2005年の第一作、2007年の二作に続く、第三作。
当ブログではどちらもそのタイミングで感想をアップしている(2005-12-31 2007-11-04 )
<後輩曰く、「がん泣きしました」
<その後輩にしろ、私にしろ、昭和33年、という年は全くわかりようもない時代である。
<なのに、どうして画面から「なつかしさ」がじわじわと現れてくるのか。
<どのシーンも目が離せないのだ。
(2005-12-31)
このじわじわ感が、やはり今回も継続している、というか、さらに強力に。
不思議だったのはこれまでになく、三丁目の面々が劇中 揃いだすだけで、なぜこんなにうれしいのだろうか。
第三作だから、というだけではない「何か」がそこにはあるのだ。
強烈なノスタルジーが。
浸みでてくる「ひたむきさ」なのか?
それとも高度成長期ならではの空気なのか?
前回の「ゴジラ」のような変化球のオープニングとは違い、今回は直球でぐいぐい迫ってくる。
それが「東京オリンピック」とくればインパクトは十二分。
(あくまでも間接的にしか知らない世界なのだけれど...)
<個人的には特に今の時代に最も足りなくなっているポイントをついた言葉、究極の「一語」が2度にわたって吐露される
<「ああこれがメインテーマ」なのかな~?、なんていう想いです。
<一度は激しく、二度目はつぶやくように発せられる、あの言葉です。
<その言葉が何かは、ぜひ劇場でご確認いただけたらと思います。
(2007-11-04)
このテーマが今回も引き続き追求される。
O・ヘンリー的世界に溢れていて、また結局 がん泣きせざるえなかった。
しかも、かなりずうっと(笑)
(ここからは明らかに蛇足だが書いてしまおう)
そういえば今日、余震警報で、311の記憶が呼び起こされ、トラウマ化している自分が蘇った。
この1964年を、まだ原子力を持たない時代の日本と結びつけるのは簡単だが、それはやめておこう...
と言いつつ、さらに考えてしまった。
この時代は冷戦のピーク、キューバ危機の時代なんだけれど、日本は直接関係していないから、だからよけいピュアに見えるのかな?
と、作品には素直に感動しつつも、なぜかいろいろ考えさせられてしまった今日。
何にしても、明日の日本が眺める夕日が、希望に満ちたものであって欲しいと折に思う!
(そんなことで、写真はあえて空バックを引っ張ってきてみた 笑)
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