ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/12/17 怒涛の母ちゃん仲間忘年会

2005-12-19 09:33:13 | つれづれなるままに
娘が通っていた保育園の保護者会のお母さん仲間は結束が固い。お泊り保育やいろいろな行事、卒園アルバム作成、卒園式後の保護者会のお祝い会など、何度も相談しながら知恵と力を絞って取り組んできた。お泊り保育はお父さんたちも巻き込んでの総力企画だった。小学校卒業の時には子どもたちや先生方もおよびして同窓会を開いた。先生方も感激してくださったし、子どもたちは誰かが保育園に行ってみようぜと言い出して、皆で連れ立って行ったのにはこちらも嬉しくなった。

その母ちゃん仲間たちが毎年のように忘年会を開く。同じ2人組が幹事を辛抱強く引き受けてくれていたので続いてきたのである。感謝、感謝である。今年はようやく別の2人組(ママさんバレー組?!)が引き受けてくれていた。こちらも感謝である。最近の会場はメンバーが自営しているスナックに固定化した。ママさんも本当にいい人だしマスターの中華料理がおいしい。ここが一番くつろげるのだ。
私はその地域から隣の市に引っ越してしまっていたのだが、今年も幹事さんが連絡をくれて、しっかり日程を空けておいた。

さて当日は実家に顔を出してから時間丁度につくように徒歩で出発(東京への転勤後しばらくは実家の近くに住んでいた)し、一番に到着した。今回はいつもより少ない9人が集まった。親御さんの具合が悪くなって幹事の一人が欠席とか、年代を感じるできごとも起きている。
メンバーが大体集まりきったところで私は毎年の歌を歌わされた。
ところが、あとからコンビニオーナーをやっているお母さんはバイトの子2人が私の歌をききにくるというし、こどもたちもバイトが終わってからかけつけてくるというし...結局3ステージやらされました。山本リンダの『ねらいうち』である。
他にも沢田研二やらなにやら定番で歌わされるのがあるのだが、本人に知らせずにリクエストが入っているので何が次に入れられたかわからないままに声がかかってステージへ。ヘロヘロである。

結局終電に間に合うように私ともう1人がまずタクシーで帰宅。例年始発になった人もいるしなあ。他のメンバーはいつまで盛り上がるやら。
私は武蔵野線→京浜東北線とのりついで帰宅。寒かったけど、心はあったかでしたよ~。

写真は今年初めて登場したグレープフルーツ絞り機。携帯のカメラだが、しっかり畳の目まで写っている。そう、いつも畳のコーナーを占拠してゆったりさせてもらっているのだ。

追記:母ちゃん仲間忘年会で再会した男性ふたりのこと
毎年の母ちゃん仲間忘年会の日、椅子の方のコーナーの一角を占めているパパさんソフトチームと同席になる。そこには小学校時代の同級生のKくんがいて毎年のように再会できる。

同じクラスだったのだが担任のH先生が合唱が大好きで毎週NHKの「みんなの歌」歌集から新しい曲を皆で覚えて歌っていた。音楽係が模造紙に歌詞を書き出して伴奏も覚えてきてやってくれた。このクラスが学校代表で市の音楽会に出たのだ。だから彼も私も歌が上手いのよ、なんちゃって!オイオイ、自画自賛が過ぎるゾ(^^ゞ

さらに彼が今回紹介してくれたのは同級生の弟。顔を見たら「ああ、Kちゃん!」と感激。彼の姉のTちゃんとは私が保育園の頃からの仲良しで一緒に赤城の山荘への家族旅行に連れて行ってもらったこともあり、そのことを彼も覚えていた。この日歌った「ろくでなし」だって、彼のお母さんから借りた越路吹雪のロングリサイタルの2枚組LPを聴きこんで覚えたものだ。その話をしてそのお母さんが亡くなったことを悼んだ。ユーミンの「あの日に帰りたい」を頑張って裏声で歌っていたら、彼も途中から一緒に歌ってくれた。そうだ、姉のTちゃんから『ユーミンブランドパート2』のLPも借りたっけなあ。

Tちゃんは結婚して今は宮城県にいるのでなかなか会えないのだ。今度のお正月にでも実家で会ったら「連絡ほしいと言ってたと伝えてね」と携帯の電話番号もメモに書いて頼んでおいた。会えるといいなあ。