ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/07/19 国立劇場(社会人のための歌舞伎鑑賞教室)「野崎村」

2007-08-16 23:16:24 | 観劇

今年も7月の国立劇場「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」には19日に行ってきた。夜7時開演で上演台本つきの小冊子を配ってくれるのが魅力だ。
前半の「歌舞伎のみかた」についてすでにアップ
後半についてまだ書いていなかったのだが、8月納涼歌舞伎観劇の前になんとか書いておこう。

「新版歌祭文-野崎村-」は初見。そこで5月文楽公演の時に住大夫の「野崎村」の素浄瑠璃CDを買って聞き込んで予習することにした。そうしておいてチケットGET!(その時の記事はこちら)観劇前にCDをMDにダビングして電車の移動中に何回か聞いてけっこう真面目に準備。さて、初見の歌舞伎の舞台はどうだろうか?
【新版歌祭文 -野崎村-】一幕
野崎村百姓久作住家の場~野崎村土手の場
近松半二=作 中村芝翫=監修 国立劇場美術係=美術
「新版歌祭文」については大阪日日新聞の「上方歌舞伎名作散歩」の項が参考になった。

今回の配役は以下の通り。
お光=中村福助 油屋お染=芝のぶ
久松=中村松江 久作=中村東蔵
油屋後家お常=芝喜松 ほか

福助のお光は登場からおおっとなる。年頃の田舎娘の可愛さ満開。子どもの頃から一緒に育った久松が奉公先から戻ると今晩祝言と父親に言われ、話が急すぎると文句を言いながらも心浮き立つ化粧の場面は、観ているこちらも浮き浮きしてくる。この公演では頭を傾けたところでさしていた櫛が落ちるというハプニングもあって大丈夫かと思ったが自然に段取りに戻っているのでホッとする。この化粧の場面をたっぷり見せるのは歌舞伎の入れ事だが、眉を化粧紙で隠して剃り落とした顔を想像して一人でテレる姿など、実に見ていて微笑ましい(これが後の悲劇との大きなギャップを生み出す効果が大きい)。
祝言用に膾をつくるところも本当の料理にはあんなに厚く切らないだろうと思いつつ、細く切るところは包丁捌きが鮮やか。大根に続いて人参も切る。そのトントントンという音が劇場に3階席までちゃんと響き渡る。あらためてこの‘音’も大事なのだと気づかされた。

芝のぶのお染。大店のお嬢様ということで下女とともに野崎参りと称して久松を追ってくるのだが、実に可愛い(芝のぶ贔屓だからよけいそう見える?)。お染が声をかけたお光がすぐにお染と気づいて意地悪したくなるのも無理がない。福助が木戸をバターンと閉めるのにはちょっと驚いたが、まぁギリギリ許容範囲内。土産の芥子人形を一個一個つまんでばらまくのはお染が拾う段取りとの連携なんだなぁと思いながら見ていた。

ところが、久作と一緒にあらわれた松江の久松が「シンジラレナ~イ」出来だった。台詞回しも身体の動きも硬い、硬すぎる。柔らかい台詞回しができないので力を抜いてしゃべっている(これは海老蔵の与三郎も同じだった)。こんな男をどうして二人の女が心底惚れるかなぁと納得がいかない!あり得ない!!上方歌舞伎の二枚目ってやっぱり難しいのだなぁと思い知らされるような不出来だ。
だからお染と久松のふたりの場面もとってもアンバランスだった。初日近くに出た渡辺保氏の劇評でも二人が心中する決意をする場面がハッキリしないという指摘があったが、さすがにそこは二人で相談したのかハッキリクッキリわかるようになっていた。しかしそれ以外の場面、芝のぶのお染のクドキも空回りの感じがしてしまう。松江はもっと頑張って欲しい。

東蔵の久作は泥臭さがあまりないように思ったが、お光と久松の喧嘩をおさめるあたりはとってもいい感じだった。
心中しようとするお染と久松に強意見し、思いとどまらせた後にお光を引き出すとああら、びっくりの出家姿。綿帽子がうまく使われるものだ。無理に自分が久松と添おうとすれば二人は死ぬと見抜き、それをなんとか思いとどまらせるための捨て身の姿だ。それを見てお染が申し訳なさに死のうとして騒ぎになると出てくるはずと思っていたお光の母親が登場しない。浄瑠璃では出てくるのに歌舞伎では割愛のようだ。確かに狭い座敷にもう一人登場させるのはうるさいかもしれないなぁとこれまた納得。

「嬉しかったはたった半刻・・・・・・」お光のここの真情吐露の場面に泣かされた。台詞もいいし、抑えた動きに抑えても抑えても思いがあふれてしまうせめぎあう表情に双眼鏡のこちらで涙腺決壊。住大夫の浄瑠璃でも泣かなかったのに、福助いいよ、よすぎるよ~(T-T)見直したよ~。

油屋後家お常がお染を引き取りにくる。土産と渡した箱には久作が用立てた分のお金が入っていたというのも、その返礼に久作が白梅を渡すのも歌舞伎の入れ事のようだ。芝喜松がいい芝居を見せてくれた。
舞台が回って土手の場になるが、駕籠かきと船頭の喧嘩を村人が仲裁する場面がちょっと冗長。ここはダラダラという芝居がない方が悲劇の気分が保たれると思う。

両花道を使わない演出なので上手揚幕に船で去るお染と花道を駕籠で去る久松。見送るお光。気丈に兄さんを見送るが、姿が見えなくなると呆然とする。手から落ちた数珠を拾って渡した久作の手で我にかえり、すがりついて「ととさん、ととさん」と号泣。そのせつない声が響く中での幕切れ。

福助の実力を見せつけられた「野崎村」。歌舞伎座でちゃんとした二枚目も得てお光を演じる日もそんなに遠くないのではないか(建替えの前は無理かな)。
今度の日曜日に観る納涼歌舞伎の「ゆうれい貸屋」の幽霊芸者も楽しみだけどね。
写真は公式サイトより社会人のための歌舞伎鑑賞教室用のチラシ画像。6・7月の分が表裏になっていたが、それってけっこういいと思った。
追記
住大夫の素浄瑠璃CDを聴きこんで観劇してよかったのは、義太夫がだいぶ聞き取れたことだ。葵太夫の義太夫、今回もよかった。国立劇場のこの月の賞を三味線さんとともに受賞されたのも納得である。