光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ウラナミシジミ

2008-10-11 18:57:21 | 虫、その他
  再び秋のお天気が戻りつつある。きのうふとのぞいたところに、小さなチョウなどがいたが、きょう再びそこに行ってみると、きのう同様シジミチョウと思われる、チョウがいた。雨が降った後で、お天気も変化の激しいものだったが、そこにいたシジミチョウは、「ウラナミシジミ」のようで、このような名前も初めて書くし、初めて見たものである。

  秋であって、しかしきのうまで少しの間かなり暑く、今日はどんな天気になるか、楽しみでもあった。お天気に期待した。これだと、お金もかからない。朝に来た新聞の中に、本体より厚い広告の束があって、これを投げ込むのに時間がかかっただろう。朝のいつの時間にこの新聞は届いたか、わからない。秋であって、行楽の秋がある。「モミジ」という文字が思い出される。紅葉か、山に行くときれいだろうな。これも、すでに広告のような冊子に紹介されていて、見所案内が満載である。

  ある方は、少しおかしいと思う。印刷物の場合、時間もかかるし、リアルタイムに近いものは新聞だけど、この冊子を作るのには時間がかかる。それなのに、見事な紅葉が出ている。もしかして、これは去年かそれより前の写真かな、そう思うのが当然で、世の中、一年先のことが今は行なわれている場合がある。

  最近は姉が来てくれるときに、一緒に母を買い物に連れていってくれる。やっぱり、たまにはそうゆうところに行って色々な品物を見て、頭の活性化をはからないといけない、姉は姉なりで母のことを心配してくれる。世間話も、人が変われば違うだろうし、まあー何より日常でないところに行く刺激は大きいと思う。ただ、母も、もう最近は外にあまりでないし、長く歩くこともないので、実際のところ、買い物に行くのは結構な負担になる感じもする。昔のことを思うと、
  ごく普通にそれこそ片道30分くらい歩いて、それから買い物をして、また帰ってきて、それからいろいろなことをやって、その後に食事の用意が待っていた。そうゆうのが自然であって、誰も不思議に思わなかった。でも、やっぱり人には限界みたいなものがあって、いつでもどこでも、いつの時代にでも飛んで歩くことが出来るということはなくなるようだ。歩くことが基本であって、これがいやになると、困ったことになる。

  もう歩くことをだんだんしなくなって1年はたったかも知れない。でも考えてみると実に長い間、歩いていたことになる。自分の年齢のときなどは、まったくピンピンしていた。しかしこれまた、不思議なことに、いくつになられても、私が存じあげているある方は、まだしっかりと歩いておられる。杖を突いて、前に自分を支えてくれるようなものを置いて、歩いている方もおられる。歩くのが好き、と今も元気に歩いておられる方はいわれた。ずいぶんと体も小さいが、しっかりと歩いている。歩くのが基本で、またあちこちこれまでとどこが変わっているか、確かめたりする。こうゆうことって、ただ好きでは出来ないような気もするが、せめて、歩くことだけは多少はしんどいわいと思いつつも、やらないといけない。まだまだその方に比べると、若いはずである私は思う。

  そうゆうこともあって、歩くのに適した温度にもなって、きのう発見した、チョウのたくさんいる、白い小さな花の咲く植物のそばに、これも他にも寄り道をして時間がたって、しかしもう一度行ってみることにしたのだが、その植物の花の蜜を盛んに吸っていたのが、ウラナミシジミなのである。これも、あとから、いつも参考にさせてもらっている、「昆虫エクスプローラ」さんで、調べた結果、そのようであるということになった。




  向こう側が明るく逆光になって、暗くなってしまった。明るくして、翅のようすを見て、初めてこれは今までの知っているシジミチョウではないことに気付く。ツバメシジミでもなく、ウラナミシジミが一番適当なように思える。




  かなり老化した、ウラナミシジミのようだ。小さなチョウだし、思うような方向を向いてくれないし、またモンシロチョウなども接近するから、やりにくいものがある。



  
  最初のチョウが、ようやく反対を向いてくれた。この後、モンシロチョウが接近してこのチョウはどこかへいった。




  疲労感漂うチョウが翅を広げて、こちら側を向いてくれる。こちらのチョウは、私がそこを去るまで、去った後もこの花にいたはずである。  

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