ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

美しい庭

2010-06-01 13:24:24 | 随筆

 草花は手をかけると、その何日か後、あるいは何ヶ月後かに、必ず結果を見せてくれる。

 しおれていた葉が緑を甦らせ、小さな芽をつけたりすると、自然のわざに感嘆させられ、充実感を味わう。

 季節の変わり目に土を入れ、肥料をやり、雑草を抜き、余分な枝を払い、風通しを良くしてやると、見慣れた庭が爽やかに変貌する。破れかけた麦ワラ帽子や、あちこち草のシミのついたズボンなど、みっともない姿も気にならず、流れる汗が心地よい。一杯のコップの水が、しみじみと美味い。すべて、庭仕事の醍醐味だ。

 昨年の暮れ、スッカリ地肌をさらした冬の庭に、家内と二人で、買って来た土と肥料を加え、枯れ残っていた葉をかき集め、気合いを入れて春の準備をした。参考書を読みながら、いつもはやらない、虫除け薬の散布を、種類を変えて二度もやった。

 我が家の庭は、毎年虫どもに葉を食われ、梅雨入り前には、白っぽいカビにやられ、枯れたり腐ったり、情けない姿と成り果てるため、なんとか「ちゃんとした庭」にしたいと、工夫をしたのだ。

 おかげで今年は、例年になく庭が綺麗だ。アイスバーグ、カクテル、ロココ、マダムハーデイーなど、赤や白や淡いピンクのバラが、柔らかな花弁を開き、気持ちを和ませてくれる。

 玄関のツルバラとミニバラ ( 4種類あるが名前がおぼえられない ) も、たくさん莟をふくらませている。すべて、年末の準備、夫婦で力を合わせた、家庭円満の労働の賜物だ。

 家を買い転居して来た当初は、庭と虫の親密な関係を知らなかったので、蝉やカミキリムシや黄金虫がいても、気にならになかった。名前が分からないため、「みどり虫」「オレンジ虫」と勝手に呼んでいる小さな虫が、春先の庭を飛び交う様は、季節を告げる愛らしさとみえた。

 しかるに、庭を丹精するようになって以来、虫はすべて、退治すべき害虫になった。ちゃんとした庭を維持するには、日々が、植物の病気や虫との闘いだったのだ。

 虫は卵を葉に産みつけ、かえった幼虫がその葉を食べ、花も木も台無しにしてしまう。土にもぐった幼虫は、おとなしく静かにしていると思っていたのに、大事な根を食い荒らし、植物を涸らす作業をしていたのだ。

 三年前だったろうか、綺麗なブルーの羽に、白い胡麻斑のカミキリのつがいが、イチジクにとまっていた。つかまえず放置していたら、幹に卵を産みつけ、幼虫たちが幹と枝を穴だらけにし、甘い実をつける立派な木をボロボロにしてしまった。

 道具がないので、手でつかまえるのだから、背伸びしても届かない高さに逃げられると、憎っくき虫どもが、下へ来るまで根気よく待つしかない。虫と名のつくものは、ミツバチ以外は、見つけ次第殺している今だ。

 毎年春になると、家内と近くのバラ園に行くことにしている。赤青黄と、色とりどりのバラが咲き乱れ、目に鮮やかな美しさに言葉を失う。

「こんなに沢山バラがあるのに、虫食いの葉もなく、病気の花もない。」「どんな手入れをしたらこうなるのだ」

 と、小さな庭で、虫との闘いに明け暮れる私は、行くたびに同じ疑問を抱いた。なんとその疑問が、去年の春に突然解けた。花に潜り込んだミツバチが、そのままの姿で死んでいるのを見たからだ。

 ゴルフ場の、あの美しい芝生と同じことで、バラ園の「美しい庭」には、大量の農薬が絶え間なく、散布れされているという事実だった。しかも、親指ほどもあるミツバチが、一気に死んでしまうほどの強い薬だった。

 私が家で使うのは、化学薬品でなく、天然ものとでも言えばいいのか、木酢と唐辛子エキスである。市販の薬品も持っているが、使うのは月に一度あるかないか、それだって、何十倍にも薄め使っているのだから、虫もたいして死にはしない。薬をかけられた我が家の虫は、死んだ振りでジッとしているが、暫くすると、逃げ出してしまう。

 バラ園の蜂が教えてくれたのは、「美しい庭」のための、かくも残酷で、確実で、有害な手入れの方法だった。人間にも無害でないと思われる、花木の美しさを楽しむための、大きな犠牲だ。

 害虫と言い雑草といい、われわれは懸命に退治しているが、虫の方からすれば、ただ生きているだけの話で、害虫呼ばわりは迷惑な話だろう。雑草に言わせれば、人間が勝手にそう呼んでいるだけで、これらも、間違いなしの、レッキとした自然界の一員だ。

 さりとて私は、環境保護団体の会員みたいに、バラ園を非難したり、化学薬品の追放を叫んだり、虫を殺す自分を責めたり、そんなことはしない。

 良いも悪いもこれが現実、と肯定し、諦観し、目を閉じて深呼吸する。そしてやっぱり、明日もあさっても庭の手入れを楽しむ。

 そうでなければ、人間なんて、とてもやっていられない。どこかの国の哲学者みたいに、「人間の生きていること自体が悪である」と、そんな情けない結論を得て、人間を呪うなど、まっぴらご免である。

 虫や雑草が勝手気ままに生きているように、人間も勝手気ままに生きて、何が悪いのだろう。それで地球が駄目になるというのなら、一蓮托生、地球とともに人間も滅びると、覚悟しておけば良い。

 たかが「美しい庭」の管理の話で、ここまで大上段に構えるのかと、自分でも苦笑するが、なぜかいつもこんな調子になってしまう。

 私の癖なのか、少し曲がった根性のせいか、いずれにしろ、そんなところだろうから、本日はこれまで。

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