市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

だるま市を巡る寺と露天商と製造組合の確執と二分化したダルマ市の今後を左右する高崎市行政の役割

2017-01-09 21:01:00 | 国内外からのトピックス
■地域ブランドとして全国的に知られている「高崎だるま」ですが、上毛がるたにも「縁起だるまの少林山」として詠われているこのダルマのルーツとも言える少林山達磨寺で例年1月6、7日に開かれる恒例行事「七草大祭だるま市」は、古くから新年の行事として地元では親しまれてきました。ところが、一昨年から起きた寺と露天商との間のトラブルにより、昨年1月の少林山だるま市から様変わりをしました。この件について会員の皆さまから新年のトピックスとして話題提供があったため、さっそく検証してみました。

昨年12月下旬に高崎駅改札口前のコンコースにお目見えした特大だるま像。2016年12月27日午前7時撮影。



第1回高崎だるま市会場案内図

 筆者も子どものころから新年行事として何度も通ったことのある少林山だるま市は、例年たくさんの参拝客で賑わっており、その歴史は320年前から続くとされています。ところが、記事の末尾に示すような経緯を辿り、昨年1月のだるま市から露天商団体の群馬県神農街商協同組合が出店をしなくなったため、寺側もイベントの中身を大きく変更しました。

 つまり、露天商団体が出店を見合わせたことで、ダルマの販売を委託してきた製造者団体の群馬県達磨製造協同組合としても少林山だるま市でのダルマ販売を他の業者に委託して続けるわけにはいかなくなり、高崎市に掛け合って、今年の1月1~2日にかけて高崎駅前で「高崎だるま市」と題して、イベントを始めました。そのための理由づけとして、1829(文政12)年の文献『高崎談図抄』で田町の初市でだるまの販売が確認されたとされました。
※高崎だるま市 ⇒ http://takasaki-darumaichi.com/

 一方、露天商が使用する電気の供給方法を巡り、露天商団体に発電機の使用を要請していた寺側は、露天商側の出店取りやめにもひるむことなく、新たなイベントを工夫し演出することによって320年続いてきた歴史ある「少林山七草大祭だるま市」を続けています。
※少林山七草大祭だるま市 ⇒ http://www.daruma.or.jp/pdf/nanakusa2017.pdf

■ところで今回の騒動を受けて、当会の会員が、1月6日夜に少林山のだるま市に足を運びましたので、その時の報告を紹介します。

 1月6日夜、沢山の警備員のいる無料駐車場へ車を止め、碓氷川を渡って車両の通行止めになった多少の明りの灯った夜道を歩き門にたどり着くと複数の警察官がいました。
 運動不足が一目でバレバレになってしまう長い階段をやっとのことで登り切ると、再上段では若い警察官が「もう少しですよ。頑張ってください。」と励ましてくれて私的には高評価でした。
 ダルマを買った経験は無かったのですが、今年の目標が実現することを願って、小さなダルマさんを買いました。
 そして霊符堂で和尚さんに開眼供養をして貰い、ダルマさんの背中にありがたそうなお札を貼ってもらって拝礼してしました。
 お堂の裏手には、多くの屋台が展開していて、老若男女が入り混じりかなりの活気でした。
 知り合いに聞くと以前はもっと賑やかだったと言っていましたが、雑踏が好きではない私には程よい混雑でこの位でちょうど良いと感じました。
 気になったのは、元旦・2日に高崎駅前のだるま市でダルマさんを購入した人は開眼供養を自分でするのでしょうか? 自分で開眼しただけでは「何かちょっと違う」のではないかと思いました
 少林山だるま市の次に開かれる前橋の初市でも、自分で開眼するのでしょうか?
 今回の騒動で、実は40年ぶりに足を運んだ者として言うのも変ですが、だるま市はやっぱり「少林山だるま市」だと改めて思いました。
 高崎駅前のだるま市は、商業的なイベントとしては、それなりに人集めのネタになるのでしょうが、行政主導で果たして本当の意味でのだるま市の意義が定着するのでしょうか。行政はあくまでも援助・指導が仕事であって、業者や民衆のうごめきに反して、行政が手を出したり、口を出したりするとロクなことにはならないような気がしました。
(当会会員)

■末尾の経緯でも分かるように、2016年10月18日の地元紙の報道によれば、高崎市の観光課は、昨年、少林山達磨寺に対して、今年1月6、7両日の「七草大祭だるま市」について後援しないと通知していました。観光協会は高崎市の外郭団体ですから、当然この背景には高崎市の意向が働いていたと見ることができます。

 そこには、今年から始めて開催する高崎駅前での官製イベントとなる初の「高崎だるま市」の盛況を確たるものにするためには、320年間、連綿と続いてきた「少林山七草大祭だるま市」に少しでも客を奪われないようにするための意図があったものと思われます。

 当会のブログで報告しているように、福祉関係や建築関係で機能不全に陥っている高崎市役所ですから、こうした非常識な対応を取ることは十分あり得ます。

■ところで、寺側と露天商団体側との軋轢について、新聞報道や地元の巷間情報によれば、少林山達磨寺の住職の奥様が、露天商団体側に対して、電気のことを巡り寺が新しく提案したものの、露天商団体側が折り合わず、結局物別れになったということのようです。

 非公式筋の情報では、露天商に繋ぐ電気はこれまで寺側が手配していたようですが、寺側が、今後は露天商が自前で発電機を設置して用意するように、と提案したため、露天商団体側が反発したことが発端のようです。

 もしかしたら、寺の住職は露天商団体側に対して妥協したかったのかもしれませんが、奥様が断固として態度を軟化させなかったことから、決裂に至ったと思われます。

 県内では禅宗の三大宗派のうち、黄檗宗の寺はさほど多くはありません。この少林山達磨寺のほか、南牧村にある黒龍山不動寺や千代町の宝林寺くらいしか検索してもみつかりません。

 黄檗宗の名刹の名のもとに毎年だるま市を開催するに際して、露天商団体側との交渉に嫌気がさし、また初詣客の本来の目的である新年の祈願を重視し、だるま市における露天商の存在が、宗教的な観点から似つかわしくないと判断し、この機会に思い切って露天商団体と訣別したかったのかもしれません。勿論真相は、当事者本人に確認しないと何ともいえませんが。

■一方、露天商団体の群馬県神農街商協同組合は登記場所が群馬県前橋市西片貝町1丁目296番地の14で、群馬県中小企業団体中央会の前橋・勢多地区に加盟するれっきとした団体です。
※33番「群馬県神農街商協同組合」
http://www.chuokai-gunma.or.jp/kumiai/1-01-01.htm

 ちなみにこの中小企業団体中央会は、中小企業等協同組合法に基づき、組合の指導・連絡機関として設立されている団体で、組合等を会員として組織されており、各都道府県にそれぞれ1つあります。また中央組織として全国中小企業団体中央会があります。

 この中央会は組合の設立をはじめ、組合運営全般にわたり巡回指導や個別専門指導・集中指導などの指導を行うなど、中小企業の組織化を推進しているほか、金融、税制、労働、情報化等中小企業が抱えている多くの問題について相談に応じています。

 また、中央会の指導・相談対象は、組合に限らず中小企業の任意グル-プ、共同出資会社、公益法人など様々な中小企業の連携組織にも及んでいます。また、組合管理者等講習、組合指導者(後継者)養成研修、青年部研修などの人材養成事業も行っています。

 この他、組合や中小企業の経営に関する情報の提供を行うとともに、中小企業が直面する諸問題に関する調査・研究や中小企業施策について、国や地方公共団体に対し建議・陳情を行うなど、中小企業の地位向上のため幅広い活動を行っています。(以上、同会HPより)

■両者の板挟みになったのが、地元の60のだるま製造業者で組織する群馬県達磨製造協同組合です。

 製造に専念するには、販売を委託しなければなりません。昔から縁起物のだるまは、各地の祭事で香具師により販売されてきました。そのため、香具師を組織した露天商団体である群馬県神農街商協同組合と袂を分かつわけにはいかなかったのでしょう。長年お世話になった少林山達磨寺に不義理をしてまでも、露天商団体側に配慮せざるを得ませんでした。

 こうした露天商団体との付き合いの一方で、警備をする警察や行政との繋がりも重要です。現在製造者組合の理事長は国道18号線沿いに製造販売の店を出しており、配偶者は警察関係の親戚だと言われています。警察と香具師の双方に顏か効かないと、だるまの販売は円滑に行かないため、同理事長のような人物でないと業界を取り仕切れないからです。

 ところが、さしもの理事長も、今回の一件では寺側と露天商団体側との間に立って、相当頭を悩ませた模様です。その結果、寺に不義理をしてまでも露天商団体側の意向にそって、行政を動かし、高崎駅前での元旦・2日の高崎だるま市の開催にこぎ着けたのでした。

 そして2017年から、だるま市衰退の危惧を感じた高崎市は、少林山達磨寺のだるま市(七草大祭だるま市)とは別に、「高崎だるま市」を開催すると発表しました。少林山達磨寺のだるま市もこれまで通りに開催され、今年から高崎市ではだるま市が2度開催されるという変則的な開催になりました。

 だるま市の呼び方も、「高崎だるま市」と一般に呼ばれていた少林山達磨寺のだるま市は「七草大祭だるま市」の正式名称に戻り、新たに開催となった官製の高崎駅前のだるま市が「高崎だるま市」になるというややこしい結果になったのです。

■寺側としては、引き続き達磨寺として縁起物としての「だるま」の販売は継続しており、だるまという商品の提供についても、群馬県達磨製造協同組合に加盟していない製造者もおり、特段供給源に苦労することは有りません。初詣客の需要は依然として旺盛であり、だるまは有力ではあるもののツールのひとつとして捉えれば、むしろ騒々しかった従来のだるま市の賑わいよりも、落ち着きのある初詣の雰囲気を重視することのメリットを選択したことで、結果としてよかったと考えていることでしょう。

 一方、経済的な観点から、だるまの販売量の確保が至上命題の群馬県ダルマ製造協同組合としては、本来は、だるまのルーツである少林山達磨寺におけるだるま市をスタートとして、前橋、沼田、館林、そして県外へと毎年開催準が決められていました。今回、高崎の少林山でのだるま市に組合として背を向けたことから、元旦・2日の高崎駅前のだるま市という機会を行政側により提供されたことで、販売数の低下のリスクは回避されたとみられます。

■ポイントは高崎駅前で新たに今年から開催された官製の「高崎だるま市」で、どの程度組合直営の販売ブースを確保できたかどうか、ということです。同組合長の持論のように製販一体で販売も自らの力できりひらく努力をしていかないと、客のニーズや品質管理面で改善が進められないからです。

 組合から脱退した業者は、旧態依然とした組合組織では、自由な販売ができにくく、組合から脱退したおかげで、ネット販売や直販の売店の運営で、固定客の獲得につながり、客の意見に直に接することであたらしいデザインの発想も湧きやすい、と語っています。

 かつては香具師と警察の双方に顏の利く県議の存在もありました。もしそうした政治家が裏で取りまとめれば、こうした騒動は事前に回避できたのかもしれません。ダルマ製造協同組合の理事長の頭を悩ました今回の騒動は、そうした仲介者の存在がなくなっていることを示唆しています。

 今回の騒動をきっかけに、高崎だるまのブランドがさらに展開し拡大してゆくのか、それとも旧態依然な販売形態で行政にすがったままジリ貧になってゆくのか、一つの節目と考えたほうがよさそうです。

 その場合、高崎市役所は、出しゃばって特定の当事者だけに肩入れするのではなく、高崎市全体の発展を念頭にバランスのとれた提案をしていかなければなりません。

【市民オンブズマン群馬・文化情報取材班】

※関連情報「だるま市を巡る騒動に関する経緯」
**********毎日新聞2015年11月26日
【群馬】「七草大祭だるま市」 露天商団体出店せず 運営巡り寺と意見相違 製造者組合は対応苦慮
 少林山達磨寺(高崎市鼻高町)で1月6、7日に開かれる恒例行事「七草大祭だるま市」で、 来年は露天商団体の県神農街商協同組合が出店しないことが25日、打ち合わせ会で報告された。だるま製造業者で組織する県達磨製造協同組合は、だるまを境内で販売すると露天商側との 関係が悪化する恐れがあるとして、対応を決めかねている。
 関係者によると、街商組合の露店は境内と周辺道路に約200の店を出してきた。しかし、次回のだるま市の運営を巡って寺と露天商側との間で意見の相違があり、街商組合は「出店しない」との意向を示したという。
 広瀬正史住職によると、街商組合は25日の打ち合わせ会も欠席した。これに対し、境内でだるまを販売してきた達磨組合には「街商組合との関係が悪くなれば他のだるま市にも影響する」と心配する声がある一方、「どんなことがあっても地元の伝統行事には出店すべきだ」という声もあり、意見がまとまっていない。
 達磨組合の中田純一理事長は「寺と街商組合、達磨組合の三者でだるま市を盛り上げてきた歴史がある。これまでの関係を保ちたいが、どうすればいいか判断材料が乏しい」と苦悩をにじませる。今後、理事会か臨時総会を開いて対応を決めるという。【増田勝彦】

**********産経新聞2015.12.3 07:06
高崎だるま市出店めぐり騒動 露天商中止、製造組合は有志で
 新春を彩る少林山達磨寺(高崎市鼻高町)の「七草大祭だるま市」(1月6、7日)をめぐり、県達磨製造協同組合(中田純一理事長)は2日、来年の出店参加の判断などを伝える要望書を同寺に提出した。主に飲食物などを売る露天商団体の県神農街商協同組合(新井文弥理事長)が寺側と意見が対立して出店中止を決定、板挟みになった製造組合が一定の答えを出したもので、「有志による参加」になるという。
 街商組合の露店は約200店あり、にぎやかで活気のあるだるま市を演出してきた。しかし、市の運営などをめぐって寺と溝が生じた。新井理事長は「来年出店しないことは先月24日に他の団体にも伝えた。再来年以降は寺が考えるのではないか」と話した。
 両者の対立に製造組合は「このままだるま市に参加すれば街商組合との関係が悪化。他の市にも影響する」との声が上がった。これに富岡賢治市長が1日、「市物産振興協会が販売し、製造組合はそれを手伝うという形にすれば」と助言し、これを受けて製造組合は「有志による参加」を決めた。富岡市長は「だるま市でだるまを売れなくなることだけは避けたかった」という。
 要望書では「寺、だるま(製造)、露店が三位一体となって盛り上げてきた伝統のだるま市と認識」とした上で、「達磨組合としては大変なリスクを担う」と明記。「出店場所について優先的配置」など3項目を要望している。例年、製造組合では15、16のテントを出しているが、中田理事長は「半分程度になるのではないか」と話している。一方、露店については市が約20店舗に出店要請をしているという。

**********高崎市HP
少林山達磨寺のダルマ市について(平成28年2月分回答)
<意見・提言>
毎年1月7日、前夜からこの日にかけて行われる少林山達磨寺の最大の行事である七草大祭に県内は申すに及ばず県外からも大勢の参拝客が訪れ、この時のダルマ市の様子はテレビ等でも報じられるように、日本的に名声を馳せています。しかし、今年は電気の使用をめぐり寺側と露天商団体や県達磨製造協同組合との折り合いがつかず、同団体や同協同組合が出店を取りやめたため、ダルマの販売は高崎市物産振興協会が寺の近くに出店した5店だけ、また昨年のダルマを寺に納める、その納める場所も昨年までは本堂の廻りに自由に置くことが出来たのと違い、今年は本堂の隣に納め所を設け、しかも芳志まで要求されるという変り様でした。このような状況を知らずに参拝客の出足は例年並みでしたが、その多くの人は例年と違う様子を見て、失望する声が多く、この状態だと来年以降はどうなるのでしょうか。また高崎市の産業の一つでもあるダルマの製造にも影響するのではないかと懸念する声も多くあったと新聞で報じられていました。過去には見世物小屋まで出るほどの賑わいをみた時代もあったようですが、このダルマ市は高崎市の一風物詩として正月を飾る一つの大きな行事でもあり、毎年その時期になると市の広報等でも紹介され、また平成20年11月に発行し全世帯に配布された「たかさき暮らしのガイドブック(高崎市民のための生活情報誌)」でも高崎市の観光地の一つとしてダルマ市の写真と共に少林山達磨寺が紹介されるなど、ダルマと高崎市とは切っても切れない縁がある訳です。今年のような例年と勝手が違い、大勢の市民が心配するダルマ市を来年以降は以前と同じような賑わいのある活気に満ちた状態に取り戻せるよう、主催者が誰であれ、高崎市が一肌脱いで仲介の労をとっていただくことが、高崎市の振興発展のためにも必要ではないかと思いますので、ご一考をお願いいたします。
男:80代:市内在住
<回答>
ご指摘のとおり、少林山のだるま市は、高崎市民はもとより全国にも知られ、本市を代表する新年の風物詩のひとつです。そのだるま市が、少林山達磨寺と群馬県神農街商協同組合、併せて群馬県達磨製造協同組合の3者の調整が付かず、これまでのだるま市とは大きく異なるものになりました。達磨寺としては、本来の七草大祭に回帰したことから、今後もこのような形でお祭りを継続していく意向であるとの報道もあります。本市といたしましても、これまでのような賑わいのある活気に満ちたお祭りになることは、○○様をはじめ多くの観光客の皆様と同じ気持ちですが、お寺、各団体共にそれぞれの立場や考え方もあり、今後、解決しなければならない課題が数多くあるとお聞きしています。達磨寺の行う七草大祭につきましては、宗教行事ですのでお寺が決める事項ですが、本市の誇る物産である「だるま」を販売していただくだるま市につきましては、群馬県達磨製造協同組合関係者のご意見なども伺いながら、これまでの様な活気ある「だるま市」の開催を要望してまいりたいと考えております。
担当:観光課
<報告>
平成29年の高崎だるま市は元旦と2日に高崎駅西口駅前通りで開催します。
詳細は高崎だるま市のページをご覧ください。
高崎だるま市 ⇒ http://www.city.takasaki.gunma.jp/kankou/winter/darumaichi.html

**********産経新聞2016.10.7 20:39
新たな「だるま市」 JR高崎駅周辺で開催へ 寺と露天商団体の関係悪化か 群馬

達磨寺本堂前には店が並ばなかった=1月6日、群馬県高崎市のだるま市(谷内誠撮影)
 群馬県高崎市は7日、毎年1月に開かれている少林山達磨寺(同市)主催の「七草大祭だるま市」とは別に、JR高崎駅周辺で来年の元日と1月2日に「高崎だるま市」を初めて開催すると発表した。
 だるま製造者らでつくる「県達磨製造協同組合」に呼び掛け、同駅西口前にだるま販売店や飲食店を出店する。少林山達磨寺のだるま市は約200年の歴史があり、毎年約20万人が訪れる。近年は寺と露天商団体の関係が悪化し、出店が減少していた。
 少林山達磨寺は1月6日と7日に例年通りだるま市を開催し、組合にも出店を呼び掛けるとしている。
 富岡賢治市長は「新しい伝統をつくりたい。駅前なので、たくさんの方に来てほしい」と話している。

**********上毛新聞2016年10月18日(火) AM 06:00
「名称ふさわしくない」 少林山だるま市 観光協会後援せず

↑運営をめぐって寺と摩擦が生じた露天商団体は参加せず、メーンとなるだるま販売の場所や規模も変更・縮小した、今年の「七草大祭だるま市」=2016年1月7日、本紙第2社会面掲載↑
 少林山達磨寺(群馬県高崎市鼻高町)が来年1月6、7の両日に開く「七草大祭だるま市」について、高崎観光協会(同市八島町)が寺に後援しないと通知していたことが17日、分かった。協会はその理由を、今年1月の七草大祭だるま市が「『だるま市』という名称にふさわしくない」と説明している。寺は「長年この名称でやってきたイベントなのに…」と戸惑っている。
 関係者によると、寺は9月中旬、協会に後援を依頼し、協会は同28日付の「後援について(非承認)」と題した文書で、寺に後援しないことを伝えた。文書は今年1月の七草大祭だるま市の事業内容が「『だるま市』という名称にはふさわしくない」と指摘し、「伝統ある『少林山七草大祭』そのものを否定するものではない」と続けている。
 市と協会は長年、寺が主催する七草大祭だるま市にスタッフを派遣したり、PRするなど支援してきた。協会は2012年から後援団体になっている。協会が方針転換したことで、寺は他団体からも従来通りの支援を受けられなくなる可能性が出てきた。
 協会は上毛新聞の取材に「今年の内容ではだるま市とは言えないのではないか、という意図だった。(人的な支援については)行わない予定だ」としている。
 寺の広瀬正史住職は「(後援申請が認められなかったことについて)戸惑っている。今後も七草大祭に合わせて境内でだるま販売を続ける予定なので、引き続きこの名称でやっていきたい」と話している。
 今年1月の七草大祭だるま市を巡っては、運営に対する考え方の相違で寺と摩擦が生じた露天商団体が参加せず、県達磨製造協同組合も不参加を決めた。市の仲介で参加した組合員の有志がだるまを販売したが、規模は例年より大幅に縮小した。
 こうした経緯を踏まえ、市と組合は来年1月1、2の両日、JR高崎駅西口の駅前通りを会場に「高崎だるま市」を開くことを決定。十数張りのだるま販売のテントが並び、地元の飲食店も出店する予定だ。

**********産経新聞2016.12.22 12:05
引き裂かれる群馬の「だるま市」 対立深まり高崎駅前と少林山開催に 「発端は経費問題」 感情もつれも…

お炊きあげのため運び出されるだるま=18日、高崎市鼻高町の少林山達磨寺
 年始めの風物詩として全国に知られた少林山達磨寺(群馬県高崎市鼻高町)の「だるま市」が、運営を巡る対立からだるまの露店がほとんどいない異例の開催となって約1年。溝はますます深まり来年1月はJR高崎駅前(元日、2日)と寺での祭り(6、7日)という異例の“分離開催”が決定的となった。「だるま発祥の寺」と「だるまを製造する組合」の決裂。220年の歴史を持つ祭りは大きな曲がり角に立つ。双方の言い分を聞いた。
★発端は寺負担の経費問題
 だるま市は毎年、露天商約200店、だるま販売店約60店が並び夜通し市を開き、参拝客20万人が繰り出す年始の風物詩だった。
 対立の原因は何か。「祭りの経費負担にあった」と達磨寺の広瀬正史住職は指摘する。住職によると、警備や電気設備など多額の運営費の多くは寺が負担していたという。昨年、寺は応分の負担を出店料として求めたところ、露天商側が猛反発、出店を拒否し、組合まで追随して不参加となった。それでも今年1月のだるま市は少数のだるま商有志が寺近くで販売はした。来年1月は有志さえいない状態になりそうだ。
 「だるま商まで不参加というのは考えてもいなかった。残念だ。一緒にできるよう参加を呼びかけていきたい」と広瀬住職は言う。
★出店料…高すぎる
 高崎市が行う「高崎だるま市」への参加を決めた県達磨製造協同組合の中田純一理事長は「寺が要求してきた出店料は高すぎて、とても払えない。寺と何度か交渉を試みたが、解決の糸口も見いだせなかった。決裂は残念だが、新たな祭りを行うことを決断した」。
 金額のほか感情的な行き違いも重なり修復の可能性は見えない。伝統の祭りが途絶えることに危機感を持った高崎市は当初なんとか融和をと呼びかけたが、事態は動かず、9月に富岡賢治市長がだるま商らと協議し、寺ではなく市中心部で別のだるま市を開催することに決まった。根拠として約190年前、市内の田町で初市が行われたという資料を発見したという。
 高崎だるま市に協力する高崎観光協会も「今までは寺に人的な協力をしてきたが、今回は断った」と寺に背を向け、市側についた。
★寺は寂しくだるま販売
 恒例のすす払いがあった18日、達磨寺の参拝客からは「今年の1月、なぜ境内でだるまを売っていないのか不思議だった。毎年楽しみにしていたので大変残念だ」の声も。寺では「少林山七草大祭だるま市」の正式名のまま1月6、7日、能やコンサートも交え「星祭大祈祷(きとう)など正月七草の伝統行事は粛々と行う」という。しかし肝心のだるまは社務所でお守りなどと一緒に売る程度という。だるま市というには寂しい。
 一方、高崎だるま市は人出が見込める元日と2日開催にして「日本で一番早いだるま市」と銘打ちPRに力を入れる。二手に裂かれた伝統のだるま市、どちらに転んでも傷は浅くない。(前橋支局 橋爪一彦)

**********NHK News Web 2017年1月7日 7時28分
新春の伝統行事「だるま市」始まる 群馬 高崎
 群馬県高崎市の寺で、新春の伝統行事、だるま市が始まりました。
高崎市にある少林山達磨寺は、農民を飢饉から救おうと江戸時代中期にだるま作りを広めたとされ、新春に開かれるだるま市はおよそ200年続く伝統行事です。
 初日の6日は、家族の健康などを願う人たちが次々と訪れ、伝統的な赤いだるまなどを買い求めていました。
 店によりますと、家庭に飾りやすい高さ30センチ前後のだるまが最も売れ行きがよいということで、訪れた人たちは、大小のだるまを見比べながらお目当てのものを買い求めていました。
 群馬県藤岡市から来たという70代の女性は「ことしも家族が元気に過ごせるようにと願い、だるまを選びました」と話していました。
 境内には全国各地の食べ物を販売する店も軒を連ね、家族連れなどが食事をしていました。
 だるま市は夜通し開かれ、7日午後2時まで続きます

**********高崎前橋経済新聞2016年01月14日
どうなる?高崎だるま市 達磨寺は例年通りの人出というが販売個数は半減

山門前の市道脇でだるまを販売する高崎物産振興協会の有志、撮影は1月7日
 「縁起だるまの少林山」と上毛かるたに歌われる少林山達磨寺(高崎市鼻高町)で毎年1月6日・7日に開かれる「七草大祭だるま市」。今年は寺と群馬県達磨製造協同組合の意向が合わず、境内では寺が、高崎物産振興協会の有志が門前の市道でだるまを販売するという異例の事態となった。

寺は例年通り20万人の人出と発表したが、群馬県達磨製造協同組合などの関係者、高崎警察も「例年より少なかった」と話している。昨年までとがらりと雰囲気が変わった達磨寺の境内(1月7日撮影)
 「七草大祭だるま市」で販売されていただるまは「高崎だるま」で、群馬県達磨製造協同組合に加盟する50店が生産するもの。各店とも注文があれば世界中どこでも発送しており、年間の生産量は約90万個に上る。
 達磨寺は1700年代初頭に創立されたと考えられており、創立当初から「七草大祭」が行なわれていた。高崎でのだるまの生産は1780年代に始まったとされ、時を同じくして「七草大祭」で販売されるようになり、「七草大祭だるま市」「少林山のだるま市」と呼ばれ親しまれてきた。
 200年を超える歴史にカンマを打つことになった今年の「七草大祭」。今年は寺の意向と組合の意向が合わず、例年通りの開催が危ぶまれた。群馬県、高崎市の関係者が間に入り調整を試み組合が譲歩するも、最終段階で決裂。昨年までだるま店が軒を連ねていた境内には、飲食屋台が並んだ。
 高前経済の取材に対し同寺副住職の廣瀬一真さんは「人出も例年並の約20万人となり、無事終了した。形式が変って戸惑う人もいたが『以前より参拝しやすくなった』『厳かな雰囲気になった』『おいしい店がたくさん出店していてよかった』と好意的な意見が多かった。一方で『だるま屋さんが出ていないので寂しい』という声もあった」と話した。
 一方、だるまを販売した高崎物産振興協会の関係者は「例年15~20張りのテントを並ぶが今年は5張りに留まり販売個数が半減した」と話す。現場に立った人からは参拝客が少なかったという声が上がった。
 組合には「前橋などのように市街地でだるま市を開催してほしい」要望も寄せられているというが、「だるま店の多いエリアを『だるまの街』にしたい」という考えもあるという。
 「来年のことはまだわからないが、だるま店に出店してほしい」という寺。「であれば譲歩も必要」という組合側。今回がカンマになるのかピリオドになるのか、関係者は気をもんでいる。

**********東京新聞2017年1月7日
【群馬】高崎・少林山達磨寺 出店減で「寂しい」 分離開催のだるま市

少林山達磨寺で始まった「七草大祭だるま市」=高崎市で
 福だるま発祥の地とされる高崎市の少林山達磨寺で6日、新春恒例の「七草大祭だるま市」が始まった。出店条件を巡り折り合いがつかないなどの理由で、寺と露天商団体の関係が近年悪化し出店が減っており、今年は年明け早々に高崎市などが新たに「高崎だるま市」を別会場で開催。6日のだるま店は1店にとどまった。
 達磨寺は、境内に飲食物を扱う100近くの露店が並ぶものの、境内や参道に並んでいただるまは例年より大きく減り、物寂しい光景。
 太田市から訪れたパート大谷美代子さん(55)は「以前は通りを埋め尽くすほど人がたくさんいたので、少し寂しい。食べ物の屋台が多いので孫と一緒に楽しんでいます」と話した。
 七草大祭だるま市は約200年前、当時の和尚が飢饉(ききん)に苦しむ農民を救うため、だるま作りを教え、七草の日に売り出したのが始まりとされる。7日昼ごろまで夜通し実施される。
**********

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