ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

ノルウエーを知るための60章 -3

2016-03-25 19:47:09 | 徒然の記

 「議会主義への道」と題する章では、次のように書かれている。
「19世紀半ばまでのノルウエーは、官僚の主導によって、経済の近代化、伝統的特権や規制の廃止が進められる一方で、地方や市民社会の自立は遅れていた。」「歴史家 J・A・サイプは、この時代を官僚国家と呼んでいる。」
当時の人口がどのくらいだったのか知らないが、政府、議会、司法、国教会のすべての領域を支配していた官僚の人数は、なんとたったの2,000人だという。ノルウエーがどれだけコンパクトな国だったのかが、これからも推し量れる。

 「徐々に、特権や規制に縛られなくなった市民が、自発的な組織を作り始めた。」「都市の商人と職人が組合を結成したほか、1850年頃には正式な選挙を前にし、" 試験選挙 " を自発的に実施するなど、政治的関心を高めていた。 」
「法律教育を経て官僚になるという以外にも、医師、技師、建築家、農業技術者などとして活躍する専門家が増え、官僚エリート以外の議員の割合も上昇した。」

 ペリーが日本へ来たのが1854年だから、幕末の頃のノルウエーの話だ。「ノルウエーの議会主義発展の中で、左翼党と右翼党の背景になったのは、議会と、国王・政府との権力闘争だった。」「同時に都市に対する農村」「東部に対する西部・南部」「中央集権に対する地方自治」「国教会の権威に対する非国教会派など、様々な対抗要素がこれに反映していた。」

 ノルウエーにおける右派と左派は、簡単に言えば、国王・政府の権力側が右で、異議を唱える市民勢力を左と呼んでいるに過ぎない。複雑な要素が絡むとされているが、自分の国を憎み、歴史を否定するような主義・主張はどこにもない。勤王か佐幕かで国論が分かれ、親兄弟が血の争いをした幕末の日本でだって、国そのものを否定するような主張はなかった。

 ノルウエーを見ても、幕末を考えても、今のわが国のように祖国を否定し、憎悪するいかがわしい左派はいなかった。敗戦後の政治家たちは、日本人としての矜持を失い、魂を忘れ、いったい国民をどんな未来へ導こうとしているのだろうか。北欧の小国とは言え、敢然とけじめをつけた1948年代のノルウエーの政治家たちの、爪の垢でも煎じて飲むべきでないのかと、無念の思いがする。

 当時のノルウエー議会では、レジスタンスの活躍の功で、共産党が11議席を占めていた。
スターリンがフィンランドに対し、衛星国とした東欧諸国と同じ条約の締結を迫ったのは、ソ連が軍事介入したチェコ事件の後だった。ソ連が北欧への進出を狙っているとイギリスのタイムズが報道し、ノルウエー議会が大騒ぎとなった。共産党議員が即座に外交委員会からはずされ、翌年の選挙で共産党はすべての議席を失った。

 ソ連との緊張が一気に高まったが、直ぐさまスエーデンが一つの提案を示した。「スカンジナビア中立防衛同盟構想」である。スエーデンを中心に、北欧3国が平時での中立同盟を形成するというもので、迫り来る東西対立の荒波から、北欧の中立を守るための意思表明だった。デンマークがすぐに呼応し、ノルウエーの援護に動いた。

 スカンジナビア中立防衛同盟構想は実を結ばなかったが、私の心を捉えたのは、ノルウエー議会の議員たちの決断だった。民族の悲願として510年間掲げてきた国家独立のため、国民が団結してドイツと戦い、命を共にした共産党の議員だったのに、彼らは議場から追放された。本には書かれていないが、そこには様々な人間のドラマがあったはずだ。

 国益のため、盟友とも言える共産党の議員と決別した、他の議員たちの覚悟を知るほどに、わが国の自民党議員の不甲斐なさを知った。戦後70年たっても亡国の反日議員と決別できず、利敵言動を放任し、どこに保守政治家の矜持があると言えるのか。世界第二の経済大国ともてはやされた時、保守政治家たちは溢れる金に目が眩らみ、立党の精神を忘れ果てた。国益を忘れ、金権にまみれて腐敗し、そんな自民党を嫌悪した国民の多数が民主党へ投票してしまった。

 反日・売国の亡国政党とも知らず、うっかり政権を渡した結果が今日の有様だ。
沖縄の領海に侵入されても抗議せず、不法な漁船に体当たりされても反撃せず、竹島を占拠されても放任し、逆に慰安婦だの南京事件だのと、国際社会で悪意の宣伝をされるまま。隣国の情報戦に最初から尻尾を巻き、刺激してはならない、我慢するのが大人の対応だなどと、中•韓ばかりかアメリカからさえ無視されたままだ。

 事件のほとんどが民主党政権下で火を吹いたが、火種を残して来た責任は、それまでの自民党政権にある。
ノルウエーの本を読むほどに、日本の政治家たちの胆力の無さが見えてくる。あるいは、井の中の蛙だった自分たち国民の姿を再発見する。

 「1960年から70年にかけて、ヨーロッパ各国は経済成長へと向かった。」「特にノルウエーの場合、本格化する北海油田の採掘が、国民経済を全く異なったものにした。」「70年以来上昇を続けているGDPが、2000年にはほぼ3倍になった。」「石油収入を運用する年金基金は、国家財政の2倍になっている。」

 北欧の中で一番豊かなノルウエーは、こうして生まれた。豊富な蓄えに油断することなく、やがて枯渇する石油の代わりを求め、ロシアとの友好関係構築に余念がない。NATOの一員であるが、EUには加盟していないノルウエーと、EUには加盟しているがNATOに加わっていないデンマークとスエーデンなど、本を読むほどに北欧の複雑さに頭が混乱する。

 だから北欧諸国の政治家はしたたかで、逞しいと、私はそんなことは言わない。
それぞれの国が、置かれた状況で政治を行い、政治家が考え、行動する。どれほど複雑に見えようと、積み上げられた歴史の中での行為に過ぎない。敗戦が全てをひっくり返し、軍国主義の名の下に、塵芥のように切り捨てられた戦前の指導者たちだが、歴史の中での彼らの検証を、保守政治家たちは何故本気でやらないのか。

 敵対する隣国にこのままなぶられるのでなく、国内にいる「お花畑」の亡言に怯むのでなく、歴史の中の日本を見つめ直すこと。2000年に及ぶ日本の歴史で、戦後はたかだか70年だ。しかもGHQによる占領は、たったの7年ではないか。その間に実施された日本弱体化政策を、どうしてそのまま受け入れてしまうのか。

 反日の野党より、亡国のマスコミより、責任が重いのは、自民党の政治家でないのか。
盟友とも言える共産党議員と決別した、ノルウエーの議員諸氏を知った今となっては、保守政治家たちの不甲斐なさを責めずにおれない。今のわが国では、愛国という言葉さえ忌避され、国旗すら掲揚されず、国歌も嫌悪される。

 北欧の国々の国歌につけられた名称を、本から抜粋してみた。
スエーデン「古き自由な北の国」、デンマーク「麗しき国」、フィンランド「われらの地」、そして最後にノルウエーの国歌「われらこの国を愛す」だった。510年かけて独立を勝ち取った国ならではの名前だった。

 ノルウエーの国歌の名前を読んだとき、私は不覚にも涙がこぼれた。


 こんな当たり前の言葉さえ、日本では口にできない風潮がある。・・・・・・だからもうノルウエーのブログは、これで終わりとする。文豪イプセンや、作曲家グーリグのこと、あるいは出光石油のことなど、述べたいことはまだあるが、ここで終わろう。

 保守自民党の議員諸氏が不甲斐ないのか、はたまた己自身に信念が無いのか、本を枕にしばらく考えてみたくなった。




コメント (9)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ノルウエーを知るための60章 - 2 | トップ | 殺人教室 »

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ノルウェ-旅行記 (憂国の士)
2016-03-27 12:07:27
島国日本と違って大多数の国は戦渦に巻き込まれた歴史を持っている、
故に敵であったり助けられたりの過去がある、あなたの述べられる
ノルウェ-も困難だった歴史が在ることを知りました。

だが平穏な時代を迎えると敵味方の関係も修復されて友好が芽生える、
それが普通の国だと思いたいが、日本に隣接する反日の三国は自分達の
国内事情を日本に転化していいように弄ぶ、ここが日本にとって不幸の
始まりである、彼らの腹に秘めた思惑のため何故に未来へ向う日本の
子供達が犠牲にならなければならないのか、私の憤りと三国とは手を
結ばなくても良いとの主張がここにあるのです。

あなたのノルウェ-を知るための60章 -2 -3は、知らなかった
北欧の歴史を辿る旅でもありました、未知なる発見と、彼の地に学ぶ智恵、
沢山の啓蒙を頂きました、時に悲しく、時に胸踊らされる北欧の国々の歩み
ノルウェ-旅行記 集大成と言うべきロマンでした、胸中にある胸のつかえは
私が共有して取り除いてあげたいと思っています、勇気を出して。

ご苦労様でした、そして感謝です。

胸中にあるもの (onecat01)
2016-03-27 14:46:51
憂国の兄殿

 いつも嬉しいコメントで、感謝いたします。
胸中にある思いの、最後の一つは、ブログに載せられないものですから、生きている限り抱いて参ります。

 共有して頂ける有難さを、かみしめております。
春に潜むもの (ゆりあ)
2016-03-28 14:15:01
氷と雪と森の国、遠い異国のそんな情景のなかに秘められた歴史を垣間見ることができました。ありがとうございます。

長い連載の最後が母国日本へのやるせない想いであったことに襟を正す思いで読ませていただきました。

一度の戦に負けたからといって全てを壊されてなるものか、そんな思いを口にできなくとも国民全てが胸の奥底に秘めていられたら今の状況はなかったかもしれません。

そうできなかったのはなぜなのでしょう?

カルト国家と暴力団国家が隣りにいることだけでなく、自らの病を勇気を持って見つめなければなりませんね。

異国の窓から眺めた日本の姿を教えていただき改めて感じました。

↓のサイトはご存知かと思いますが「総連の衰退は親北の深化でもある」という記事に「獅子身中の虫」の姿がかいま見えます。
あちらの立場にあった方の告発ですので事実なのでしょう。
本当にグロテスクな実像です。



Unknown (ゆりあ)
2016-03-28 15:04:16
ttp://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/

貼り忘れてしまいました!
日本人のDNA (onecat01)
2016-03-28 15:50:04
ゆりあさん。

 ああ、戦争が終わった。もう、戦争はいやだ。

 敗戦の屈辱より、解放の嬉しさの方が強くて、GHQの施策を多くの国民が進んで受け入れた。
そうだったから、ここまで反日と売国の言論をはびこらせてしまつたのだと、最近は、そう思うようになりました。

 理ではなく、情が優先するのが、私たち日本人の特性なのかも知れません。つまり、理論や理屈でなく、心に響くもの、感じるものを正しいとする国民性なのでないかと、そんな気がしております。

 そうして眺めますと、左翼の平和や、国への憎悪は、理論でなく、感情的なスローガンでしかありません。片や保守と言われる私たちも、論理より、左翼の反日・売国の言動にいきり立つ、感情論を優先させているように思えてなりません。

 けれども、だからこそ希望の火も見えます。
一時的には揺れ動いても、自分が正しいと感じ取れば、疑いなく過去と決別する潔さ、私たちはこれをご先祖様からDNAとして受け継いでおります。

 一番よい例が、朝日新聞とNHKです。
経営のトップにいる日本人たちは、戦前と戦後にどれほどの変貌をやってのけたか。私たちは二つの組織をひたすら誹謗いたしますが、これこそ私たち日本人の写し絵です。

 裏切りや反逆でなく、あそこにいる経営者たちは、今はそれが正しい選択だったと信じているのでしょう。
しかし国民の多くが疑問を抱き、嫌悪するようになり、部数の激減で経営が傾いてくれば、立ち止まり考える日が来る。そしてある日突然に、敗戦前への回帰と、変貌するような気がいたします。

 すべては、国民の世論の高まり、つまり民意です。現代の私たちは、ネットという情報手段を持ち、こうして見ず知らずの方とも意思疎通ができます。日本の指導者たちが、どうしてこれを無視することができましょう。

 右も左も玉石混交の情報が氾濫しておりますが、40年、 50年と時間が経過すれば、必ずや時の魔法が正論を振い分けます。ですから、私たちの思いを、こうして諦めず綴る大切さを痛感致します。

 ノルウエーの人々を見習うと致しますれば、510年かけて独立を手にしたという、その辛抱強さでしょう。敗戦後70年くらいの左翼思想の浸透や、お花畑の花のさざめきなどに、なんで臆することがありましょう。

 大切なことは、ただ一つです。
自分の生まれ育った国を、悪し様に言うような人間は、世界の何処にいても、クズだ・・・・、ということでしょう。
今日は、よく拝読しています (ミルティリおばさん)
2016-04-10 18:34:52
了解を得る前にリンクさせて頂きました。
図々しくすみません。

どうも有り難うございました。

酒盛りに混ぜて頂きたいのですが、
日本酒は飲めないのですよ。(*_*)
桜の花びらを肴に酔いつつ、
心行くまで語り合ってください。
酒盛り (onecat01)
2016-04-11 08:33:22
ミルティリさん。

 昔私も、日本酒はダメでした。ウィスキーか焼酎、またはビールを呑んでおりました。
しかし今ではなんでも頂きます。ただし、量は少しになりました。焼酎なら、コップに六四でお湯割り一杯です。酒なら一合、月水金に呑みます。桜の花びらを杯に浮かせて呑む酒は、風流ですが、美味しいものではありません。
程よい酒で、気の合う人との語らいを、私は楽しみにしております。
暫くブログを休憩しておりましたので、あなたのコメントが有難いです。どうぞ自由にリンクしてください。
Unknown (ミルティリおばさん)
2016-04-12 13:49:26
Onecat01さんは、あまりお酒を召し上がらないのですね。
私も下戸ではない程に頂きます。
日本酒を飲まない、と申したのは
お2人の酒席を邪魔したくなかったから、です(*_*;
実際、頂きませんが。
男同士の酒は何気にいいですね!

黒服の粋なお兄ちゃんに葡萄酒を注いでもらうのは
気持ちが良いですが、私は手酌で1人酒に限ります。
滅多には飲まない高価な赤の芳香を楽しみながら
飲むのは至福の時です。

桜を肴に、と申したのは、桜の花を楽しみながら
というつもりで・・・
薔薇や桜の花びらがいか程美しくても
滅多に飲まない高い酒に浮かすなど私には勿体ない。

それでは、憂国の士殿と楽しいお酒をお続けください。

又お邪魔いたします。(*^▽^*)
美酒 (onecat01)
2016-04-13 15:43:57
ミルティリーさん。

 男同士の酒。もののふの酒。私は武士ではありませんが、憂国さんは、そうです。いつか二人で、黙って酒を飲みたいと、楽しみにしております。

 ニャンコ姫殿のコメントと、貴方のコメントが、私を蘇生させてくれるようです。歌を忘れたカナリアは、忘れた歌を思い出そうと、月夜の海で頑張っております。

 「桜を楽しみつつ」と、貴方の言われることは理解しておりましたが、日本のポーイは、かってそれを本気にいたしまして、杯に花を浮かべて飲みました、恥じらいつつお話いたしました。

     本日は、これまでと致したます。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然の記」カテゴリの最新記事