ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『敗戦日本の内側』- 2 ( 大政翼賛会誕生前の日本 )

2018-02-23 22:03:31 | 徒然の記

 去年の夏、 岡義武氏の著書『近衛文麿』( 昭和47年刊 岩波新書 )を、読みました。氏は公を優柔不断な政治家として語り、日本を敗戦に導いた一人と酷評していました。

 富田氏は世間の悪評を修正し、むしろ立派な政治家として語ります。内閣書記官長は、現在の内閣官房長官に当たると言いますから、仕えた総理を悪し様に語るとは考えられません。

 距離を置いて読もうと思うと同時に、国難の中で公を支えた氏の著書には、知らない事実があるのではないかと言う期待も湧きました。

 近衛公が、軍部、政界、財界、そして庶民からも熱望され期待され、第二次内閣を作った時の状況が、田中角栄氏が総理になった時と似ています。国民が喝采し、「今太閤」、「コンピュータつきブルドーザー」、「庶民の政治家」などと、マスコミが大騒ぎし報道が加熱しました。

 しかし田中氏最後はどうなったか。マスコミが「金権腐敗政治の張本人」、「政治を金まみれにした犯罪人」、「闇将軍」と悪の権化のように書き立て、政界から葬ってしまいました。

 今も昔も騒げば売れるマスコミは「売るための記事」を書き、国民は記事に流されます。

 第二次近衛内閣の使命は、支那事変の早期解決でした。先ず実行しなければならなかったのが、新政治体制の確立だったと氏が言います。近衛公は対立、混乱している国内の諸勢力を一本化にし、支那事変の解決を早めるという考えでした。

 「対立の第一番目は、国務と統帥の対立というより、むしろ、統帥 (軍部) の、国務 (政府) に対する、干渉、専横ということであった。」

 国務から統帥権を切り離してはならないと言う氏の意見は、この経験から生まれています。

 「総理大臣の知らぬ間に、陸軍がどんどん支那事変を拡大しているのが、当時の実情であった。」

 「近衛公は、第一次近衛内閣の苦い経験に基づいて、このことを、一番意識していたのである。軍部を抑えるためには、政府への国民の強い支持がなくてはならない。」

  国民を代表すべき政党が腐敗堕落し、国民から浮き上がり、不信の底にありました。そこで公は、全国各階層の国民の組織というものを考えました。氏はここで、当時の社会にあった3つの動きにを、読者に説明します。

  〈 1. 既存政党の動き 〉 

   ・ 各政党は凋落不信の状態から抜け出すため、公を総裁として一つになろうとする動きがあった。

   ・ 公が新党結成を提唱すれば、党を解体し、合流しようとする情勢だった。

    〈 2. 軍の動き 〉

          ・ 長引く支那事変が泥沼の様相となり、国民の信を失った軍は、国民を引きつけるための国民運動の必要性を痛感していた。

   ・ 民間の右翼組織が軍と結託し、近衛の運動を利用し親軍的な一国一党へ導こうと画策していた。

   ・ 政党の議員の中に親軍派議員と呼ばれるものがいて、行動を共にしていた。

  〈 3. 国民一般の動き 〉

   ・国民大衆は声に出さないが、親軍的一国一党の動きに不信を抱いていた。

   ・同時に国民は、既成政党もほとんど信用していなかった。

   ・ 国民は、産業人も文化人も教員も、宗教家も、婦人も学生も、青年も参加する、一大国民運動を期待し、支那事変を終結に導くことを切望していた。

 これが有名な「大政翼賛会」誕生前の日本の状況です。

 軍は気に入らないことがあると、政府に陸軍大臣や海軍大臣を送らず、内閣を倒していました。時の政府は米内内閣で、軍の不評を買い倒閣の対象となっていて、この意味からも公の総理就任が切望されていました。

 公は軍と対決する全国的組織を作る時間が欲しかったので、米内内閣の継続を望んでいましたが、熱狂した世論が許しませんでした。しかも三つの動きの内の二つは、公の考える挙国一致内閣では不要なものである以上に、敵対するものでした。

 公の頭にあるのは第三の国民組織でしたが、当時の治安維持法では、官吏、教員、学生、婦人等々は、政治結社への参加が禁止されていました。
 
 「さればと言って、政治活動をしない単なる結社では、軍部に対抗しうるような、政治力の集中は不可能である。」
 
 「要するに、公の思想を具体的に実現する方策は、率直に言えば有りえなかったと、言えるかも知れないのである。」
 
 「さりとて、国民の期待を裏切るわけにもいかず、最善を尽くして、新体制を作ろうということになった。」
 
 ・・と、これが氏の述懐です。事実だとすれば、近衛公の政策は初めから困難を極めていました。
 
 ある議員が大政翼賛会に参加しようと、党の解党に働いたという話を聞いた時、近衛公が語った言葉を紹介します。
 
  ・余はかって、政党の解党を要求したことはない。
 
  ・政党の解消はこの運動に乗り遅れまいとした、政党自身だった。
 
  ・矢が飛ぼうが槍が降ろうが、死ぬまで解党するものかと頑張る政党が、一つくらいあっても良いではないか。
 
  ・これだから政党が意気地なしと言われ、軍部からも馬鹿にされるのだ。情けないし、寂しいではないか。
 
 公は、ため息をついたそうです。現在の日本に軍はありませんが、議員たちの情けない姿は変わりません。落ち目になったからと党を見捨て、「希望の党」へ、なだれ込んだ民進党の議員たちや、行き場が無くなり止むなく新党を作った生き残りの議員たち・・
 
 国民の負託を得て国会で多数を占めながら、憲法改正の議論もできず、野党の「モリ・カケ」攻撃になすすべもない自民党議員の不甲斐なさに、公と同じため息が出ます。
 
   「情けないし、寂しいではないか。」
コメント
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