ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/10/08 ついにヴィスコンティの「山猫」を観た!

2007-10-08 23:30:37 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

「ドラクル」でシアターコクーンに行った際に、ル・シネマで「ルキーノ・ビスコンティ生誕100年祭」(~10/19)があることがわかり、「山猫」だけは絶対観ようと決意。
多分、ビスコンティが亡くなった時のTVの追悼番組で2夜連続で「ルートヴィヒ」があり、後編だけ観たのだと思う。あまりの映像美に感心したが、内容があまりにも暗くせつなかった。この間、ローマの国立映画学校兼映画保存機関で順次修復がすすめられてきているようだ。そのイタリア語・完全復元版が新宿のタイムズスクエアで上映された時も観ることができずに終わった。そして今回ついに観た!!
以下、Bunkamuraの公式サイトよりほぼ引用。
写真も公式サイトより。

「山猫(Il Gattopardo)」【イタリア語・完全復元版】
シチリア貴族、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの同名小説を映画化。第16回カンヌ国際映画祭グランプリに輝いた一大叙事詩。
(1963年/イタリア・フランス/187分(復元謝辞含む))
監督:ルキーノ・ヴィスコンティ
出演:バート・ランカスター=サリーナ公爵
アラン・ドロン=タンクレディ 
クラウディア・カルディナーレ=アンジェリカ
1860年、統一戦争に揺れるイタリア。シチリアの名門貴族の当主、サリーナ公爵は、時代が動き、自分たちの世界の終焉が近いことを感じていた。一方、公爵が実子より目に掛けている甥のタンクレディは、来たるべき時代を見据え革命軍に参加。その後、新興ブルジョアの娘、アンジェリカと恋に落ち、公爵は全て承知の上で二人を後押しする。そして、大舞踏会の幕が開けた…。

シチリアの風土の厳しさに驚く。公爵一家は毎年同じ時期に領地に赴くが、馬車を連ねていく中で土埃まみれになって到着。綺麗な衣裳は台なし状態。透ける布で顔を覆っている女性たちはいいが、男性たちはきっと鼻の中が真っ黒だろう。入浴・着替えの上で現地の実力者を招いての晩餐となる。そこで娘のアンジェリカを連れて土地成金がやってくる。娘のコンチェッタたちと幼馴染だったのに遥かに美しく成長していた。甥のタンクレディと一回で恋に落ちる。少々下品ではあるが生気にあふれた野生的な美しさが輝いている。従兄妹どうし憎からずというような関係にあったタンクレディとコンチェッタ。それを同行している神父から聞かされても父のサリーナ公爵は甥の相手にアンジェリカを選ぶ。家族中はいい顔をしないが、サリーナ公爵は甥の後押しをする。甥は新時代にふさわしい生き方をしており、その野心には金がいくらあってもいいのだ。

サリーナ公爵は自分たちの階級が中産階級にとって変わられることを見据えており、自分には甘い官能的な死の訪れを祈るばかり。自分を重ねている甥の生き方を後押しすることが最後の責務だと思っているようだ。
それでもサリーナ公爵は枯れた男ではない。妻に満足できずに馴染みの娼婦のもとに通っている。そんな彼がアンジェリーナを一目見た時、ときめかなかったはずがない。しかし理性が甥との後押しをさせているのだろう。
しかし舞踏会で白いドレスの正装のアンジェリーナを見る目にその思いがにじむ。「俺が若かったら」と思っているに違いない。妻とは正反対の野生的に美しい女!ベッドでも魅力的に違いない女!!その女を甥に娶らせるのだ。甥は自分のかなえられなかった別の人生を歩んでいく。「生まれた時代が違ったら」という思いを背負っているような公爵の哀しみが時折、表情からこぼれる。
舞踏会の場面は延々続く。アンジェリーナが公爵とマズルカを踊りたいと願い出るが、ようやくワルツならと応じる。そのワルツを踊るふたりは周囲の目をひきつける。ダンスの名手と名高い公爵。叔父の魅力的な姿にタンクレディが思わずやきもちを妬く表情のアップ。
しかしながら舞踏会で公爵は体調の悪化を感じてしまう。喧騒を離れるべくダンスホールを遠ざかる。列席者の娘たちが休憩の部屋に集まって騒いでいる。「いとこ同士の結婚が多いのはよくない。ここにいるのは猿に見える」という台詞にドキッとする。貴族として釣り合う相手を選ぶためにいとこ同士の結婚が多かったのだろう。自分もそうだったろうし、自分の娘と甥の結婚にも未来はないのだ。綺麗な部屋を映し出した後で、休憩室の隣の小部屋におまる的に使う壺に列席者の尿がたまったものが並んでいるのが映し出されるという映像にも驚く。舞踏会は美しいばかりではないのだ。
老いを痛感していると、壁の老人の臨終を取り囲み哀しむ家族の絵に釘付けになる。自分の臨終のあって欲しい姿はこれではない。一人たたずむ公爵の頬を涙がつたう。自分の人生を哀れむように。
散会になり、家族には馬車で帰る様に言って自分は「空気を吸いたい」と歩いて帰る。その途中で神父が臨終前の懺悔に呼ばれていくのにも出会う。「ルートヴィヒ」のサブタイトルは「神々の黄昏」だったと思う。こちらはまさにサリーナ公爵の黄昏時を描いているのだと思った。

黄昏ゆく公爵と対照的なのが甥のタンクレディとその恋人アンジェリカ。その二人に公爵の想いがかぶさっていくという構造が素晴らしい。3時間を超す長さだったし、そのうち舞踏会が1/3を占めているが長いとはあまり感じなかった(正確にはお尻が痛くなって姿勢は何回も変えたが(^^ゞ)。
バート・ランカスターってこんなに魅力的な俳優だったんだとあらためて思った。中学・高校時代にアラン・ドロンが大好きだったし、今回も背は低いけれどそのハンサムぶりに惚れ惚れした。しかしトータルにはランカスターが気に入った。やっぱり私はおじさん好みなのかもしれない(^^ゞクラウディア・カルディナーレも野生美を体現していてよかった。

アラン・ドロンはこれで卒業だと思って帰宅。大学に入ってから彼がフランスの極右政党のルペンを応援するような人だとわかって一気に冷めた。でもハンサムはハンサムなんだよなぁ。
プログラムを買いたかったが売っていなかった。関連本は高いし買っても読みそうにない。有名なチラシなどに使われているデザインのカードだけ買って帰宅(カードフォルダーに格納)。

帰宅して自転車で与野本町駅前のファミレスへ。昨日今日と2日続けて蜷川「オセロー」観劇後の友人たちとお茶会。強行軍だがそのうち一人は「山猫」「ルードヴィヒ」も観てきていてちょっとだけその話題も出た。私は「オセロー」は千穐楽までお預けだ。

なにげなくTVのチャンネルが「ビストロSMAP」になったら......うわー、アラン・ドロンがゲスト出演してる~。公式サイトより以下引用。
「中居正広オーナーは『おいくつでいらっしゃいますか?』と聞かずにはいられない。『そろそろ72歳になります』と答えが返ってくると、SMAP全員皆驚き『若い~!』と叫んでしまう。」
ってここ見てないのだが(^^ゞいや、「山猫」のタンクレディを見てきた今日の私の目にはかなり年寄りに見えた。って何年もノーチェックだったせいもあるが。料理で勝利した香取と草なぎはアラン・ドロンの名の入った時計をプレゼントされていた。今回SMAPとの会話でよかったのは以下のような台詞。「自分の好きなことを仕事にできる人間は恵まれている。そういう私たちはいつも精一杯つとめなければいけない」というようなことを言ってSMAPメンバーも肝に銘じていたようだ。こういう姿勢は素晴らしい。極右の応援はもうやめてくれているのかが気になるところだが(^^ゞ

10/10追記
ウィキペディアの「アラン・ドロン」の項を調べたら、早速「SMAP×SMAP」出演の情報も書き加えられていた。すごい!


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
山猫 (hitomi)
2007-10-09 08:24:34
おまるの場面があったんですか。昔観たけど、ちゃんと見てないのですね。

西部劇でも時代劇でも本当は誇りや汚物まみれですね。そこにぞろりとしたドレスや着物なんていつも気になっていました。

ルードヴィッヒにはエリザベートの前にはまり、伝記やら読み、ウィーンから一人5時間掛けれ列車で行き、城を見学しました。


 ドロンが「ミフネを尊敬している」と言ってくれたので次男が喜びました。
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ドロン (hitomi)
2007-10-09 08:28:54
極右の応援…係累なんでしょうか。
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★hitomiさま (ぴかちゅう)
2007-10-11 01:56:56
>おまるの場面......「山猫」について書かれた何かの文章で読んだ記憶が甦ったような感じがあります(記憶があやふやなのですが(^^ゞ)。それとベルサイユ宮殿にもトイレがなく、貴婦人たちはドレスの下におまるを入れて用を足すというのは知っていたので、これだなぁ、並ぶと壮観だなぁと思って見たのです。これは少しずつ用を足した者を下女たちが集めたものだろうと想像すると溜息が出ます。
昨晩ウィキペディアで検索したのを追記しておきましたが、早速「SMAP×SMAP」出演の情報も書き加えられていたので驚きました。本文中に追記しておきましたが、ミフネとの関わりがわかります。
政治意識についての記述はなかったですが、こういう成功者は石原慎太郎のように美学から極右に走るのかなぁとか勝手に思ってます。
それにしてもアラン・ドロン、「山猫」ではハンサムでした。でも背が低いのでバート・ランカスターと並ぶと背の低さが目立ちました。ランカスターに感情移入して感想書いてしまってます。こういう渋いおじさんに弱い私でした(^^ゞ
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Unknown (くーみん)
2007-10-12 22:10:35
原作も読みました>山猫
面白かったですよね~。
アラン・ドロンはきれいだけど品がない。
そこがまた魅力的なんだけど。

この役、岡田O澄にも声がかかったのに、
「OOの相手をするのはいやだ」と断ったんですって。「バカね、ちょっといたいのを我慢すればいいだけじゃない」と、誰かが怒ったそうですけど(爆)。

バート・ランカスター、ハリウッド時代には大味の役者さんと思っていましたが、ビスコンテイの映画では、繊細で気品があって、みとれてしまうようないい役者さんになっていて、ビックリしました。


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★くーみん様 (ぴかちゅう)
2007-10-15 00:05:34
「山猫」の原作も読まれたとのこと、作品として気に入っていらっしゃるのですね。
>この役、岡田O澄にも声がかかったのに......のところ、今度お会いした時に詳細をお聞きしたいです(笑)
>アラン・ドロンはきれいだけど品がない......確かにそうですね。知性や教養あふれるタイプには見えないです。TV番組でも苦労して経験を積んだ中からの言葉だと思いました。
バート・ランカスター、他の映画の記憶はないのですが、この公爵役は本当に惚れ惚れしました。
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★「銀の森のゴブリン」様 (ぴかちゅう)
2007-12-04 23:13:03
TB有難うございます。ご覧になったルキノ・ヴィスコンティ作品とも比較されての長文の力作記事はとても参考になりました。私はTVでチラ見した「ヴェニスに死す」と2夜連続放送で後半だけ観た「ルードウィッヒ/神々の黄昏」と今回きちんと映画館で観た「山猫」しか観ていませんが、「山猫」は気に入りました。
>「山猫」が際立っているのは、滅び行く貴族階級の運命を透徹した客観的・批判的視点、歴史の変転を的確にとらえる冷徹な眼で描いている点である。
このご指摘が端的にこの作品を言い表していると思います。
これからもどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
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Unknown (くーみん)
2007-12-06 08:53:40
>滅び行く貴族階級
ビスコンテイの特徴の一つですね~。
滅びの美学は、日本人に共通しているものがあるので、日本でも人気があるのかもしれません。
「ルートヴィヒ」は大好きでした。
登場したときに、美しくて輝いていた主人公が、ボロボロになっていくさまが、よかった・・・、という言い方も変ですが。

もともとヴィスコンテイ家自体が、精神疾患など持っている家系だったのでは?

>銀の守のゴブリンさま
ブログ、拝見したいと思います。
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★くーみん様 (ぴかちゅう)
2007-12-06 21:58:45
既に「銀の森のゴブリン」様の記事を読まれたのだと思いますが、“滅びの美学”という観方についてはゴブリン様の下記の記述になぁるほどと思わされました。
>「官能的な死への欲求」というのは原作にあるせりふだろうか。これまで描いてきた世界とはややずれる気がする。しかしこの言葉をとらえて無理やり「滅びの美学」へ持ってゆくのは作品の理解を歪めると僕は思う。むしろシチリアという土地の不毛さ、それを変えられなかった己の無力さが強調されていると読むべきだ。
私は“滅びの美学”ってあんまり共感できないんです。だから「ルートヴィヒ」はTVで観た後半だけでご馳走様状態になって、今回の「生誕100年祭」でも観る気にならなかったんです。
芥川も太宰も自殺した作家って全く興味がないの(^^ゞでも今度こまつ座で「人間合格」の公演があるので太宰を理解するためにも観に行こうと思っています。なんでも芝居から入っていくことが多いような私です。本はその次の段階で読む方です(笑)
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