今でも寝台特急、『北陸』は、上野・金沢間を、電気機関車が、客車、というか寝台車を引っ張って走っているようで、この寝台特急『北陸』に乗る可能性があったかというと、これがない。なかった。ほぼ断言できる。
大体、特急の『白山』に乗るのがいいところ、もう少し昔だと、『はくたか』が同じ特急としてあったが、白山と違って、上越線経由で、長岡にも止まった。この列車に乗ったことは事実だが、時間の関係もあって、『白山』が利用しやすい。また、もう一つ、夜行急行というと変?だが、その当時は寝台車も編成にあった、急行、『能登』も走っていて、これももしかしたら、白山と、はくたかの、関係、つまり上越線経由か、信越本線経由かの違いがあったようで、二つの急行と、特急は今も走っていて、しかし、急行『能登』は電車型になっているはずで、詳しくはわからない。今も寝台があるか、それも特に調べていない。
急行『能登』は血のつながりのある、人が乗ったのは事実で、昔の人は、何をやるにしても、質素だったと思う。私も、特に、特急で来ればとは思わないが、寝台くらいに乗ればいいという気もあった。しかし時代が違う。年も今と違う。座っての、夜行の急行『能登』は、その当時は、機関車が客車を、それからもしかしたら寝台車を引っ張っていて、それも情緒というものがあったようで、その時代がもっとも幸せなときかも知れない。ブルートレインとか、在来線を、なんていう言葉だろう、走る、当時の鉄道の、それこそ顔であった、そうゆうものが消え始めるときであったのかも知れず、今頃しかしその当時が懐かしいなどいうのは、たしかにおかしい。
おかしいが、電車や列車はその当時のものが一番よく、東海道線を東京・名古屋間に5時間かかった、6時間かかった、という時代にそれを利用する時代の人間ではないから、その蒸気機関車で、何時間揺られて、東京と大阪の間を走ったというのがいいとは、思えないのである。大体、東京・大阪間をもしかしたら、乗り換え無しで、通しで走る乗り物に乗った、東海道本線で、という可能性はあるが、それが本当かどうかも今となっては、たしかめようがない。
夏の帰省の最大の問題は、まずは座れるかどうかもあるが、あの駅で待っている間の、暑さであろう。その当時は耐えられたような気もするが、それでも発車までの2時間くらい、駅で待った。上野の駅にはいろいろなものがあって、というか、その中にはなぜか妙な感じもあるが、何か当てのない人間にも見えたのか、不思議な「おじさん」に声をかけられたことがある。そんなにだらしない、見苦しいというとムッとするが、格好をしていたかという気が今もある。その変なおじさんは、あわてて、どこかへと逃げるように身を隠した。
今どきに、上野の駅もTVで見ることなく、どちらかというと、東京駅がおもであるけれど、似たり寄ったりのものがあるのではないか。東京駅も結構利用した方で、ここの駅の西、東というのは、池袋駅のそれと同様、結構に迷いやすいが、それでも東京駅で迷子はなかった。まー、いくら頭に残る、そうゆうものを書いてみても、どうしようもないような、気もあるが。
特急と言うと、いかにも早いという感はあるが、その当時早かった、というのは、これは話しを元に戻して、上野からとすると、早いのは、大宮・高崎間くらいで、後はただ普通に走るというのが、いいようだった。特急といえど、単線もあれば、そうはスピードも出せない、そうゆう区間はある。軽井沢まで行くのに、わざわざ碓氷峠を越えるための、補助の電気機関車を2台も、くっ付けた。
帰りもそうである。下りもスピードが出ないように、また機関車をくっ付けるので、いかにも帰省している、というか、大変なところを走っているという実感がわいた。なかなか、こうゆうことは味わえない。いい経験である。
何でも早く走ればいいというものではないようだが、そうもいかないらしい。時代は、あまりに変わりすぎて、トンネルの中、居眠りしながら帰省する。また同じように、外をのんびり見ることもせず、都に戻る。忙しい。乗り物の中でもお仕事。
どうも時代感覚のずれている、おかしなことも書いているようなので、最初からわかっているが、もう止めよう。楽しい帰省も、旅行もそうでなくなる可能性がある。
ということで、ここは、真夏らしいかどうかわからないが、少しだけ、夏らしい風景も、加えないといけない。
真っ赤な、ハイビスカス、というのはありそうで、なかなかおいそれとは
撮れないようで、似たような色合い。この花も、元気はない。
久しぶりに、見たホウズキ。わかりやすい借景。大体、すべて
借景であって、ここで御礼も言わないと。ありがとうございます。
これはほぼ、間違いなく、キカラスウリだが、花はない。
もしかしたら、キカラスウリかというものだが、このときは花は落ちていた。
花のもとはあった。でも白いものはもうなかった。
今頃、モンシロチョウが、いる。
モンシロチョウも、貴重なので、どうしても記憶に残しておきたくなる。
なんだかよくはわからない、ものだが、今になって緑を濃くしてきた。
大体、特急の『白山』に乗るのがいいところ、もう少し昔だと、『はくたか』が同じ特急としてあったが、白山と違って、上越線経由で、長岡にも止まった。この列車に乗ったことは事実だが、時間の関係もあって、『白山』が利用しやすい。また、もう一つ、夜行急行というと変?だが、その当時は寝台車も編成にあった、急行、『能登』も走っていて、これももしかしたら、白山と、はくたかの、関係、つまり上越線経由か、信越本線経由かの違いがあったようで、二つの急行と、特急は今も走っていて、しかし、急行『能登』は電車型になっているはずで、詳しくはわからない。今も寝台があるか、それも特に調べていない。
急行『能登』は血のつながりのある、人が乗ったのは事実で、昔の人は、何をやるにしても、質素だったと思う。私も、特に、特急で来ればとは思わないが、寝台くらいに乗ればいいという気もあった。しかし時代が違う。年も今と違う。座っての、夜行の急行『能登』は、その当時は、機関車が客車を、それからもしかしたら寝台車を引っ張っていて、それも情緒というものがあったようで、その時代がもっとも幸せなときかも知れない。ブルートレインとか、在来線を、なんていう言葉だろう、走る、当時の鉄道の、それこそ顔であった、そうゆうものが消え始めるときであったのかも知れず、今頃しかしその当時が懐かしいなどいうのは、たしかにおかしい。
おかしいが、電車や列車はその当時のものが一番よく、東海道線を東京・名古屋間に5時間かかった、6時間かかった、という時代にそれを利用する時代の人間ではないから、その蒸気機関車で、何時間揺られて、東京と大阪の間を走ったというのがいいとは、思えないのである。大体、東京・大阪間をもしかしたら、乗り換え無しで、通しで走る乗り物に乗った、東海道本線で、という可能性はあるが、それが本当かどうかも今となっては、たしかめようがない。
夏の帰省の最大の問題は、まずは座れるかどうかもあるが、あの駅で待っている間の、暑さであろう。その当時は耐えられたような気もするが、それでも発車までの2時間くらい、駅で待った。上野の駅にはいろいろなものがあって、というか、その中にはなぜか妙な感じもあるが、何か当てのない人間にも見えたのか、不思議な「おじさん」に声をかけられたことがある。そんなにだらしない、見苦しいというとムッとするが、格好をしていたかという気が今もある。その変なおじさんは、あわてて、どこかへと逃げるように身を隠した。
今どきに、上野の駅もTVで見ることなく、どちらかというと、東京駅がおもであるけれど、似たり寄ったりのものがあるのではないか。東京駅も結構利用した方で、ここの駅の西、東というのは、池袋駅のそれと同様、結構に迷いやすいが、それでも東京駅で迷子はなかった。まー、いくら頭に残る、そうゆうものを書いてみても、どうしようもないような、気もあるが。
特急と言うと、いかにも早いという感はあるが、その当時早かった、というのは、これは話しを元に戻して、上野からとすると、早いのは、大宮・高崎間くらいで、後はただ普通に走るというのが、いいようだった。特急といえど、単線もあれば、そうはスピードも出せない、そうゆう区間はある。軽井沢まで行くのに、わざわざ碓氷峠を越えるための、補助の電気機関車を2台も、くっ付けた。
帰りもそうである。下りもスピードが出ないように、また機関車をくっ付けるので、いかにも帰省している、というか、大変なところを走っているという実感がわいた。なかなか、こうゆうことは味わえない。いい経験である。
何でも早く走ればいいというものではないようだが、そうもいかないらしい。時代は、あまりに変わりすぎて、トンネルの中、居眠りしながら帰省する。また同じように、外をのんびり見ることもせず、都に戻る。忙しい。乗り物の中でもお仕事。
どうも時代感覚のずれている、おかしなことも書いているようなので、最初からわかっているが、もう止めよう。楽しい帰省も、旅行もそうでなくなる可能性がある。
ということで、ここは、真夏らしいかどうかわからないが、少しだけ、夏らしい風景も、加えないといけない。
真っ赤な、ハイビスカス、というのはありそうで、なかなかおいそれとは
撮れないようで、似たような色合い。この花も、元気はない。
久しぶりに、見たホウズキ。わかりやすい借景。大体、すべて
借景であって、ここで御礼も言わないと。ありがとうございます。
これはほぼ、間違いなく、キカラスウリだが、花はない。
もしかしたら、キカラスウリかというものだが、このときは花は落ちていた。
花のもとはあった。でも白いものはもうなかった。
今頃、モンシロチョウが、いる。
モンシロチョウも、貴重なので、どうしても記憶に残しておきたくなる。
なんだかよくはわからない、ものだが、今になって緑を濃くしてきた。