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パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

ビートルズのすべて 6 ロックンロールからロックへ(5)

2011-09-25 | ビートルズ
「アイドルの時代は終わった。もっと幅広い音楽に挑戦したい」とポールはこのラバーソウル製作前後にコメントしている。発表当時に大きな話題を呼んだ。作品・演奏・サウンドなど音楽内容の充実、完成度の高さが評価されたからだ。なによりも話題になったのはポップスアルバムといえば、従来は、シングルを中心に雑多にさまざまな作品を集大成したものがほとんどであった。『ラバー・ソウル(Rubber Soul) 』は、一つ一つの作品が粒ぞろいで、それぞれに価値のある作品で構成されていた。その後のロックミュージックに影響を与えた。

65年音楽史に偉業を打ち立てることになる。ビートルズは、65年8月の3度目のアメリカ横断公演で、ニューヨークのシェイ・スタジアムで55,000人近い観客を動員した。スタジアムコンサートの先駆けとなった。また、4人は10月に、エリザベス女王から大英帝国彰勲章 (Members of the Order of British Empire: MBE)を送られた。

今回、紹介された曲は
ザ・バーズ「ミスター・タンブリン・マン」
ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」
「ドライヴ・マイ・カー( Drive My Car)」
ノルウェーの森(ノーウェジアン・ウッド)( Norwegian Wood) 」
「イン・マイ・ライフ」(In My Life)
「ミッシェル(Michelle)」
「恋をするなら(イフ・アイ・ニーデド・サムワン)(If I Needed Someone)」
の7曲だ。

ビートルズのすべて 6 ロックンロールからロックへ(4)

2011-09-24 | ビートルズ
さて、ジョンの作品では、内面的なソウル精神性を追求した作品が多くなる。

『ビートルズ・フォー・セール(Beatles For Sale)』の「アイム・ア・ルーザー( I'm A Loser)」。『ヘルプ! - Help! 』の「 悲しみはぶっとばせ(You've Got To Hide Your Love Away)」など、ボブ・ディランの影響を受け、歌詞作りをした。「愛のことば(ザ・ワード(ザ・ワーズ)) (The Word) 」は、愛についての考察、「ノルウェーの森(ノーウェジアン・ウッド) (Norwegian Wood) 」は、神秘的な女性との出会い語らいを描いた。音楽的にはジョージのシタールが、神秘的活幻想的なイメージを醸し出した。

ノルウェーの森(ノーウェジアン・ウッド)( Norwegian Wood) 」

空虚な世界にいる行き場のない男を描いた「ひとりぼっちのあいつ(ノーホエア・マン)(Nowhere Man)

「イン・マイ・ライフ」(In My Life)は、ジョンが自分の人生について振り返った作品だ。ポールは自分も関わったと主張している。間奏で、ジョージ・マーティンが優雅で気品のあるピアノ演奏を引いている。この演奏は、テープスピードを落として録音し、本来のスピードで再生したものだ。「イエスタデイ(Yesterday)」の弦楽とともに、当時は、画期的な試みであった。

「イン・マイ・ライフ」(In My Life)

「ガール(Girl)」は、理想の女性像を描いた。バック・コーラスの「ティ・ティ・ティ(tit tit tit....)は、女性の乳房のことだという。

一方のポールの代表曲は、「ミッシェル(Michelle)」だ。『4人はアイドル』("Help!")での「イエスタデイ(Yesterday)」の流れを組むバラードだ。感傷的というよりも甘さのある作品だ。歌詞に「アイ・ラブ・ユー」と繰り返すところがある。これはジョンが書き加えた。

「ミッシェル(Michelle)」
フランス語が入ることでフレンチ主義的な感じもする。

この『ラバー・ソウル』はアメリカのソウルミュージックの影響を受けた、ストレートでワイルドなナンバーがあると思えば、このようにバラードもある。なにか英国の神秘性や自然、イングランドグリーン、英国風庭園などを思い浮かべる。まさにイギリスのソウルだ。

ジョージは、ソウル作品を下敷きにした「嘘つき女(シンク・フォー・ユアセルフ)(Think For Yourself)」、フォークロック調の「恋をするなら(イフ・アイ・ニーデド・サムワン)(If I Needed Someone)」の2曲を提供している。ことに「恋をするなら」は、12弦のエレクトリックギターによるリフ(演奏)が特徴だ。先ほどのザ・バーズ「ミスター・タンブリン・マン」を思い出す。

「恋をするなら(イフ・アイ・ニーデド・サムワン)(If I Needed Someone)」

ビートルズのすべて 6 ロックンロールからロックへ(3)

2011-09-23 | ビートルズ
『ラバー・ソウル(Rubber Soul) 』は、そうしたイギリスでの音楽背景のもと、アメリカの最新の動向をにらみながら、独自の解釈によるオリジナルな音楽の創造を目指し、実践したものだ。ジョンは、最初僕らは他人のまねから始まった。そのうち自分たちのスタイル、レコーディングのあらゆるテクニックを試みたのが『ラバー・ソウル』だったという。

そのタイトルは、アメリカのブルースメンがミック・ジャガーの歌を評して、プラスティック・ソウルと評したのをポールが聞いて、プラステックをもじってラバーにしたという。いずれにしても、アメリカのソウルミュージックへの傾倒、その一方で、イギリス人による独自のソウルミュージック、また、独自性のある音楽を作ることが、このアルバムの根底にあるテーマとなった。アルバムの最初を飾る「ドライヴ・マイ・カー( Drive My Car)」は、アメリカのソウルミュージックへの傾倒を物語るものだ。

「ドライヴ・マイ・カー( Drive My Car)」

ビートルズのすべて 6 ロックンロールからロックへ(2)

2011-09-19 | ビートルズ
前後して、フォークに取り組んでいたミュージシャンの中には、ビートルズの登場に続いたイギリスのビートグループに刺激を受け、ロックンロールバンドへと転向していた。ビートルズの知的な音楽の探究心に見せられたというわけだ。ビートルズのコピーバンドをしていたバーズもボブディランの曲を起用し、デビューする。それが、「ミスター・タンブリン・マン」だ。

ザ・バーズ「ミスター・タンブリン・マン」。スタイルはビートルズ風、曲はボブ・ディラン。

この曲は、65年6月に全米チャート1位になる。そして、衝撃的だったのは、フォークのヒーローであったボブ・ディランがエレクトリックギターを持ち、ロックバンドをバックに歌い始めたことであった。多くのファンに非難を浴びることになった。しかし、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のヒットにより、その存在意義を広く認識させることになる。

ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」。

このようにボブ・ディランは、60年代のロック革命の担い手として、時代をリードする存在になる。前後して、アメリカでは、ロックンロールの一端を担っていたリズム&ブルースが、変貌を遂げ、都会的で洗練されたポップな持ち味のあるソウルミュージックが台頭する。中でもダイアナ・ロスを看板とするスプリームスは、立て続けにヒットを飛ばし、人気を得ていく。そうしたアメリカの音楽動向は、イギリスにも伝わり、アメリカのソウルヒットを下敷きにしたグループが登場する。ザ・フー、スモール・フェイセスが代表である。


ビートルズのすべて 6 ロックンロールからロックへ(1)

2011-09-18 | ビートルズ
6回目は、「ラバーソウル ロックンロールからロックへ」だ。

『ラバー・ソウル(Rubber Soul) 』は、1965年12月に発売された。ビートルズにとって6枚目のアルバムだった。前作のヘルプから4ヶ月しかたっていない。でも、すべて、ビートルズのオリジナル作品だ。レノン-マッカートニーが11曲、ジョージが2曲提供し、レノン-マッカートニーという共作にリンゴが加わったのが1曲という。

1965年がロックミュージックにおいて一つの大きな節目の年となった。60年代のロック革命という名称がつくが、ボブ・ディランとともに、ビートルズこそが担い手であり、時代をリードする先鋭的な存在だった。この『ラバー・ソウル』こそが、その発端となったアルバムだった。

65年は、2月にアメリカの北ベトナムへの北爆が開始され、ベトナム戦争への介入が本格化していく。国内では南部での黒人の公民権動が一般に認知され、ベトナム戦争への反対運動が大きな盛り上がりを見せていく。ポピュラー界では、ビートルズらのブリティシュ・インベンジョンに続いて、フォークロックが登場し、しばし、ブームを呼ぶことになる。

アメリカでは、50年代半ば過ぎから知識層や学生層を中心にモダンフォークが多きな盛り上がりを見せていた。伝統的な念頭的なフォークを現代化し、ボブ・ディランなどのシンガーソングライターの作品を歌い始める。しかも、モダンフォークは公民権運動などとかかわりをもち、社会的なテーマに取り組み、社会条項を描き、体制を批判したプロテストソングを相次いで発表した、ボブ・ディランがフォークヒーローとしてもてはやされたのもそんな時代背景があったからだ。

ビートルズのすべて 5 4人はアイドル(5)

2011-09-17 | ビートルズ
これはジョンの作品もそうだ。このアルバム以降内省的な観察による味わい深い作品を生み出す。
ジョージも映画で起用された「アイ・ニード・ユー(I Need You)」、そして、カントリーソング風の「ユー・ライク・ミー・トゥ・マッチ - You Like Me Too Much」の2曲 を手がけた。
リンゴがボーカルの「アクト・ナチュラリー(Act Naturally)」もカントリーソングだ。

このアルバムは、カントリーやフォークロック風の色彩があり、ロックンロールを基本にしながら、歌詞を含め、作品の充実をはかり、音楽的な幅を広げていく。

4人の個性、特にジョンとポールの個性がより際立っていく。競争心、好対照を見せる個性、サウンド展開の充実を高めることになる。

5回目で紹介された曲は、
「自由の鐘(Chimes of freedom)」
「 悲しみはぶっとばせ(You've Got To Hide Your Love Away)」
「イエスタデイ(Yesterday)」ポール一人弾き語りバージョン
「イエスタデイ(Yesterday)」発表されたストリングスバージョン
の4曲であった。

ビートルズのすべて 5 4人はアイドル(4)

2011-08-07 | ビートルズ
一方、ポールは「ザ・ナイト・ビフォア(The Night Before)」、カントリーミュージック的な「夢の人(I've Just Seen A Face)」を手がけた。そして、なんといっても「イエスタデイ(Yesterday)」だ。
当初の題名は「スクランブルド・エッグス」で、歌詞もできていた。みんなとジョージ・マーチンの助言で、ポール一人の弾き語り、そして、少人数のストリングスを加えることになった。

「イエスタデイ(Yesterday)」のポール一人弾き語りバージョン、発表されたストリングスバージョンの2曲を聴く。

ジョージ・マーチンは、ストリングスの導入は当時のポップス界にとっては、大きな一歩だったという。クラシックの弦楽4重奏を取り入れ、感傷的で、郷愁に満ちたメロディの美しさ親しみやすさ、普遍性。そして、ポールのやさしく、情感に富んだ歌声。
この作品で、ビートルズに親しんだというファンも少なくない。ビートの聴いた演奏、ワイルドなシャウトを看板にしたロックンロールバンドというイメージを打ち破るものだった。ただ、これまでのビートルズの魅力はロックンロールにあり、というファンにとってはいささか不満で、評価が分かれた曲でもある。小倉自体も好きな作品に挙げることはないという。この「イエスタデイ(Yesterday)」が、イギリスでシングルカットされなかったのも、ポールが、僕たちはロックンロールバンドだと言ったことよる。

ファン層を広げ、新たな音楽展開をもたらすものであった。

ビートルズのすべて 5 4人はアイドル(3)

2011-07-24 | ビートルズ
ボブ・ディランを知ったのは、64年パリに滞在したときだった。ジョンは、その歌詞作りに影響を受けた。
ボブ・ディランは、当時、「風に吹かれて」「時代は変わる」など、当時の社会事情を背景にプロテクトソングを歌っていた。フォークヒーローとして、そして、時代のリーダーとして見なされていた。その後、内面思考に移り、エレクトリックギターを携え、ロックへと転向することになる。

紹介されたのは、ボブディラン「自由の鐘(Chimes of freedom)」
「悲しみはぶっとばせ(You've Got To Hide Your Love Away)」
雰囲気が似ている。

ビートルズのすべて 5 4人はアイドル(2)

2011-07-18 | ビートルズ
アルバム作品は、これまでのアルバムと趣を異にしている。発表当時は映画のサウンドトラックとして捉えられたが、後に音楽的に評価されることとなる。それは、初期のロックンロールを主体とした意識したものから脱皮し、多様で多彩な音楽性を取り入れ、音楽的な幅を広げ、姿勢に変化の兆しを見せ始めたアルバムとして。

「ヘルプ! (Help!)」は、当時のジョンの私的な叫びだという。ビートルズの何もかもがわからなくなり、豚のように飲み食い、肥え、太る自分に嫌気が差していた。無意識のうちに助けを求めていたという。
そのジョンの歌詞に変化の見られたのが、「 悲しみはぶっとばせ(You've Got To Hide Your Love Away)」だ。
これは、12弦のアコーステックギターで、弾き語りで歌われるこの作品は、あきらかにフォークであり、それもボブ・ディランの影響を受けたものである。
それは、前作の「ビートルズ・フォー・セール(Beatles For Sale)」の「アイム・ア・ルーザー( I'm A Loser)私は敗残者、負け犬」である。

ビートルズのすべて 5 4人はアイドル(1)

2011-06-26 | ビートルズ
5回目は、「4人はアイドル ヘルプ アイドルとしての苦悩と音楽制作への意欲」であった。

ビートルズのアルバム『4人はアイドル (Help!) 』が発表されたのは、65年の8月である。

5枚目のアルバムであり、2作目の主演映画のサウンドトラックアルバムでもある。映画で使われたのは、アナログディスクのA面に収録されていた7曲。とはいえ、他の作品もこの映画のために作られたものである。
その中でも「涙の乗車券( Ticket To Ride)」は、映画の公開に先駆けて1965年4月に売り出されたビートルズ7枚目のシングルだ。

映画『4人はアイドル (Help!) 』は、前作と異なり、カラー作品で、冒険活劇的な娯楽的な作品であった。主役はリンゴで、指輪をめぐり、カルト的な集団がリンゴを追い回すという展開だった。
ジョンは、この作品については不満だったという。最大の魅力は、その演奏が見られるということであろう。