だらだら日記goo編

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絵があるから生きている

2008-12-18 22:52:15 | インポート
寺田正明の言葉だそうだ。
あの戦争の中で、絵を描くことだけが自己の存在証明だった、そんな画家が八人集まり、戦争中わずか三回だけの
展覧会をやって解散したー集まった画家の名前は、靉光、麻生三郎、糸園和三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男、寺田政明、松本俊介ー会の名前を新人画会とした。
丁寧な展覧会で、定評がある板橋区立美術館が、またヒットの展覧会を開催した。
この新人画会を顧みる展覧会だ。
展示はこの第三回の展覧会が開かれた銀座の資生堂画廊の再現にはじまる。
資生堂画廊?そうだ、あの資生堂ギャラリーのことだ。
ギャラリーという言葉が敵国用語であることから、1943に名前を改めさせられたのだ。
しかし展示作品が少ないー当たり前だ、作品が戦災で消失したものが多いのだ。
三回の展覧会を合わせても、20点あまりしか確認できないという。
それを丹念で地味な調査をして掘り起こした板橋区立美術館には敬服せざるを得ない。
もっとも新人画会については、先行調査がある。
2001に広島県立美術館などで開催された、「靉光と交遊の画家たち」展だ。
その資料を元にしかし独自の調査で、はじめて東京で開かれるこの展覧会は勿論意義深いものがある。
三回の新人画会展では麻生三郎の作品が一番多く残っている。
特にアマリリスを描いた「花」は強烈に自己を主張している。
20点余りの確認された作品だけでは展覧会にならないから、1946にこの会が解散したあとの各画家の作品も展示ざれる。
特に1946に上海で夭折した靉光の自画像、これまた1948に夭折した松本に対して鶴岡は「死の静物(松本俊介の死)」で
是を弔っている。
研究所で学びながら、バーで働く大野五郎は居酒屋でビールでも飲んでいる「三人」が面白く、有名な井上の「東京裁判」などもある。
資料に目を移すと、例えば寺田の七三三一部隊への絵画慰問の様子やスケジュールも伺える。
戦争という狂気の中で画家たちが何を思っていたのか、重い課題を前に美術館をあとにした。