当ブログに書き込むには数字入力による認証が必要なようですがー当たり前ですが管理人の僕はそのまま書き込めるー数字を正しく入力してもコメントできないというメールがよせられました。
プロバイダからはこの件に関しまして何の報告もありません。
同じ現象が続くようならプロバイダに問い合わせますので同じように書き込みできない方はメールをください。
よろしくお願いします。
当ブログに書き込むには数字入力による認証が必要なようですがー当たり前ですが管理人の僕はそのまま書き込めるー数字を正しく入力してもコメントできないというメールがよせられました。
プロバイダからはこの件に関しまして何の報告もありません。
同じ現象が続くようならプロバイダに問い合わせますので同じように書き込みできない方はメールをください。
よろしくお願いします。
展示冒頭に川島理一郎の「絵日記」が掲げられていていったいこれは何の展覧会なのかとちょっと驚いた。
答えは簡単だ、福原信三が店舗の二階にギャラリーを設けて、川島の個展でそのギャラリーは幕を開けたのだった。
梅原龍三郎など著名な人との親交のあった福原だが、もっぱら当時無名な人、たとえば須田国太郎とか山本丘人とかを紹介することに力を入れたようだ。
ここで文句一、須田の作品はカタログには「アーヴィラ」が載っているが実際展示されているのは「法観寺塔婆」だ、説明も何もない。
昨日から始まった「福原信三と美術と資生堂」の展覧会を世田谷美術館に観に行くが、お客さんはがらがらだ、おそらくこの展覧会タイトルがよろしくないのだろう、文句二。
さて福原は写真家でもあった、1922に「巴里とセイヌ」、1931に「西湖風景」など写真集を出すがどれもモダンだ!
そして資生堂の広告やら商品やらがずらりと展示される。
「資生堂オイデルミン」というのは1897からずっと存在する。
その広告ポスターには「当時薬局として定評のあった資生堂の゛赤い水゛」とつづられる。
そんな資生堂がソーダ水やらアイスクリームを提供するから話題になる。
さて資生堂といったら山名文夫の存在を忘れるわけにはいかない。
1939-65まで世田谷は成城にアトリエがあったそうでそれが再現される。
戦後の文化支援は「椿会」だ、現在でもやなぎみわやら丸山直文やらが活躍しているそうだ。
展覧会題目の割には面白い内容だったが、文句三、この美術館はなぜミュージアムショップ以外に展示室のソファなどに閲覧用のカタログを置かないのか。
内容がわからなければカタログ購入を躊躇する人も出てこよう。
盗難防止に紐でソファに縛り付けてもいいから再考を願いたいものだ。