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赤瀬川原平さんを偲んで

2014-11-07 21:01:57 | 日記
先日亡くなられた、赤瀬川原平さんの回顧展が、今、千葉市美術館と、町田市民ことばらんど、という所の二箇所で開かれている。
悲しくも、回顧展が追悼展になってしまったが、町田市民ことばらんどの展覧会は、赤瀬川原平✖️尾辻克彦、文学と美術の多面体、となっている。
無学な僕は、この表題を見て、2人の回顧展かと思ったが、尾辻克彦というのが、赤瀬川の別名であると会場で知った。
この町田市民ことばらんど、という施設には、初めて行ったが、金曜日は夜間開館もしていて、郊外の施設としては珍しい。
展示は
1,ニラハウス
何のことかというと、町田市、玉川学園前に住んだ、赤瀬川原平さんの自宅、屋根の上にニラを植えたので、そう呼ばれたとか。
1984年に玉川学園前に越して来たそうで、最早、主人のいない書斎の写真が寂しい。
2,千円札裁判以降
と言っても、有名な千円札裁判についても、もちろん取り上げられている。
私が芸術のことを初めて考えたのは、警視庁の地下室だったというのは、赤瀬川さんの言葉だが、法廷が芸術かどうかで、法廷に洗濯挟みなどが持ち込まれ、大論争になったことは言うまでもない。
証人もいろいろ出廷し、公判は、判決まで、11回、しかし、判決は懲役三月、執行猶予一年で赤瀬川さんの負け、最高裁まで戦ったが、判決は覆らなかった。
当時の赤瀬川さんの関心が、宮武外骨にあったとか。
3,櫻画報と、美学校
櫻画報は、あの、朝日ジャーナルに連載された。パロディージャーナリズムだ。
ガロとか、当時を賑わせた雑誌もいろいろ。
4,父の死と尾辻克彦の誕生
いよいよ文学だ。
1978年、妻と別れた赤瀬川さん、実母と幼い娘との生活になり、翌年、幼い娘との日常を、肌ざわり、として発表、これが、尾辻のペンネームを使う最初となる。
そして、1975に亡くなった父親の墓所を探す物語を、父が消えた。に纏め、芥川賞をとることになる。
更に、岩波新書から、千利休ー無言の前衛、を著し、白洲正子と知り合うように。
前衛芸術家として活動していた赤瀬川さんが、日本の古典にも挑んだのだから、まあ、歳を重ねたということか。
5,カメラのまなざしー描くカメラ、書くカメラ。
赤瀬川さん、カメラ毎日から連載の話がきた時は本当にうれしかった。と。
高梨豊さんや秋山祐徳太子と、ライカ同盟なるものまで結成した赤瀬川さんの一面に迫る。
写真にちょっと言葉を添えた、正体不明 新正体不明、もスライド上映。日本全国駆け巡る。全部で258点の出品で迫る展覧会は赤瀬川さんの追悼展に相応しくスケールが大きい。
お客さん誰もいないのが残念だ。12/21まで、千葉の展覧会にも足を運びたい。