昨日の東京新聞の社説のタイトルだ。
「神戸の震災では助け合うことをよく学んだ。
そこに住む人たちだけではなく、各地から援助の人が来て、物資が届いた。悲惨な被害に遭いながら、助け合うことで人間のすばらしさも学んできた」
地震が起こったとき、僕は母の遺産整理業務の契約中だった。
大きな地震だということはわかった。しかし震源は宮城だということでたいしたことないだろうと考えていた。
で、契約が終わって恵比寿の美術館に向かった。電車は止まっていたが帰るころには動くだろうと軽く考えていた。
で、タクシーで恵比寿へ向かったが、タクシーの中で町が津波に流されたとか何かとんでもない事態が起こっていると理解できた。
美術館は臨時休館、電車も動いていないからみなと同じでぞろぞろ歩いて渋谷へ向かった。
渋谷からも歩いてかえるつもりで、コンビ二でアンマンを買って歩きながらほおばっていた。
でみなでぞろぞろ歩いていると、反対方向から「どけ、じゃまだ」と怒鳴りながら一人の男が歩いてくるのが見えた、どうやら自分さえよければいいと思っている人のようだ。
家に帰ってテレビをつけると町自体が水につかる、とんでもない状況に驚いた。
さらに昨日になると福島の原子力発電所で日本初の事故が起こったと知った。
さらに今日はマグニチュードは9の巨大地震が起こっていたことを知った。
東京新聞の社説にあるように「私たちは助け合う」、肝に銘じたいと思う。
うちの父は大正六年の生まれで、関東大震災も経験した。
多摩川の水が逆流したと話していたのを覚えている。
当然第二次世界大戦も経験した、その父が最後に到達したのは「人間とは優しい」という世界観だった。
そうなのだ、広島長崎に原発が落ちても、神戸や新潟で大震災が起こっても日本は不死鳥のごとくよみがえってきた。
これから何が起こるのかわからない、しかし、人間の英知はそれらを乗り越えられるだろう。
もう一度言う、これから何が起こるかわからない、けど「私たちは助け合う」、人間は本来優しい存在なのだから。