NHKのドキュメントを、家内と二人で見た。何気なくつけたテレビだったが、知らぬ間に夢中になっていた。
結婚式を前にし自分のものを整理している長男が、まだ小学生だった頃、クーは飼われ始めたらしい。海岸を駆け回る若くて元気の良いクーは、一人で留守番をする彼の遊び相手でもあった。
それから18年が経ち、彼は独立して家を出ることとなった。クーはすっかり老犬になり、介護無しでは歩けなくなった。両親はそんなクーを子供同様に可愛がり、食事をさせ、水を飲ませ、散歩にも連れ出す。足が萎え、歩けなくなっても、犬は散歩をしたがる。
自由にならない自分の老いを悲しんでいるのか、それとも体のあちこちが痛むのか、唸りながら散歩をするクーだ。その姿を見ていると、わが猫が辿った最後の日々が思い出されてきた。亡くなる最後の晩だけは、同じように一晩中唸っていた。
わが家の猫より逞しかったのか、クーはそれから二週間以上生き、最後は眠るように息をしなくなり、思い出の品と花に飾られた小さな箱に横たわった。
親からの連絡を受け覚悟して戻って来た長男の横顔を、テレビカメラが映し出した。
「眠っているようだね。」
「まだ暖かいよ。」
母親の言葉にうなづいている長男の頬に、流れている涙があった。
平気な顔をしていたから、冷静なのだと思っていたのに、彼は言葉を出さないまま、泣いていた。私も家内も、もらい泣きしてした。
猫でも犬でも、もしかするとペットとして飼っていた動物との別れは、みんなこのように切なくて悲しいものなのだ。
喜びつけ悲しみにつけ、あるいは怒りが心をいっぱいにした時も、この愛らしい生き物たちは、私たちを慰め、笑わせ、蘇生させてくれた。小さな、小さな、宝石のような思い出を沢山残してくれた。
もう3年前のことなのに、昨日のことのように思い出され、テレビの中の長男と同じ涙を流してしまう私と家内だった。
だから私は、NHKに言いたい。
こんな素晴らしい番組を作るのに、どうして自分の国やご先祖様を憎むようなひどい報道をするのかと。
作っている人間が別かもしれないので、注文をつけるのが無理なのかもしれない。あるいは同じ人間が製作しても、動物のドキュメントには思想が無関係なので、素直に番組が作れるのか。思想がからむと憎愛が生まれ、対立が生じ、番組制作者の自己主張が出てしまうのだろうか。
久しぶりに感動させてもらい、番組の中の長男みたいに若返らせてもらったので、少年の心に戻りNHKに何度でも問いかけたい。
・こんな素晴らしい番組を作るNHKが、どうして自分の国やご先祖様を憎むようなひどい報道をするのかと。