかもしれません。
そして、また、大きな自動二輪なども何台か置いてあります。これは教習生の自転車置き場と同じなのでよく見えます。
私の行っている学校は普通車専用の教習所ですが、自動車学校の先生だからといって普通車に乗るとは限らず、バイクに乗る人も多いようです。
たった1人通勤に使うのに、四輪じゃなくてもいいし、バイクのほうがかっこいいかもしれません。
自動車学校の先生だけあって、いろんな種類の車の免許を持っているんでしょうね。

ところで、先日意外なものを見かけました。
教官が自転車に乗って帰るところです。
あれっ、チャリンコだよ、とおどろいてしまいました。近所にお住まいなのでしょうか。

この人は、普通車の教官ですよ。運転のプロですよ。
でも、チャリンコに乗っているところだけ見たら、知らない人は、「チャリンコのおっさん」としか思わないでしょうね。まさか運転の先生だとはね。
年の行った教習生と間違ってしまう可能性もあります。
ちょっとイメージが違いますよね。

チャリンコに乗っている人を見ると、その人が車の運転をする人だとは思わないことが多いです。自分がそうだから人もそうだと私が勝手に思っていただけかもしれませんが。
そのとき自転車に乗っていたからといって、そのひとは大型バスの運転手かもしれないし、自宅に高級車があって休日に乗り回している人かもしれませんよね。
わからないものだな~と思います。

教官は一日中普通車に乗って仕事をしているので、バイクや自転車に乗りたいのかなと思いました。


ブログタイトル変更

2009-05-17 22:35:39 | 日記
東郷さんのアドバイスに従い、タイトルを少し変えました。
「頑張らないコリドラス」ってのは、変な題名です。
最近、このブログを読み始めてくださっている方々に少々これまでの経緯を説明します。

このブログは
一番最初は
「40代の夢と現実」という題でした。
その後
「日々の奮闘」だったかな?
に変更しました。

あんまり奮闘していないので、考えた末
「頑張れコリドラス」にしました。

ここに公開されているのは、途中からのものになります。

コリドラスというのは、熱帯魚の仲間ですが、水の底で苔や藻をたべるひげの生えたナマズのような魚です。これは、観賞魚というよりも、水槽のお掃除屋さんとして、観賞用の熱帯魚と一緒に飼われることが多いようです。つまり、水槽の中の華やかな主役ではありません。その姿はなんか自分に似ていると思って、自分を励ます意味で「頑張れ、コリドラス」にしました。

しかし、昨年の暮れころから、仕事でいろいろなことがあり、なんだか頑張るのがバカらしくなってきました。
頑張っても損ばかりして報われないような気がしてきたのです。
頑張ると報いを期待してしまいます。期待が裏切られるは精神衛生上よくありません。
だから、いっそのこと、頑張らないほうが健全な精神で生きていけるように思いました。

それからは、仕事の分野では勉強するのをやめて、関係ないことをはじめました。
それが宅建や運転免許です。

結局は、何かに希望を持って頑張らなきゃいられない性質です。
ただ、見切りは早いです。鞍替えも早いです。
鞍替えばかりしているので、何もものにならないのが弱点です。
いつまでも「頑張らない」ままというのもどうかと思うし、
取り合えず、何でもいいから頑張ってみようと思い、
また、タイトルを変えました。

もっといいタイトルが見つかるまで、しばらくこれでいきたいと思います。

好きな理由

2009-05-17 22:04:15 | 運転・車・道路の事
運転のことで、アタマが埋め尽くされているこのごろ、何か他に考えることはないのかと我ながら不思議です。
もう、まるで、他のことには関心がありませんよ。それだけ、運転って面白いですね。
しかし、今まで、運転が面白いとか教習所が楽しくてしかたがないとかいう話を人から聞いたことがありません。
姉は私に対して免許なんか取っても仕方がないというようなことを言い、どちらかというと反対のような態度なのですが、私は免許を持っていない人々に、ぜひ運転免許を取ることをお薦めしたいです。べつに免許取ったからって運転しなくてもいいですよ。運転しなくても、歩行者としても絶対に、ただの人間としても絶対に人生の役に立ちますね。
運転なんか、義務教育でやってもらいたいものです。
応急救護なんかも、高校くらいでやったほうがいいですね。応急救護は人間の義務にしたほうがいいんじゃないでしょうか。成人の条件とかね。

自動車学校ってのは、ほんとうにまともな学校だと思います。
私は日本語学校で日本語教師をしていたとき、学生のマナーの悪さに泣かされました。
今から10年近く前ですが、おどろいたのは教室で帽子をかぶっていることです。でも、教師の同僚とて、それを悪いとは思っていない人が多く、ファッションだからということでそのままになっていました。また、ペットボトルなどを机の上においているのも、世の中の様々な講習などで、今では普通に行われているといっても過言ではありません。
寝ていたところで、人に迷惑をかけなければ個人の自由だという風潮です。授業を聞いていなくても、テストで合格点をとればいいということなのです。
遅刻や早退は日本語学校ではそれなりに管理されてはいますが、それでも遅刻3回で1回の欠席というふうな決まりでした。
ルーズで自由な今風のやり方は、私にはどうも受け入れがたいのです。
帽子をかぶるのは失礼じゃないのか?と、教室で帽子をかぶっている人を見ると、あってはならないものが存在するようで、非常な違和感をもつのでした。
それでも、みんながそれでいいというならば、自分がそれにあわせるしかないですね。

ところが、私の常識にぴったりのところがありました。それが自動車学校です。教室では脱帽すること、ペットボトルなどを机の上に置かないこと、もちろん飲食禁止、寝たら欠席扱い、遅刻も早退も欠席扱い、ということです。
それで、みんな普通にやってるじゃないですか。見た目暴走族みたいな人だって、ちゃんとまじめに授業を受けています。やれば当然のようにできるわけです。

自動車学校の好きなところというのは、こういうきちんとした空気がすべてに渡って流れているということです。

運転と算数

2009-05-17 19:02:26 | 運転・車・道路の事
教習所に通うようになって、普段しない足しや引き算をするようになった。
もともとどんぶり勘定の人間なので、数字の計算なんか何十年もしたことがない。だから、なるべく山勘で運転したいのだが、そうもいかないし、学科試験の内容も覚えにくい。

自動車学校の中の道路は片側4メートルもある。これは、路上に出た今となっては恐ろしく広い。だいたい、住宅基準法上の道路幅は最低4メートルであるから、世の中に4メートルで双方向すれ違わなければならない道路もけっこうあるはずだ。しかも、実際には昔ながらの3.6メートルという2間道路も多いから、両側の家が20センチずつセットバックしなければならないが、家を建て直さないかぎりそのままになっている。
自動車学校で使っている普通自動車の幅は1・7メートルくらいらしいから、もし道路の幅が3・6メートルだったら、ものすごいぎりぎりの技で、すれ違えるかもしれない。しかし、かなり無理である。やはりどう考えても普通車がなんとかすれ違うには最低4メートルは必要だろう。道路法ではなく住宅基準法の道路の幅であっても、車の幅から考えて矛盾が無い。

あっ、自動車学校の道路の話だった。片側4メートルの道路をキープレフトで走る場合は、自分を道路の中央に持っていけばいいという。なぜならば、車の左に縁石まで80センチ間を空ける。そして、車の幅は前述したとおり1・7メートルくらいらしいが、車の左端から運転席の左端までが1・2メートルなのだそうだ。そうするとちょうど道路の左端から運転する自分までが2メートルだから、自分を道路の真ん中へんにもっていけば、車は左に80センチ空けて走ることになるそうだ。そのほかには、ボンネットのマスコットを利用する方法もある。運転席から見えるボンネットの前端の中心が左車輪の位置であるとのことだ。しかし、これは直線でしか使えない。
最初は自分が中央にいると、車の左端がどのあたりなのかよくわからず怖かったのだが、道路が4メートルもあり、車の幅は1・7しかないすれば、右側がかなり空いていても大丈夫だということが、感覚ではなく算数でわかる。
また、S字やクランクも道路幅は3・5メートルもあり、車の倍の幅もあることがわかる。自分が運転していると何がなんだかわからないが、人が通っているのを見ると、ずいぶんと余裕があるものだ。内輪差があったところで、このようなところを走れないわけがない。

そして、学科試験対策としては、路上に駐車する場合の条件として、車の右側に3・5メートルの通路を開けなければいけないということをおぼえなければならない。
車は路肩から50cm空けて通行しなければいけないことになっている。車の車幅はどんなに大きくても最高2・5メートルである。そして静止しているもののそばを通るときは50cm以上空けて走らなければならないという決まりがある。だから、これらを足すと3・5メートルあれば、どのような車も通れることになるわけだ。

そのほかにも、運転免許を取るためには、スピードや距離や時間など、ずっと使っていなかった数字がいろいろでてきて、老化している私の頭にとっては、ボケ防止になりそうだ。


気配りと意思表示

2009-05-17 15:16:44 | 運転・車・道路の事
車の運転には、この2つも大切なようです。
人に迷惑をかけない、人の流れを妨害しない、交通の流れがスムーズに行くようにする。
そのためには、自分が何をしようとしているのか、的確に意思表示をするということです。

こういうのって、チャリンコを走らせているときには、ほとんど関係ないわけです。どんな速さで走ろうとそんなのは個人の勝手で、だいたいぼんやり走っていても、ゆっくりトロトロ進んでいれば大方のものはよけることができるし、事故などは発生しません。
だから、私の場合、自転車は漫然運転の常習でした。
また、B型人間というのは、本来マイペースな生き物なので、なかなか人に気を配るということができません。あっ、これはB型などと書くと、全員がそうではないと怒られそうですね。私だけかもしれませんが、とにかく自己中心というか、基本的に人に迷惑をかけるほどわがままではないけれど、個人主義の傾向が強いです。
だから、運転って勝手に道路走ってたらいけないの?そんなに周囲の人たちに気を使わなきゃいけないの?と驚いたしだいです。
ブレーキ1つ踏むのにも後続車に気を配るのかよって感じです。
これは、マイペースの性格を変えなくちゃいけない。少なくとも運転のときはね。

自分が歩行者で、横断歩道を渡ろうかなって思っていたときに、そこに車が来たら、なんとなく止まってもらうのが悪いので目をそらしたり、渡るのか渡らないのかわからないような態度を示す私でした。だから、基本的に運転手さんと目を合わせませんでした。私はもともとどっちかというと、知らない人とのかかわりを持ちたくないんです。子どものときはちょっと自閉症ぽかったかな。

これが運転者になってみると、渡ってもらうように横断歩道の前に停止しているのに、その人がぜんぜん渡らないことがあります。どうぞって手で示してもなんか視線がどこ見てるの?って感じ。教習中、こういう人がいると、その人が渡ってくれるまでずっと待ってなきゃならないのだよ。
「あの~渡るんですか渡らないんですか、渡らないなら横断歩道から離れて行ってくれませんか」などと思ってしまいます。
教官も、「あれ、渡らないのかな~」などといいながら、手で示したりしたあげく「やっぱり渡らないみたいだな、じゃ、行きましょう」などと決断し、車を走らせようとすると、急に渡って来たりするんです。その人、渡らない振りをして車を行かせてから渡らせようと思ってたらしいですが、あまりにも車が通りすぎないので、痺れを切らして渡ることにしたんでしょうね。私みたいな人ですね。

車と車にしても、車と歩行者にしても、意思の伝達ができないとなかなか不便なものだなと思うので、このごろは自分が歩行者で横断歩道を渡るときは「止まってくれます?」みたいな顔で運転手とアイコンアクトをとるようになりました。
ところが、来る車来る車、何台も全然止まってくれないじゃないですか。
「おい、横断歩道の近辺に人間がいたら停止しなくちゃいけないんだぞ。なに考えてるの?」と思いますが、どれもこれも止まる気配ないですよ。そんなもんだね。
これも後続車がいるからなんでしょうね。急に止まると追突されるかもしれないですからね。意外に、空いている道で止まってくれる車が多いですよね。
1台過ぎればすぐ渡れるから止まってくれなくてもいいときに限ってとまってくれるもので、いっぱい続いていて全然渡れないときに限ってどれも止まってくれませんね。

横断歩道で待っている人に、自分が車を停止させて、どうぞって示しているのに、その人が躊躇している場合があります。その人はぜったいに渡りたがっているし、こっちが譲っていることも理解しています。でも、なんで渡らないんだ?と思ったら、対向車線の車が止まってくれないから、渡りようがないのでした。自分だけ譲っても意味ないし、むしろそれで反対側を確かめずに渡って轢かれちゃったら危ないですから、どうぞと横断を促すのも判断が難しいですね。
確かに、自分が歩行者になったときも、片方の人が止まってくれてるのに、反対側から来る車が止まらなくて結局渡れないって経験ありました。
そういうの、判断が難しいですね。

運転とは違いますが、このごろエレベーターで、途中の階で自分だけが降りる時に、ドアの「閉」ボタンを押して出て行く人が多くなっています。つまり、そうすればドアが直ぐ閉まるので、余計な時間のロスがなく、乗っている人に迷惑をかけないということでしょう。
こういう気配りも運転のときに共通するような気がします。
私も気のきいたことしようと思い、あるとき、中に人がいて、その人が上の階まで行き、自分が途中で降りるときに「閉」のボタンを押して降りました。エレベーターは私が降りると同時に閉まりましたよ。「うん、うまく行った」と思ったのですが、なんと、降りた階に、エレベーターに乗って上に行こうとしている人が待っていたのでした。
「ありゃ、閉まっちゃったよ」と思いましたが後の祭りでした。乗ろうとした人は乗れずにおいてきぼりです。普通、その階から上に行く人は滅多にいないんですけどね。被害者は同じ会社の人で知らない人ではなく、屋上にタバコを吸いに行くつもりだったらしいので、「まあいいや」なんて思ってしまいましたが、外部の人だったら大変失礼なことをしてしまいました。
気配りも間違っちゃうと逆効果ですね。
瞬時に状況を判断し、乗る人がいるかいないかによって行動を決めること、それができないならやらないほうがいいということもあります。
エレベーターの「閉」ボタンは乗っている人に任せてもいいかもしれませんね。

瞬時の判断と適切な気配りは私の課題ですね。

ショートカット走行

2009-05-17 14:11:26 | 運転・車・道路の事
これは、右折時に交差点を右に寄って短距離に走行する間違ったやりかたで、二輪車がよくやることのようです。右側の角によって視界がさえぎられ、死角が増えるし、右方向から来る車との距離が近いので事故も置きやすいということです。

しかし、こういうのは、自転車でも日常茶飯事です。自転車の場合は、中央を走ると危ないと思っているのでさらに右側を走る人が多いです。つまり、右折するまえに道路の右側にあらかじめ渡っておく人なども多くいます。
すると、当然のことながら、前方の角を曲がってきた自転車と正面衝突するし、角では対向車に対しても危ないです。その角を基点にして今度は反対側に斜めに渡るという最短距離を走る人も多いです。自転車の人もマナーを守ってほしいですね。

ところで、私は自転車でキープレフト走行の練習をしていたと以前書いたことがあるのですが、いつも走っている狭い道が、途中で何十メートルかの距離だけ、倍くらいの広さになっているようなところがあります。こういう道は大昔の道路計画で拡張の予定があったものの、一部分だけが広くなり、そのまま進行が止まっているらしく、たぶん今後も狭い部分の拡張はされない見通しのようです。
それで、その何十メートルかの間は、大体の車や自転車はそのまま狭い道路の延長線、つまり道路の中央寄りを走り抜けています。道路は少しカーブしていて左端を走るとそれだけ距離も長くなるので、わざわざ外側を走る人はいません。

ところが、私はキープレフトの練習をしていたので、左端を走っていました。
そしたら、あるとき、目の前の路地を右折してきたバイクと正面衝突しそうになりました。
そのバイクは完全右側走行といえますね。自転車みたいなことをする奴です。
でもやっぱり自転車より速いし重いし、衝突したら自転車同士の事故よりも大きなものになってしまうでしょう。
そのバイク、実は郵便配達でした。つまり、右側の家のポストに郵便を配りながら走ろうという魂胆だったようです。いや、いつもそんなやり方をしているのでしょう。
私のようなキープレフトの練習をしている自転車なんか普通は存在しないはずですから。
でも、想定外のことって起きるんですよね。やっぱり交通ルールはいつでも守らなくちゃいけないですね。この郵便屋さん、反対から走って配れば問題ないのにねえ。

教習中、交差点で信号待ちをしているとき、左側からもろ斜めに右折してくるバイクがいました。
私の車の鼻先をすごいスピードでかすめていきます。距離近すぎるよ、と思います。
やっぱり危険ですね、ショートカットっていうのは。


信号待ち車列からの飛び出し

2009-05-17 13:22:54 | 運転・車・道路の事
怖いなあと思います。
いつも狭い道路(車と車のすれ違いがやっとの道)を自転車で走っていて、交差点で信号待ちをしている車の列に追いつくと、車が左によっているので、電柱などの障害物により左端を前に進めなくなります。
そこで、多くの自転車がすることは、並んでいる車の前後間を通り抜けて道路の右側に渡り、道路の右側を進むということです。対向車線は比較的すいています。
その交差点を右折するつもりなら、本来は左端を前に進んで横断歩道を渡るわけで、そのとき歩行者信号は当然に青になっているわけですから、本当ならラッキーです。しかし、この場合、車が通せんぼしていて横断歩道までもいけません。
また、左折するつもりの自転車は本来信号とは関係なく左に曲がっていけるはずなのに、やはり車に通せんぼされていけなくなっています。そのような場合、同様に一旦は右にわたって進むか、止まっている車の右側(道路の中央側)を追い越して、横断歩道の中央から左に渡るというやり方をする人もいます。
実際、私もそんな無謀なことをしたこともあります。

しかし、あぶないことには、たまに右左折してくる対向自動車がいるのです。
いつも必ず来るのなら誰もが注意するでしょうが、たまに来るというのがよけいに危ないです。
そして、車の間から出てきたり、道路の真ん中を走ってくる自転車とぶつかりそうになるわけです。
また、右側に渡りきった自転車は、対行してくる自転車と正面衝突しそうになったりもします。そこに対向車が来ていると、当然のことながらすれ違う余地もありません。

自転車よ、そんなに急いでどこへ行く・・・と思い、私はじっと自動車の後ろについて車用の信号が青になるのを待ち、後から車がきていれば、それが通り過ぎてから自分も走り出すようになりました。そこの信号は待ち時間は長いのですが進める信号の時間がとても短いので、車が3台も並んでいると、すぐに赤になってしまいます。それで、もう1回信号を待つことになります。

このようなことをしている人間はバカに思えるかもしれませんが、これが一番危険がないし、誰にも迷惑をかけないやり方です。
車の間を注意深く右側に渡って、右側では自転車を押して歩くという方法も間違いではないと思いますが、自転車を押してあるく歩行者というのも幅をとって迷惑です。
安全のためなら、信号を1回よけいに待つくらい、どうということはないと思うようになりました。

ところで、路上教習を受けるようになって、今度は車の立場になりました。自分が右左折したあと、対向車線に信号待ちしている車が並んでいる場合、自分は信号を通り抜けたあとでほっとしているし、以降直進なのですが、徐行したほうがいいと先生がいいました。
そうだ、あの場面だなあと実感です。
その場面で、横断歩道から離れた場所を渡ってくる自転車は多いはずです。

車の立場になってみると、歩行者や自転車が車に注意して渡ろうとしているにしても、そこに存在するだけで、運転に注意して徐行しなければなりません。
だから、歩行者は車にそういう心配さえかけないほうがいいでしょう。道路を渡るときも、駐車車両の間を進んで道路上でころあいを見図るより、見通しがよければ歩道の上に立って左右を確認して渡るほうが運転者にとっては安心ですね。だから自分が歩行者や自転車であるときも、運転する人に危険を感じさせないような動きをしたいと思うようになりました。