当時の婦人団体には、「愛国婦人会」、「国防婦人会」、「大日本婦人連合会」の他にも沢山ありました。
今でも農村へ行きますと、『家の光』という雑誌が読まれていると思います。元々は農林省の所管だった、産業組合中央会 ( 大正14年 ) から発行されたものです。情報に乏しかった農村部向けに出されたれた雑誌で、農協を通じての配布でしたから、農家以外の家庭は馴染みがありません。
『家の光』は、友の会方式で農村婦人の組織化を進め、目的は、農村の疲弊を救うための自力更生運動が中心でした。節約し、生活の合理化に努め、貯蓄をすることに主眼が置かれていました。
昭和6年には10万部だった『家の光』が、昭和10年には100万部に達するほどでした。
「愛国婦人会」も「国防婦人会」も、発祥は都市部ですから、農村部を補うものとして、『家の光』の団体は活動していました。戦争の拡大と共に、「国防婦人会」や、「愛国婦人会」の団体も農村へ進出しますが、実態は、家の光のメンバーが参加しているようです。
農村の女性にとっては、出征する兵士のお世話や留守家族の支援であれば、団体の名前がなんであっても、参加することにためらいはありませんでした。
今ひとつ忘れてならないのは、婦人の権利向上を目指した市民団体のことです。馴染み深い市川房枝氏がリーダーとなった、『婦選獲得同盟』です。昭和7年の大会でファッショ反対を決議し、昭和8年と9年の大会では、膨大な軍事費拡大への反対を決議し、軍事国家への反対勢力となっています。
都市部の演説会では満員になったようですが、時節柄会員は伸びませんでした。昭和9年に1,431人だった会員が、昭和14年には、690名となっています。昭和13年の、「国防婦人会」の会員数が755万人、「愛国婦人会」が360万人ですから、比較にならない数字です。
平成30年と比較しますと、当時のマスコミにはまだ常識があったと思います。彼らは今、私をネトウヨ、右翼と攻撃しますが、朝日も毎日もNHKも、当時は主戦論の先頭で、聖戦遂行へと国民を促していました。にも拘らず、今の彼らの変節ぶりはどうでしょう。
社会党の成れの果ての社民党が、国会の議席のほとんど失っているのに、マスコミ今も野党第一党のように扱っています。共産党に至っては、国民弾圧の独裁政党であることを報道しません。
マスコミ批判が目的でありませんから、藤井氏の著作へ戻ります。
・今私たちは、多くの戦争体験記を見ることができる。食糧不足のこと、配給のこと、焼けた家のこと、読むごとに戦争中の苦しい生活が甦る。
・だが、体験の伝承には大きな落とし穴がある。戦時下はすべて苦しかったかというと、かならずしもそうではないのである。
・昭和13年現在、戦闘状況はなお厳しいが、銃後はまだ普通の生活に近い。
・にもかかわらずその時期は、消費経済規制と、銃後生活のあり方が声高く叫ばれた時なのであった。それは一つには、戦場の苦渋と安穏な銃後生活の落差を埋めるための、精神的措置。今ひとつには戦争遂行のための、経済・物動計画からくる諸要請に基づいている。
昭和13年の閣議で、政府が「経済戦強調週間」の展開を決定しました。
ここから、消費節約運動と貯蓄奨励運動が、経済国策の二本柱となります。それでも、中々国民の協力が得られないため、活用されたのが女性たちの組織でした。
兵士へ慰問袋を送ったり、千人針を集めたりするだけでなく、財布を握る主婦である女性たちは、国策遂行の実働部隊でした。買い溜め禁止、贅沢禁止、貯蓄奨励などを率先して行い、様々な廃品を回収し、お金も集めました。
女性たちの活動が、いかにすごかったかを語るエピソードとして、氏が大阪の廃品回収業者の話を紹介しています。
・彼女たちの活動が広がりを見せると、大阪市内の廃品業者の仕事が無くなり、廃業する者が現れました。
・これを知った女性たちは業者へ詫びを入れ、集めたお金を分けたと言います。
次の事実も、私の知らない昭和です。参考のため紹介します。
・日中戦争段階の生活実態と、戦争の現実の間には、意外な開きがある。
・後に決戦段階になって、食糧も生活必需品もなくなり、本当の戦争の悲惨さを、すべての国民が味わった時期とは違う日常があった。
・国策の中から、一方では戦場で死ぬ者、一方では、景気が良くて儲かる者という矛盾した実像が生まれる。
・景気の良いままに享楽の生活が浸透すれば、不幸にも駆り出された兵士は、戦場で死を睹して戦えない。この意味で、政府の、消費統制運動の主要な部分は、国民の精神統制なのであって、国民精神総動員と言われる所以である。
敗戦後の日本では、マスコミの報道だけでなく、学校でも世間でも、氏の話とは違った世論が作られました。
「暗黒の昭和」
「暴走する軍隊に、押しつぶされた国民」
「言論の自由を奪った、国家権力」
「国民の声を無視した、無慈悲な国家」
と、私はとんでもない日本だったと、学校で教わりました。
もちろん、すべてが嘘ではありません。事実もたくさん含まれています。しかし私たちは、戦後に行われた捏造の事実も知らなければなりません。敗戦国となった日本が、戦勝国アメリカの支配下で、過去のすべてを否定されられました。
このことも、捏造と偏見の強制だったということ。
戦前讃歌と戦後否定は、両方とも極論であり、偏見の思考です。左翼学者の藤井氏が、これを語るのですから私は敬意を表します。
息子たちには、心に刻んでほしい氏の意見です。訪問される方には、今日の反日左翼たちが偏った意見だけを振りまいている事実を見て頂きたいと思います。
今回で終るつもりでしたが、明日もう一度続けます。
日本の隅々にまで影響を及ぼした女性の団体が、どうして消滅したのか。ここを省略したまま終わってはいけないという気がするからです。