光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

真っ黒な雲があってその横は、白い

2009-08-13 19:00:11 | 散策
  長いようで短い、寒冷前線の通過があって、その後は、普通は晴れるのだろうけれど、そうはいかないのが今頃のお天気。気も漫ろどころか、この世の最後かとも思わせるものがある。それで、明日があれば、明日になって同じようなことを考える。明日は今日になると結局同じことの繰り返し。その連続で、明日はない、というのが今のお天気。
  星のことなど考えている時間もない。ただ、そのようなことが起こるという記事を読んで、それでおしまいだ。きょうなどは、それこそ明け方に、雲の隙間から、金星と思われる星が瞬いて見えていたが、ま、雲の隙間からも光を通す明るさのある星は、太陽と月を除くと、金星しかないはずで、それでも昔は、あるときに、昼でも輝く星があると、昔のものに記録されていて、これが本当のことであるのも、科学者、専門家が判定していて、間違いはないらしい。そんなことまで、昔の人はやっていたのか、時代の深浅に関わらず、時代を飛び越えるそうゆう能力のある人は、いたというのは正しくて、そうゆう人が今の時代にいてもおかしくはなく、ただまだ現われないか、もう現われて、名のある人になっているか、どっちかだろう。

  星の世界への誘いというと、今はまた違うものがあるような気がするが、大体図鑑であって、これがまた「うまいこと」作られている。こうゆうものと似ているものに、例えば昔の漫画とか、あるいはプラモデルの箱の絵があると思う。そこに、自分ではどうすることも出来ないものが描かれていて、それの小さなものを、ただ小さいというだけで本物に近いものを自分のものに出来ると思うと、全く子供の心を魅了した。しかし、そうゆうことが出来ないということも、そのうちにわかる。

  で、星の図鑑だとどうか、それが昆虫でも人体でも似たようなものだが、それをどうのこうの出来ないというのはわかるのだが、見ているだけで楽しいものがある。宇宙の構造ではなく、ただ、銀河系の大きさは10万光年である、とかは知った気になるから、いい加減なものだ。その辺りのことは今も、曖昧なまま時間が過ぎている。詳しいことなど書けるわけでもないが、例えば、どうしたら、星の距離を測定することが出来るか、そうゆうことも読んだ気もするが、これと図鑑のレベルは違いすぎて、話しにならない。この辺りは、結局いろいろなものに共通して、それで、最後はお別れということにもなる。そんなことは、自分の生活とは関係がなくなる。

  きょうの夜もそうだが、きのうの夜辺りからペルセウス座の流星群が、活発に出現する、時間に入っている。流星群というからには、大体その星座辺りを中心に見やすいというわけだが、もともと、流星のもととなる物質はこれは母天体である彗星の軌道と大体同じ位置にあって、ちょうど今頃、地球の軌道と、彗星の軌道が交差するから、そのときに、その母天体の軌道辺りにある物質が地球の大気に飛び込んでくる可能性が高いというもの。これも何のことだか、なかなかわからないというものである。
  でも、簡単な例で言うと、流星群のもととなるものは、円状に分布し、それが前後に存在しているから、言ってみると、大きな円筒形を想定できる。それが、ほぼ並行に地球の大気に飛び込む、というのは、
  もう少し次元を下げて、平行に並んでやってくる道路の車を考えるといい。その道路の、真ん中に自分がいるとすると、最初は向こうの方から小さな車の集団が一つの塊となってやってくるのが見えるだけだが、やがて近付くと、それらはど真ん中から、左右に広がって、ものすごく広がって、一線に並んでやって来るのを見る。これを想像するのは割りとやさしい。その真ん中の車は、まっすぐにやって来る。だからほぼ点か、塊のままだ。左右に分かれるのは、横に行くほど車の胴体ははっきりし、また長く見える。どんどんと、左右に広がってゆく。

  この真ん中に見える、だから左右に広がらない点があると考えられるので、それを流星群の放射点と呼んでいる。多分そうゆうことだと思う。これが今の時期の夜に見られる、しかし晴れていないといけないが、ペルセウス座流星群の「いわれ」というか「意味」であって、だから、ある瞬間という時間にあまり関係なく、星さえ見えれば全天のどこにでも見ることが出来る。いくらでも広がるわけである。ただ、全天だと、放射状に見える。

  流れ星の話しになってしまったが、今頃よく思い出すのは、都会でも冬の夜は空は澄むことがあって、時々だが、ふと凍える寒さで夜の空を眺めると、スーッと明るいものが流れることが、ときにある。全くないことはない。一般的には散在流星と呼ばれて、宇宙のゴミのようなものだが、同じようにさっと明るい光芒を発生して自分は消えてゆく。これを見るのが結構な楽しみでもあって、しかしある程度寒さに耐えるのと、もしかしたらという思いがないと見えないかも知れない。
  予想される、流星群と、いつ何時見えるかわからない、そうゆう散在流星の見える確率はどっちが高いか。これは「その人によって違う」といわないといけないだろう。





  重複してもいいと思われる、シモツケの淡いもも色の花。春のときよりも
  ずっと美しい。




  園芸店の前で、ちらりと見る。




  どこにでもありそうな、しかし知らない、黄色い花。




  さわやかな色続きで、マリーゴールド。もっと取り上げないといけなかった。




  地味になるが、イチョウ。




  モミジアオイの蕾。




  きのうとは別の、ベニシジミ。翅に傷みが、やっぱり時間を感じさせる。




  この黒い、クリクリした目がいつも印象的。

青空と、ヒマワリ

2009-08-13 16:24:52 | 植物・花(夏)
  朝の雨は、お湿りで、雨として記録されない。
  午前は大体曇り、生暖かい風が吹いて、気色悪いくらい。
  きのうは熱帯夜だから、寝苦しさもあり、気分もよくないが
  きのうの暑さが、まだまだ続いたことになる。

  雨が降る前に、もう寒冷前線がそこにあったが、幸いか
  強い雨には、打たれなかった。

  その後、寒冷前線の通過と思われる雨、この雨風のうち
  風が涼しく、気持ちいい。
  しかし目の前の温度計は、30℃のまま。
  まだいいほうかも。


  想像の世界が要求もされる。
  ほどほどのお天気で、まる一日晴れたことにして 

  青空の様子。それから、別の時間だったと思うが、きれいな
  ヒマワリが一本あって、これは小さめで、思わず借景。

  それで、青空に大群のヒマワリがあるというのを
  想像するのは、無理があるようだ。





  かなり濃いというかびっしりと詰まっている、ヒマワリ一輪。



 
  きのうの青空。朝の様子。




  このように、真っ青にも出来るし




  ちょっとさっぱりした感じにも、カメさんで出来る。普段、
  このような色合いの変更は使わない。大体普通である。




  朝が夕方になった。夕方でも、空は青く、かなり暑苦しい状態。




  黒い点が見えているが、これは鳥で、何度か小さな集団が横切っていった。
  肉眼で見なおしたが、ムクドリのようで、方向がこれでは海へ行くことに。




  8月12日の、夕方の空は、しかし長く青空は続かず、その向こうに
  もう雲があるように、日没も見えなかった。




  青空を見て、それで、もう一度、濃い目のヒマワリを見る。
  ヒマワリには青空が似合う。頭で合成して、
  青空にたくさんのヒマワリというのは、やっぱり無理があるようだ。

本物の、夏の朝が来た

2009-08-13 06:55:21 | 散策




  朝のお天気は、曇り。風があって、この風は台風が接近している、ときのそれに似ている。お天気は曇りだけど、先ほどは、太陽も顔を出し、また小雨も降って、何でもありのお天気、細かなことは書けない。暑い、夏の朝。本物、また暑いゆえに、風がある。アメダスの、6時の気温、29.9℃、信じがたいが、そうある。また時間ごとに上昇中。気圧は1000.6hPa、湿度は、70%。この湿度も妙な値だが。室温は、28℃。目を大きく開いて、温度計を見るが、28℃。

  朝から、数字だけでびっくり出来るものが多い。気温が29.9℃ある。先ほど、起きてすぐに、ゴミを出しに外を歩いた。たしかに暑いようだが、30℃近い気温がある、そうゆうものは感じなかった。あー新聞なんかがここに入れてある。これは資源ゴミとして出すもんだが、しょうがないか。まさか手紙とか、葉書きとか、重要な書類とか、名を記してあるものをそのまま入れてないだろうな。お金のことも、ふと頭に浮ぶ。なるほど、お金がときとしてどこかから突然出てくるが、それも考えられないこともない。

  近いようで、遠いのがゴミ捨て場の位置だが、やっぱり帰って来ると、もう暑い。いえの中で、溜息。湿度が、ほどほどの値まで下がっている。これはもしかしたら、ただのフェーン現象。そうか、それで、これだけ気温が高い。風は吹く。湿度は少し低い。わかった、今日はフェーン現象です。

  寝苦しい夜かどうか、ふと考えてみる。それが一番記憶があって、間近のことで、もっとも新鮮にも思えるから。たぶん、眠るときも30℃近い値があった。それで、Tシャツ1枚で、眠気が来るのを待つ。それは幸いやって来た。そのころまだ風はなかったなー。眠って、一眠りして、起きる。これも自然と起きるもので、朦朧としている。あーきょうはやっぱり暑いわいとか思っていて、またドサっと、薄い布団に横になる。しばらく暑いから、団扇を使う。
  夢も見ている。どこかへ行っている夢か、火鉢で暖まっている夢かそうゆうものではなかった。夢の内容は、気温の高さ、寝心地の悪さに関係ないようで、なかなか面白いものだった、かも知れない。少なくとも、悪夢ではない。よかった。何度か目が開いて、そのうち風が強くなって、なにかが落ちる音もする。もういい加減起きる時間である。

  それで、28℃か、と思い、TVで天気情報を見るのを忘れている。その間に、パンなど焼いていた。これもうまくやらないと真っ黒焦げになる。何度か失敗した。冷蔵庫に入っていたパンの焼き方のうまい方法というのは、ただじっと見ているしかないようだ。うちのパン焼き器のタイマーの取っ手は壊れていて、ってこれはもういいかな。

  きょうは、午前に気温が上がって、その後はお決まりの雨になる。その後に、涼しい空気が入って来そうだが、この真夏の朝から汗だくの天気というのも、貴重といえば貴重なようである。

  写真は、クレーンでつるされて、ビルの窓掃除。見ているだけで、
  涼しくなる光景でこんなことは出来ません。

  ついでに書くと、もう雨、本格的な雨。