「政権中枢にいる北朝鮮エージェント」という表題で、95ページに一章が設けられています。
詳しい説明ですが、詳細すぎて逆に不明瞭になっています。結論だけを言いますと、エージェントと言われているのは、武村正義氏のことです。思っていない話で驚きましたが、長すぎるので、さわりの部分だけを紹介します。
・平成6年2月3日深夜、細川首相の記者会見が開かれ、国民福祉税構想の中身が発表された。
・ところがその翌日、首相の女房役の官房長官の武村さんが、自分はまったく知らされていなかった、と会見したから大変なことになった。
・あとで聞いた話だが、武村さんは事前に知っていたどころか、税構想を自民党の大物政治家である竹下登さんに伝え、政界再編の具にしようとしていたのだ。
・この直後に細川さんは訪米し、細川・クリントン会談をします。会談が終わってから、細川さんと武村さんの仲は決定的に悪くなった。
・原因はクリントン大統領から、日本の政権中枢に北朝鮮のエージェントがいると、指摘されたからだ。
・おりしも北朝鮮の核疑惑で、東アジア全体が緊迫していた時期だった。ここにいたって細川さんの、武村さんへの猜疑心は、抜き差しならないものになった。
しかし細川氏は、武村氏を更迭する前に、自分のスキャンダル問題で、平成6年の4月に突然内閣を放り出してしまいます。平野氏はこの部分で、クリントン大統領が武村氏の排除を要求したと書いていますが、肝心の内容については語っていません。
214ページに、北朝鮮と深い関係にある政治家につき、別の長い説明があります。「なぜ拉致被害者が、救出されないのか。」という疑問を頭に置きながら、紹介します。
・平成9年6月17日朝、朝鮮の非武装地帯で、北朝鮮側が突然韓国側に発砲し、銃撃戦になった。
・ところが、北朝鮮と密接な関係を持つ、社民党 ( 旧社会党 ) をかかえる自社さ連立政権は、朝鮮半島の有事について議論する土壌がなかった。
・官房長官だった梶山さんが、竹下さんを通じて、朝鮮半島有事の際に政治はどう取り組めばいいか、シミュレーションを作って欲しいと要請してきた。
・梶山さんは政権内はもちろん、自民党にも相談する相手がいなかったということになる。北朝鮮とつながりのある政治家は自民党にも沢山いるのだ。
氏は小沢氏の了承を取った上で、9項目にわたる文書を作成し、梶山氏に渡します。なかでも重要なのが、第3項の「事態発生直後」の対応です。ここは氏自身の言葉で、語ってもらいます。
・3人の総理、中曽根、竹下、宮沢元首相を官邸に招請し、国家の緊急非常事態への基本方針を協議する。
( 自民党執行部や、村山元首相との協議は避けること。)
( 北朝鮮とのかかわりがあったり、判断力に問題があり、適切な結論が期待できない。)
・ここでいう自民党執行部とは、加藤紘一幹事長、山崎拓政調会長、森喜朗総務会長、野中広務幹事長代理を指している。
・村山さんをはじめ、加藤さんや野中さんは、北朝鮮とのつながりが深い。有事の際には、外さざるを得ない人たちだった。
文書が作られていたのも驚きですが、思い当たることがあります。小泉首相の訪朝時に、拉致被害者の5人が日本へ一時帰国しました。北朝鮮へ戻すという約束でしたが、安部幹事長の強い主張で、5人を北へ戻さないという決定がされました。
当時の動画で、加藤氏が安部氏を強く批判していたのを思い出しました。
「5人は、あの時北へ返すべきでした。それが国と国との約束でしたのに、安部さんは約束を破ったのです。」
「あれが、その後の交渉を全てダメにしてしまいました。」
小沢氏への人物評を別にすると、平野氏の加藤氏評は私の記憶と重なります。加藤氏は北朝鮮に好意的なだけでなく、中国にも心酔し、日本のことは二の次という政治家でした。「ねこ庭」では加藤氏を嫌悪していますし、今でもそうです。
北朝鮮とつながりの深い自民党の政治家についての話を、一旦終わります。
拉致問題の解決がどうしてできないのか、なんの動きも無いのはなぜか。何となくが分かりました。「拉致問題は、内閣の最優先の課題です。」と、安部総理がいくら力説しても、現状のまま推移するはずです。
マスコミが反日勢力で固まっていますから、まともな報道が期待できません。これまでそうでしたし、これからもそうだと思います。政界や経済界だけでなく、マスコミや学界の内情を知りますと、「安部独裁」「安部一強」という言葉が、いかに無内容なものか分かります。
最近は、「拉致問題」の解決を安部総理に期待するのは無理と、冷めた気持になっています。かといって氏以外に保守らしい政治家が見当たらず、「消極的支持」を続けていくしかありません。
こういう今、私はノルウエーことを思い出します。
一面の銀世界だった厳しい寒さの国で、私はノルウェーの歴史書を読み、同時に日本を思いました。2000年に及ぶ日本の歴史で、戦後はたかだか72年です。しかもGHQによる占領は、たったの7年です。
国の独立を得るため、ノルウェーの政治家たちは、国の内外で敵と戦いました。第二次世界大戦が終わり、晴れて独立国家として世界に認められた時、この国の保守議員諸氏は、盟友とも言える共産党議員と決別しました。保守と共産主義が相容れないため、互いに納得の上で決断をしていました。
だから「ねこ庭」では、反日の野党や亡国のマスコミより責任が重いのは、自民党の議員でないのかと思っています。ノルウエーの政治家を知った今は、日本の保守政治家の不甲斐なさを、責めずにおれない自分がいます。
淀みに浮かぶ泡沫のように、無数の政党が生まれては消え、無数の政治家たちが現れては消え、日本の独立はまだ遠いのですが、ノルウエーの歳月を知れば勇気が出て来ます。
「選挙の一票で、反日の害虫どもを追放できる日がくれば。」
「日本も、独立できないはずがない。」
という希望と勇気です。自分が生きている間に憲法が改正され、自分の国を自分で守る普通の国となると、そんな安易な考えを捨てる覚悟もしました。
次回は、加藤紘一氏がどのように日本の政治を歪め、自分の利益を優先したかについて、平野氏の話を紹介します。