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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

驕るNHK - 40 ( 訪問される方々の減少理由 ? )

2019-09-10 16:02:02 | 徒然の記
  第5章が終わったと一息入れていましたら、NHKがもう1つタイトルを増やしていました。予告せず、こっそりとやる手口が田島氏と似ています。
 
  ( 6 )  戦後占領期 北海道への巡幸 強く希望  ・・・ これが追加されたタイトルで、 内容は下記 6項目です。
 
   ・  北海道への巡幸についての記述   頻繁に登場
 
   ・  船で津軽海峡越え 治安当局も難色
 
   ・  マッカーサー最高司令官 「しばらく延期して頂く事だ」
 
   ・  ソ連の脅威も
 
   ・   私が行けば北海道を  何かの時見捨てぬと言う証拠に
 
   ・  専門家 「戦後巡幸の政治的な効果について、極めて自覚的だった」
 
 NHKとその協力者である学者たちは、どう言う意図で項目を追加をしたのでしょう。『沖縄メッセージ』で、沖縄県民に陛下のイメージを低下させたので、北の北海道民にも、同じことをしようと考えたのでしょうか。
 
 追加された「表題」の文字を読むと、変わらない悪意が漂っています。韓国の文大統領もしつこさの点で日本人の嫌悪を誘いますが、NHKの執拗さにも似たものがあります。
 
  醜いNHKが追加した執拗な「説明文」を、紹介します。
 
  ・『拝謁記 』の記述からは、昭和天皇が戦後の占領期に国民を直接励ますために行った、戦後巡幸をめぐるやりとりが明らかになりました。
 
  ・昭和天皇は占領期に、当時の日本の施政権下では、唯一、北海道を訪問していませんでしたが、朝鮮戦争の勃発後も私が行けば、北海道を何かの時、見捨てぬという証拠になるなどど繰り返し、北海道への訪問を強く希望していたことが分かりました。
 
 〈 北海道への巡航についての記述   頻繁に登場  〉
 
      昭和24年7月12日の拝謁時の「お言葉 」
 
  田島氏
 
 ・四国、北海道のことも、今年はよほど様子を見ねばなりません。
 
  陛下
 
 ・慎重論も、もっともだが、積極的に多少の危険を冒してでも、出かけるほうが、返って国のために良いと言うことも考えられる。
 
  田島氏 ( 田島氏注 :  陛下の行幸で相次ぐストライキが、行幸時だけ中止になるため )
 
 ・一部の階層の人の便利のため、天皇の行幸を利用するとの誤解の恐れがあります。よほど、慎重にする必要があります。
 
    陛下
 
 ・それはそうだな。
 
  田島氏
 
 ・なお、御警衛上の見地よりも、 積極的なのはちょっと困難です。
 
 古川教授は、田島氏が陛下を理解していたと説明していますが、今回も氏が陛下のご意向を理解せず、巡幸を止めようとしています。
 
 天皇は現人神( あらひとがみ )でなく、ただの人間だと国民に知らせるため、GHQが全国巡幸を強いたと、学校ではそう教えられました。しかしNHKの番組を見ますとGHQの強制でなく、陛下が危険を冒しても巡行を望まれていたと分かりました。
 
 『拝謁記』のブログがあまり長く続いているせいか、「ねこ庭」を訪問される方が少なくなりました。訪問される方々は、ブログに退屈されたのでしょうか。それともNHKに眉をひそめ、これ以上読みたくないと忌避されたのでしょうか。
 
 後者であれば、有難いのですが・・・
コメント (4)
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驕るNHK -39 ( 番組制作リーダーの古川氏 )

2019-09-10 07:53:01 | 徒然の記
   本日は第5章の最後の5項目めです。番組制作リーダーの古川氏が、締めくくりの意見を述べています。
 
 先ず私は、氏がつけた見出しの言葉からして気に入りません。たかが大学教授が、陛下の「お言葉」を評価する行為からして不遜と思いますが、敬語も使わず、上から目線で「大局的に考えている」と言っています。
 
 自分の感情を丸出しにしていますから、私の言葉も息子たちには聞きづらい偏見となるのかもしれせんが、それでも致し方なしです。
 
 氏の意見を紹介します
 
  〈    大局的に考えている   〉  ・・ ( 日本大学・古川隆久教授の話 )
 
  ・基地が置かれた現場の住民からすると、納得のできない議論のようにも見えるが、昭和天皇は、仮に再軍備するにしても日本を西側世界に残すためには、やっぱりアメリカ軍の駐留が必要だ、と考えていた。
 
  ・全体の利益から考えれば、基地が置かれた地域の住民が多少不便を感じるのはしかたがないという、マクロな視点で見たプラスマイナスで考えていることが、この発言に表れている。
 
 ・昭和天皇からすると、大局的な目で見たら議論の余地のない問題だと認識し、それまで天皇としてやってきた経験からも、大局的な立場で考えるのが当然と考えているので、どうしても国民との間に矛盾が起きてしまう。
 
  ・田島は両方の気持がわかる立場だが、象徴天皇が国民に受け入れられていくうえでは、決定的にマイナスだと判断し、いらだちはわかるけど、ここは黙っていてくださいという判断になっていったことが、この記録からうかがえる。
 
 田島氏を擁護し、陛下が国民から遊離されていると説明しています。陛下が社会主義国でなく、自由主義の西側世界を選ばれたことに氏は異議があるようです。吉田総理の著書を思い出せば、当時の民意はマルキストの政党でなく、自民党に集まっていました。
 
 陛下が国民に受け入れられなくなると言う氏の意見が、陛下の「お言葉」からは生まれてきません。NHKは、なぜ氏の意見を正しいもののように報道するのでしょう。
 
 政治は常に大局に立って行われます。それをせず、関係者の利害の衝突をそのままにすれば政治が止まります。政治を止めない工夫として、先人たちは「最大多数の最大幸福」という多数決の原則を考え出し、これに「民主主義」という名前をつけました。
 
 政治が行われる限り利害の衝突が生じるが、「その犠牲には、全体が親切に賠償する」べきであろうと、陛下は述べられています。氏は陛下が、国民との間に矛盾を起こしていると説明しますが、私はこの説明に反対します。
 
 NHKの違法番組を通じ、私は陛下のご意見を抑え、吉田総理との意思疎通の邪魔をする田島氏の姿を見ました。この番組を見て、田島氏が両方の気持がわかる立場にいたと、そのような印象を持つ視聴者が何人いるでしょうか。
 
 陛下の「ご信頼」を裏切り、こっそりメモをする人物のどこを見て、「陛下のお気持ちが分かる」と氏は語るのでしょう。
 
 腹に据えかねる物がありますので、前回のブログをもう一度紹介します。
 
 〈 昭和天皇を象徴にしていった田島とブレーン 〉 ( 日本大学・古川隆久教授の話 )
 
  ・昭和天皇が田島との対話の中で、自らの考えが時代後れだと気づき、説得され、自分で考えて、納得した末に考えを変え、最終的に落ち着くべきところに落ち着いていった過程が、この資料からよく分かる。
 
  ・田島長官が、一連のやりとりのキーマンなのは間違いないが、昭和天皇を象徴にしていったのは、田島とそのブレーンたちのグループだと言うことができる。
 
 田島氏が小泉、三谷という他のブレーンと共に陛下を象徴にしていったと、説明しています。氏は厳しい時代を生きてこられた陛下を、なんだと思っているのでしょう。
 
 たかだか銀行家上がりの田島氏が、ブレーンと共に陛下を作り替えるなどと、おこがましいことを述べています。「お言葉が」気に入らない時は、「これでは国民に受け入れられない」と、決まり文句で説明します。
 
 ここまで知りますと、氏はNHKに協力し、積極的に陛下を貶める役目をしていたと、国民が理解するのではないでしょうか。
 
 やっと第5章が終わりました。腐臭の漂うNHKの番組も、ようやく最後の6章になります。
コメント (2)
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