市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

大同スラグ訴訟・・・第8回口頭弁論が前橋地裁で開廷。風向きに変化の兆しは前橋地検の不起訴処分のせい?

2017-01-29 22:26:00 | スラグ不法投棄問題
■2017年1月20日の午前中は、前橋地裁で住民訴訟のダブルヘッダーが行われました。最初は前橋バイオマス発電施設向け燃料用木質チップ工場への補助金4.8億円の支出の差止訴訟で、続いて大同スラグ訴訟が行われました。以下はその模様です。

市民オンブズマン群馬がダブルヘッダーで出廷した1月20日の前橋地検。


 書記官が「続きまして平成27年行ウ第7号」と宣言して大同スラグ訴訟の第8回口頭弁論が開始されました。

 開廷に先立ち、原告らは書記官から「甲53、54号証がダブっているので、後で出したものは55、56号証の間違いだ」と指摘を受けていました。

 冒頭に裁判長は、訴訟書類の確認として「では、第8回目の口頭弁論だが、原告が準備書面(12)で陳述ということでよいか?」と言うので、原告は「はい、陳述します」と答えました。

 次に裁判長は「被告が第8準備書面を陳述するということでよいか?」と言うと、被告の訴訟代理人弁護士が「はい」と返事をしました。

 裁判長はそれに続き、「ここで、12月27日に裁判所に提出された被告の第8準備書面で分からないところがあるのでこれから説明する。被告の準備書面の4ページを開けてほしい」と言いました。いきなり言われたもので原告らは慌ててファイルをめくりましたが、直ぐには見つかりません。そこで、持参したパソコンで確認するとようやく被告の第8準備書面の当該ページを検索できました。

 原告らが当該ページを確認したところで、裁判長は「3ページの一番下に求釈明事項という箇所を見てほしい」と改めて言いました。「被告は第8準備書面を提出し本日陳述したが、裁判所としてよくわからないので、訊ねたい。分からないのだけれども4ページのところで、その前の3ページの一番下に求釈明と書いてある部分がある。これは裁判所が訊ねていることだが分かるよね?」と被告に言うと、被告は「はい」と返事をしました。

 裁判長は「冒頭は、被告は、で始まるが、これは裁判所が被告に尋ねた内容だ。被告は、ということで、そういう被害を避けるためであるからこそ、他の工事をしたと、舗装していると。風評被害を避けるということは、その工事が、風評被害を止める意味があるものと言うふうに、裁判所は理解した。と言うことは、被告の立場は下層路盤材が基準値内ということだけれども、仮に基準値を超えていた場合に工事をすれば、環境基準を超えないということになるのか、ということを聞いているが、その聞きたいことは、工事をすることによって効果があって、そこの周囲に居る人たちの環境に問題はないのかということになるのか、ということを聞きたかったわけだ。風評被害を避けることはどういうことかということで。それで下層路盤材を、その次の回答の一番最後だが、下層路盤材を施設した地点の土壌から除去わけではないので、仮に基準を超えているのなら、舗装したら基準を超えたままである。それは、想像する、普通に想像することなので、それは分かった上で聞いているのであって、聞きたいことは環境基準を超えないということになるという、聞き方が悪かったかもしれないが、問題がない状況になるんですか?ということが聞きたかったのに、そこについて答えられていないというのが一つ。もう一つは、仮に超えていた時には、同様の舗装工事が実施されていたものと認められる、と書いてあるけれど、それがどういう意味になるのか分からない。実施されることになると思われる、というんですかね」と被告に聞いたところ、被告は「そうですね」と答えました。

 裁判長は「実施されることになると思われると。そうすると、土壌汚染対策法により、行われる舗装工事はこういう工事です、ということと、今回した工事はこういう工事ですというのが、同等同一或は同等な工事だったということが考証されないと、このようなことは言えない、と思う。そういうわけだが、法律に基づいて工事をするのか、あるいは法律上必要はないけれども風評被害を避けるためにこういう工事をしたのか。工事をする理由とか根拠?は異なるものの、工事の内容そのものは同一だというのが主張、なんでしょうね?」と聞くと、被告は「はい」と答えました。

 裁判長は「証拠が出ていない。だから、それを裏付けて頂かないと答え切ったことにならないにではないか。その2点。1点目は、結局そうやって舗装工事をすれば、環境上、そこに生活している人にとっても問題はない状態になる、ということなんでしょう?」と質したところ、被告は「はい」と答えました。

 裁判長は「ということなのであれば、よくわからないです、というところをちょっと疑問に答えるかたちで補充をしてください」と被告に指揮しました。

 裁判長は、今度は原告に向かって「では、次にいきます。原告は甲号証を準備したが、53、54が2度あるということだけれど、それを訂正されたと?」と言うので、原告らは「はい」と返事をしました。裁判長は「最初の甲53、54については、証拠説明書というのは、未だにないの? 甲53、54ではなくて、55、56について今の主張は?何かないまま、あれじゃないですか?」と言いました。原告らが面食らっていると、裁判長は「53、54、これですよ、わかりますか?」と畳みかけてきました。

 そこで、原告らは「1月17日のやつでしょう?」と言うと、裁判長は「地図みたいなものに書き込んだものだよね。それに54もない。証拠説明書にも今もまだない」と指摘してきました。被告も同調して、「(証拠説明書は)まだない」と言いました。

 裁判長は「53、54が、重複して番号をつけているので2回目に出した方は55、56にしましょうね、と言うことは既に訂正した。その前の53、54の証拠説明書がないのですね?」と念押しを原告にすると、被告もさらに嵩にかかって「いただいておりません」と同調する始末でした。原告らは「まだ出していませんでした」と認めるしかありません。

 裁判長は「じゃあ原告は53、54について出してください」と原告らに言い渡したので、原告らは「はい」と返事をしました。

 裁判長は「次に、乙号証19~23、すべて写しで提出だね?」と被告に確認すると、被告は「はい」と答えました。

 裁判長は続いて「これで、あらかじめ受け取ったものについて、どうするかという話は、準備書面で言ったということだね。で今後に、なお原告に準備していただきたいことがあるので提案したい。大きく2つある。1つは、被告第8準備書面の第2、4ページのところについて認否反論。先ほど開けてくださいというところについてだ」と原告に指示を出しました。

 原告らは「わかりました。そこは、ぜひ反論したいところですので」と返事をしました。裁判長はさらに続けて「もう1つのタイトルは、鑑定申立書の補充書。鑑定申立書として出されている11月30日付の鑑定申立書の補充書と、それからその裏付けというのをこれから準備して、時間がかかると思うけれども、やってほしい」と難しい注文を原告に付けてきました。原告らは「はい」と言うしかありません。

 すると裁判長は「それで、その補充、何を補充するのかっていう関係は、被告から意見書が出ているでしょう?」とまるで追い打ちのように言いました。原告らが「ええ」というと、裁判長は「1月13日付の被告の意見書を読んだうえで、大きく2つのことを検討してもらいたい。その前に基礎的なところを、証拠を付けていただきたい。で、1つは鑑定というのはどういうことを・・・裁判所における鑑定というのは何をするところなのか、どういうことをすることなのか、これを法律家に相談していただいた方がいいと思う。もう一つは、これは化学的な知見なんですかね。被告の意見書にも書いてあるが、そういった専門的な知見、これを、専門家に相談いただいて、原告が希望する鑑定結果、官邸の結果を得るためにはどういう申立てをして、どういうことを鑑定したら分かるのか、と言うこと自体を検討しただかなといけない。で、どうもこの鑑定申立書はまるで検証するというところに近いような言葉が掛かれているが・・・」と、原告らの鑑定申立書をまるで否定するかのような口ぶりです。原告らは「うん、検証に近いですよ」と返事をしました。

 すると裁判長は「これは鑑定なので、鑑定として、こういうことをしたい。例えばこういうことを立証するためである、というようなことを、はっきりさせて頂かないといけない。それは被告からあれこれ言われているから、そのことをよく理解したうえで、でも、こういうことを立証するためには、こういうことを、こういう実験が必要です、とか、こういう専門家に見てもらうことがある、あるいは化学的な実績が必要だと、これ、お分かりか?或は分析が必要、そういったことを踏まえて、鑑定申立書の補充書とその補充書を裏付ける資料、これを出してということが必要ではないかと思う」と詳細に説明をしてきました。

 原告らは「うーん。何か本題と違うんだよね。サンパイが埋め込まれて放置されているということが(今回の訴訟の)原点であって、今、何か土壌汚染対策法ということで。最初のステージコンストラクションということは、最近全く言わなくなったのですね?で、そちらの被告の方の土俵に引きずり込まれているような気がしてならない」と抗議の意味を込めて発言しました。

 すると裁判長は「ああそうですか」とにべもなくかわしました。そこで原告らは「今裁判長の訴訟指揮についてはできる限り対応するが、根本的な、我々が訴えている問題点について、捻じ曲げて被告がなるべく遅らそうとしている。そこはきちんと被告第8準備書面に対する反論で指摘しておきたいと思う。で、このままですとどんどんズルズル時間だけかかり、土壌汚染防止法のくくりで始末されて、東京の豊洲の同じで(舗装で)蓋をすればいいのだと、道路に産廃を埋め込んでもいいんだということになりかねないので、これはきちんと原点に戻った反論をするのでよろしくね」と被告に向かって宣言しました。

 そして裁判長に対して、原告が「鑑定のところは今のところでフォローするつもりです」と述べると、裁判長は「検証と鑑定は違うからね。検証は裁判官がそこに行ってみたり聞いて、においをかいだり、触ったりして分かるもの。で、やっぱり専門的な知見により、多く必要とするときには鑑定となる」と原告に述べました。

 そこで原告としては「筆跡鑑定の鑑定というイメージではあるが、ある意味では検証ですよね。実際にそこの現場でサンパイが打ち捨てられているわけですから。それを掘り起こしてきちんと始末をする。周辺の土壌汚染についても必然的にこれは影響あるわけですから、それは限りなく検証ということで鑑定を筆跡鑑定でも、これはある意味では専門家のチェックを踏まえて、これは偽造ですね、間違いが真実ですよねという検証をすると私は思っている」と言いました。そして「いずれにしてもフォローしていきたい」と裁判長に言いました。

 裁判長は「申立の手続だったらどうしたらよいのか、というのは法律の専門家に相談したらどうかということ。それと主に、化学的なことについての専門、をこういう実験をするとこういうことが分かるか、ということが分かるということを踏まえた上で、そういう実験ができる専門家にお願いする。これが鑑定。ということで、鑑定の補充書とそれの裏付け資料。裏付け資料は甲号証の57からですね。57以下の番号をあらたに付けて出す。必要だったらね。ということでお願いしたいと思う」と詳しく説明してくれました。そこで原告らは「まあなるべくフォローはするけど、被告側の本題から裁判の目的を逸らそうというこの姿勢、これは別途糾弾しますからね」と強く被告に申し入れました。そして裁判長に対して「だから化学的というのは化学的、ケミカルのことですよね」と訊ねました。

 裁判長は「そうですね。すいません」と返事をしました。その上で裁判長は「被告には裁判所の釈明をしていないということについての補充。原告には大きく2つ。1つが、準備書面の認否の反論、2つ目は鑑定申立書の補充ということで、続行したいと思う。何か他にあるか?」と述べました。誰も何の返事もしないので、裁判長は「よろしいか?」と被告と原告の双方に確認してきました。

 原告は「準備書面を以って反論する」旨、明言しました。

 裁判長は「では原告は専門家に相談するとしてまとめ上げるとして、裁判所にあらかじめ出して読ませていただきたい。いつごろまでに準備していただけるのか?」と原稿に直に聞いてきました。そしてさらに「おそらく原告は時間がかかると思う。書面の作成にどのくらい時間がかかると言えば、それを基本に次はいつにするかということで、当裁判所で法廷を開かく日取りがいつになるか決まる」とさらに畳みかけてきました。

 原告らは「3カ月くらいもらうかなあ」「いやそれはちょっと長すぎる」「4月の前半くらいの次回開催となると3月末から2カ月半か、忙しいな」などと相談した結果、「期限を切らないとズルズルいってしまうからね。じゃあ3月末でお願いします」と言ってしまいました。

 裁判長は「それでは3月末までに原告が提出ということで。3月末までに提出は被告も可能ですね?」と被告にも念押しをしました。原告は「はい、可能です」と答えたにとどまりました。

 そして最後に裁判長は次回弁論期日について原告、被告双方に諮りました。「期日は4月の14日はどうか?」というので原告らは「はい、異存ありません」と間髪を入れず答えました。裁判長は原告の時間帯の都合をよく知っていると見えて、「午前中がよろしいんだっけ?」と確認を求めてきました。

 原告らは「そうです」というと、裁判長はその意を組んだと見えて「では4月14日の午前10時から次回訴訟の開廷ということになりました。

最後に裁判長は「それでは次回も続行ということで」と言い残すと、約19分間の第8回口頭弁論を終えて、裁判官2名を引き連れて退室していきました。

■このように、今回の第8回口頭弁論では裁判長が鑑定について突然難しいことを言い始めました。もともと鑑定については以前の口頭弁論で裁判長が「こういう方法もある」として鑑定というものを原告に勧めた経緯があります。

 原告は裁判長の訴訟指揮に応じたわけですが、結果的に裁判長の思惑にはまってしまった感がしないでもありません。

 一方、これまでずっと敷砂利とは認めておらず、下層路盤材だとしてステージコンストラクションなる妙な言い訳に終始してきた被告が、突然、東京都の豊洲と同様に土壌汚染対策法を持ち出してきました。これは明らかに、昨年12月末に出された前橋地検におけるトンデモ発表である「不起訴処分」となにか関係があるように思えてなりません。

 引き続き、大同スラグ問題の行く末を睨みながら、この住民訴訟を争っていきたいと思います。

【追記】
1月25日付で前橋地裁から第8回口頭弁論調書の別紙部分がFAXで送付されてきました。
*****別紙*****PDF ⇒ sev1.24.pdf
(別紙)
裁判長
1 被告に対して、平成29年3月31日までに、被告準備書面(平成26年12月27日付け)の第1の2(2)(4頁)の裁判所からの求釈明事項に対する回答に関し、以下の点について補充されたい。
(1) 風評被害を避けるために工事をすれば環境上周辺住民の生活の安全が図られることになるのか。
(2) 土壌汚染対策法により行う舗装工事と、本件舗装工事が同等あるいは同一の工事内容なのか。

2 原告らに対し、
(1) 甲53及び54の証拠説明書を提出されたい。
(2) 平成29年3月31日までに、被告準備書面(平成28年12月27日付け)の第2(4頁)に対して認否反論されたい。
(3) 平成29年3月31日までに、原告らの鑑定申立書(平成28年11月30日付け)について、被告の鑑定申立に対する意見書(平成29年1月13日付け)を踏まえ、以下の2点を検討の上、「鑑定申立書の補充書」と題する書面及び鑑定の必要性を裏付ける資料を提出されたい。
ア 裁判所における鑑定とはどのようなことを行うものか。
イ 化学的知見を専門家に相談し、原告らが希望する鑑定結果を得るために、どのような申立てをし、どのような事項を鑑定すればよいか。
                          以 上

**********


【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【お知らせ】ドキュメンタリー映画「湾生回家」1月28日(土)~3週間「シネマテークたかさきで上映」

2017-01-29 00:32:00 | 国内外からのトピックス
■群馬県台湾総会も制作に協力したドキュメンタリー映画「湾生回家」がついに高崎市内でも上映されることになりました。この映画は2015年に台湾で制作されたドキュメンタリー映画で、同年、台湾で最も話題を集めた映画の一つです。2016年の大阪アジアン映画祭でも観客賞を受賞しましたが、それ以外に我が国で上映の機会がありませんでした。ようやく2016年になって、11月12日から12月16日まで岩波ホール(東京神田)で上映されましたが、いよいよ群馬県でも上映されることになりました。「シネマテークたかさき」で1月28日(土)から3週間上映される予定です。

シネマテーク近日上映決定作品一覧
http://takasaki-cc.jp/menu
◎ただいま劇場にて 全国共通特別鑑賞券 販売中 1500円 ※1月27日(金)まで



 この映画「湾生回家」は、終戦後に台湾から日本に引き揚げた人々を追ったドキュメンタリーです。「湾生(わんせい)」とは、戦前、台湾で生まれ育った日本人のことです。「回家」というのは「家に帰る」という意味で、湾生の人々は日本に“帰った”後も、忘れようとしても忘れられなかった「台湾=故郷」に、戦後70年を経て、深い感慨を抱いて戻った機会を取材した物語です。

 映画のなかで、いずれも高齢に達した湾生の皆さんが、それぞれの「台湾=故郷」で懐かしい人々や景色と再び出会い、台湾への愛惜や戦後の人生を語り尽くす場面が見どころです。

 この映画が台湾でヒットした背景には、台湾で広がる懐日ブームがあります。台湾には、 1895年から 1945年にわたる日本統治時代に造られた多くの建築物や産業遺跡が残っていますが、近年、こうした歴史的構造物の保存・再活用を通して、日本式を見直そうという機運が台湾各地で活発化しています。

 2014年には日本でも公開された映画「KANO」では、戦前、台湾の嘉義農林高校が甲子園に出場して準優勝したエピソードを描き、台湾で大ヒットしました。台湾では、80歳以上の人たちは戦前に日本語教育を受けて日本語に堪能ですが、若い世代にも「哈日(ハーリー)族」(日本の現代大衆文化を好む台湾人の若年層の総称)と言われる人々が大勢います。

 湾生のかたがたは、敗戦によって日本が台湾の領有権を放棄せざるを得なくなったため、戦後まもなく大陸から逃げて台湾を支配した中華民国政府は日本人(当時台湾では内地人と呼ばれた)を全員、日本に帰す方針をとりました。1949年までに日本人の帰還事業が完了し、台湾から引き揚げた日本人は軍民あわせて50万人と言われています。台湾生まれでなくても、台湾で少年期や青年期を過ごした人々もまた湾生と呼ばれます。

 「台湾から日本に戻った後も、ずっと台湾のことを忘れずにいた」という、こうした湾生の方々に戦後70年目の節目に焦点を当てた映画「湾生回家」の価値は、欧米と植民地との間の歪んだ関係とは全く異なる、我が国と台湾との人々の国と国の境を超えた交流を描いていることです。

 この映画を見れば、いかに「一つの中国」という中共政府のスローガンが色あせているかを痛感できます。ぜひ、都合をつけてご覧になることをお勧めします。

【ひらく会編集部】

※参考情報
**********岩波ホールHPより
湾生回家
<スケジュール>
2016年11月12日(土)~12月16日(金)
平日 11:00 13:30 16:00 19:00 -
土・日・祝祭日 11:00 13:30 16:00 18:30 -
<入場料金>
◆当日料金 一般\1,800/学生・シニア\1,500/小・中・高校生\1,200/エキプ会員・障害者\1,400
◆映画サービスデー 毎月1日は\1,400均一
◆最終回学割チケット 毎日の最終回 (月~金19:00/土日祝18:30)に限り大学、大学院、専門学校生の方は\1,200
◆前売料金 一般\1,500
<イントロダクション・あらすじ>

 敗戦によって台湾から強制送還された日本人は、軍人・一車属を含め50万人近かったといわれる。20万人の「湾生」と呼ばれる日本人にとって、台湾は紛れもなく大切な「故郷」だった。しかし、敗戦という歴史の転換によって故郷から引き裂かれ、未知の祖国・日本へ戻らされた。本作は、「湾生」たちの望郷の念をすくい取った台湾のドキュメンタリー映画。台湾で上映された際に足を運んだ人々は、日本統治時代を知らない若者たちが多く、「湾生」たちの台湾に寄せる望郷の念に感動し、「湾生も自分たちと同じなのだ」と涙を流す観客も少なくなかったという。

 戦争の渦に巻き込まれ、生まれた土地を離れざるをえなかった「湾生」。彼らは、自分たちの存在が歴史の闇に埋もれ、忘れ去られようとしているなか、台湾への深い思いを語り続ける。こみ上げる失望、喪失感、涙と悔恨。歳月の壁と闘いながら、家族や友人たちを、ともに過ごした場所を、心に留めるため幾度も台湾へ向かう。身を焦がすような台湾への愛から生まれた映画「湾生回家」は、時間と空間を超えた人間同士の友情と家族の絆の物語です。残された時間のなかで「湾生」たちが語る言葉から、台湾に対する信頼と絆、愛、希望、そして平和への願いが、私たちの心の中に静か響く作品です。

★“湾生とは”
 戦前の台湾で生まれ育った約20万人の日本人を表す言葉。下関条約の締結された1895年から1945年までの50年間、台湾は日本に統治されていた。当時、日本から公務員や企業の駐在員が台湾へと海を渡り、農業従事者も移民としてその地に赴いた。そして、彼らのほとんどが敗戦後、中華民国政府の方針によって引揚者として日本本土に強制送還された。持ち出しを許されたのは、一人あたり現金1,000円(当時)とわずかな食糧、リュックサック2つ分の必需品だけだった。
<基本情報>
原題  湾生回家(Wansei Back Home)
監督  ホァン・ミンチェン(黄銘正)
詳細  2015年/台湾映画/ドキュメンタリー/111分/配給:太秦
公式ページ http://www.wansei.com/
賞暦  台湾アカデミー賞「金馬奨」最優秀ドキュメンタリー作品ノミネート
    大阪アジアン映画祭2016オープニング上映観客賞受賞
<スタッフ・キャスト>
〇スタッフ
製作総指揮:チェン・シュエンルー
プロデューサー:ファン・ジェンヨウ、内藤論
ナレーター:クー・イーチェン/声の出演:本間岐理、ヤン・ホェイルー
撮影:リン・ウェンイー、チェン・ミンダー、タン・ヒョウンソン
編集:ホァン・イーリン、クオ・ユーニン
〇キャスト
富永勝
家倉多恵子
清水一也
松本洽盛
竹中信子
片山清子
**********
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする