「時よとまれ、汝はいかにも美しい」、ファウストの有名なせりふだ。
自然の見せる「瞬間」に魅せられ、それを永遠にキャンバスにとどめようとした画家たちがいた。いわゆる印象派だ。
今年最初の美術館はBunkamura、ポーラ美術館の印象派コレクションにした。
日本人がいかに印象派がすきかがよくわかる展覧会だ、僕もすっかり魅了された。
展示はコローから始まる、印象派以前だが写生帳に「第一印象」という言葉が出てきて、印象派を予感させるからだ。
ルノアールはたくさん出る、なかでも「レースの帽子の少女」を描いた頃は「真珠色の時代」といわれるそうだが、幸福感に満ち溢れ、観ているこちらまで幸せな気分になる。
それにしても「水浴の女」1887と「水浴の後」1915はまったく印象が違う、ルノアールの様式の変化を思う。
そして印象派だ、シスレーとモネはともにイーゼルを並べたりして仲良かったらしいが展示はモネが中心だ。
モネこそ刻々とうつり行く自然の瞬間瞬間を永遠にとどめようとした画家だ。
「ルーアン大聖堂」の連作だけで時間を変えて30点も描いているという。
展示されているのは午後六時の絵だ、夕日を浴びてばら色に輝く大聖堂!
「セーヌ川の日没」も興味深い、セーヌ川が記録的な寒波で氷結して、その解凍の風景に痛く感動して描いたという。
おなじみ「睡蓮の池」では水蒸気のきらめきが、「貨物列車」では列車から出る煙が印象的な作品となる。
続いてはピサロ、スーラなど点描の作業が入る。当時の科学的理論、黄金分割などが出てくる、こうなるとアトリエでの細かい作業が必要となり、それを嫌ったピサロは古典的印象派へと回帰する。
プティジャンという名前を知らない画家も面白い、彼の画法は点描でつまりは前衛なのだが、取り上げる主題は裸婦とアカデミックだ。
セザンヌの作品も多いが、根っからのロマンティストという彼の作品は「宗教的な場面」に現れている。
ゴーガンは「異国のエバァ」が面白い、旧約のエバァであるが南国の風景にいる。
実はこの作品の制作には二つの説があり、彼がタヒチに渡る以前に想像で描いたのかわたって以後の実際の風景を元に描いたのか議論が分かれているという。
ゴッホ、ロートレック、ボナールと続き、「印象派」といっても絵画の教科書展覧会だ。
これらの絵画は鈴木常司という人が40年をかけて収集したもので、今は箱根仙石原のポーラ美術館にある、その巡回展だ。
この後京都、福岡と巡るー今年も美を求める旅は終わりそうに無い。