本日は最初から、林氏の著作の紹介をする。
・孫文、黄興 ( こうこう ) 等の革命運動が、日本の民間志士団と関係の深かったことは、周知の事実だ。孫文の最初の日本亡命は、明治31年であった。
・彼は宮崎滔天 ( とうてん ) を通じて、犬養毅、平岡浩太郎、頭山満を知り、その協力と援助によって、広東、恵州における挙兵、上海における李鴻章暗殺、フィリピンのアギナルド将軍の独立運動の援助などが計画された。
・いずれの計画も失敗し、明治37年再び孫文は、日露戦争中の日本に亡命した。葦津珍彦( あしづ うずひこ ) 氏によると当時の孫文は、日露戦争をアジアによるヨーロッパに対する解放戦であると解し、世界史的な転換の時代が来たと考えていた。
・東京赤坂の内田良平邸で、「中国革命同志会」が結成されたのはこの時であった。
・広東系の孫文派と、湖南系の黄興派との合同の会でもあり、両者の他に章炳麟(しょう へいりん ) 、王兆銘、宋教仁 ( そう きょうじん ) 、張継 ( ちょうけい ) 等々を指導者として、1万5千名の在日留学生を基盤に、機関紙「民報」を発行した。
・こうして彼らは清朝転覆の革命思想を、海を越えて大陸へ送り込んだ。
「過去の歴史を日本は知るべし」、「歴史認識が足りない」と、江沢民以来の中国政府が日本を批判しているが、彼らの発言がプロパンガンダに過ぎないことが、ここで明らかになる。
孫文は中国で国父として敬愛され、毛沢東より評価されている人物だが、その彼は日本の志士たちと親密な交流をしていた。林氏の説明は江沢民だけでなく、これに同調する日本の左翼反日学者や文化人や政治家の、無知を同時に明確にする。
先のブログでも述べたが、敗戦後の日本には「ライシャワーの歴史観」「毛沢東の歴史観」「スターリンの歴史観」の三つが同時に広まっていた。反日学者、教育者、政治家、マスコミは、いずれかの勢力に取り込まれ、「戦前の日本史」の改ざんと、批判と攻撃を今も続けている。
話が脇道へ逸れそうなので、氏の著作の紹介に戻る。
私が注目するのは、ここから先の氏の意見だ。保守と呼ばれる学者も政治家も決して言わない意見だ。紹介している私も、受け止め方に苦慮しているので、そのまま紹介する。
・朝鮮併合以降の日本が帝国主義に変質し、アジア解放の先駆者からアジアの圧制者・略奪者に変わったという論者の見解に、私は賛成しない。
・帝国主義といえば、日本は幕末に『西力東漸』( 列強の侵略 )を意識した時から、帝国主義的であった。
・ただし私の言うそれは、レーニン的意味の帝国主義とは違い、資本主義の最高段階とも関係がない。
・それはネールの言う意味での、自立と解放を求める民族のナショナリズムの発現であり、成長である。
・成長したナショナリズムが膨張政策に転化し、牙と爪を発達させ、台湾、朝鮮が被害を受け、続いて満州が狙われたという意味だ。
・佐藤深淵をはじめとする、幕末の思想家たちの描いた予想国の中には、朝鮮、台湾、樺太、シベリアのみか、東南亜諸国まで日本防護のための「侵略対象」として明記されている。
青字で表示したのは、「満州侵略」は世間で言われているように、「陸軍の無謀な独走」で無かったと知った時の驚きと重なる。氏は「東亜百年戦争」の開始は、維新の約20年前に、外国戦が日本近海に出没し始めた時からと語っていた。
この時から日本は自衛のための戦争を開始し、昭和20年までの100年間外国勢力と戦い、敗戦した。これが氏の「東亜百年戦争論」で、私も納得し賛成している。それでもやはり、今回の氏の意見の受け止めにはためらいがある。
・私の説を認めない学者たちは、幾つかの時点で日本は立ち止まるチャンスがあり、無謀な大東亜戦争を回避できたはずと主張する。
・果たしてそうだろうか。この種の戦後派の学者諸氏を、大東亜戦争勃発前の政治的中心に立たせてみたい。
・幕末、明治中期、朝鮮合併と満州事変。いったい彼らはいかなる『理性』と『政治力』によって、日本を立ち止まらせることができたであろうか。
・立ち止まらせるための努力は、多くの人物によってなされている。大器量人もいたはずだが、彼らにも、日本を百年戦争の途中で立ち止まらせることができなかった。
・往時を批判する、現在の進歩人諸君にもできるはずがない。火事場の後の賢者顔ほど、間抜けで嫌味なものはない。
・「東亜百年戦争」は外から火をつけられた大火であり、欧米諸国の周到な計画のもとに、多少の間隔を置きつつ、機会を狙って、次から次へと放火された火災であった。
・私は、放火と戦った勇者を非難しない。
氏は幕末から始まった「百年戦争」の間に現れた、思想家たちについて語る。佐藤深淵から始まり、藤田東湖、佐久間象山と続き、福沢諭吉、内田良平、徳富蘇峰を経て、大川周明、北一輝、石原莞爾と続く。
長くなるので人物を省略したが、氏の説によるとこれらの人々は、放火された火災を消すために戦った勇者という解釈になる。「東亜百年戦争」は外から火をつけられた大火という例も、分かりやすいが、賛成するにはためらいが残る。
・これら思想家・行動家の中には、歴史の栄光に飾られているかのように見える者もいるが、詳しく調べればそのほとんどが悲運の生涯を送り、幽閉と追放、貧窮と病患、投獄と刑死、または暗殺による非業の死をとげている。
・戦後の敗戦評論家諸氏が、彼らを帝国主義の源流、天皇制ファッシスト、アジア侵略主義者、超国家主義者、その他、荒唐無稽の舶来悪名を冠し呼称することは随意であるが、彼らが等しく、国運の展開を夢想した理想家であったことを否定する者はなかろう。
・歴史の大道では、ナショナリズムは常にナショナリズムである。
氏はここで彼らが正しかった、日本の戦争は正しかったと、善悪の判定をしていない。氏が言っているのは語られなかった歴史の事実と、戦後の学者たちの偏見への怒りだ。
私のコメントは曖昧で中途半端になったが、今はこれ以上述べる知識がないので無理をしない。シリーがはまだ終わらないので、書き進むうちに再発見することがあると考える。
ここまで明確に氏が語り、著作が版を重ねている事実を見ていると、次の推測はできる。
氏の言う「敗戦評論家諸氏」が、私の嫌悪してやまない「反日左翼」で、「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」のことだ。日本から「お花畑」がなくなれば、虫は死んでしまう。国民が目覚めれば、「お花畑」消える。
戦後70年が経ち、やっとその時が近づいていると私は密かに期待している。
満州国も同じです。張学良より関東軍の方が増しでしたから。
蒋介石は台湾で中学在学以上の高学歴台湾籍民を三万人殺しているし、
李承晩の耽羅独立運動弾圧は七万人、保導連盟事件は最大の推計だと百六十万人の虐殺です。
コメントを感謝します。
何事も極論がいけません。そこには必ず、論理の矛盾が生じます。つまり、「何もかも日本だけが悪かった。」という東京裁判史観です。「力は正義なり」と、大国の横車が通るのが、国際政治です。戦前の日本も、その大国の横車を押しました。それは事実です。しかし、ご指摘のような事実も、背後にありました。
いつまでも「日本だけが悪い国だった。」という極論は、歴史の流れの中で破綻します。日本国民も、そろそろ自己嫌悪の歴史観から目を覚ます時です。
しかし、Unknownばかりでは、いけません。それはやはり、礼に欠けると思います。