goo blog サービス終了のお知らせ 

ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

09/06/05 魂をもっていかれた「グラン・トリノ」(T-T)

2009-06-10 23:59:48 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

3/1に観た「チェンジリング」でクリント・イーストウッド監督作品を初めて観た。その時の予告編で次回作として主演・監督作品の「グラン・トリノ」が出ていて是非とも観たいと思っていたのだが、母親は字幕を嫌がるし私は吹替えは嫌だし洋画はダメで後回しになっていてMOVIXさいたまの上映最終日、5時過ぎに職場を飛び出してようやく滑り込んだ。

【グラン・トリノ】
「@ 映画生活」のサイトの作品情報は以下の通り(このサイトにはユーチューブでエンドロールのテーマ曲の一部を歌うクリントのかすれたような歌声のリンクがあって早速聞いてしみじみしてしまう)。
朝鮮戦争の帰還兵ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)はフォード社を退職し、妻も亡くなりマンネリ化した生活を送っている。彼の妻はウォルトに懺悔することを望んでいたが、頑固な彼は牧師(神父に要訂正)の勧めも断る。そんな時、近所のアジア系移民のギャングがウォルトの隣に住むおとなしい少年タオ(ビー・ヴァン)にウォルトの所有する1972年製グラン・トリノを盗ませようとする。タオに銃を向けるウォルトだが、この出会いがこの二人のこれからの人生を変えていく…。

ウォルトの妻の葬式の場面から始まり、新米のヤノビッチ神父(クリストファー・カーリー)の懺悔のすすめに毒づき、二人の息子とその家族たちと心が通わない頑固爺ぶりがすごい。けれども葬式にへそピアス露出ルックで参列して最中に携帯を平気で使ったりする孫にウォルトが唸るのには共感。一人残ったウォルトの財産をねらうさもしい家族の姿と孤りで自分のスタイルで残りの人生を生きようとするウォルトの姿の明らかな対照!

葬式後にウォルトの家で参会者にふるまいをしていると空き家だった隣に黄色人種が引っ越してきた。母子と祖母のロー一家だ。露骨に嫌な顔をするウォルト。
さらに隣家の息子タオが夜中に車泥棒にやってくる。母子が謝罪に来るが母親は英語をしゃべれずに姉娘が通訳。息子に償いをさせて欲しいとの申し出なのだがウォルトは拒否。さらに姉のスー(アーニー・ハー)が拒否は侮辱されたことになるとたたみかけるので渋々受け入れる。誇り高いウォルトは堂々と誇り高く主張する相手を認めざるを得ない。
ウォルトの誕生日にやってきた息子夫婦は親切ごかしに施設行きを勧めるのでブチ切れて追い返す。そこにスーが親族でいっぱいのホームパーティに隣人を誘いにくる。誕生日の孤独からついに隣家に足を踏み入れると白い目が囲むが、手づくりの民族料理の美味しさに心がなごみ、なぜこんな所=アメリカ中西部のデトロイト近郊にアンタたち=アジアの少数民族が来たのかをスーに質問。

私も冒頭からの疑問だったので聞いてびっくりだった。ベトナム戦争でアメリカ側についたモン族が戦後に亡命してきているのだという。社会主義国家ではなくなるはずの民族問題も解決できていないのは歴史が証明していて、ベトナムでも少数民族への多数派の民族の圧力があるのを利用してアメリカ側が抱き込んだわけだ。そういう歴史の不幸の結果がここにあった。
同じような広さの敷地に同じようなデザインの家が古くなって並んでいるウォルトの住む一帯はサブプライムローンの対象になるような住宅街という感じ。さらにアメリカ自動車産業の凋落と高齢化により住民が入れ替わり、低所得層が流入してきているのだ。

父親を早くに亡くした隣家は女たちが気丈なのに一人息子のタオだけがいつも自信なげである。スーは隣の白人の頑固爺にも臆せずに話しかけ、ウォルトは彼女の賢さとウィットにも富んだ人柄に心の壁を溶かされていく。償いの家事手伝いに通うタオの真面目さも見直し、彼を一人前にするために一肌脱ぐことになっていく。多様な人種が混在するアメリカ社会での男同士の会話も教え(かな~り乱暴だが微妙な距離感!)、仕事も紹介し、50年かけて集めた工具も貸してやる。
血のつながっているだけの身内よりも徐々に心が通うようになった隣家の姉弟を慈しむ心がウォルトの表情も変えていく。しかし彼の心の底には大きな傷も横たわっていているのも明らかになっていく。朝鮮戦争で十数名を殺し部隊でただ一人生還して勲章ももらっているが、人を殺してしまった罪悪感をずっと抱き続け、彼は他の多くの帰還兵のように教会で懺悔をして赦しを乞うことも潔しとしてこなかったのだ。そのことも突きつけられた神父も悩む。

そんな中でウォルトは喀血を繰り返すようになり、死期の近づいたことを知る。さらにスーとタオの従兄が不良グループのリーダーで執拗にウォルトのヴィンテージカーを盗んでこいと脅す。タオが傷めつけられたことでウォルトが不良グループにヤキを入れるが、その報復が凄まじかった。家に機関銃が打ち込まれスーはレイプされてボロ雑巾のようになって戻ってきた。

ウォルトは報復を決意し、タオは命をかけても報復をといきりたち、「左の頬を打たれたら・・・・・・」というはずの新米神父でさえウォルトを止めない。神父は警察に流血を止めてもらおうとするがいつ起こるかわからない事件のための予防出動は打ち切られる。タオはなんとウォルトに地下室に閉じ込められ、単身で不良たちの家に向かったウォルトは・・・・・・。相打ちに持ち込む作戦かな?それにしても多勢に無勢だよとドキドキ・・・・・・。
エエ~っ!!!
ちょっとしたしぐさで誤解させた不良たちの弾丸で蜂の巣になるウォルト。丸腰の自分を殺させることで一網打尽にさせて長期に服役させて姉弟を守るって・・・・・・。自分が死ぬことで誰かを守るって・・・・・・。
もうぐしょ泣きだ~(T-T)なんか武士道じゃん。「五右衛門ロック」のクガイじゃん。「グスコーブドリの伝記」じゃん。仏教の「捨身飼虎」じゃん。頑固爺も温かい心をもった人間に変われたという姿が嬉しかった。そして最後は心意気を貫いて死んでいくなんて・・・・・・。

2日前に観た「ミルク」のハーヴィーもそうだった!人間の生き様・死に様を考えさせられる映画が続いている。アメリカは好きな国ではないが、こういう作品を生み出す力があるというところに希望を感じる。

ウォルトの葬儀には教会の右のブロックをモン族の参列者が埋めつくす。スーは暴行を受けた顔を隠さずに民族衣装に身を包み堂々と最前列でウォルトへの謝意と敬意を表していた。ヤノビッチ神父のウォルトから学んだ胸が熱くなる説教にも涙。一方の左ブロックの親族は無感動の表情。弁護士が遺言書を読み上げるのを期待して聞くが、ウォルトの家は教会にグラン・トリノは友人のタオに遺贈された・・・・・・。何たる痛烈なしっぺ返しだろう。「アホの身内め、思い知ったか~」と溜飲が下がる。

エンドロールのクリントの歌声の流れる中をグラン・トリノが水辺を走っていく。運転するタオの表情には自信の溢れ、ウォルトの友情を前向きに受け入れた様子がうかがえた。

観終わって魂が持っていかれた感じがした。ハイ、やられました。蜷川幸雄といい、井上ひさしといい、クリント・イーストウッドといい、70過ぎのお爺様たちのクリエイティブな素晴らしい仕事にねじふせられっぱなしだ。目が離せない巨匠の一人にイーストウッドを加えさせていただくことにする。
写真はこの作品の宣伝画像。

09/06/03 「ミルク」暗殺までの最後の8年間

2009-06-06 23:57:11 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

シネカノン有楽町にレディスデイで夜の上映回がある最終日に仕事帰りに駆けつける。小さい部屋だがほとんど満席。ぎりぎりに行ったら最前列か2列目のサイドしかなく、「ハウルの動く城」以来の久しぶりの銀幕が幕だとよくわかる斜め見(笑)それでも映画館で観ることにして正解!

【ミルク】
監督:ガス・ヴァン・サント 脚本:ダスティン・ランス・ブラック
「cinemacafe.net」のサイトの作品情報は以下の通り。
恋人のスコット・スミス(ジェームズ・フランコ)と共に、N.Y.からサンフランシスコにやって来たハーヴィー・ミルク(ショーン・ペン)は、同性愛者たちが集まる中心地カストロ通りで小さな写真店を開く。そこでミルクは、同性愛者に対する平等な権利と機会を求め、市民権運動の活動家として行動を起こす。ミルクは、クリーブ・ジョーンズ(エミール・ハーシュ)をはじめとする多くの若者から支持を得て、見事、市政執行委員に当選、全米で初めて同性愛者であることを公言して公職に就くことになった。しかし、就任して1年も経たないうちに、ミルクをある悲劇が襲う・・・・・・。

高校時代に漫画家の竹宮惠子が『風と木の詩』の連載を始めた第一回から読んで衝撃を受け、単行本も毎回買い揃えていったくらいで今のBLブームにも全く驚かなかった私。男×男、女×女の恋愛にも全く違和感はない。男×女以外の恋愛を異常扱いしたり差別したりすることの方が人権侵害だと思っている。
ゲイの人権を守るために闘い、48歳で暗殺されたハーヴィー・ミルクのことはこの映画で初めて知った。『ビッグイシュー日本版』118号も買ってショーン・ペンのインタビューも読み、絶対観ると決めていた。
Wikipediaの「ハーヴェイ・ミルク」の項はこちら

キリスト教社会では生殖のためのセックスしか認めない教義のために長らく罪悪視されたようだ。明治以前の日本社会は男色をそんなに異端視せず、歌舞伎でもそういう設定のお話はたくさんある。
1970年代のアメリカでもゲイに対する差別は激しく、一番自由度の高いサンフランシスコでもゲイだとわかると排除されたり暴力を振るわれたりされ、警察も守ってはくれなかった。ミルクが先頭にたってゲイにも市民権をと立ち上がった人々の姿に胸が熱くなる。どんな人間も平等に扱われる社会をつくるために市政執行委員や下院議員の選挙に何度も挑戦。4度目で市政執行委員に当選したミルクは、自らも支持したモスコーニ市長とともにマイノリティにやさしく住みやすいまちづくりの取り組みをすすめる。犬の糞を飼い主に片付ける義務を負わせる条例づくりなどもなるほどなぁと思えた。

社会が変革の方向に動き出すと従来の秩序を取り戻そうとする保守反動の動きが起きるというのが社会変動のパターンだと思っているが、同性愛者を公職から追放する条例制定運動がキリスト教原理主義者を先頭に盛り上がった。その提案6号に対する反対運動を起こすミルクたち。
人間のエネルギーが高まっていた時代ということもあるだろう。その様子にも熱くなってしまう。ミルクたちの運動=ムーブメントの報道に保守的なエリアで絶望し自殺をしようとしていたゲイの若者の希望になる。家を出て理解者を求めて動き出す力を湧き立たせる。そういう手ごたえにミルクはつきすすんでいったのだ。
一方で自分よりも外の関係を優先するミルクに耐えられずにパートナーのスコットは家を出て行ってしまうという別れ。その孤独を埋めるかのように現れた若いジャックとの暮らし。しかし心はずっとスコットとつながって求め合っているのにジャックを放っておけなくなっているミルク。というようにプライベートの姿もしっかり描かれているのがこの作品の魅力だ。

ちょっとびっくりしてやがて感心したのがミルクと二人のパートナーとの恋愛の始まり方だった。NYで一目ぼれして「誕生日を独りにしないでくれ」とくどき落したスコットとの関係。独りになった寂しさもあって若くない自分に若く可愛い甘えん坊が言い寄ってきてというジャックとの関係。いずれも感性と身体の相性のよさから始まる直感的な色恋だ。それがダメになったり続いたりということが人間の恋愛の自然な姿なのじゃないかと思い当たる。「源氏物語」の光源氏だって同じじゃないかと!打算やら何やら相手にいろいろと求めすぎてなかなか恋愛に発展しない現代の多くの若者と比べてしまった。「命短し恋せよ若者!」と言いたい。

ミルクのもとには反対派から「殺すぞ」という脅迫状も届いているが、暗殺のおそれをずっと抱いていて、そうなった場合にのみ公表すべしという録音テープが遺されていた。映画は暗殺されたという場面から始まり、その録音をしているミルクの姿と語り、それをドラマでつないでいくという実に緊迫感あふれる展開方法。脚本が賞をとるのも納得の出来だ。
それにしてもショーン・ペンのミルクの素晴らしさよ。恋愛にも生きることにも真っ直ぐに突き進み、そこで理不尽だと思ったことを変えるためにも真っ直ぐに進んでいく。それも社交的な性格が生きてどんどん人を巻き込むし、多くの人に支持される作戦もうまい。その魅力で多くの人の知恵も力も集まり若者も育っていく。その実在のミルクに惚れ込んだショーン・ペンが現代人にも魅力的に見せつける。これはオスカーにふさわしい!!

市長とミルクとを射殺したアイルランド系の保守派の市政執行委員の同僚ダン・ホワイト(ジョシュ・ブローリン)の姿も単純な敵役として描かれていなかったのもよかった。どんどん孤立していき財政的にも逼迫して精神的にも追い詰められていく様子が丁寧に描かれていた。市政執行委員の報酬は多くないらしくボランティア的に勤める役職なのだろうと推測(北欧の議員もボランティア的な位置づけなので長くしがみつくものではないのだそうだ)。
映画では描かれなかったが、実際のダン・ホワイトは刑期を終えて出てきてからもいろいろあって立ち直れずに自殺したという。敬虔なカトリック教徒だったはずの彼が自殺するというのはなんとも皮肉なことになってしまったものだと思い、彼の不幸にも思いが至った(最近の私は犯罪者を生み出す社会の病理への関心も深い)。

それにしてもだ、モスコーニとミルクを悼むキャンドルライトの行進は胸をうつ。今でも毎年命日にミルクの記念の行進が続いているらしいが、この映画の撮影のためにスタッフの予想を上回る参加があったという。
昨年には同性婚禁止の提案が出される状況もあるが、社会は振子のように右に左に振れながら、またらせん状に上昇していくというイメージを持っている私はその振子の大きな振れを信じていこうと思っている。

写真はこの作品のチラシ画像。

09/05/31 「60歳のラブレター」を母と観る

2009-05-31 23:42:45 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)
←→
4/29に「相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿」を母と観て、その時の予告編にあった「60歳のラブレター」を次は観たいというリクエストに応えてMOVIXさいたまで一緒に観てきた。今回も京浜東北線の電車で合流することに成功し、チケットを確保。今日で5%オフサービスが終るデニーズカードもしっかり使って昼ごはんを食べてからしっかり観た(笑)

【60歳のラブレター】
映画のことならeiga.com」のサイトによると概要は以下の通り。

長年連れ添った夫婦が、互いに言えない感謝の言葉を1枚のはがきに綴る企画「60歳のラブレター」に着想を得て製作された、熟年男女のラブストーリー。夫の定年退職を期に離婚することになった孝平とちひろ、喧嘩は絶えないが友だちのように仲の良い正彦と光江、愛妻を亡くした医師の静夫と彼に好意を抱く麗子……3組の男女が織り成す人生の悲喜こもごもを描く。監督は「真木栗ノ穴」の深川栄洋。
主な出演者は以下の通り。
中村雅俊、原田美枝子、井上順、戸田恵子、イッセー尾形、綾戸智恵、星野真里、内田朝陽、石田卓也、金澤美穂、佐藤慶、原沙知絵、石黒賢、他

私の印象は「団塊の世代の夫婦のファンタジー」というところだ。シネコンの中でも小さな部屋で一日4回の上演回数だが昼の回は満席だったし、私たちの観た回も団塊の世代の夫婦づれが多い感じだったが、妻が観たいというのに夫がつきあっているという雰囲気。お隣に座ったご夫婦はダンナさんが30分くらいの間隔で3回も外に出て戻ってきたのでニコチン切れを我慢できなかったのだろうか(笑)
3組の夫婦それぞれに胸キュンの展開で、全く期待しないで観たわりには眠くもならず座っているのも苦痛でもなかったなという感じ。魚屋の正彦(イッセー尾形)が光江(綾戸智恵)が麻酔から目覚めるかどうかの部屋で思い出のビートルズの「ミシェル」を弾き語る場面などはイッセー尾形を見直してしまったくらいだ。けれども積極的に映画館で観なくてもTVのオンエアを待ってもいいなぁという作品だった。予想的中。

さてリクエストした母に観終わってどうだったと聞いたところ、「60歳のラブレターっていうくらいだし、やっぱり70代が観る映画じゃなかったね」と言う。最後の場面で孝平(中村雅俊)が元妻のちひろ(原田美枝子)が恋人候補(石黒賢)と一緒に季節はずれのラベンダー畑に来たところに先回りし、30年ぶりに彼女の願いに応えてラベンダー畑を大きく描いたものを見せてやり直そうと言い、彼女もそれに応える場面に白けた声を出していたからやっぱりねぇとは思ったが、ありえない甘い設定だということらしい。確かにそうなんだけれど、不況でせちがらく先行きに夢をもてない今の世の中だからこそ、こういう甘あまのファンタジーもあってもいいと私は思うが、母は今回も毒舌・・・・・。

「予告編に次に観たいのがあった?」と聞くとあったよという。ポスターを一つ一つ見ながら確認していったら、役所広司初監督作品「ガマの油」だった。なるべくリクエストに応えてはあげたいが・・・・・・(^^ゞ

映画を観た後、一人で夜ご飯を食べるのが嫌だという母親の希望をいれて映画の半券を提示して200円割引サービス実施中のバイキングの「餉餉」で食事。私と一緒の食事は嬉しかったらしいが、「次からこの店はなしね」という評価。私はやはり映画の後はお茶だけで家に帰りたい。

駅に向かっている時に「スタートレック」を観にきていた娘と父親に遭遇。出かける前に「向こうで会うかもねぇ」と言っていたら本当になってしまって笑えた。お互いに2組とも親孝行の図である(^^ゞ
今回も私は母親をJR京浜東北線で一緒に南浦和まで同行し、武蔵野線に乗るまで付き合って見送って家に戻ってきた。ここまでやれば安心のようだ。

写真は今回はなし(^^ゞ

09/05/16 封切日にゲキ×シネ「五右衛門ロック」

2009-05-18 23:57:35 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

劇団☆新感線の「五右衛門ロック」は早々にゲキ×シネになることを予想して確信犯的に観劇を見送っていた。そうしたらなんと自宅近くのシネコンでの公開もありという予想を上回る嬉しいオマケつきで5/16に封切り。
自転車で10分のシネコンにはなんだかんだと足繁く通ってしまうし、そこで「五右衛門ロック」の宣伝ポスターがババーンと貼られてしまったりすると、いつ観ようかとソワソワする。ところが上映期間が短いことがわかったので急遽、何も予定の入っていない封切日に娘も誘って2回めの上映にかけつけた。

【劇団☆新感線RXシリーズ「五右衛門ロック」】
やはり埼玉の地の映画館では劇団☆新感線もそうメジャーではなく、土曜日の封切日だというのに余裕のよっちゃんで希望する最後列の席がとれた。デニーズランチを食べて少し遅れていったら予告編なしだったようで始まってしまっていて失敗~。しかしながら「五右衛門ロック」のタイトルまでには間に合ったからまぁいいや(^^ゞ
<スタッフ>
作:中島かずき 演出:いのうえひでのり 作詞:森雪之丞
<キャスト>
古田新太、松雪泰子、森山未來、江口洋介、川平慈英、濱田マリ、橋本じゅん、高田聖子、栗根まこと、北大路欣也、他
<あらすじ>「演劇ライフ」の記事が一番詳しいのでご参照を!

先月観た「ムサシ」も巌流島その後のお話だったが、こちらの「五右衛門ロック」も釜茹での処刑後のお話ということでこういう有名なエピソードを踏まえると芝居がつくりやすいのだなぁと妙に納得。
今の日本で一番人気のある泥棒物の「ルパン三世」にもルパンの仲間として十三代目石川五ェ門が登場するくらいだし、今回の「五右衛門ロック」も主要3役がそのパロディ的なキャラクター設定だと思った。五右衛門がルパン三世、真砂のお竜が峰不二子、岩倉左門字が銭形警部だろう。次元や五ェ門は抜きだね。

劇団☆新感線の舞台も時間が長いが、今回は超豪華なキャストそれぞれに見せ場をつくり、これでもかこれでもかというくらい盛りだくさん。楽しさいっぱいお得感いっぱいの舞台だった。

古田新太の五右衛門はその存在感の大きさと愛嬌で大百日鬘のような髪型もどてらのような衣裳から赤褌がのぞくのも魅力的。峰不二子ほど胸が大きくはないけれどお色気たっぷりの松雪泰子のお竜もいい。その動きのいい踊りっぷりには映画「フラガール」を思い出した。綺麗なんだけどコメディも大丈夫なところが劇団☆新感線にはハマる女優だと思う。江口洋介の左門字は三枚目もやれるのかという感じでよかったがギター侍の場面は頑張ってるのはわかるが他の出演者に比べるとちょっとインパクト不足。そうなると冗長な場面に感じてしまうのが残念。
「メタルマクベス」に続き王子役の森山未來は井上芳雄そっくりに見えた。二人とも素顔は地味だが舞台メイクが映えてノーブルな顔になる。歌も頑張っていたがなんといってもダンスで魅せてくれる。川平慈英とのタップ合戦も見応え十分。
橋本じゅんと濱田マリのボノー・シュザク夫妻も可愛くてよかった。まるでパイレーツ・オブ・カリビアンのジョニー・デップみたいな拵えも笑えた。濱田マリはNODA・MAP「走れメルス」以来だと思うがこういうハイテンションがぴったりだし、やっぱりTVの「あしたま」の声と同じ声という馴染み感が嬉しい。
川平慈英はこまつ座の「私はだれでしょう」以来。右近健一と二人でイスパニアの死の商人役って胡散臭さがブルーチーズくらい臭っていて美味しかった(笑)
そして劇団☆新感線初参加の北大路欣也のクガイの存在感が素晴らしい!!高田聖子のインガとお竜の二人の女が惚れ込むのも無理はないし、王子に最後は父の素晴らしさを見せつけるのに人間の大きさを感じさせる魅力いっぱいのクガイだった。

麻薬のような成分を含む岩塩「月生石」の島を消滅させてともに沈んでいくって、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」のようだと思った。この宮沢賢治の思想も最近読んだ『地獄の思想』で捨身飼虎のような仏教思想だとわかって感心したばかりだったのだが、中島かずきの書く物語はエンタメだけでなくこういうところまで行き着く魅力がある。
まさにエンタメストーリーの中心にはこういうぶれない軸が通っていて、そのキャストが北大路欣也だったというのがまた素晴らしい作品だったと思う。本当の主役はクガイだったんじゃないかという観方もできる。いろいろな角度から楽しめる上質な作品だった。

しかしこれは家でDVDでは観ないだろうなぁ。また次にゲキ×シネで上映する企画がある時に大画面で観たい。あ、うちのTVが14インチだからってわけじゃないですよ(笑)

ゲキ×シネ「五右衛門ロック」公式サイトゲキ×シネ初となるパンフレット発売とあったのでしっかり買う。ページ数は多くないが舞台写真がしっかり入っているのと読むところが充実しているので800円でもこれなら文句なし(笑)写真は私のメビウスの上に置いて携帯で撮影したパンフレット。表紙が実にカッコいい!

09/04/29 「相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿」を母と観る

2009-04-29 23:59:39 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

26日に歌舞伎座夜の部、27日に俳優祭夜の部のレンチャンでやっぱり疲れてしまって昨日は喘息発作が久しぶりに出てしまい、仕事帰りにかかりつけの耳鼻科で吸入してきた。
という次第で皆様、観劇のレポアップ等、ボチボチとさせていただきたく存じますm(_ _)m

さて、このGWには妹2夫婦が名古屋の妹1一家に遊びに行くので、私が母親のお相手当番をかって出た。先週から母親とどこに行きたいか聞いていろいろ調べて気鬱になっていたが、最終的には我が家の近くのショッピングモールで御飯を食べて映画を観ることで落ち着いた。
母親の予定も鑑みて4/29を第一候補にしていたが、観る合意のとれた「相棒」のスピンアウト映画も封切られてずいぶんたって夕方一回のみの上映なのでゆっくり出かけることにしてしっかり寝た。娘が父親と善光寺の7年ぶりの秘仏開帳に朝から出かけたので二度寝して起きたら11時半。そこで実家に電話したら朝まで寝られなかった母親も電話で起きている状況(笑)
携帯電話でどこまで来ているかを確認しながら京浜東北線の電車で合流することに成功!

休日でしかもレディスデイなのでMOVIXさいたまも混んでいたが、なんとかチケットをとって遅めの昼食。バイキングの「餉餉」にしようといたがここじゃ嫌だというので、結局ゆっくりデニーズで食事。デニーズカードが5月いっぱいで5%オフサービスをやめ、一年後には廃止されるというのを知って二人ともガッカリ。どこも生き残りは厳しいのね。

【相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿】
「相棒シリーズ」で登場する鑑識官・米沢守(六角精児)を主人公にしたスピンオフ。「映画のことならeiga.com」のサイトによると監督は「あぶない刑事」の長谷部安春、原作は監督の息子ハセベバクシンオー。
前回の劇場版の事件と同時並行の事件からみという設定になっている。
「相棒-劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン」の感想はこちら
特命係の右京(水谷豊)と薫(寺脇康文)がテロの犯人を追う中、鑑識課員の米沢はマラソン大会の参加者の映像の中に自分の逃げた女房を見つけ、会いに行くが会えないで帰る。翌日その女性の死体が発見されるが、死体は別人で所轄の刑事・相原(萩原聖人)の元妻(紺野まひる)だった。自殺という死因の断定に納得のいかない米沢と相原は、協力して彼女の死の真相を探るが……。
他の主な出演者は以下の通り。市川染五郎、片桐はいり、伊武雅刀、鈴木砂羽、益戸育江、川原和久、大谷亮介、山中崇史、山西惇、神保悟志、小野了、片桐竜次、他

TVシリーズでも多少気になる存在というくらいだったが、やはり変キャラの魅力ということで成り立ってしまった米沢守編。落語が好きで携帯の着信音も出囃しというのが場面場面で効果的に雰囲気を和ませる。
自宅のオタク部屋がまた物凄く、これなら女房も呆れて逃げ出したくなるだろうなぁとガッテン。最後のエンドロールが二人の仲のよかった頃の暮らしを切り取って多画面で見せるという凝ったもの。私はスピンアウト映画としてはまぁまぁの出来だとけっこう気に入った。前回の劇場版が国際平和の問題までスケールが大きかったのに比べれば小さいが、警察のキャリア官僚の天下りの問題やらその先の外郭団体での税金の無駄使い問題などへの鋭い斬り込みは評価していいと思う。さすがにTV朝日のドラマの映画である。

観終わってどうだったと母に聞いたところ、室内の場面も多くて暗くてあまり面白くなかったという。母は「アンタは市川染五郎めあてだったからよかったでしょ?」と言うので「別にそんなにファンじゃないし、それでこれにしたんじゃないよ」と答えたが話がかみ合わない。母娘とはいえ感覚が違いすぎてよくわからんという感じである。一事が万事、観る作品選びも難しいのだ(^^ゞ

母はとにかく私と映画を一緒に観て御飯を食べてぶらぶらできて楽しかったようだ。予告編でみた「六十歳のラブレター」を観たいというリクエストもきた。まぁ付き合ってあげるしかないかなぁ。
写真は今回の映画のサントラ盤。

09/04/20 「レッドクリフ PartⅡ」にやられた!まいりました!!

2009-04-25 23:53:22 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

「そうだ!20日はシネコンのサービスデイだ!!」と気がついて、職場から娘に「レッドクリフ PartⅡ」を観ようと待ち合わせの電話を入れてMOVIXさいたまに本編上映ぎりぎりに滑り込み(^^ゞ
昨年末に「レッドクリフ PartⅠ」を観た時の記事はこちら

【レッドクリフ PartⅡ】
「映画のことならeiga.com」もご紹介(公式サイトへのリンクもあり)。
PartⅠを観ていない人にもわかるような導入部になっているし、スムーズにジョン・ウー版「三国志」の世界に引き込まれる。この映画は一人ひとりの人物が実に魅力的に描けているのがいい。監督自身が加わって書かれた脚本が実にいいのだ。
また、荒い麻布を切り裂いたような画面で場面転換をするのもテンポが出て気持ちいい。長江の赤壁に陣取る呉・蜀連合軍とその反対の島に陣取る魏軍とを行ったりきたりして決戦の時が近づいていく緊迫感がたまらない。

PartⅠで気に入った孫権の妹・尚香(ヴィッキー・チャオ)が魏軍にひとりで間者として潜入している。水軍を使っての決戦を前に機が熟すのを待つ間、兵士による蹴鞠の試合が曹操の御前で繰り広げられる。鞠がそれたのを尚香が助けて得点させた兵士と仲良くなり、彼の肩車が尚香の敵陣チェックに役立ってしまうのだが、この兵士を登場させたことで、80万といわれる魏軍の兵士たちの多くが次男坊以下の穀つぶしだからと兵役についているということに光が当たった。

故郷と大きく異なる風土に身体を弱らせ疫病に伏せる兵士たちに、曹操は自分の病弱な息子の話を聞かせ、勝って家族のもとに帰ろうと熱く語る。勝てば3年間税を免除するという約束もする。詩を作って吟ずるし、本音なのか演技なのかはわからないが、民の心をうごかす演説もうまい。これは三国のトップの中で一番の器量だと納得した。生まれた家の格は低いのだろうが、そんなのは関係ない。
若い頃に目をかけてくれた人の娘である小喬に抱いた思いをずっと引きずっているというあたりや、頭痛もちでカッとなって判断を誤るところなど、実に人間くさい人物造形になっていて、チャン・フォンイーが実にオヤジ可愛いのだ。この間「覇王別姫」をDVDで見て段小樓役をしていたのも見ているが、格段にいい役者になっていて、この曹操のキャスティングは大成功だと思った。

その曹操を倒すために束になってかかった呉・蜀連合軍側も魅力がいっぱい。周瑜のトニー・レオンと諸葛孔明の金城武と孫権のチャン・チェンのイケメンぶりがさらに際立ってミーハー的に嬉しい。それぞれの知略ぶりも実にいいのだ。10万本の矢の調達の直後に水軍の将軍二人が裏切ったという偽の手紙に騙された曹操。その短慮で殺させた二人が持っていたはずのこの地での風の吹き方の知識を失う。風向きが変わることで火攻めのタイミングが重要になる。そして周瑜の妻になっている小喬が曹操のもとに単身のりこんで戦の中止を乞うという行動がそれだけで終らないという畳み込むような展開がまた実に心地よい。

大体、偽手紙のエピソードにつながる伏線がPartⅠから張ってあったというのがわかってと嬉しかったし、あちこち伏線だらけでなぁるほど~と面白がっているうちにあっという間にまさに「赤壁 決戦天下」の戦闘シーンに突入。
2000隻の船を焼き尽くす映像もすごいし、中村獅童の甘興が主要キャストでただ一人命を落す曹操の陣の壁を突破する魚油の爆発物攻撃もすごい。
曹操の陣中に入った周瑜が率いる部隊が金属の盾で箱状になりながら矢の雨の中をすすんで行くというのも唸った。PartⅠの「九官八卦の陣」の映像の見事さも思い出す。戦闘シーンもスピーディで変化が大きいので全く飽きなかった。
尚香の友達は蹴鞠の活躍で千人隊の隊長になっていたが、最後まで税を免除してくれると言った大将を守ると言って尚香の目の前で死ぬ。
曹操の側近は主君の最後の判断を誤らせた小喬だけでも殺そうと追い詰めるがちゃんと愛する夫が守るのよねぇ(笑)
イケメンだが自信のない男・孫権が勇気を振り絞って射た矢が曹操の髻をくずし、ざんばら髪になる曹操。ここで命はとらないという場面だが、史実ではどうかは知らない。しかし、ここで曹操の中国統一の野望は打ち砕かれたわけだ。
ここのチャン・フォンイーの空しい表情が、また戦というものの虚しさをよく伝えてくれている。この映画こそ、ブッシュ元大統領に見せたいものだと思ってしまった。

最後の場面はこの同盟の中で友情を深めた周瑜と孔明の別れ。孔明が出産を手伝って生まれた萌萌という馬を周瑜と小喬が孔明に託す。「戦に出さないでね」という約束とともに。美しい大自然が映し出されての幕切れにAlanの美しいソプラノが響くエンドロール。

ただの武侠映画でもなく「反戦」の思いがこめられ、圧倒的に少数でも知恵を絞り力を合わせれば大きな勢力に打ち勝つことができる、そんな勇気をもっていいというジョン・ウーのメッセージが実に気持ちよく伝わってきて爽快な作品だった。

今回のプログラムを熟読していて気がついた。PartⅠで買った方をちゃんと読んでいなかった。続けてちゃんと読んだら、キャストもスタッフも中国・香港・台湾・日本・USAと実に国際的なのだとわかった。ハリウッド以外でもこんな大作で質の高い作品ができるというのは画期的だ。ジョン・ウーには「水滸伝」とかもいろいろ撮って欲しいなぁと思った。
また「三国志」についても興味がわいてきた。中学生の頃に横山光輝の漫画版の存在が気になってチラ見したことがあるのだがどうにもスッと入れなかったのだが、リベンジというのもいいかもしれない。

写真は、赤壁II(レッドクリフ)オリジナルサウンドトラック(台湾盤)。岩代太郎の音楽も実によかった。
(6/17追記)
gooメーカー☆メーカーの「レッドクリフ PartⅡ」で遊べるようだ。その中のひとつで「あなた(ぴかちゅうさん)にとって大切なものは・・・」→「友情」とのこと。当たってるみたいね。

09/03/22 映画「さらば、わが愛~覇王別姫~」をDVDで観た

2009-03-30 23:56:46 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

昨年3月にシアター・コクーンで蜷川幸雄演出の舞台「さらば、わが愛 覇王別姫(はおうべっき)」を観た。続けて翌月に映画版をル・シネマで観ようとしていた直前に父の急の知らせが入って観ないままになっていた。
一年たって3連休の出かけない日に、玲小姐さんにお借りしたDVDをようやく観てみた。その直後に「Beauty うつくしいもの」をどこで観ようかと検討していた時にシネマート六本木で同時期に「さらば、わが愛~覇王別姫~」も上映しているのがわかったが、ここでなぜ4月に上映企画が多いのか疑問が湧く。DVD鑑賞の報告がてら質問してみたら玲小姐さん曰く「レスリー・チャン」が4月に亡くなったのでそれを追悼するためでしょ」。うーん、納得だ!

2008年3月のシアター・コクーン「さらば、わが愛 覇王別姫」の記事はこちら

【さらば、わが愛~覇王別姫~】(1993年/香港/172分)
監督・脚本 チェン・カイコー
主なキャストは以下の通り。    
小豆子→程蝶衣:レスリー・チャン
小石頭→段小樓:チャン・フォンイー
菊仙:コン・リー

まず映画でこそと思ったのは、少年時代をじっくり描いていることだ。子役も途中で代替わりさせて45分かけて蝶衣と小樓の育った環境と二人の関係をしっかり描いている。京劇の役者育成をしながら街頭で日本でいう角兵衛獅子のような見世物をしてお金を稼がせている集団。どの子もガリガリに痩せていてアクロバティックな動きが身についている。きっと雑技団とか体操とかの才能を育てられている子どもたちからキャスティングされているのだろう。
特に2人目の小豆子の子役が実に巧い。遊郭の女郎が育てられなくなって捨てるように預けていった小豆子は母親に似たのか美しい顔立ちで髪を剃りあげられた小さい頭と細く華奢な身体つき。頭で石を割るような頑丈で逞しい小石頭に心を寄せていく様子がせつない。小豆子が宦官だった金持ちの翁に弄ばれる犠牲と引き換えに小石頭とのコンビが世に出たのだ。京劇の女形の運命らしい。

レスリー・チャン=蝶衣とチャン・フォンイー=小樓に切り替わると実に美しい女形と頑健な立役で見惚れる。チャン・フォンイーがどうもどこかで見た顔だと「レッドクリフ」のプログラムで探したら曹操役の人だった!こうしてみると東山紀之はなかなか頑張っていたじゃないかと思えた。小樓の遠藤憲一は姿はいいのだが声が通らなかったのでやっぱり駄目だったと(^^ゞ
圧倒的にレスリー・チャンの蝶衣は美しく圧倒的な存在感。コン・リーの菊仙は負けている。
しかし、映画では小樓と菊仙の二人の男女の恋愛模様も実にたっぷり描かれている。遊郭の3階から飛び降りて受け止めるという場面は舞台では無理だ。それが文化大革命の時代に不幸な最後を予感する場面のキーワードとして有効に使われるというのがすごい。
そしてこの濃厚な夫婦関係に打ちのめされて蝶衣がパトロン袁世卿とのアヘンを含めた関係に耽溺してしまう対照が激しく悲しい。

袁世卿の役者の細くて耽美の世界にしか棲めなくなってしまったような妖しい目がまたよい。彼が運命の剣を蝶衣に与えてしまったんだなぁ。袁世卿のような存在は文化大革命では生き延びることはできない。その運命すら予感させるような半分この世にない目つきが印象的だった。

シネマート六本木の映画の説明に「京劇の古典『覇王別姫』を演じる2人の役者の愛憎を、国民党政権下の1925年から60年代の文化大革命時代をはさんだ70年代の末まで、50年にも渡る中国の動乱の歴史と共に描く一大叙事詩」とあった。
清王朝から国民党政権へ、日本の占領→敗戦くらいまでは京劇もなんとかなった。日本軍に媚びた漢奸だという疑いも晴らした。蝶衣のアヘン中毒を必死に直したのも小樓と菊仙だったし、菊仙の流産の不幸もともに乗り越えた。
しかし小樓が保身のために共産党に飲み込まれていくことが蝶衣との絆を断ってしまう。さらに文化大革命の嵐は小樓に心ない言葉を次々と吐かせてしまう。この男の小ささが招く不幸。万人の前で遊女だった女は愛していないと宣言した夫に絶望した菊仙の自殺。

袂を分かっていた二人が「覇王別姫」で再共演することになり、その舞台の上で蝶衣は虞姫になった。映画の冒頭のタイトルロールが流れる絵はまさにその「覇王別姫」最後の悲劇の場面。虞姫の首を突き抜ける剣の絵。だから映画でその場面はなくて終る。実にイマジネーションを喚起される。
この死に方で虞姫は項羽への愛を全うし、蝶衣は小樓へ思いをたたきつける。この世でかなうことのなかった思い。蝶衣の愛、菊仙の愛を受けるにふさわしい人間だったのだろうかと、小樓はそれを一生自問し続けるのだろうか?

男二人女一人で古典芸能を生きた物語が「Beauty うつくしいもの」と共通はしているが、3人の愛憎のドラマに焦点がある「~覇王別姫~」の方は重たく苦しくせつない。
ふと映画「M.バタフライ」も思い出された。京劇の女形ソン・リリン(ジョン・ローン)を女と思って愛してしまったフランスの外交官ガリマール(ジェレミー・アイアンズ)。ソンは中国共産党のスパイとして行動することを強要されていて、外交機密をもらしたガリマールは裁判で全てを知らされて絶望する。収監された牢獄の余興で京劇の女形を演じ、隠し持ってきたカケラで頚動脈を掻き切って死ぬのだが、あれは「覇王別姫」の虞姫だったのか。愛した幻の女への愛を全うしての最後だった。
アジアへの幻想に生きて死んだフランス男の哀れな人生。中国とフランスって似ているかもと玲小姐さんと盛り上がったっけ。最近、洋の東西の文化比較に関心が向いている私である。

写真は映画「覇王別姫」の宣伝画像。

09/03/25 映画「Beauty うつくしいもの」

2009-03-29 00:59:21 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

松嶋屋の若手役者二人が主演する映画「Beauty」は全国一斉ロードショーではなく、製作・上映を成功させる会による全国上映企画が連続的に各地で取り組まれている。東京でも3/14からシネマート六本木銀座シネパトスで上映が始まったが、レディスデイの夜に観ることができるラストチャンスにかけつけた。

【Beauty うつくしいもの】
<主なスタッフ>
監督:後藤俊夫 / 製作総指揮:角川歴彦 /
   音楽:小六禮次郎 / 振付:藤間勘十郎
<主な出演者>
片岡孝太郎、片岡愛之助、麻生久美子、嘉島典俊、大西麻恵、二階堂智、赤塚真人、串田和美、井川比佐志、北村和夫
<あらまし>大鹿村サイトのエキストラ募集の記事が一番わかりやすい。

後藤俊夫監督は信州・伊那谷で生まれ育ち、13年前に東京から戻ってきて伊那を舞台に映画を撮影。「こむぎ色の天使・すがれ追い」から9年、長年温めてきた村歌舞伎を伝承する人々を描いた本作を撮ったのだという。映画づくりで地域を元気にしたいという思いで伊那市のふるさと大使にもなって、この作品も地元の企業や行政、村歌舞伎を伝承する人々の力が集められた。
その取材中に13代目仁左衛門が大鹿歌舞伎を二度も観に来たことを知って松嶋屋に強い思いを持っていた。プロデューサーを通じて脚本が当代に渡り、息子の孝太郎が脅威を示してくれて出演してくれることになったのだという。
このプログラムの監督の話には感動した。

昭和10年時の子ども時代の半次・雪夫・歌子を演じる子役3人がそれぞれよくて一気に物語に引き込まれる。赤塚真人が演じる村歌舞伎の義太夫の師匠の娘歌子がはしかで出演できなくなって「新口村」の梅川の代役を雪夫に乞われたことから半次は村歌舞伎の世界に入る。雪夫の立役と半次の女形のコンビで村の看板役者となってしまうのだが、歌子は二人を支える存在になっていく。二人の舞台の映像で大人の役者にタッチ交替。

昭和19年。そんな歌子と雪夫が相愛の中になっているのだが、彼ら若者たちのもとにも召集令状が届きお別れの舞台が出征を祝う会を兼ねる。その舞台は「太十」(太平記十段目)。孝太郎と愛之助と並んで武智光秀をつとめた政男役の嘉島典俊も立派だった。雪夫は歌子に気持ちを伝えないまま出征。
終戦後にシベリアの強制収容所に送られた半次たちは厳寒の地で過酷な労働の日々を送るが、政男が肺炎で死んでいく。雪夫も伝染病になって隔離され別れ別れのまま帰国の日を迎えた半次は雪夫から託された遺書を家族に届け、一緒に連れて帰れなかったことを詫びる。歌子にも詫びて雪夫の気持ちを伝えると、歌子はこれまでの気持ちをぶつけるが、二人は戦争で途絶えかけた村歌舞伎を再興することで寄り添っていく(ここで二人が結ばれるってことにはしない展開?!)。製材所で働きながら立役もつとめながら村歌舞伎の仲間をまとめていった。
しかし雪夫は生還していた。しかし目と心に深い傷を負っていたために家族のもとに戻らず、二人の前にも姿を見せない。失明して按摩で生計をたてていた雪夫は半次たちの舞台に駆けつけていたのだが、心の傷のうずきに耐えられずにまた身を潜めてしまっていた。
ある時、遠く離れた村で本来は伊那谷だけに伝わる芝居「六千両」を演じる役者がいることという新聞報道を見せられた半次はその男を訪ねていくと座長(串田和美)から幸夫の病状も聞かされる。雪夫の家に訪ねた半次は3日後の「新口村」で一緒の舞台に立って欲しいと説得。その日時間ぎりぎりに駆けつけた雪夫とともに舞台にたつ。しかしその幕切れに雪夫の命は尽きてしまった。

その後の長い年月を村歌舞伎のリーダー役をつとめた半次の引退の舞台は思い出の舞踊「天竜恋飛沫(てんりゅうこいしぶき)」。新調した衣裳は直前に止めて幸夫の衣裳で踊る半次。戦争の古傷がうずく足元はふらつき、古い衣裳の袴はひもが千切れて小袖姿になってしまう。それでもレンギョウの精と水底で添い遂げる最後まで踊りきる半次。幸夫の想いと添い遂げたということだろうか。
麻生久美子も本当に華奢な身体で歌子を健闘。半次とともに村歌舞伎を支えることが彼女の幸夫への想いを全うすることだったのかもしれない。
3人の関係はちょっともどかしいほどせつなかった。         

北村和夫が村長役で村の英霊を迎える場面だけ出演しているが、撮影半ばで亡くなって遺作になってしまって場面を減らしたらしい。本当に残念だが、一場面でも素晴らしい存在感を添えてくれたことに感謝したい。

幸夫の心の傷とは中国戦線で満蒙開拓団の引揚げで遅れた女子どもたちをソ連軍の捕虜にさせないために手榴弾で殺したことだった。爆発物のかけらが眼に入ったことがもとで失明したということだろうが、上官命令を実行したとはいえ人の命を奪ってしまったことの記憶が消えないという時代の悲劇もしっかり描いていた。
シベリアの抑留問題の歴史も実際に抑留されていた方のお話も聞いたことがあるし、劇団四季の「異国の丘」を観たり、その原作『夢顔さんによろしく』などを読んでいた。今回も病人が出るとうつされたくないと冷たい行動をとる人間もいるリアルな様子、その中で支えあう仲間の素晴らしさも描かれていた。肺炎の政男が弱っていき死んでしまう展開にまず泣けた。

井川比佐志演じる実直な木地師のじっちゃんの存在感も貴重。半次が帰ってきて迎えてくれたのは遺影で村の道普請で倒れて村のみんなに看取られて死んだというあたりでも泣ける。

戦死した者も銃後で死んでいったものも、戦時の暮らしに耐えた者も時代の過酷さに翻弄されている。そこから立ち直って生きていく、こだわった文化を再生させていくことのもつ重みも感じさせる。
とにかくこの作品は過剰な音楽も演出も感じさせず、淡々と描いているのが逆にしみてくる。何度も何度も涙がにじんだ。

松嶋屋の若手二人が頑張っていたのが嬉しい。孝太郎は地味ではあるがひとつのことを地道に積み上げていく人物の素晴らしさを実に誠実に体現していたと思う。愛之助は背負ってしまった苦悩に悩む姿も美しい。失明して按摩になっている長髪を束ねた姿は「大王四神紀」のペ・ヨンジュンみたいだと思ってしまった。このコンビが相乗効果をあげているのがいい。本物の歌舞伎役者が村芝居に見えるように苦心して演技したということだが、美しさは本物なのがこの作品のひとつの魅力でもある。

二人の父も特別出演しているのが嬉しい。秀太郎は蕎麦屋の客で本当に普通のおじさんみたいだった。仁左衛門は半次の引退公演を観に来た観客で半次がよろけると心配そうな表情が大写しになったし、エキストラたちと一緒に芝居を楽しんでいる表情もご馳走だ。映画の題字も仁左衛門とのこと。
松嶋屋贔屓にはそういうことも嬉しい映画であった。

やはり村歌舞伎をとりあげたドラマの「おシャシャのシャン!」も観ている。ひとつの地域の人々の中に根付いた伝統としての村歌舞伎の雰囲気が素晴らしい。
(追記)
シネマート六本木で同時期に上映されている「さらば、わが愛~覇王別姫~」と思わず比較してしまった。古典芸能の世界に関わる男二人と女一人が時代の波に翻弄されていく物語という共通点あり。「Beauty」では歌子に役をとられたというあたりに確執はあるものの、愛情の三角関係ではない。そのあたりで結末が大きく違ってくるという相違あり。蛇足で失礼m(_ _)m

09/03/11 映画版「ラ・ボエーム」で「RENT」のよさを見直す

2009-03-13 23:57:00 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

2006年に公開された映画版でミュージカル「RENT」を観てはまり、2回観てDVDも買ってしまった。下敷きになっているオペラ「ラ・ボエーム」も一度観たいと思いつつ機会をうかがっていた。そうしたらMETライブビューイングの「ロメオとジュリエット」で主演していたアンナ・ネトレプコのミミで映画版「ラ・ボエーム」がプッチーニ生誕150周年記念公開で上映されているという情報をGET!
レディスデイに観ようと仕事帰りにテアトルタイムズスクエアにダッシュ!

【ラ・ボエーム(2008)】原題:La Boheme
監督:ロバート・ドーンヘルム 製作国:2008年ドイツ、オーストリア映画
ウィキペディアの「ラ・ボエーム」の項はこちら
あらすじは上記を参照。主な登場人物は以下の通り。< >内は「RENT」で相当する役柄。
ミミ(お針子)=アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)<「RENT」でもミミ>
ロドルフォ(詩人)=ローランド・ビリャソン(テノール)<ロジャー>
マルチェッロ(画家)=ジョージ・フォン・ベルゲン(バリトン)<マーク>
コルリーネ(哲学者)=ヴィタリ・コワリョフ(バス)<コリンズ>
ムゼッタ(マルチェッロの元恋人)=ニコル・キャンベル(ソプラノ)<モーリーン> 
ショナール(音楽家)=アンドレ・エレード(バリトン)

原題のLa Bohemeのhを発音しないからラ・ボエームであり、パンフレットに「15世紀、フランスの人々はボヘミアがいわゆるジプシーたちの故郷なのだと考えた。そこから『ボヘミアン』が彼らのように定住しない者、社会の枠の外で暮らす者という意味をもつ言葉となった」という文章になんだかとっても納得した。
19世紀中頃の小説を元にプッチーニがオペラにしていて、当時の現代物として斬新な内容ではあったのだろうが、現代の私にはかなり違和感があった。

それは当時のボヘミアンの暮らしということでも肺結核が死病という設定でもなく、ミミを愛したロドルフォがどうしようもない男すぎて感情移入できなかったというところだ。ロドルフォは嫉妬深い上に貧しくて愛する女の病気を治してやれないのが辛すぎると別れたいという。この自己中心的な男を見ているとイライラする。そんな男を許す女ミミをドーンヘルム監督はオペラにない場面を加えることで現代に通用する女に造形している。
階上の住人たちが楽しげに暮らしているのに心を寄せていたであろうミミがクリスマスイブにロドルフォが一人になったのをみすましてローソクの火を借りにいく。もらった火をわざと消すのは「RENT」同様。路上で一緒に出かけようと呼ぶ仲間を先に行かせた後、ミミは階下の自分の部屋にロドルフォを誘い込んで一気に恋人関係になるのだ。カフェの場面の二人のベタベタぶりは当然だ。

しかし、このことが自分から強く働きかけて恋人になってもらったという意識をミミは持つことになるわけで、相手が別れたいといえば強く出られずに我慢して別れを受け入れたということになり、説得力が増していると思う。
その後のミミはその美貌で子爵の囲われ者になっているが、死期を悟って愛するロドルフォの側で死にたいと家出をして行き倒れ、そこをムゼッタに見つけられて懐かしい屋根裏部屋に運び込まれるのだ。この無謀な行動に走るミミの心意気には強く共感できるのだが、問題は男である!

二人きりになったところで気持ちが通い合ったのはよかった。ミミの最後に仲間たちは自分たちができることをしようと一生懸命かけずり回ってくれている。しかしロドルフォは医者がきて治療をしてくれればきっと治ると根拠のない希望にすがっておろおろするばかり。仲間に指摘されてミミが息を引き取っていたのに気がつくというマヌケぶりを露呈。そこで悲しく「ミミ~」と叫んでも現代の私たちの心は打たない。馬鹿野郎!なんで腕の中で死なせてやらないんだぁ!!
死病で愛する女が死んでいくという物語は歌舞伎で観た「刺青奇偶」も同様だ(シネマ歌舞伎第8作に!)。半太郎はしっかりお仲を抱きしめて死なせてやるじゃないか。
    
この映画を観て「RENT」のよさがよくわかった。ジョナサン・ラーソンは「ラ・ボエーム」をよくここまで書き替えたと思った。
屋根裏部屋で金はなくても自分の才能を信じて努力している若い仲間たち。紙を燃やす場面やら大家を撃退する場面やらローソクの場面、カフェでの狂乱のクリスマスイブなど、本当に名場面をよく生かしている。
そういえばMETでの上演頻度の最も高いのが「ラ・ボエーム」だということだし、ニューヨーカーはこの物語をよく知っているのだろう。だからそれを現代的にアレンジしたミュージカルはヒットしたのだろう。
ライブビューイングと違って舞台を撮影するのではなく映画にしたのもそれはそれで面白かったと思う。モノクロの画面からカラーの画面への行ったり来たりするのは「オペラ座の怪人」でも「スウィーニー・トッド」でも観たが、物語の時代性を感覚的に表現するにはいい手法なのだろう。
オペラの歌い手は現代のドリーム・カップルらしい。アンナ・ネトレプコのソプラノは好きだし、ジュリエットの時よりもダイエットしたようで死病という役なんだから当然のグッジョブである。

ローランド・ビリャソンのテノールもいいのだがビジュアルがいかにもメキシコ出身という感じでフランス人には見えないのが難点。それとやはりこの役柄は現代人に共感してもらいにくいというのが大損だ。

レディスデイなのにこんなに客席がガラガラって寂しいなぁ状態だった。「ラ・ボエーム」は無理してまた観たいような物語ではなかった。しかし、1965年製作のカラヤン×ゼッフィレッリの映画版くらいなら一度観てみたいとも思う。
写真はこの映画のサントラ盤の画像。

09/02/11 舞台のよさが生きてとにかく楽しい映画「マンマ・ミーア!」

2009-03-12 23:40:18 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

映画の感想アップが続いているので、2/11のレディスデイに観た「マンマ・ミーア!」も書いておこう。観てきた直後の簡単な記事はこちら
映画を観て帰宅後すぐに劇団四季の「マンマ・ミーア!」のプログラムを引っ張り出していろいろ見比べた。四季劇場「海」の2004年7/11のチケットが挟まっていた。
ウィキペディアの「マンマ・ミーア!」の項はこちら
今回の映画版も舞台版を生み出した女性3人組であるジュディ・クレーマー(プロデューサー)、キャサリン・ジョンソン(脚本家)、フィリダ・ロイド(演出家)を中心スタッフとしてつくられている。あの楽しかった世界がギリシャの風景の中で展開されるのをまたまた楽しむことができた。

主な配役は以下の通り。( )内は四季の「本日の出演者」より。
ドナ・シェリダン=メリル・ストリープ(保坂知寿)
ソフィ・シェリダン=アマンダ・セイフライド(吉沢梨絵)
ターニャ=クリスティーン・バランスキー(前田美波里)
ロージー=ジュリー・ウォルターズ(青山弥生)
サム・カーマイケル=ピアース・ブロスナン(渡辺正)
ハリー・ブライト=コリン・ファース(明戸信吾)
ビル・オースティン=ステラン・スカルスガルド(松浦勇治)
スカイ=ドミニク・クーパー(鈴木涼太)

以下、Yahoo!映画の記事のあらすじを引用。
「エーゲ海に浮かぶギリシャの小島で、シングルマザーの母ドナに育てられたソフィ。彼女のひそかな願いは、まだ見ぬ父親とバージンロードを歩くこと。結婚式を控え、父親探しをすることに決めたソフィは、内緒でドナの日記を読み、父親の可能性のある昔の恋人3人に招待状を出す」・・・・・・。

自分の父親が誰かわからない悩みを思春期に持ったソフィ。偶然見つけた日記で母親の恋愛に一波乱があった上でできたのが自分だとわかったことを友人二人に打ち明けるソフィの明るい場面「ハニー、ハニー」から一気に盛り上がる。
若い娘世代の親友3人組の登場に続いて母親の世代の親友3人組、母親の恋人3人揃っての登場。特にドナたち3人のバランスが私の観た四季のキャストのバランスに似ているので嬉しくなってしまった。
ABBAのポップな曲をうまく使ってこんなに面白い話のミュージカルがつくられたことを生みの親の女性3人組に感謝したいくらいだ。

上記のあらすじの書き出しとは違ってこの作品の主人公はやはりシングルマザーのドナだ。ドナとフィアンセのいたサムの恋がひょんな誤解から実を結ばなかったことを忘れようと続けざまにしたハリーとビルとの短い恋。これもありねって思えればこの作品は心底楽しめる。
ドナとサムにお互いを想う気持ちが残っていることを確認する「SOS」が一番せつなかった。

愛し合う人がいる暮らしができることは素晴らしい。それが正式な結婚の形をとろうととるまいとあまり関係はないと思っている。ターニャが結婚と離婚を繰り返し、若い男と束の間の恋を楽しむのも彼女なりの人生として充実していると思うし、ソフィとスカイが正式な結婚を先送りして恋人どうしのままで広い世界の見聞に二人してでかけるなんて日本ではなかなかない結末に感動する。ヨーロッパでは正式な結婚の形をとらないカップルが多いが、それは事実婚で生まれた子どもへの差別もなく正式に結婚しなくても不利益が少ない社会になっているからだ。

若い二人の結婚式をドナとサムの結婚式に切替えて島をあげての祝いの興奮が竜巻のようにスクリーンから客席へと伝わってくる。その中で独身を通してきたロージーもビルにモーションをかけてのをGETするだろう予感も花を添える。ハリーはドナを最後にゲイとしての伴侶を見つけているから問題ない。
中年の男女3人ずつ、「愛」の現役状態になったというのが実に愉快だ。この中高年を元気にし、若い世代にも年齢を重ねても人生は侘しくならないぞという明るい展望を指し示す、元気な女性が世に送り出した作品を堪能。

ミュージカル映画だが、歌の水準はあまり気にしないでいい。主演のメリル・ストリープが60歳近いなんて信じられないくらい、若々しく歌も踊りも頑張っていて好感度アップ。
結婚式前日に女性は女性どうし、男性は男性どうしのパーティがあって、ドナ&ザ・ダイナモスの頃の衣裳を身につけたオバサン3人組が昔とった杵柄パフォーマンスをするシーンも舞台の時から大好きだった。どうして昔の衣裳が着られるのよというあたりはツッコまないでおく(笑)物語が終って舞台のカテコにあたる部分も映画できっちり主要キャストがド派手衣裳で「恋のウォータールー」を歌って踊って盛り上がる。ジェームス・ボンド役者のピアース・ブロスナンまで胸が大きく開いたパンタロンスーツにハイヒールブーツだから、これは一見の価値あり!

この作品は幅広い世代に楽しんでもらえるようで、近くのシネコンでもけっこう上映がロングランで続いている(ちなみにMOVIXさいたまでは3/19までとのこと)。まだ観ていない皆さんにはおすすめしておきたい。

写真はこの映画のサントラCDの画像。主要キャストが楽しそうに写っている。