雨がときに激しく降って、雷はボチボチ程度。お正月の感じはない。
なんか寂しい書き出しだな。
黒い方のネコが、朝は早くから来たので、まだ顔をも洗っていない。で
お正月だからと考え直して、きのう焼いた肉とか蒲鉾をあげた。
冷蔵庫の中にあるので、冷たいが、このネコはネコ舌。
ただ油までは凍らず、これをあげるのも大変である。適量にした。
この後待っているのが、一枚というか片身100円のサバ・フィーレで、
これはさすがに塩分多く、ネコにもあげられない。もっともネコも食べない。
サバは、青魚で足が速い、という難点があるが、なんで足が速いというか、
昔記憶したが今は忘れた、いいものはこれくらい高値の高級魚はない。
酢でしめたものもうまいし、鮨もうまいし、刺身だってある。だが、とんでもなく今は高い。
大衆酒場は古すぎて、チェーン店の居酒屋さんなどでは、昔むかしは、イワシの
刺身が結構安く、それも結構うまかった記憶があるが、同じくあまり見かけないし
市場、あるいは港のそばでないと、いいものも手に入らない。
これらの魚は、栄養的に見てもいいものが多い。
背反二律的な魚だ?といえる。塩すると長持ちするようだが、これも限度がある。
栄養的なものは、あまり変わらないだろうとは思うが。ただ塩っぱいものは
私は嫌いなので、塩分が濃いと食べないで捨てることもある。
ネコの話しでいらんことまた書いた。
このところ、先週の木曜以来、外歩いたという感覚はない。ゴミ捨てにいったくらい。
で、その木曜に戻ると、寒いけどこれもゴミの日だったからか、ゴミ置き場のそばに人はいて
どうもお年寄りが多い。で、いえへと帰るお二人の方がなにやら話していたが、
「元気でおらんでどないするね、か、元気ださないでどぎゃんする」、みたいな感じの
ことをおっしゃって、これは土地言葉だからなかなか面白いものなのだが、
正確に書けない。
私がそのとき瞠目したのは、おばあさんの着ているもで、どうも私のご先祖様である
祖母の時代とあまり変わらないな、というもの。でもこれにはたぶん「違いはある」。
30分くらい考えて、変わらないから、変わっているだろう、に変更になった。
でも、感覚としては、40年位い前と変わらない。こんなこと書くと怒られるというか激怒される
かな。
どう見ても、大阪のおばちゃんとは違うし(ごめんなさい、大阪のおばちゃん)、東京は巣鴨を
歩く人ともまた違うような気もするが、これが銀座とかだと、かなり違うだろう。
待てよ、やっぱり大して違わないか。
そうゆう服装も、どこで購入されているのかわからないが、まーもちろん若い方とはまったく違う。
この辺りの若いかた、特に女性の方は、TVの画面から飛び出た感じのままという人も
いるから、ファッションのセンスの浸透度はかなりある。
40年前、いや50年前としてもいい、20年前、10年前、今、やはりおばあさんはここの!
おばあさんらしい格好になって、明治生まれの祖母と、服装の感覚は同じような気がする。
あばーさんとか書いているが、私も周りから何といわれているか、耳が痛いはずだ。
少しだけ個人的なことを書くと、私の父方の祖父母はどちらも養子である。祖父は
藤井という名、祖母は大野という名で、もちろんご本家はそばにあるが、
私の父と従妹の関係にある、あるおばあさんだけはまだご存命で、元気そうである。
そのかた以外は口を利いたこともないし、祖母の葬儀のとき以外在ったこともない。
はっきりいって他人である。
昔は、子供は幼いうちにみな病気でなくなる、ということが多かったようだ。結果、
両もらいとなる。
父は5人兄弟で、父は長男で、それ以外はみな女で、でも上のたしか二人の方は
やはり幼いうちになくなっている。下の二人の妹はちゃんと成人して
いいところにお嫁に行った。
この辺りは昭和20年の富山大空襲のときにはなんの影響もなく、上の叔母に聞いた話しによると
街が燃えているのをここで見ていたそうだ。
父は学徒動員で、千葉の館山にいたはずだが、これももうはっきりはしていない。
この富山大空襲のときに、後に私の母になる女性は、たしか不二越に勤めていたかで
もちろん、疎開で、それで神通川には逃げず、反対の田んぼのほうに逃げて命は助かった。
神通川の方に逃げた人の悲劇は、これは聞いたことはないが、さぞかしひどかったのであろう。
まーお正月に書く内容ではないような気もするが、何しろ何にもないようなお正月なので
話しだけでもいつもと違うものにした。
もっとも、ときどき書いた記憶はあるが。
きのう大晦日、今日お正月の空。
その一。大晦日の夕方。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。大晦日、もしかして夜晴れるかと思ったが、ほんの瞬間だった。
今朝、元日。2014年。
その七。雨か、曇りか。
その八。
その九。
その十。
その十一。
その十二。あやふやな感じのお天気が続く。
冬型だと、雪か、雨かミゾレか竜巻か、吹雪か、雷雨か、雹か、あるいは快晴。
せっかく富山に着たのに、雪なし。お孫さんに雪の感触を味わってもらおうと一生(一所)
懸命のおじいさん、おばあさんも、ちょっと残念だろうな。
なんか寂しい書き出しだな。
黒い方のネコが、朝は早くから来たので、まだ顔をも洗っていない。で
お正月だからと考え直して、きのう焼いた肉とか蒲鉾をあげた。
冷蔵庫の中にあるので、冷たいが、このネコはネコ舌。
ただ油までは凍らず、これをあげるのも大変である。適量にした。
この後待っているのが、一枚というか片身100円のサバ・フィーレで、
これはさすがに塩分多く、ネコにもあげられない。もっともネコも食べない。
サバは、青魚で足が速い、という難点があるが、なんで足が速いというか、
昔記憶したが今は忘れた、いいものはこれくらい高値の高級魚はない。
酢でしめたものもうまいし、鮨もうまいし、刺身だってある。だが、とんでもなく今は高い。
大衆酒場は古すぎて、チェーン店の居酒屋さんなどでは、昔むかしは、イワシの
刺身が結構安く、それも結構うまかった記憶があるが、同じくあまり見かけないし
市場、あるいは港のそばでないと、いいものも手に入らない。
これらの魚は、栄養的に見てもいいものが多い。
背反二律的な魚だ?といえる。塩すると長持ちするようだが、これも限度がある。
栄養的なものは、あまり変わらないだろうとは思うが。ただ塩っぱいものは
私は嫌いなので、塩分が濃いと食べないで捨てることもある。
ネコの話しでいらんことまた書いた。
このところ、先週の木曜以来、外歩いたという感覚はない。ゴミ捨てにいったくらい。
で、その木曜に戻ると、寒いけどこれもゴミの日だったからか、ゴミ置き場のそばに人はいて
どうもお年寄りが多い。で、いえへと帰るお二人の方がなにやら話していたが、
「元気でおらんでどないするね、か、元気ださないでどぎゃんする」、みたいな感じの
ことをおっしゃって、これは土地言葉だからなかなか面白いものなのだが、
正確に書けない。
私がそのとき瞠目したのは、おばあさんの着ているもで、どうも私のご先祖様である
祖母の時代とあまり変わらないな、というもの。でもこれにはたぶん「違いはある」。
30分くらい考えて、変わらないから、変わっているだろう、に変更になった。
でも、感覚としては、40年位い前と変わらない。こんなこと書くと怒られるというか激怒される
かな。
どう見ても、大阪のおばちゃんとは違うし(ごめんなさい、大阪のおばちゃん)、東京は巣鴨を
歩く人ともまた違うような気もするが、これが銀座とかだと、かなり違うだろう。
待てよ、やっぱり大して違わないか。
そうゆう服装も、どこで購入されているのかわからないが、まーもちろん若い方とはまったく違う。
この辺りの若いかた、特に女性の方は、TVの画面から飛び出た感じのままという人も
いるから、ファッションのセンスの浸透度はかなりある。
40年前、いや50年前としてもいい、20年前、10年前、今、やはりおばあさんはここの!
おばあさんらしい格好になって、明治生まれの祖母と、服装の感覚は同じような気がする。
あばーさんとか書いているが、私も周りから何といわれているか、耳が痛いはずだ。
少しだけ個人的なことを書くと、私の父方の祖父母はどちらも養子である。祖父は
藤井という名、祖母は大野という名で、もちろんご本家はそばにあるが、
私の父と従妹の関係にある、あるおばあさんだけはまだご存命で、元気そうである。
そのかた以外は口を利いたこともないし、祖母の葬儀のとき以外在ったこともない。
はっきりいって他人である。
昔は、子供は幼いうちにみな病気でなくなる、ということが多かったようだ。結果、
両もらいとなる。
父は5人兄弟で、父は長男で、それ以外はみな女で、でも上のたしか二人の方は
やはり幼いうちになくなっている。下の二人の妹はちゃんと成人して
いいところにお嫁に行った。
この辺りは昭和20年の富山大空襲のときにはなんの影響もなく、上の叔母に聞いた話しによると
街が燃えているのをここで見ていたそうだ。
父は学徒動員で、千葉の館山にいたはずだが、これももうはっきりはしていない。
この富山大空襲のときに、後に私の母になる女性は、たしか不二越に勤めていたかで
もちろん、疎開で、それで神通川には逃げず、反対の田んぼのほうに逃げて命は助かった。
神通川の方に逃げた人の悲劇は、これは聞いたことはないが、さぞかしひどかったのであろう。
まーお正月に書く内容ではないような気もするが、何しろ何にもないようなお正月なので
話しだけでもいつもと違うものにした。
もっとも、ときどき書いた記憶はあるが。
きのう大晦日、今日お正月の空。
その一。大晦日の夕方。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。大晦日、もしかして夜晴れるかと思ったが、ほんの瞬間だった。
今朝、元日。2014年。
その七。雨か、曇りか。
その八。
その九。
その十。
その十一。
その十二。あやふやな感じのお天気が続く。
冬型だと、雪か、雨かミゾレか竜巻か、吹雪か、雷雨か、雹か、あるいは快晴。
せっかく富山に着たのに、雪なし。お孫さんに雪の感触を味わってもらおうと一生(一所)
懸命のおじいさん、おばあさんも、ちょっと残念だろうな。