やけに暑い一日となって、予想通りの気温の高さに、少し辟易する。もう少し風があって、もう少し北風なら、何とか涼しさもあったようなで、たぶん空気は乾いているが、結構汗も出るし、ベトベトした時間がある。なかなか、暑さに耐えるのも、やはり大変である。
自分のことではないので、短く書きたい、と思う!。でも、なんだか勘違いした時間を過ごしていて、ばかなことをやったという気がする。
きのう、母がお友達が「遊びに」来るからとか言っていた。母もどこかへ出かけることもなく、ただ姉が週に一回やって来てくれて、外の空気を吸いにドライブ兼買い物に連れて行ってくれるので、私もずいぶんと助かっている。それ以外に、お友達、というので、それはありがたいとも思った。
お友達とは、母は長くある趣味の教室にいっていて、それから作品も出したりもしていたが、歳も歳だしそこに行かなくなって、かなり時間がたつ。年という単位でもう行っていない。しかし、ときどきそのお友達とは電話などしていたようだが、早い話しが、作品会がある。その作品と、それと参加費が必要だから、「それを取りに」そのお友達は来る予定にしていたようだ。そこのところ、肝心かなめのところ、を母は抜かした。それにお友達もよくわかっていないようで、これはしかし当たり前である。電話でしか話していないのだから。
こちらは、母のことを少し心配して、なにか役立つことがあれば、と考えてやって来てくれていると思う。だから日常の出来事も少し詳しく話したりもする。母のことを少しでもわかってくれれば、と思う気持ち。
これで、私は気が付かなかった。相手の用というのが「作品とお金を預かる」ことだというのを。だから少し雲行きもおかしくなり、そうとう長い話しになり、こちらもくたびれて来た。もう話しはこれ以上はいらないなー、
それで、お友達という方が、もう遅いという時間、作品はいいとして、お金のことを言い出すから、私もギャフンと来た。なんだ、そうゆうことか。それが、相手の方の目的で、それがまた私に通じていると思ったのだろう。だから途中から、いぶかしい顔付きになった。その後、お友達も帰られた後、しばらくして、そうか、今日来られた理由もようやくわかり、私もアホなことを言ったものだと後悔した。言わなくてもいいこと言い、相手の方は聞かなくてもいいことを聞いていた。
うまい話しでもないけれど、「遊びに」ということばは便利で、しかし考えてみると、そのお友達という方も私は一回しか会っていない。忘れた方である。最初に会ったのがもうそろそろ1年前になる。それくらいの間が開いて、遊びもはない。考えてみると、そう遊びにいくと口で言っても、実際はそれはない約束のようなものだ。人生、多少は長く生きていると思ったが、そのことの真実を理解するのが遅くて、まったく情けなくなった。言わなくてもいいことを言った後悔と、聞かなくてもいいことを相手の方に聞かせた後悔。これは、相手の方に非常に気の毒なことをしたと思う。まったく、何年生きているのか、情けない話しというのは自分自身に多く、滅多に書くこともない。
人に黄昏はある。こうゆうことだったのか理解の遅さに、まったく唖然とする。ぼけたなーとも思うし、人生の勉強は足りない。何も知らないよりはいいが、それにしても人の生涯で、しょうもないことの一つもあるが、これだけ大きな空振りというのもない。これもお金と、それから小さな友情というものが絡まっているからか。相手の人も、唖然とし、今頃ずいぶんと嫌な思いをしているだろう。
まー最後に、一言加えると、「お金が関係していなければ」こうゆうこともなかったのだが。
夕日のその一。
夕日のその二。
夕日のその三、ギラギラ暑そうだが、まだ涼しかった、そうゆうときの
夕空。
夕日のその四。鬼の仮面のような、お日様がある。
怒っているような、不気味に笑っているような。
かなり透明な、夕日。まだ涼しい。まだまだ涼しい夕日。
じっとり汗をかく今と違って、この日までは、もう少し先かな、夕日も
涼しい時間がその後にあった。
鳥が飛んでいる。ヒヨドリかも知れない。
ちょっとものすごく久しぶり。
真上の、金属の鳥。
久しぶりに、金属の鳥撮りをやった。B777は、北風に乗って予想通り
やって来た。
きょうはこれ一枚。みな似ているが。
自分のことではないので、短く書きたい、と思う!。でも、なんだか勘違いした時間を過ごしていて、ばかなことをやったという気がする。
きのう、母がお友達が「遊びに」来るからとか言っていた。母もどこかへ出かけることもなく、ただ姉が週に一回やって来てくれて、外の空気を吸いにドライブ兼買い物に連れて行ってくれるので、私もずいぶんと助かっている。それ以外に、お友達、というので、それはありがたいとも思った。
お友達とは、母は長くある趣味の教室にいっていて、それから作品も出したりもしていたが、歳も歳だしそこに行かなくなって、かなり時間がたつ。年という単位でもう行っていない。しかし、ときどきそのお友達とは電話などしていたようだが、早い話しが、作品会がある。その作品と、それと参加費が必要だから、「それを取りに」そのお友達は来る予定にしていたようだ。そこのところ、肝心かなめのところ、を母は抜かした。それにお友達もよくわかっていないようで、これはしかし当たり前である。電話でしか話していないのだから。
こちらは、母のことを少し心配して、なにか役立つことがあれば、と考えてやって来てくれていると思う。だから日常の出来事も少し詳しく話したりもする。母のことを少しでもわかってくれれば、と思う気持ち。
これで、私は気が付かなかった。相手の用というのが「作品とお金を預かる」ことだというのを。だから少し雲行きもおかしくなり、そうとう長い話しになり、こちらもくたびれて来た。もう話しはこれ以上はいらないなー、
それで、お友達という方が、もう遅いという時間、作品はいいとして、お金のことを言い出すから、私もギャフンと来た。なんだ、そうゆうことか。それが、相手の方の目的で、それがまた私に通じていると思ったのだろう。だから途中から、いぶかしい顔付きになった。その後、お友達も帰られた後、しばらくして、そうか、今日来られた理由もようやくわかり、私もアホなことを言ったものだと後悔した。言わなくてもいいこと言い、相手の方は聞かなくてもいいことを聞いていた。
うまい話しでもないけれど、「遊びに」ということばは便利で、しかし考えてみると、そのお友達という方も私は一回しか会っていない。忘れた方である。最初に会ったのがもうそろそろ1年前になる。それくらいの間が開いて、遊びもはない。考えてみると、そう遊びにいくと口で言っても、実際はそれはない約束のようなものだ。人生、多少は長く生きていると思ったが、そのことの真実を理解するのが遅くて、まったく情けなくなった。言わなくてもいいことを言った後悔と、聞かなくてもいいことを相手の方に聞かせた後悔。これは、相手の方に非常に気の毒なことをしたと思う。まったく、何年生きているのか、情けない話しというのは自分自身に多く、滅多に書くこともない。
人に黄昏はある。こうゆうことだったのか理解の遅さに、まったく唖然とする。ぼけたなーとも思うし、人生の勉強は足りない。何も知らないよりはいいが、それにしても人の生涯で、しょうもないことの一つもあるが、これだけ大きな空振りというのもない。これもお金と、それから小さな友情というものが絡まっているからか。相手の人も、唖然とし、今頃ずいぶんと嫌な思いをしているだろう。
まー最後に、一言加えると、「お金が関係していなければ」こうゆうこともなかったのだが。
夕日のその一。
夕日のその二。
夕日のその三、ギラギラ暑そうだが、まだ涼しかった、そうゆうときの
夕空。
夕日のその四。鬼の仮面のような、お日様がある。
怒っているような、不気味に笑っているような。
かなり透明な、夕日。まだ涼しい。まだまだ涼しい夕日。
じっとり汗をかく今と違って、この日までは、もう少し先かな、夕日も
涼しい時間がその後にあった。
鳥が飛んでいる。ヒヨドリかも知れない。
ちょっとものすごく久しぶり。
真上の、金属の鳥。
久しぶりに、金属の鳥撮りをやった。B777は、北風に乗って予想通り
やって来た。
きょうはこれ一枚。みな似ているが。