だらだら日記goo編

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今日はエイプリルフールです

2014-04-01 22:39:16 | インポート
東大本郷から、東京ドームは近いのだ。
で、大学院の講義が終わると、日本ハム戦に駆け付ける。
当時の日本ハムは人気がなかった。
内野席等ガラガラ、外野席は修学旅行の高校生でもっていた。
今は亡き大沢親分が指揮をとり、大沢親分が辞めると、上田という阪急の人を監督にもってきた時代だ。
そんな外野席に駆け付ける。
だいたい、チケットはだふ屋が300円くらいで売っている。
外野席を占めるのは、熱狂的なファイターズファンは少なく、多くは、今述べた修学旅行生や、たまたま野球を見にきたという観客だ。
だから、応援団が、ハッピを着て、旗ふって、ピーピー笛を鳴らしても、かっとばせ!と声をあげたり、手拍子うったりする観客は少なかった。
むしろ、相手チームの声援の方が大きかった。
本拠地日本ハムとしては情けない。
毎日のようにドームに行って手を叩いて声援しているから、少ない日本ハムファンとも仲良くなった。
そのうちの一人は強面で、いつも試合途中にビールを注文する。
僕はアイスクリームだ。
かっとばせ!とか一緒に言いながら隣り合わせに試合を見る。
大沢親分は何故か、中継ぎに芝草投手をよく使った。
先発が打たれ、投手コーチがマウンドに行き、監督が出てきて、投手交代となると、また芝草じゃないか、とその人と話したものだ。
予想はだいたいあたり、芝草が出てくる。
しかし、芝草は打たれる為に出てきたようなもので、だいたい点をまた相手チームに献上するはめになる。
それだけ、ピッチャーがいなかったのだ。
日本ハムが点を取っても、点を相手チームにとられるのだ。
当時から予告先発はあった。
ロッテ戦だと、明日の先発は伊良部等と告げられると、明日は来ませんよ、等とそのおじさんと話したものだ。
伊良部は豪速球で、当時は点など取れなかった。
予告先発が、園川、となると、こりゃこっちの勝ちだ、明日も来ましょう、と話す。
おじさんとは、職業やら、仕事やら、立ち入ったことは話さなかったが、まさかこちらが、東大大学院で、カントを研究しているとは思いもされなかったろう。
球春だ、懐かしい話を。