光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

夏らしい、夏の思い出

2009-08-09 18:59:47 | 散策
  今でも寝台特急、『北陸』は、上野・金沢間を、電気機関車が、客車、というか寝台車を引っ張って走っているようで、この寝台特急『北陸』に乗る可能性があったかというと、これがない。なかった。ほぼ断言できる。
  大体、特急の『白山』に乗るのがいいところ、もう少し昔だと、『はくたか』が同じ特急としてあったが、白山と違って、上越線経由で、長岡にも止まった。この列車に乗ったことは事実だが、時間の関係もあって、『白山』が利用しやすい。また、もう一つ、夜行急行というと変?だが、その当時は寝台車も編成にあった、急行、『能登』も走っていて、これももしかしたら、白山と、はくたかの、関係、つまり上越線経由か、信越本線経由かの違いがあったようで、二つの急行と、特急は今も走っていて、しかし、急行『能登』は電車型になっているはずで、詳しくはわからない。今も寝台があるか、それも特に調べていない。
  急行『能登』は血のつながりのある、人が乗ったのは事実で、昔の人は、何をやるにしても、質素だったと思う。私も、特に、特急で来ればとは思わないが、寝台くらいに乗ればいいという気もあった。しかし時代が違う。年も今と違う。座っての、夜行の急行『能登』は、その当時は、機関車が客車を、それからもしかしたら寝台車を引っ張っていて、それも情緒というものがあったようで、その時代がもっとも幸せなときかも知れない。ブルートレインとか、在来線を、なんていう言葉だろう、走る、当時の鉄道の、それこそ顔であった、そうゆうものが消え始めるときであったのかも知れず、今頃しかしその当時が懐かしいなどいうのは、たしかにおかしい。
  おかしいが、電車や列車はその当時のものが一番よく、東海道線を東京・名古屋間に5時間かかった、6時間かかった、という時代にそれを利用する時代の人間ではないから、その蒸気機関車で、何時間揺られて、東京と大阪の間を走ったというのがいいとは、思えないのである。大体、東京・大阪間をもしかしたら、乗り換え無しで、通しで走る乗り物に乗った、東海道本線で、という可能性はあるが、それが本当かどうかも今となっては、たしかめようがない。

  夏の帰省の最大の問題は、まずは座れるかどうかもあるが、あの駅で待っている間の、暑さであろう。その当時は耐えられたような気もするが、それでも発車までの2時間くらい、駅で待った。上野の駅にはいろいろなものがあって、というか、その中にはなぜか妙な感じもあるが、何か当てのない人間にも見えたのか、不思議な「おじさん」に声をかけられたことがある。そんなにだらしない、見苦しいというとムッとするが、格好をしていたかという気が今もある。その変なおじさんは、あわてて、どこかへと逃げるように身を隠した。
  今どきに、上野の駅もTVで見ることなく、どちらかというと、東京駅がおもであるけれど、似たり寄ったりのものがあるのではないか。東京駅も結構利用した方で、ここの駅の西、東というのは、池袋駅のそれと同様、結構に迷いやすいが、それでも東京駅で迷子はなかった。まー、いくら頭に残る、そうゆうものを書いてみても、どうしようもないような、気もあるが。

  特急と言うと、いかにも早いという感はあるが、その当時早かった、というのは、これは話しを元に戻して、上野からとすると、早いのは、大宮・高崎間くらいで、後はただ普通に走るというのが、いいようだった。特急といえど、単線もあれば、そうはスピードも出せない、そうゆう区間はある。軽井沢まで行くのに、わざわざ碓氷峠を越えるための、補助の電気機関車を2台も、くっ付けた。
  帰りもそうである。下りもスピードが出ないように、また機関車をくっ付けるので、いかにも帰省している、というか、大変なところを走っているという実感がわいた。なかなか、こうゆうことは味わえない。いい経験である。
  何でも早く走ればいいというものではないようだが、そうもいかないらしい。時代は、あまりに変わりすぎて、トンネルの中、居眠りしながら帰省する。また同じように、外をのんびり見ることもせず、都に戻る。忙しい。乗り物の中でもお仕事。

  どうも時代感覚のずれている、おかしなことも書いているようなので、最初からわかっているが、もう止めよう。楽しい帰省も、旅行もそうでなくなる可能性がある。

  ということで、ここは、真夏らしいかどうかわからないが、少しだけ、夏らしい風景も、加えないといけない。




  真っ赤な、ハイビスカス、というのはありそうで、なかなかおいそれとは
  撮れないようで、似たような色合い。この花も、元気はない。




  久しぶりに、見たホウズキ。わかりやすい借景。大体、すべて
  借景であって、ここで御礼も言わないと。ありがとうございます。




  これはほぼ、間違いなく、キカラスウリだが、花はない。




  もしかしたら、キカラスウリかというものだが、このときは花は落ちていた。
  花のもとはあった。でも白いものはもうなかった。




  今頃、モンシロチョウが、いる。




  モンシロチョウも、貴重なので、どうしても記憶に残しておきたくなる。




  なんだかよくはわからない、ものだが、今になって緑を濃くしてきた。

夏と秋の、真ん中あたり

2009-08-09 16:22:38 | 散策
  立秋は、ちょうど太陽黄経が135度になるときで、
  夏至は、太陽黄経が90度、秋分は、太陽黄経が180度になるときで、

  これでいくと、立秋は、ちょうど夏と秋の真ん中ということになる。

  うまいこと出来ていて、これは今年は当たっているようなである。
  でも例年は、7月後半から今頃が一番暑いので、そのころにこんな雨が
  降るのは、また気温も大して上がらないのは、やっぱりおかしい。

  もう「立秋」も過ぎてしまったから、暦では、ちょうど夏と秋の
  真ん中あたりということになるが、そのような光景もチラホラある。
  これからまた、もう少し暑い日も来るだろうけれど、
  このまま秋になるかも知れない。

  きょうはお昼を過ぎたころから雨。小雨であって、大した降り方ではない。
  気温は、結構高い。汗がかなり出る。
  で、この後のお天気がまた心配である。

  夏か秋か、どっちだという、いくつか。




  一度出た、ヒマワリ、そんなにしかし古くはない。これなどは、
  夏色の代表。




  この空の色も、パッとしない。もう秋かもという気にもさせる。



 
  ツバキの実。かなり大きい。この木の花はたくさん咲いたようだが、
  実の数は、さほどでもないようだ。だからか、一つひとつは、大きい。




  オニユリ。残りわずか。もうオニユリの夏は終わった。



 
  東の空に、入道雲と書きたいところだが、入道雲の迫力がなく
  白さも足りないようだ。もう秋かも知れない。




  これはセミの抜け殻で、今は盛んに鳴いていて、



  
  これはどうか、判別が出来ない。中に入ったままだと、
  このセミに夏は来なかった。




  遠くの、木のあるところ、緑のイネの穂は、これは夏で、
  手前は、黄色いものは雑草。
  雑草に、黄色い季節などあったかな。
  

今日も、透明な雨が降る

2009-08-09 06:54:03 | 散策





  朝のお天気は、シトシト雨。また雨か、普通の雨で、その量はシトシトだから、少なめ。気が付かないような、雨の降り方で、外の道、路面は濡れている。なんだか、オネショみたいで、昔を思い出させる。今は風がほとんどなく、またさほど暑くもないが、湿気が感じられる。アメダスの6時の気温、24.3℃、気圧は、1009.5hPa、湿度は100%。静穏である、室温は26.2℃。

  ツクツクボウシが、鳴く。夏で、もうそろそろツクツクボウシも出て来ないといけない。しかし地上の様子が少し変である。なぜ、セミの幼虫が夏に出てくるか、まー昔からそうだから、というのが答えのようで、もっとも夏というのは、エネルギッシュな季節でもあるから、子孫も残しやすい。そのエネルギが、感じられず、このまま秋になる。これはまずい。さっさと、地面の下から出て来て、せっせと鳴かないと、次の時代のツクツクが、いなくなる。そのツクツクボウシの鳴き声も、か弱く、きのうの朝に鳴いてその後に聞いていない。
  セミの鳴き声を文字にするのはむつかしい。ネコとか犬の鳴き声も同じで、外国の人の言葉も同じである。

  ツクツクボウシは、そのように鳴くようで、実際は違う。これを現わすのに、その鳴き声をなにかの電気信号に変えて、それを表示するということが考えられるが、余計にややこしくなりそう。ツクツクは、大体ツクツクボウシでいいが、
  今はヒグラシも鳴く。この鳴き声を聞くと、何となくだが気落ちする。元気なく、弱っているかのようで、アブラゼミ、ニイニイゼミその他、一般のセミと鳴き方が違う。違うというより、その鳴き声に元気さを感じない。もっというと、
  オトナの鳴き方をしているようで、まことに哀愁があって、切ないものである。この鳴き声がどう聞こえるか、カナカナというのがある。この文字がよく見受けられるが、どうも、か行から始まる音には私には聞こえない。シュワシュワのほうが近く思えるし、シャーシャーの最初は強めか中程度で、その後に盛り上がりなく、小さく消える、その時間も短いというもので、これもなにか人のあるものに、似ているようで、また哀れという気持ちになる。ヒグラシの大軍が鳴くと、どうなるか。しかしヒグラシもそうたくさんはいない。

  雨が降っている。透明な雨で、これもある程度のうちはいいが、その値を越すと、前も見えなくなる。雨が降っていて、この雨が完全に透明、無色だとすると、遠く彼方の山も見え、街の風景もよくわかる。雨が降れば、どうなるか、そんなことは起こらず、大体水と空気の屈折率が違うとか、むつかしい理屈なしに、透明で、無色の雨が降って、その先もはっきり見えると、これはなかなか面白い。ここに、虹色の雨を登場させたいが、ここで屈折率云々が登場するから、頭が痛い。あー、虹色の雨が降って、その先もよく見えたら、なかなか面白そうだが、そうはいかないようだ。まー黒い雨が降るよりは、想像するに、面白いと思う。黒い雨など降れば、それはもう世の終わりである。

  虫のようにも見えるライトレール。