エッシャーの発想法の原点がアラビアの正則分割にあったことはこの前のブンカムラの展覧会で知ったが、どうもこの人の器にもアラビアのにおいがするのである。
実際大学を卒業したあと、ロンドンに留学し、アラビア建築研究のためインドに赴いている。
そして実際彼は、回教寺院の唐草を配した装飾文字を見て以来、漢字を模様として自由に用いたいと著作にいっているという、アラビアの香りがするというのもうがちすぎとはいえまい。
富本憲吉、いわずと知れた陶芸の大家だ、僕らは国立近代美術館工芸館でも、松下電工NAISミュージアムでもその回顧展を観てきた。
特に後者はデザイナーとしての富本にテーマを絞った展覧会だったが、今世田谷美術館で開催され、全国巡回中の展覧会はまさに富本の全貌に迫る展覧会といってよい。
卒業制作の音楽家住宅設計建築から、リーチと出会い、大和に窯をかまえた作品、青から色絵へと展開した東京時代の作品、色絵金銀彩としだ模様が特徴の京都時代と作家の歴史を順を追って歩み、さらに富本の交友関係まで展開するこの回顧展はすばらしいの一言、朝日新聞と展覧会を構成した京都国立近代美術館の力量を余すところなく示す。
作家の信条は「模様より模様を作るべからず」、自然の草花やら実際の風景に取材しろということだ、「模様集」馬鹿でかい三冊やら、スケッチ素描もいろいろ展示される。
チラシにも載っている染付け「老樹」は作家の家の近くに生えていた栴檀でとてもお気に入りだったという。
また富本が写真好きということもはじめて知った、これは写真家野島康三と親しかったためという。
さてここ世田谷美術館では世田谷時代の富本に焦点を当てた展示も行っている。
野島と富本の書簡も展示されるがこれは松涛美術館のもの。
長男との合作や次女へ贈った珍しい抹茶茶碗とかほほえましい。
富本はお茶が好きで一日十回は玉露を飲んでいたという。
「墓不要、残された作品をわが墓と思え」といったそうだがかっこいい生き方がここにある。
個人的に気に入ったのは「武蔵野絵巻」、当時の世田谷を想像しつつ眺めていた。