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パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

ビートルズのすべて 8 ロックアルバムの金字塔(5)

2012-03-11 | ビートルズ
音楽面や演奏サウンド展開では、『ラバー・ソウル』以来の多様で多彩な展開をさらに推し進めた。また、実験的な試みが実践され、成果を生んでいた。

『ラバー・ソウル』、『リボルバー』」では、ギター、ベース、ドラムスによるデビュー以来のアンサンブルを主体にキーボード、ホーンなどを加え、そこにテープスピードの変化、逆回転や、テープループの使用など、テープテクニックを加味して、斬新な演奏サウンドを展開していた。

『サージェント・ペパーズ』では、更なる変化が見られた。ギター、ベース、ドラムスによる基本のアンサンブルに、それぞれの楽器の音色に新たな工夫を凝らしていた。従来のありきたりの音から逸脱した新しい音色の追求。特にピアノをはじめ、キーボードをふんだんに起用し始めた。特に「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」で登場したメロトロンが、この『サージェント・ペパーズ』でもっ盛んに起用されている。ジョージ・マーティンのアレンジによるストリングスは多様化し、ホーンは多彩な音を奏でた。また、クラシック・現代音楽の手法を積極的に導入し、そのロック・ポピュラーミュージックと融合、一体化させた作品も含まれている。芸術面が評価される一面はここからもある。

音楽内とともに、評判になったのは、アルバムのカバーワークだ。架空のバンドの公演にやってきた聴衆が、ビ-トルズのバックにいるという構図。その聴衆としては、ビートルズのヒーロー・ヒロインから選ばれた人物、20世紀を代表するフィギアや造形物だった。裏表紙には赤地に歌詞が印刷された。これも初めてのことであった。これも評価を高めた。これ以降、アルバムのデザイン、形態など、アートワークにさまざまな工夫が凝らされるようになった。

また、アルバムに収録された作品の内容、構成が話題になった。アルバムそのものが一つの作品に即した作品で構成されていた。コンセプトアルバムと呼ばれ、ロックアルバムの構成に大きな影響を及ぼすことになる。いくつかの作品の組曲的な作品がみられるようになる。ロックオペラの登場も見られるようになる。

さまざまな面において既成概念を打ち破り、その枠組みを取っ払い、ロックミュージック、ポピュラーミュージックにおけるアルバムでの表現の可能性を示した画期的な作品であった。最後に本作の要となった「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を。

今回紹介された曲は、
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」 
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ(With A Little Help From My Friends)」
ジョンレノンの弾き語りによる「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー(Strawberry Fields Forever)」
最初のテイク「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」
発表テイク「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」
ビーチボーイズ「神のみぞ知る(God Only Knows)」
「ペニー・レイン(Penny Lane)」
「ア・デイ・イン・ザ・ライフA Day In The Life」

ビートルズのすべて 8 ロックアルバムの金字塔(4)

2012-01-29 | ビートルズ
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」「ペニー・レイン」は両A面であった。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は難解なせいか、ベストテンに入ったが、1位にはなれず、「ペニー・レイン」はアメリカでは1位になったが、イギリスでは2位止まりであった。

リバプールの少年時代を回顧したアルバムというテーマはこの2曲がなくなったために、新たなテーマが必要となった。そこで、ポールが提案したのが、ビートルズが架空のバンドを演じ、架空のアルバムを製作するということだった。とはいえ、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」「 ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」、そしてタイトル曲のリフレイン以外にこのテーマに沿ったものは見当たらない。
収録作品の歌詞からすると、回顧、追憶のテーマとした作品が多く、日常の周辺の出来事をテーマにした作品も目だっている。また、ジョンが息子のジュリアンをヒントにした、「 ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」。ジョンが骨董店で見つけた昔のポースターに描かれたバラエティショーをそのまま歌詞にした「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」。いずれもジョンの個性が際立っている。
ポールの作品では、「シーズ・リーヴィング・ホーム」の哀愁感が見逃せない。

ビートルズのすべて 8 ロックアルバムの金字塔(3)

2012-01-15 | ビートルズ
プロセスを説明しよう。
ジョンレノンの弾き語りによる「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」。このデモバージョンを元に、メンバーが集まり、取り直しを繰り返しながら、完成したが、ジョンは納得しなかった。さらに新たなバージョンを作るが、それにもジョンは納得しない。最初のバージョンと次のバージョンをつなぎ合わせることを提案する。しかし、テンポ、キーが異なる。キーやテープスピードを調整して完成した。
成果を聞いてみよう。最初のOKテイクを、そして、最初のOKテイクに再録音のOKテイクをつなぎ合わせ発表されたバージョン。

最初のOKテイクの2回目のBパート[No one I think is in my tree]は2回目のテイクで削除。また、[Let me take you down]というフレーズ2回繰り返されてしばらくのところがポイントだ。
1分10秒過ぎたあたりから、ギターのあったのが変わって、声が膨らんでいることから、つなぎ合わせたというのがわかる。
ジョンは、昔を思い出を語るだけではなく、ヘルプと同様、当時のジョンの内面の心の叫びを表現したものだった。

また、ポールの「ペニー・レイン」もかつてのリバプールでの少年時代の追想を込めたものだった。同時に「サージェント・ペパーズ」の製作意図を実現しようということあった。
同時にクリーンでアメリカっぽいサウンド。一つ一つの楽器の音がかぶらないサウンドだった。これは、ポールが繰り返し聞き、刺激を受けていた、ビーチボーイズのアルバム「ペット・サウンズ」に関連してのことだった。ビートルズの「ラバー・ソウル」を聞いて衝撃を受けた、メンバーのブライアン・ウィルソンがスタジオに入り、スタジオ・ミュージシャンと組んで完成させた。軽快で明るいサーフィンサウンドを看板にしていたビーチボーイズの従来のイメージを破った的な作品だった。内省的な観察による歌詞、独特なメロディ、コード展開、特にベースを基本にしたアンサンブルなど、発売当時、アメリカでは難解な作品として受け止められたが、イギリスでは高い評価を受け、後にビートルズを追い落とす存在にもなる。

ビーチボーイズ「神のみぞ知る(God Only Knows)」
「ペニー・レイン(Penny Lane)」

似てるような、似てないような。雰囲気が似ている。

ビートルズのすべて 8 ロックアルバムの金字塔(2)

2012-01-08 | ビートルズ
66年の夏、日本、フィリピン、イギリスへ帰って、アメリカ公演を行い、ライブ活動を中止する。その秋、メンバーは、66年初頭以来の休暇をとる。ステージから解放された反面、何をしていいかわからなかったとジョン。ジョージはインドに向かい、音楽はもとより、宗教・哲学に傾倒していく。リンゴはスペインへ。ポールはイギリスにいて、最新の文化・流行を吸収する。ミリタリールック、アーミールックもその一つだ。

66年の11月に、「サージェント・ペパーズ」はレコーディング開始、翌年4月まで130日129日、700時間の録音時間及んだ。最初に録音されたのは、ジョンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー(Strawberry Fields Forever)」。ポールが中心となって書いた「ホエン・アイム・シックスティー・フォー(When I'm Sixty-Four)」と「ペニー・レイン(Penny Lane)」の3曲だった。「ホエン・アイム・シックスティー・フォー 」は、ポールが15歳から16歳の頃、書いたといわれる作品で、すでにレパートリーに入れていた。「ストロベリー・フィールズ」は、ジョンが幼少期に遊んだリバプールの孤児院施設。少年時代の追憶を語った作品。ポールの「ペニー・レイン」もリバプールの実在の場所にちなんだ作品だった。

そうしたことから、メンバーが過ごしたリバプールの思い出の場所にちなんだ作品を集めるというのがアルバムのテーマになった。「ストロベリー・フィールズ」「ペニー・レイン」その2曲は、シングルとして先に発表され、このシングルはアルバムに収録されなかった。しかし、やがて登場する、「サージェント・ペパーズ」の内容を予告するような作品だった。たとえば、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は、後にビートルズアンソロジーにおいてその製作過程が明らかになっている。

ビートルズのすべて 8 ロックアルバムの金字塔(1)

2012-01-02 | ビートルズ
2012年、平成24年、明けまして・・・・・といいたいところだが、東日本大震災のことがあると、うかつにも言えない雰囲気がある。しかし、何らかの形で生きながらえている我々には、ひとつの節目として、あえて新玉の年を迎え、「おめでとう」という勇気を持とうと思う。
「ビートルズのすべて」の8回目は、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド  ロックアルバムの金字塔」だ。昨年1月三が日の放送からもう1年が経つ。早いのか、遅いのか、そんな時の流れの中で、日々は確実に過ぎていく。13回シリーズも8回目を向かえ、いよいよビートルズ最盛期へと突入する。

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、ビートルズ8枚目のアルバム。イギリスでは昭和42年(1967年)の6月1日に、アメリカは6月2日、日本では翌月の7月5日に発売された。
買えなくて、ロック・フォークの専門レコード喫茶店で聞いた。豪華なジャケットに目を見張った。カラフルミリタリー調のロングジャケットに身を包んだ4人。デビュー当時のビートルズの蝋人形、20世紀の著名人の顔写真の数々、前列には日本の福助の人形があった。

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」 
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ(With A Little Help From My Friends)」
お聞きください。

2曲はつながっているのであるが、
この後、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ(Lucy In The Sky With Diamonds)」
「ゲッティング・ベター(Getting Better)」
「フィクシング・ア・ホール(Fixing A Hole)」
「シーズ・リーヴィング・ホーム(She's Leaving Home)」
「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト(Being For The Benefit Of Mr. Kite!)」 
と切れ目なく、続いてあっという間にA面が終わる。

そして、B面は、ジョージのシタールの神秘的な響きのジョージの「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー(Within You Without You)」 
「ホエン・アイム・シックスティー・フォー(When I'm Sixty-Four)」
ユーモラスな「ラヴリー・リタ(Lovely Rita)」
朝の牧場の様子を描いたような「グッド・モーニング・グッド・モーニング(Good Morning Good Morning)」
そして、テーマが繰り返された後で、
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ(A Day In The Life)」。シリアスで重厚な響き。しかも、めまぐるしくサウンドが変化し、最後に大きなピアノ余韻を残して終わる。

「サージェント・ペパーズ」の演奏サウンドは、ジャケットそのもののように華麗でカラフルで、なおかつ幻想的で神秘的でした。それにもまして、曲が切れ目なく続き、目くるめく展開していくサウンドにしがみついていくのが精一杯だった。それから歌・演奏の迫力、インパクト、ダイナミズムに圧倒された。最後に不思議な逆回転のテープのノイズのようなものが聞こえてきた。これは、ピックアップを上げない限りしなければ、続く仕掛けのものであった。

今年がよい年でありますように。



ビートルズのすべて 7 ライブ活動の休止(5)

2011-12-23 | ビートルズ
1966年、アルバム『リボルバー』の発表前の6月29日に、ビートルズは日本に来日した。
翌30日から5回にわたり、日本公演が行われた。5月の3万人分のチケットに対し、21万人が応募した。その中には、新曲も含まれていた。7月1日昼の公演がテレビで放映された。驚いたのは4人のアンサンブルの見事さ、4人であるにもかかわらず演奏サウンドの豊かさだった。

ジョージのマイクがゆれていて、ジョージが歌いにくそうだったということ。ジョンがギターを弾き、ポールとジョージが一つのマイクを囲んでコーラスを歌うという、映画で見たビートルズをテレビで見たということに興奮を覚えた。

日本武道館でのライブから「ロック・アンド・ロール・ミュージック - Rock and Roll Music 」(Live At Nippon Budokan Hall)

日本は、この当時、エレキブームの最中にあり、この後、グループサウンズブームを迎えることになる。
8月にアメリカ公演を行うが、ジョンが年頭に行ったキリスト教発言に対し、アメリカでビートルズ排斥運動が起きる。このアメリカ公演を最後にビートルズは。ライブ活動を休止した。
「4年もの間、キャーキャー騒ぐ、ファンの間を逃げ回ってきたんだ。長い休みは1回だけ。だれも一つの持代が終わったと悔やんではいなかった。休みが必要だったんだ」とジョージ。

今回、紹介された曲は、「タックスマン(Taxman)」「ラヴ・ユー・トゥ(Love You To)」「エリナー・リグビー(Eleanor Rigby」「イエロー・サブマリン(Yellow Submarine)」「ロック・アンド・ロール・ミュージック - Rock and Roll Music 」の5曲。


ビートルズのすべて 7 ライブ活動の休止(4)

2011-12-18 | ビートルズ
一方のジョンは自らの体験を下にした作品を手がけている。この時期、ビートルズのメンバーは、相次いでドラックを体験する。その幻覚的な体験を作品演奏サウンドに具現化しようとする。この多くはドラック体験を反映したものが多い。

「シー・セッド・シー・セッド - She Said She Said」は、まさにこの体験を明らかにしたもの。
「アイム・オンリー・スリーピング - I'm Only Sleeping」では、現代社会への批判も織り込まれていた。
大きな話題になったのは、アルバムを締めくくる「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ - Tomorrow Never Knows」だ。
チベットに関わる難解な歌詞以上に、テープレコーダを駆使したテープスピード操作、逆回転、ループテクニックなど、映像で使われていたテクニックにより、見出された斬新なサウンドが話題になった。

ベース、ドラムスは、最新のアメリカのソウルミュージックから、迫力、リアル、ダイナミックな音の再現を、スタジオミュージシャンに要求していった。つまり、ビートルズのアイデアをスタッフ一丸となって実現していった。
この代表作が、リンゴがボーカルをとった、「イエロー・サブマリン(Yellow Submarine)」だ。子供たちに聞かせる話として、ポールが中心となりジョンが手伝った。


ビートルズのすべて 7 ライブ活動の休止(3)

2011-12-11 | ビートルズ
その後、メンバーもインドの宗教・文化に傾倒していくようになる。

ポールの「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ - Got To Get You Into My Life」も、アメリカのソウルミュージックへの傾倒を物語るものであり、ビートルズ作品としてはじめてブラスセクションを起用したことで話題になった。アメリカ南部のメンフィスホーンを意識したものであるが、より高質でメタリックな音質、スタイルであった。
何よりも話題を呼んだのは「エリナー・リグビー(Eleanor Rigby」であった。結婚式で飛び散るお米を拾うエリナ・リグビー、誰一人として耳を傾けない説教の文句をしたため続けるマッケンジー神父。世の中から忘れ去られた人々の孤独、信者の様をリアル描いた作品で、ストリングス演奏の寂寥感が、作品の心情を描き出している。

ビートルズのすべて 7 ライブ活動の休止(2)

2011-12-04 | ビートルズ
アルバム『リボルバー』は、前作『ラバー・ソウル』同様、収録されている作品すべて、ビートルズのメンバーによるオリジナルである。レノン-マッカートニーのコンビが11作品。
その形成過程には、ジョンとポールの共同、主と従、単独さまざまな形があるが、リードボーカルをとっているのが、主に作品をリードしている。

今回はジョージが3曲。ソングライターとしての評価、存在を注目させることになる。
それが、アルバムの幕開けを飾る「タックスマン(Taxman)」だ。いくら稼いでも、税金で持っていかれるという皮肉の聞いた内容だ。前作、ラバーソウル以来のアメリカのソウルミュージックへの傾倒とハードロックギターが聞きもの。
また、インド音楽への傾倒し、インドの楽器シタールを起用使い、インド系ミュージシャンを向かえ作られた「ラヴ・ユー・トゥ(Love You To)」である。前作「ラバーソウル」のノルウェーの森(ノーウェジアン・ウッド)( Norwegian Wood) 」でシタール演奏披露したジョージであったが。今回はよりインド音楽への傾倒が深くなっていった。

ビートルズのすべて 7 ライブ活動の休止(1)

2011-10-10 | ビートルズ
7回目は、「リボルバー - Revolver ビートルズの来日公演 ライブ活動の休止と意欲的な音楽制作への取り組み」だ。

「イエロー・サブマリン(Yellow Submarine)」が、1966年(昭和41年)8月、日本では、2ヵ月後の10月に発売された。その年のはじめ、シングル「恋を抱きしめよう("We Can Work It Out")」、アルバム『ラバー・ソウル(Rubber Soul)』が、イギリス、アメリカで1位にランクされた時期、ビートルズはデビュー以来はじめての3ヶ月近いの休暇を得た。

英気を養い4月から6月にかけて2ヶ月間、スタジオにこもり、レコーディングを行った。この16曲の内、6月に「ペイパーバック・ライター(Paperback Writer)」と「レイン(Rain)」がシングルカット。残る14曲が『リボルバー』に収録された。アルバム『ラバー・ソウル』を一歩進化させていて、前編・後編といった意味がある。

それまでの録音は、ライブ演奏をいかに再現するかを重視していた。つまり、2本のギター、ベース、ドラムスからなる4人のアンサンブルを、いかに一体化させるかに主眼を置いていた。しかし、アルバム『ヘルプ』の頃から、より幅広い音楽性を取り入れるようになる。そのため、演奏サウンドの展開の充実を図るために、レコーディングのスタイル、方法論が改められることになる。根底には、ライブツアーでは同じことの繰り返しばかりでは、あき始めたこと。演奏技術能力の低下や、創作意欲の欠如など将来への不安恐れがあった。

ライブ感覚表現を重視しながら、望みどおりのサウンド・編曲を追求、実現するため、新しい楽器機材方法を取り入れはじめる。実験的な試みを実施し、成果を得る。そうした結果、ライブでは再現不可能な作品が登場し、やがて、ライブ活動を中止する要因となった。