田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

Yokosuka 1953

2023年02月08日 14時36分31秒 | 日記

Yokosuka1953 – a documentary

予告編1 | Yokosuka1953

福井にゆかりのある映画監督”木川剛志”の「Yokosuka1953」全国公演開始 | フクブロ~福井のワクワク発見サイト~

 

 2018 年木川剛志に届いたアメリカに住むシャーナという女性からのメッセージ。木川とオンライン上でのやりとりが始まった。シャーナの母バーバラは日本名を木川洋子と言い1947 年に横須賀市で外国人と思われる父と日本人の母の間に生まれた。

 このような子どもたちは混血児と呼ばれ、敗戦国の日本人には敵国の血が流れる混血児として差別の目で見られ、家族でそのような子どもを妊娠した娘を勘当同然で家を追い出すようなそんな時代だった。洋子も過酷な環境で育ち1953年米兵に養子縁組されわずか5歳で渡米した。それから66 年日本に帰る事も母と会う事もなかった。木川信子はシャーナの祖母の名前である。木川という名前で有れば何か知っているのではとかすかな希望に、彼女はSNS で木川を検索し、見知らぬ木川剛志にメッセージを送ってきた。木川剛志には横須賀に親族はなく木川信子という名前を当然知らない。和歌山大学に勤める研究者だった私、木川は福井市、和歌山市の空襲を研究し戦災孤児を調べていた。そして私自身は5歳の子供の父親だった。洋子が養子縁組をしてアメリカに渡った年齢と一緒である。

 何かの縁を感じた。研究者としてできるだけのことがしたかった。こうして私は木川洋子を産んでその後、行方の分からない木川信子の生きた証しを探し出すべく、その足跡をたどり始めた…(公式ウェブサイトより)

 

 

<2023年2月5日 劇場鑑賞>

 この映画の監督は和歌山大学の木川先生。そんな地元由縁で、和歌山でも遅れず公開されたのでしょうね。こんな感じの小品(すみません。悪意はありません)は、たいがい田舎は遅れてやって来る(あるいは公開されない)ことが多いのですが、今回ばかりは幸運でした。そして残念なことに、私が鑑賞した5日の前日(つまり4日)には、同じ映画館で先生の舞台挨拶があったのですね。きちんと調べなかった私が不用意でした。しかも、劇中、先生は洋子さんが来日するための費用をクラウドファンディングにかけていたのですね。本当に知らなかった。うっかり者の私。和歌山に住んでいるのに。

 映画は、確かに素人っぽい手作り感満載でした。でも、関わった人たちは皆誠実で優しく、どの人も協力を惜しまない態度で洋子さんに接していました。また、戦後混乱期の現実、自分が知らないことも多く、心が痛みました。戦後、米軍に蹂躙されるような形で子供を産んだ女性たち。それがきっかけで自分の親からも冷遇され、行き場を失い、最終的には子供を養子に出すしか手立てがなかった女性たち。そんな「混血児」と言われた子供が、何百人もいたという事実。もちろん、面倒をみてくれる施設もあったようですが、何事にも限りがあり、洋子さんのような人はたくさんいたということ。また、最も驚いたのは、養子縁組するくらいだから、当然子供を欲する夫婦にもらわれて大切にされたのだろうと思いきや、そうじゃなかったこと。洋子さんは、ありとあらゆる虐待に耐えなければならなかったのです。養父母からの虐待だけではありません。学校へ行けば行ったで「ジャップ」と呼ばれて蔑まれ、友人すらできなかったのです。また、写真をご覧になればおわかりになると思いますが、洋子さんは決して醜い女性ではありません。むしろ美人です。それなのに、養母は「実の母親が醜かったから、お前も醜いんだ」と罵り続けたのだそうです。アメリカに渡るとき、写真は一枚も持たされなかったため、もう母親の顔は忘れてしまっていたのだそうです。思い出そうとしても思い出せないというか。5歳だったのですものね。

 でも、気丈な洋子さんは、どんなに辛くても「母が悲しむこと」を避けようと、アルコールやクスリに頼ることなく生きてきたのだそうです。母が最後に言った「迎えに行くからね」という言葉を信じて。結論から言うと、迎えには来なかったのです。諸々の事情もあったでしょうし、60代前半で亡くなったようなので、これから行こうと思っていたのかもしれません。でも、再婚相手は優しかったようですし、お墓も周りのお墓に比べて大きなお墓でした。個人的には「会いにいけなかったのかな」と、ちょっと思いました。

 でも、洋子さんは優しい息子さん・娘さんに恵まれて、今回木川先生を探してくれたのも、娘さんでした。夫は一度も言及されなかったし、出て来なかったのでわかりません。素人の私は、時々過去についてのつらい質問を洋子さんに投げかける先生が、少ししつこいというか、「もうええやんか」と思うこともあったので、プロデューサーや配給、お金の問題で「きちんと聞くように」言われているのかもしれないな、とも思いました。いや、わからないですけど。

 とにかく、いろいろ考えさせられる映画でした。見れてよかった。でも、やっぱり平和がいいです。どんなに貧乏でも、どんなに国土が狭くてもいい。平和に暮れせれば、それに勝るものはないと思いました。

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