昭和11年から始まった日中戦争は、事変という名称でしたが、政府内では総力戦と認識されていました。
当時の状況を藤井氏が、説明しています。
・政府は自ら音頭をとって、総力戦にふさわしい銃後の形成に、向かわねばならなくなった。
・昭和12年9月9日、近衛内閣は国民精神総動員を告諭した。「挙国一致、尽忠報国、堅忍持久」が、そのスローガンである。
・10月12日には、「国民精神総動員中央連盟 ( 精動 ) 」が結成され、国内の諸団体を糾合した。内務省と文部省が主務庁となり、各界の代表が役員についた。
この辺りの動きは、2月に読んだ富田健治氏の著作と一致します。富田氏は近衛内閣の内閣書記官長で、今で言う内閣官房長官でした。近衛首相は陸軍の独走を快く思わず、陸軍もまた首相に協力しませんでした。
富田氏は元内務官僚で下から、内政の主導権を、陸軍から内務省へ移そうとしていたのかも知れません。特に陸軍の指導下にあった「国防婦人会」について、首相は何とかしたかったに違いありません。
昭和12年に近衛内閣が、「国民精神総動員」を告諭した6年後の昭和18年には、「国防婦人会」が消滅しています。この間の各団体の合併、統一、名称変更について、藤井氏が詳しく説明していますが、煩雑なので省略します。
「国防婦人会」を除けば、他の団体は内務省とのつながりが深いので、一気に参集しています。市川氏がリーダーだった市民運動家の団体も、内務省にパイプを通じていました。
・「国防婦人会」が一人不参加で、あたかも、「国防婦人会」包囲網のようにも見えた。
この状況を、氏はこのように説明し、市民運動家の動きについても語ります。同じ左系の仲間だと思うのに、氏の語り口は冷淡です。
・婦人たちの活動内容が、経済と暮らしが主要なものとなるに及んで、ヘゲモニー ( 主導権 )」を取るべく画策していたのが、従来の市民的婦人運動家たちであった。
・彼女らは、「国民精神総動員中央連盟 ( 精動 )」の委員に加わり、各種委員会が設けられるとその委員に加わり、指導者の位置に立った。
市民運動家たちの動きは、現在と同じ政争そのものです。市川房枝氏以外は知らない人物ばかりですが、参考のため、他の運動家の名前も紹介ておきます。
山田わか、 吉岡弥生、 西野みよし、 高良富子、 井上秀子
まだ、8人の名前がありますが面倒になりました。
各種の団体は、団体そのものは解散せず、「国民精神総動員中央連盟 ( 精動 )」という大きな中央組織に、連合体という形で集まっていました。結局「国防婦人会」も、これに参加します。
この時の状況を、氏が語っています。
・この機を捉えて、20年代の婦人運動家たちが戻ってきた。
・「国防婦人会」は、「国民精神総動員中央連盟 ( 精動 )」の、下部実行団体になったのである。
・昭和 7年以来、婦人運動が対抗し系列化してきた後に、このような形で統合に向かったのも、歴史の揺り戻しなのだろうか。
・「国民精神総動員中央連盟 ( 精動 )」入りした市川らは、しばしば地方の「国防婦人会」の会員に対して、講演者の立場になるのであった。
・昭和15年に、「国民精神総動員中央連盟 ( 精動 )」は、贅沢全廃運動委員会を設け、大都市を標的に運動を始めた。各種婦人団体は、これに応じて「婦人挺身隊」を編成し、街へくりだして警告カードを渡すことになった。
警告カードは、
「華美な服装は慎みましょう。」
「指輪はこの際全廃しましょう。」
というものだ。
・街には、「贅沢は敵だ」の看板が立ち並んだ。この街頭挺身で一番張り切ったのが、旧市民運動家たちだった。彼女たちの熱心な監視活動、指導的発言の増加は、まさに進行中の、政治経済新体制の転換にあたって、婦人団体統合の主導権を狙った動きなのであった。
・そこに描かれる婦人世界像は、戦争推進の先兵となった「国防婦人会」の解体、隣組を基礎とした、単一婦人組織への全婦人の統合、最終的には「大政翼賛会」への婦人代表の進出だった。」
元々私は、市民活動家に疑問を感じていますから、氏の説明を読んでいますと、市川房枝氏への怒りが湧いてきます。彼女は戦後に菅直人氏に担がれ、参議院議員となりました。
菅氏は鳩山氏や小沢氏と組み民主党政権を誕生させ、反日と売国の政治をしたのです。市川房枝氏は、今日に続く「獅子身中の虫」と、「駆除すべき害虫」の原点です。氏の説明を読み、素朴で献身的な、「国防婦人会」の女性たちに同情しました。
内務省の主導で、全国の市町村に「隣組」が作られると、婦人活動のあり方に決定的な変更が生じました。隣組の活動に防空、防災演習が加わると、割烹着姿の国防婦人会の服装は、不便で役に立たないという批判が出るようになります。
同じ左翼と言っても、学者の藤井氏と市川氏のような活動家は、肌が合わないのでしょうか。氏の説明が市川氏に冷淡なので、その分だけ藤井氏に惹かされるという不思議な体験をします。
・隣組は、配給制度の末端機関となることにより定着し、国民生活に粘着した。隣組が、国民生活のため不可欠の単位となるに及んで、旧婦人活動家たちは、実にうまく指導層を形成していった。
・「国防婦人会と「愛国婦人会」は隣組が成立すると、二重組織の煩雑さに加え、細分化された隣組の単位には対応しきれない状況が生まれた。
・つまり行政ルートは、軍から内務省の管轄下にある市町村へ移り、軍が「国防婦人会」という組織を持つこと自体が、国民統合のためのガンとなった。
役目を失った婦人団体は、急速に解体し消滅していきます。富田氏の著作を読み、軍部と対立していた近衛公の苦労を知っているため、納得する流れがあります。
納得できないのは、「国防婦人会」の女性たちの献身を歴史から消滅させたことと、運動を政争の具にし主導権を奪い、勝利した取った市民活動家の女性たちです。
粘り強いと言えば良いのか、狡猾と言うべきか、私には彼女たちの顔が現在の反日野党の女性議員の顔と重なります。
福島瑞穂、蓮舫、辻元清美、山尾志桜里、阿部知子氏等々、国会を紛糾させている各氏の顔です。
本日で藤井氏の書評を終わりますが、最後まで氏の評価が出来ませんでした。左翼とは言いながら、氏は国を愛する「本物の」左翼でないのか。あるいは、最初の日に私が感じた「庶民の学者」ということなのか。
不思議な、忘れがたい本となりました。感謝する啓蒙の書でもあります。
祖国防衛の対価として、公民権があるという、常識が、敗戦後の日本からなくなりました。
分からない人が多いのも、今は理解できるようになりました。もう、戦争は嫌だ、という気持ちは、敗戦後の日本国民の、正直な思いでした。
これを自虐史観に結びつけ、日本の過去、大切な親や祖父母まで、貶めたのは、GHQの政策でした。政界、学界、法曹界、マスコミの指導的立場にある人間たちが、大挙して GHQになびいたところから、戦後日本の問題が生まれました。
つい先日まで、私も、そんな反日・左翼の主張に共鳴していました。国を大切にするという、心さえあれば、誰でも目を覚ますはずと、私は思っています。
今は日本にとって、大切な時期ですから、私は、ねこ庭から、声をあげています。継続は力なりです。
貴方のコメントを、心強く、有難く、読ませていただきました。これからも、どうかよろしく、お願いいたします。
『国防婦人会』の著者の藤井様は、どちらかと言えば左翼だそうですが、この書物に関して言えば、客観的な記述がなされているらしいですね。
左翼の人でも、実証的に研究し学者としての矜持があれば、それほど偏った主張はなさらないと思います。
『国防婦人会』についてですが、例え、それが戦時体制の風潮の中から生まれたものであったとしても、庶民の女性の自発的な団結によって結集されたものであることは、疑う余地もないでしょう。
そして、それが、結果的には婦人(女性)の地位や発言権を高め、婦人公民権の獲得につながったんじゃないかと思います。
戦争の是非はともかくとして、『祖国を守る戦い』に参加することは、当然、公民権を主張する資格があるはずです。
なぜなら、
【『公民権・参政権』というものは、『国防の義務』の対価として与えられる物だからです】
、、、、上記のことは、独立国家として当たり前のことですが、それがわかっていない人が多いんですね。