きのうは日曜日で、今日は月曜だが、今日が日曜な感じもする。そのきのうの日曜の
午後の4時過ぎだったと思うが、
ピンポーンといういやなチャイムの音が鳴った。
もうずいぶんと気温も下がっているし、半分は疲れてゴロゴロとして、TVを見ていた。
たしか、デジタルとアナログの違いはわかりますか、というところから始まったので
そのTVは、NHKのEテレのほうだったと思う。
二度チャイムは鳴る。でも町内会費にしては早いな。だが、よろよろと降りてゆくと
町内会費です、と言われた。まるで名前を言うように。戸を開ける。そうして、お札が一枚消えた。
ご苦労様でしたともいう。
その後のことより、その前のことのほうが明るくていい。
地図を見ていると、楽しい。今は眼鏡もはずして、裸眼で高等学校の地図帳ではない、地図帳を
見る。昔の国名というと、ここは越中。
九州を見る。知らない地形や町の山の市の名前が多いな。長崎か。佐世保はここで、あとは平戸は
どこだ。長崎とか佐賀とか、熊本かは境界も複雑だが、地形もグジャグジャだな、それに島も
あるし。有明海か、ここが。それにしてもずいぶんと海は陸の中にまでいり込んでいる。
目が疲れる。さっきから15分たっていない。中国、四国をサラッと見て、関西へと来た。
ここには昔住んでいた。阪和線に、「さかいし」、という駅名があるが、昔は「かなおか」だった。
近畿日本鉄道の、大阪線というのを見る。布施からは、奈良線と分かれる。
あとは信貴山に行くときも注意が必要で、信貴山は何度か行った。その前に八尾という駅があるが、
これは大阪の人は、あるいは関西の人はみな、「やお」と読む。
その後は三重県の津に住むことになって、大阪から去るときも、この近鉄の大阪線に乗った。
伊勢中川から、名古屋線に乗り換えて、津新町についた。
長くなりそうで短くしないと。父と一度だけ、たしか学生のとき、夏休みかに、奈良に行った
ことがある。休みでゴロゴロしていて、どっかへ行ったらと言われたので、奈良に行ったのだが。
途中、亀山まで紀勢本線で行って、その後に関西本線に乗り換えたのだが、奈良に着く前に、気持ち
悪くなって、ある駅について、トイレへと走った。
関西本線はいかにもわかりにくい線路で、乗り間違える可能性がある。どこから出ているのか、
どこへと行くのか。一方の名古屋はわかるが。それでも何度か乗換えをして奈良に着いた。
そこから東大寺とかいったのだが、ここは何度も行っていて、それでも中に入ったかも。
ここのお寺のある柱に穴があって、そこを通り抜けるとどうのこうのというのは誰でも
知っていたが、そのときはどうだったか。しかし、難儀した記憶はあってそれ以来
そうゆう儀式はしないことになっている。
珍しく若草山に登った。ここまで書いて昔もこのことを書いたと思うが、これはしょうがないこと。
結構急な勾配。上には上がる、かなり上がった。無事足をくじくことなく降りた。
何にも買わなかった。帰りに、近鉄の奈良駅から、大阪線へと行く特急に乗った。
奈良からどこまでだったか、わずかの時間だが、乗った。憧れの特急に。
大阪線からの帰りは、普通の急行。
考えてみると、よく迷子にならないで帰れたものだと思う。
奈良の町くらいなら迷うこともないだろうが、昔の富山の町も、もっともそれほど昔でもないが、
路面電車はあちこちに走っていて、今よりははるかに迷うことは多かったと、もし見知らぬ土地
から来た方だと、思う。もっともバスは今でも、路線は減ったが、迷うし第一、来ないときも
あったが、一本乗り遅れると、日が傾く。
おのぼりさんになって、都に出たとき、これは大変なところに来たと思った。
今はもっと大変だろう。そうゆう思い出を書くことも許されると思う。私の一番に、東京での記憶に
今でも残ることは、当時の王子駅の上での、上野・大宮間での新幹線の工事だろう。これが超大変な
ことになっていて、何しろ都電の駅の上で、新幹線の高架を作っていた。空中工事である。
東北本線もあったね。
下のほうも足の踏み場もなかった感じがする。よくあーゆうことが出来るな。
もっとも、その当時の、今もだが残る都電はひとつ。間違えるのは降りる駅の名。
30分で地図帳を見るのをやめた。気持ち悪くなったから。
で、画像はそのさらに前の時間。まだ日は沈まないが、雪と風が吹き荒れたときで
でもこの光景はなかなかよかった。それでも夜に晴れるという確信はそのときはなかったが。
あと、朝も書いたが、明けの明星。これは本来ならもっと早く気が付いたと思う。
でもこの悪天候が続く北陸で、さらに朝は寒すぎて、なかなか起きてすぐに窓は
開けられない。今日はしかし、なんでこんなことになったのかな。
先に明けの明星、金星、それと月。
その一。目で見ると、空はもうある程度明るいといっていい。金星は地球側にあるので、
ものすごく明るい。知らないと、ちょっとびっくりする。
画像で本物の金星の明るさ、空の明るさを伝えるのはむつかしい。
その二。これは、空が明るくなってきたときだが、電線の上に、Venus。
その三。月といっしょに。その二の電線の上の金星がわかれば、この絵でもわかるはず。
きのうの夕刻前の時雨空。この後に町内会費。
その四。
その五。
その六。
その七。
その八
その九。
その十。
その十一。
今日は久々に風呂場の様子を見たが、窓を開けているということもあるが、なんと窓のそばに
置いてある、風呂用のタライの水まで氷が張っていた。
今気が付いたが、浴槽が身体を沈めるところで、ここに水は張ってあるので、ボイラは凍結防止で
夜中も燃えている。で、風呂桶っていうと、身体洗うための水をざっと流す入れ物のことだな。
これを峻別しないと、うまく話しも伝わらない。あー恥ずかしい。
午後の4時過ぎだったと思うが、
ピンポーンといういやなチャイムの音が鳴った。
もうずいぶんと気温も下がっているし、半分は疲れてゴロゴロとして、TVを見ていた。
たしか、デジタルとアナログの違いはわかりますか、というところから始まったので
そのTVは、NHKのEテレのほうだったと思う。
二度チャイムは鳴る。でも町内会費にしては早いな。だが、よろよろと降りてゆくと
町内会費です、と言われた。まるで名前を言うように。戸を開ける。そうして、お札が一枚消えた。
ご苦労様でしたともいう。
その後のことより、その前のことのほうが明るくていい。
地図を見ていると、楽しい。今は眼鏡もはずして、裸眼で高等学校の地図帳ではない、地図帳を
見る。昔の国名というと、ここは越中。
九州を見る。知らない地形や町の山の市の名前が多いな。長崎か。佐世保はここで、あとは平戸は
どこだ。長崎とか佐賀とか、熊本かは境界も複雑だが、地形もグジャグジャだな、それに島も
あるし。有明海か、ここが。それにしてもずいぶんと海は陸の中にまでいり込んでいる。
目が疲れる。さっきから15分たっていない。中国、四国をサラッと見て、関西へと来た。
ここには昔住んでいた。阪和線に、「さかいし」、という駅名があるが、昔は「かなおか」だった。
近畿日本鉄道の、大阪線というのを見る。布施からは、奈良線と分かれる。
あとは信貴山に行くときも注意が必要で、信貴山は何度か行った。その前に八尾という駅があるが、
これは大阪の人は、あるいは関西の人はみな、「やお」と読む。
その後は三重県の津に住むことになって、大阪から去るときも、この近鉄の大阪線に乗った。
伊勢中川から、名古屋線に乗り換えて、津新町についた。
長くなりそうで短くしないと。父と一度だけ、たしか学生のとき、夏休みかに、奈良に行った
ことがある。休みでゴロゴロしていて、どっかへ行ったらと言われたので、奈良に行ったのだが。
途中、亀山まで紀勢本線で行って、その後に関西本線に乗り換えたのだが、奈良に着く前に、気持ち
悪くなって、ある駅について、トイレへと走った。
関西本線はいかにもわかりにくい線路で、乗り間違える可能性がある。どこから出ているのか、
どこへと行くのか。一方の名古屋はわかるが。それでも何度か乗換えをして奈良に着いた。
そこから東大寺とかいったのだが、ここは何度も行っていて、それでも中に入ったかも。
ここのお寺のある柱に穴があって、そこを通り抜けるとどうのこうのというのは誰でも
知っていたが、そのときはどうだったか。しかし、難儀した記憶はあってそれ以来
そうゆう儀式はしないことになっている。
珍しく若草山に登った。ここまで書いて昔もこのことを書いたと思うが、これはしょうがないこと。
結構急な勾配。上には上がる、かなり上がった。無事足をくじくことなく降りた。
何にも買わなかった。帰りに、近鉄の奈良駅から、大阪線へと行く特急に乗った。
奈良からどこまでだったか、わずかの時間だが、乗った。憧れの特急に。
大阪線からの帰りは、普通の急行。
考えてみると、よく迷子にならないで帰れたものだと思う。
奈良の町くらいなら迷うこともないだろうが、昔の富山の町も、もっともそれほど昔でもないが、
路面電車はあちこちに走っていて、今よりははるかに迷うことは多かったと、もし見知らぬ土地
から来た方だと、思う。もっともバスは今でも、路線は減ったが、迷うし第一、来ないときも
あったが、一本乗り遅れると、日が傾く。
おのぼりさんになって、都に出たとき、これは大変なところに来たと思った。
今はもっと大変だろう。そうゆう思い出を書くことも許されると思う。私の一番に、東京での記憶に
今でも残ることは、当時の王子駅の上での、上野・大宮間での新幹線の工事だろう。これが超大変な
ことになっていて、何しろ都電の駅の上で、新幹線の高架を作っていた。空中工事である。
東北本線もあったね。
下のほうも足の踏み場もなかった感じがする。よくあーゆうことが出来るな。
もっとも、その当時の、今もだが残る都電はひとつ。間違えるのは降りる駅の名。
30分で地図帳を見るのをやめた。気持ち悪くなったから。
で、画像はそのさらに前の時間。まだ日は沈まないが、雪と風が吹き荒れたときで
でもこの光景はなかなかよかった。それでも夜に晴れるという確信はそのときはなかったが。
あと、朝も書いたが、明けの明星。これは本来ならもっと早く気が付いたと思う。
でもこの悪天候が続く北陸で、さらに朝は寒すぎて、なかなか起きてすぐに窓は
開けられない。今日はしかし、なんでこんなことになったのかな。
先に明けの明星、金星、それと月。
その一。目で見ると、空はもうある程度明るいといっていい。金星は地球側にあるので、
ものすごく明るい。知らないと、ちょっとびっくりする。
画像で本物の金星の明るさ、空の明るさを伝えるのはむつかしい。
その二。これは、空が明るくなってきたときだが、電線の上に、Venus。
その三。月といっしょに。その二の電線の上の金星がわかれば、この絵でもわかるはず。
きのうの夕刻前の時雨空。この後に町内会費。
その四。
その五。
その六。
その七。
その八
その九。
その十。
その十一。
今日は久々に風呂場の様子を見たが、窓を開けているということもあるが、なんと窓のそばに
置いてある、風呂用のタライの水まで氷が張っていた。
今気が付いたが、浴槽が身体を沈めるところで、ここに水は張ってあるので、ボイラは凍結防止で
夜中も燃えている。で、風呂桶っていうと、身体洗うための水をざっと流す入れ物のことだな。
これを峻別しないと、うまく話しも伝わらない。あー恥ずかしい。