長いようで短い、寒冷前線の通過があって、その後は、普通は晴れるのだろうけれど、そうはいかないのが今頃のお天気。気も漫ろどころか、この世の最後かとも思わせるものがある。それで、明日があれば、明日になって同じようなことを考える。明日は今日になると結局同じことの繰り返し。その連続で、明日はない、というのが今のお天気。
星のことなど考えている時間もない。ただ、そのようなことが起こるという記事を読んで、それでおしまいだ。きょうなどは、それこそ明け方に、雲の隙間から、金星と思われる星が瞬いて見えていたが、ま、雲の隙間からも光を通す明るさのある星は、太陽と月を除くと、金星しかないはずで、それでも昔は、あるときに、昼でも輝く星があると、昔のものに記録されていて、これが本当のことであるのも、科学者、専門家が判定していて、間違いはないらしい。そんなことまで、昔の人はやっていたのか、時代の深浅に関わらず、時代を飛び越えるそうゆう能力のある人は、いたというのは正しくて、そうゆう人が今の時代にいてもおかしくはなく、ただまだ現われないか、もう現われて、名のある人になっているか、どっちかだろう。
星の世界への誘いというと、今はまた違うものがあるような気がするが、大体図鑑であって、これがまた「うまいこと」作られている。こうゆうものと似ているものに、例えば昔の漫画とか、あるいはプラモデルの箱の絵があると思う。そこに、自分ではどうすることも出来ないものが描かれていて、それの小さなものを、ただ小さいというだけで本物に近いものを自分のものに出来ると思うと、全く子供の心を魅了した。しかし、そうゆうことが出来ないということも、そのうちにわかる。
で、星の図鑑だとどうか、それが昆虫でも人体でも似たようなものだが、それをどうのこうの出来ないというのはわかるのだが、見ているだけで楽しいものがある。宇宙の構造ではなく、ただ、銀河系の大きさは10万光年である、とかは知った気になるから、いい加減なものだ。その辺りのことは今も、曖昧なまま時間が過ぎている。詳しいことなど書けるわけでもないが、例えば、どうしたら、星の距離を測定することが出来るか、そうゆうことも読んだ気もするが、これと図鑑のレベルは違いすぎて、話しにならない。この辺りは、結局いろいろなものに共通して、それで、最後はお別れということにもなる。そんなことは、自分の生活とは関係がなくなる。
きょうの夜もそうだが、きのうの夜辺りからペルセウス座の流星群が、活発に出現する、時間に入っている。流星群というからには、大体その星座辺りを中心に見やすいというわけだが、もともと、流星のもととなる物質はこれは母天体である彗星の軌道と大体同じ位置にあって、ちょうど今頃、地球の軌道と、彗星の軌道が交差するから、そのときに、その母天体の軌道辺りにある物質が地球の大気に飛び込んでくる可能性が高いというもの。これも何のことだか、なかなかわからないというものである。
でも、簡単な例で言うと、流星群のもととなるものは、円状に分布し、それが前後に存在しているから、言ってみると、大きな円筒形を想定できる。それが、ほぼ並行に地球の大気に飛び込む、というのは、
もう少し次元を下げて、平行に並んでやってくる道路の車を考えるといい。その道路の、真ん中に自分がいるとすると、最初は向こうの方から小さな車の集団が一つの塊となってやってくるのが見えるだけだが、やがて近付くと、それらはど真ん中から、左右に広がって、ものすごく広がって、一線に並んでやって来るのを見る。これを想像するのは割りとやさしい。その真ん中の車は、まっすぐにやって来る。だからほぼ点か、塊のままだ。左右に分かれるのは、横に行くほど車の胴体ははっきりし、また長く見える。どんどんと、左右に広がってゆく。
この真ん中に見える、だから左右に広がらない点があると考えられるので、それを流星群の放射点と呼んでいる。多分そうゆうことだと思う。これが今の時期の夜に見られる、しかし晴れていないといけないが、ペルセウス座流星群の「いわれ」というか「意味」であって、だから、ある瞬間という時間にあまり関係なく、星さえ見えれば全天のどこにでも見ることが出来る。いくらでも広がるわけである。ただ、全天だと、放射状に見える。
流れ星の話しになってしまったが、今頃よく思い出すのは、都会でも冬の夜は空は澄むことがあって、時々だが、ふと凍える寒さで夜の空を眺めると、スーッと明るいものが流れることが、ときにある。全くないことはない。一般的には散在流星と呼ばれて、宇宙のゴミのようなものだが、同じようにさっと明るい光芒を発生して自分は消えてゆく。これを見るのが結構な楽しみでもあって、しかしある程度寒さに耐えるのと、もしかしたらという思いがないと見えないかも知れない。
予想される、流星群と、いつ何時見えるかわからない、そうゆう散在流星の見える確率はどっちが高いか。これは「その人によって違う」といわないといけないだろう。
重複してもいいと思われる、シモツケの淡いもも色の花。春のときよりも
ずっと美しい。
園芸店の前で、ちらりと見る。
どこにでもありそうな、しかし知らない、黄色い花。
さわやかな色続きで、マリーゴールド。もっと取り上げないといけなかった。
地味になるが、イチョウ。
モミジアオイの蕾。
きのうとは別の、ベニシジミ。翅に傷みが、やっぱり時間を感じさせる。
この黒い、クリクリした目がいつも印象的。
星のことなど考えている時間もない。ただ、そのようなことが起こるという記事を読んで、それでおしまいだ。きょうなどは、それこそ明け方に、雲の隙間から、金星と思われる星が瞬いて見えていたが、ま、雲の隙間からも光を通す明るさのある星は、太陽と月を除くと、金星しかないはずで、それでも昔は、あるときに、昼でも輝く星があると、昔のものに記録されていて、これが本当のことであるのも、科学者、専門家が判定していて、間違いはないらしい。そんなことまで、昔の人はやっていたのか、時代の深浅に関わらず、時代を飛び越えるそうゆう能力のある人は、いたというのは正しくて、そうゆう人が今の時代にいてもおかしくはなく、ただまだ現われないか、もう現われて、名のある人になっているか、どっちかだろう。
星の世界への誘いというと、今はまた違うものがあるような気がするが、大体図鑑であって、これがまた「うまいこと」作られている。こうゆうものと似ているものに、例えば昔の漫画とか、あるいはプラモデルの箱の絵があると思う。そこに、自分ではどうすることも出来ないものが描かれていて、それの小さなものを、ただ小さいというだけで本物に近いものを自分のものに出来ると思うと、全く子供の心を魅了した。しかし、そうゆうことが出来ないということも、そのうちにわかる。
で、星の図鑑だとどうか、それが昆虫でも人体でも似たようなものだが、それをどうのこうの出来ないというのはわかるのだが、見ているだけで楽しいものがある。宇宙の構造ではなく、ただ、銀河系の大きさは10万光年である、とかは知った気になるから、いい加減なものだ。その辺りのことは今も、曖昧なまま時間が過ぎている。詳しいことなど書けるわけでもないが、例えば、どうしたら、星の距離を測定することが出来るか、そうゆうことも読んだ気もするが、これと図鑑のレベルは違いすぎて、話しにならない。この辺りは、結局いろいろなものに共通して、それで、最後はお別れということにもなる。そんなことは、自分の生活とは関係がなくなる。
きょうの夜もそうだが、きのうの夜辺りからペルセウス座の流星群が、活発に出現する、時間に入っている。流星群というからには、大体その星座辺りを中心に見やすいというわけだが、もともと、流星のもととなる物質はこれは母天体である彗星の軌道と大体同じ位置にあって、ちょうど今頃、地球の軌道と、彗星の軌道が交差するから、そのときに、その母天体の軌道辺りにある物質が地球の大気に飛び込んでくる可能性が高いというもの。これも何のことだか、なかなかわからないというものである。
でも、簡単な例で言うと、流星群のもととなるものは、円状に分布し、それが前後に存在しているから、言ってみると、大きな円筒形を想定できる。それが、ほぼ並行に地球の大気に飛び込む、というのは、
もう少し次元を下げて、平行に並んでやってくる道路の車を考えるといい。その道路の、真ん中に自分がいるとすると、最初は向こうの方から小さな車の集団が一つの塊となってやってくるのが見えるだけだが、やがて近付くと、それらはど真ん中から、左右に広がって、ものすごく広がって、一線に並んでやって来るのを見る。これを想像するのは割りとやさしい。その真ん中の車は、まっすぐにやって来る。だからほぼ点か、塊のままだ。左右に分かれるのは、横に行くほど車の胴体ははっきりし、また長く見える。どんどんと、左右に広がってゆく。
この真ん中に見える、だから左右に広がらない点があると考えられるので、それを流星群の放射点と呼んでいる。多分そうゆうことだと思う。これが今の時期の夜に見られる、しかし晴れていないといけないが、ペルセウス座流星群の「いわれ」というか「意味」であって、だから、ある瞬間という時間にあまり関係なく、星さえ見えれば全天のどこにでも見ることが出来る。いくらでも広がるわけである。ただ、全天だと、放射状に見える。
流れ星の話しになってしまったが、今頃よく思い出すのは、都会でも冬の夜は空は澄むことがあって、時々だが、ふと凍える寒さで夜の空を眺めると、スーッと明るいものが流れることが、ときにある。全くないことはない。一般的には散在流星と呼ばれて、宇宙のゴミのようなものだが、同じようにさっと明るい光芒を発生して自分は消えてゆく。これを見るのが結構な楽しみでもあって、しかしある程度寒さに耐えるのと、もしかしたらという思いがないと見えないかも知れない。
予想される、流星群と、いつ何時見えるかわからない、そうゆう散在流星の見える確率はどっちが高いか。これは「その人によって違う」といわないといけないだろう。
重複してもいいと思われる、シモツケの淡いもも色の花。春のときよりも
ずっと美しい。
園芸店の前で、ちらりと見る。
どこにでもありそうな、しかし知らない、黄色い花。
さわやかな色続きで、マリーゴールド。もっと取り上げないといけなかった。
地味になるが、イチョウ。
モミジアオイの蕾。
きのうとは別の、ベニシジミ。翅に傷みが、やっぱり時間を感じさせる。
この黒い、クリクリした目がいつも印象的。