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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

今もなお、これが日本の現実

2018-06-27 23:46:23 | 徒然の記

   6月8日の千葉日報に、日高六郎氏の記事が掲載されました。

  「日高六郎さん死去」

  「101歳 行動する社会学者」

  と言うタイトルで、氏の写真付きの三段組みの記事です。単なる訃報でなく、足跡を讃える内容です。

 長くなりますが、紹介いたします。

  ・行動する学者として戦後の平和運動をリード、ベトナム反戦や、水俣病問題などにも取り組んだ社会学者日高六郎さんが、老衰のため、京都市の高齢者施設で死去した。

  ・101歳、個人の意思で、葬儀は行わない。

  ・中国、青島の生まれ、東京帝大卒。

  ・戦中の、海軍技術研究所嘱託を経て、戦後は東京大新聞研究所助教授を経て、1960年から、教授。

  ・「60年安保闘争」をはじめ、数多くの市民運動の中心となって、理論と実践の両面で活躍した。

 ここまでで、記事の半分を紹介しました。

 「60年安保闘争」は、昭和35年に展開された、「日米安全保障条約」に反対する運動でした。国会議員や労働者、学生たちが参加した、日本史上で空前の規模の、反政府、反米運動で、傷害、放火、器物損壊などが伴う、大規模暴動でもありました。

 安保の仮想敵国はソ連でしたから、ソ連が激しく反対し、当時の共産党や社会党に、ソ連からの資金援助があったことが、後年に明らかになりました。

 今沖縄で、基地反対運動の中心にいる高齢者は、この時の学生たちです。年を取っても左翼過激派は、いつまでも学生時代を忘れない信念の馬鹿者かと、私は呆れるしかありません。

 だが、千葉日報の記事は私と違います。

    ・知識人の社会的責任を持論とし、作家の小田実さんや、評論家の鶴見俊輔さんらと共に、在野の立場から主張を続け、平和や教育、公害、人権などの問題で、戦後の民主主義を擁護する論陣を張った。

  ・60年代末の東大紛争では、大学への機動隊導入に抗議して教授を辞職。ベトナム反戦運動では、脱走米兵を自宅にかくまうなど、社会の課題に積極的に関わった。

  ・一方で、市民運動の拠点として設立された、「国民文化会議」の代表も務めた。

 記事が続きますので、私も諦めずに紹介いたします。

  ・護憲の立場から、ドキュメンタリー映画、「日本国憲法」に出演。戦時中の、自らの精神史を振り返る、『戦争の中で考えたこと』を出版するなど、日本の平和主義を守るために発言を続けた。

  ・著書に、『戦後思想を考える』、『現代イデオロギー』編著に、『1969年5月19日』など。E・フロムの、『自由からの逃走』の、訳者としても知られる。

  ・妻の暢子さんは、画家、エッセイスト。

 ここで、記事が終わりました。亡くなった後にも、氏の著作が売れるようにと、本の題名まで書き、ついでに、奥さんまで紹介しています。

 私がなぜ、面倒さも厭わず、記事の引用をしたのか、ここでやっと、本日のブログのタイトルとつながります。

  「今もなお、これが日本の現実」

 記事の中に出てくる、小田実氏や、鶴見俊輔氏は、私が過去のブログで、「獅子身中の虫」として、強く批判した人物です。国際社会において、捏造のプロパガンダで日本に敵対する中国や、韓国・北朝鮮に、心を寄せる反日の人間ですから、その仲間である日高氏も、日本のためにならない人物です。

 最近は、ネットの世界でも、やっとマスコミの偏向報道が語られるようになり、反日と売国の人間が、嫌悪されるようになりました。

 しかし、どうでしょう。日高氏の訃報を知らせる記事は、反日・左翼である氏を、褒め称える内容です。ネットの中で、目覚めた保守たちが、朝日新聞やNHKの凋落を語っていますが、この記事を読めば事実はそうなっていません。

  「今もなお、これが日本の現実」

 昭和49年に、日高氏の細君は日本赤軍との関係を疑われ、フランス警察に捕まっています。容疑が晴れて釈放されましたが以後昭和64年まで、フランス政府は、日高夫妻に、長期滞在ビザを発給しませんでした。

  昭和56年に、氏がオーストラリアの大学から客員教授として招かれた時、オーストラリア政府から、ビザの発給を拒否されたこともありました。

  平成9年には、 日高氏が理事長を務めていた「社団法人神奈川人権センター」が、三浦商工会議所の新春経済講演会に、櫻井よしこ氏が講師として招かれることについて、反対しました。

 理由は、慰安婦問題で差別的発言をしている櫻井氏を招くことは、参加者に悪影響を与える、というものでした。このことが新聞に出ますと、商工会議所に、抗議が殺到し、三浦商工会議所は、神奈川人権センターの圧力に屈する格好で、講演会の中止を決定しました。

 こうした事実を知るだけでも生前の氏は、社会運動家、平和活動家と言うより、社会に害をなす、反日・左翼の活動家です。フランスとオーストラリア政府から忌避される危険人物なのに、新聞の記事は氏を誉めています。

 しかし本日の私は、この記事をもって、千葉日報社を非難することは、いたしません。

 以前に書いたことがありますが、地方紙である千葉日報社の記事のほとんどは、共同通信社からの配信です。千葉県内の出来事なら、千葉日報の記者が書きますが、国際政治や全国の出来事については、共同通信社から記事を買っています。

 記事の掲載を断れば、通信社に以後の配信を拒絶され、新聞が続けられなくなります。全国の弱小な地方氏は、いわば共同通信社の支配下にあります。

 NHKや朝日新聞ばかりが、反日として世間で騒がれていますが、共同通信社には、誰も注目していません。

 電通と同様に、世間から注目されていないのに、マスコミ界で隠然たる力を持ち、世論をリードしています。明日から私は、共同通信社につきまして調べてみたくなりました。

 ブログにまとめられたら、息子たちに教えたいと思います。

 根気よく探しますが、私にはネットの情報しかありませんので、訪問される方は、あまり期待されませんようにお願いいたします。

コメント (6)
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