田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

ノア 約束の舟(Noah)

2014年06月30日 08時02分14秒 | 日記

 

 「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキー監督が、ラッセル・クロウを主演に「ノアの方舟伝説」を壮大なスケールで描くスペクタクル歴史ドラマ。ある夜に見た夢で、世界が大洪水に飲まれ滅びるということを知ったノアは、強い使命感に突き動かされ、家族とともに罪のない動物たちを救うため巨大な箱舟を作り始める。ノアの父を殺した宿敵ルバル・カインは、ノアから力づくで箱舟を奪おうとするが、争いの最中に大洪水が始まってしまう。箱舟はノアの家族と動物たちをのせて流され、閉ざされた舟の中でノアは神に託された驚くべき使命を打ち明ける。「ビューティフル・マインド」でもクロウと共演したジェニファー・コネリーがノアの妻役を務め、息子役にローガン・ラーマン、養女役にエマ・ワトソンがあたる。(映画.comより)

 

 

 う・・・ん、どうなんでしょうねぇ。基本、無宗教な私には理解できないポイントもありました。しかし、「信じる者は救われる」。強い信仰心こそ、人が幸せになれるすべだとも思う私は、考えさせられるところもありました。

表現が抽象的だったり、ノアの祖父(アンソニー・ホプキンス)に魔法のような力があったり、普通に見るだけでは理解できないことも多いのですが(当たり前だ)、まず、ノアが神のお告げを聞くところから、私には??でした。まぁ、お告げを聞いたことのない私にはわかりっこないのですが、神がはっきり言ったわけでもなく、どうにでも解釈できるような夢を見て、深く思案してしまうノア。偉いですねぇ。さすがに選ばれし民は違います。

そして、今は山に引きこもってしまっている祖父を訪ね、その真意を聞くのです。しかし、祖父にしたって、明快に答えてくれるわけではありません。結局、なにをどう答えてくれたのか、アホな私にはよくわかりませんでした。う~ん、宗教って、深い。

ともかく、「ノストラダムスの予言」と同じです。自分がこうだと、前向きに解釈して進んでゆくしかないのです。また、それに対して、神が「それでよろしい」などと認可を与えてくれるわけでもありません。神様の思惑からはずれ、横暴の限りを尽くすようになった人間を一度滅ぼすべく、罪のない(誰が判断したんだ?)動物たちを救った上で、大洪水を起こそう・・・神はそうお思いになったようです。

そして大きな方舟の建造。もちろん、助かりたい人間はたくさんいますから、船を盗られそうになったりもします。しかし、神に忠実なノアはその後自分たちも滅びるのも覚悟で、船を守ります。その過程で、家族との諍い、どこまでが神の意志か、などいろいろなドラマが描かれるわけです。

それにしても、非常につまらないことで申し訳ないのですが、動物たちは一つがいづつしか助けてもらってません。じゃ、この先増えたとしても、全部近親相姦じゃないでしょうか。それとも、種自体が変化していき、生き伸びてゆくってことでしょうか。

まぁ壮大なお話には違いありません。ただ、少し宗教的な知識を必要とするのではないでしょうか。そして、あくまで一ファンとしての考えですが、監督はメル・ギブソンくらいがよかったのでは?

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グランド・ブダペスト・ホテル(The Grand Budapest Hotel)

2014年06月26日 08時16分16秒 | 日記

 

 「ムーンライズ・キングダム」「ダージリン急行」のウェス・アンダーソン監督が、高級ホテルのコンシェルジュとベルボーイが繰り広げる冒険を、名優レイフ・ファインズを筆頭にオールスターキャストで描いた。ヨーロッパ随一の高級ホテル「グランド・ブダペスト・ホテル」を取り仕切り、伝説のコンシェルジュと呼ばれるグスタヴ・Hは、究極のおもてなしを信条とし、宿泊客のマダムたちの夜のお相手もこなしていた。ホテルには彼を目当てに多くの客が訪れるが、ある夜、長年懇意にしていたマダムDが何者かに殺害されてしまう。マダムDの遺産をめぐる騒動に巻き込まれたグスタヴ・Hは、ホテルの威信を守るため、信頼するベルボーイのゼロ・ムスタファを伴い、ヨーロッパを駆けめぐる。(映画.comより)

 

 

 上映館は何気に少ないのですが、なるほど人気があるはずです。明るくポップな色合い、いちいちかわいい小物(大物?も)。名だたるスターが揃っているにも関わらず、見やすい長さの上映時間。こ~んな映画を作る人って、やっぱり凡人じゃないんでしょうね。

冒頭、わずかに「現在」のパートが描かれます。少女が本を持っていて、それが「グランド・ブダペスト・ホテル」。少女は、この作品の作家の彫像を訪ねて来ているのです。その少女が本を広げて読み始めると、舞台はすぐ1968年に。作家の独白が始まります。「それは遠い昔、1932年のこと・・・」となり、3重の入れ子構造になっています。

これは、今回ウェス監督がファンであり、影響を受けたとされるシュテファン・ツヴァイクが好んで用いた手法らしいですね。でも、今回無知な私は、ツヴァイクという作家をまったく知らないで鑑賞しました。さらに調べるところによると、ハンナ・アーレントの「イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」なども参考にされてるらしいですね。私、ついこのまえハンナ・アーレントの映画を見て、とくにこの「報告」についてはテーマだっただけに、強く印象に残っているのですが、なにも気付かなかったです。目に楽しい映画だったからかもしれません。

ま、難しいことはさておき(さておくのか・笑)素直に見ますと、格式高いホテルに伝説のホテルマンがいた、その名もグスタヴ・H。なかなかのハンサム顔に完璧な接客。うわさによると、上流夫人の夜のお相手もするのだとか。それだけに、少々見境なく女たらしなところがありますが、ともかく彼を目当てにやって来るリッチなご婦人はたくさんいるわけです。

そんな折、大金持ちのマダムDが亡くなり、グスタフに高価な絵画を残します。収まらないのは息子や縁者たち。財産はすべて我々が継ぐはずなのに、と、グスタフにマダムD殺害の容疑までかけてしまいます。目撃者の証言まで出て、不利なグスタフ。とりあえず逃げます。

ところで、グスタフには見習いのロビーボーイ・ゼロが付いていて、なにかと力になってくれます。あえなく捕まったグスタフも、彼の協力により脱獄を試み、成功。ところが、マダムDの息子(エイドリアン・ブロディ)も殺し屋(ウィレム・デフォー)を雇っていて、証言を覆せるはずの弁護士や執事を次々殺害してしまいます。すんでのところで、遅れをとってしまうグスタフたち。

雪の中の殺し屋とグスタフたちのチェイスも爆笑です。ウィレムのスキー技、凄過ぎ。オリンピック出れるだろ!(笑)

グスタフを助ける仲間組織も笑える。世界にネットワークを持つ、コンシェルジェの強固な結社ということなんだけど、なんだか本当にありそう。案外、ありとあらゆる職種にあったりして。

さて、グスタフは、無事に身の潔白を証明できるのか・・・。というお話なんですが、この莫大な財産に決着がついても、なお映画は続きます。そういえば、冒頭から回顧録になってたのでした。そして、現在。すっかり年老い、ひっそりと暮らすオーナーは、昔を懐かしみ、起きた戦争を恨み、人が人を簡単に排除してしまうことを嘆きます。

話を聞いていた作家も、「二度と見ることのない、素敵な廃墟だった」と結びます。

後味はちょっとほろ苦。しかし、私には疑問点が一つ。結局マダム殺しの犯人は、誰だったのかなぁ・・・。

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ドライブ・アングリー(Drive Angry 3D)

2014年06月24日 08時07分13秒 | 日記

 

 カルト教団に愛する家族を奪われ復讐(ふくしゅう)の旅を続ける男が、FBIを名乗る謎の追跡者や凶悪なカルト教団と死闘を繰り広げるカーアクションムービー。監督を『ブラッディ・バレンタイン 3D』のパトリック・ルシエが務め、クレイジーな復讐(ふくしゅう)鬼をニコラス・ケイジが怪演する。共演には『ゾンビランド』のアンバー・ハード、テレビドラマ「プリズン・ブレイク」のウィリアム・フィクトナーらが集結。高級ビンテージ車を惜しげもなく使ったアクションの迫力を、3Dで体感したい。(yahoo!映画より)

 

 

 

 録り置き映画の消化です。これ、3Dが売りだったのですね。3Dで見れなくて残念!さぞかしスカッとしただろうに。中身はないけど(失礼!)、ニコラス・ケイジ独特のイメージを上手に使い、あり得ない出来事の連続をすんなり見せてしまう。これはこれで完成された作品だと思う。

冒頭から悪人面のむくつけき男たちが車で逃げ回っています。「げぇぇ。あいつ、死んだんじゃなかったのかよ」などと必死の形相。でも、そんな相手から逃げおおせるわけはなく、車は転倒。テーマソング(?)に乗って颯爽と現れたのはサングラスに銃のニコラス・ケイジ。おもしろすぎる。

人を殺すことなど、へとも思っていない彼は、最後の一人に誰かの居場所を聞き出し、そのまますべてを爆破して去ってしまう。でも、そんな地名知らない様子。

次に寄ったカフェで、それが刑務所の名であることをウェイトレスから聞き出し、さっそく向かいます。

ところで、ニコラスには得体のしれない「追跡者」がいて、彼は森の中をあるいていようが街中を闊歩していようが、常にスーツを着こんでいる洒落者です。演じるはウィリアム・フィクトナー。この辺から頭が混乱してきます。

やがてニコラスは、成り行きからアンバー・ハード演じる美人ウェイトレスを助け、どうせ行くところもない彼女と行動を共にするようになります。極悪人に美女、完璧ですね。後々明らかになるのですが、この美女がなぜか強い!カラテでも習ってたのかな(笑)。

どうやら、ニコラスには娘とその赤ちゃん(つまり孫娘)がいて、カルト集団の信者だった娘はリーダーに殺され、今しも赤ちゃんが生贄として捧げられてしまうかもしれない、それは満月の夜に決行される・・・ようなのです。刑務所で服役していたニコラスはそれを聞き及び、脱走して来たと。

なるほどそうかな、とも思いながら見ているわけですが、どうにもつじつまの合わないところというか、変なところがポロポロ出て来ます。しかし、ニコラスはどこまでも強くて渋くてカッコいい!ま、いっか~と思いながら見続けます。

 

 

<ここからネタバレ>って、古い作品だけど、一応。

 

そう、ニコラスはゴーストライダーだったのです。いや、あれは正式には死んでなかったか?いや、死んでたっけ?肝心なところは忘れてしまいましたが(オィ!)この作品では、完全に地獄から蘇っています。その地獄の監視人がウィリアム・フィクトナーだったわけです。彼は脱獄囚を追っていますが、ニコラスに対する妙な共感もあるようです。

そんなこんなで、カルトな奴を最終的には一掃するわけですが、エグさ半端ない。そりゃ死人は殺せませんから、ニコラスだって、目をぶち抜かれても蘇ってくるわけです。おもしろすぎるだろ!そのうちウルバリンのように目も回復したり。

少し前に見た「マチェーテ」ばりのクライマックス。既視感があると言えばそうなのですが、女を抱いたまま銃撃を迎え撃つシーンがあったり(これは他の映画のパクリらしいですね。でも、私そちらを見てなかったので、素直に楽しめました)、昔の仲間(デヴィット・モース)がいい奴だったりと、見た後はスカッとします。

なによりニコラスとウィリアムが、最後地獄へ帰ってゆく時にすんげぇ名車に乗るのです。「地獄にもイキな計らいがあるんだな」とか言いながら。名作ではないけれど、出演者も楽しそうなこんな映画、たまにはいいもんです。

ひとつ難を言うと、カルト教のリーダーが普通っぽかった。どうせなら、見るからに悪そうな奴とか、もっとこだわりのありそうな奴とか、目でも楽しめる俳優がよかったんじゃないかなぁ。

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罪の手ざわり(天注定 A Touch of Sin)

2014年06月21日 23時30分42秒 | 日記

 ジャ・ジャンクーにとって『長江哀歌』(06)以来7年ぶりの長編劇映画となる『罪の手ざわり』は、山西省、重慶、湖北省、広東省で実際に起こった4つの事件に基づき、急激に変貌する中国社会の中でもがき苦しみながらもひたむきに生きる人々をパワフルかつ美しく描いた作品だ。公共の炭鉱を私物化する人々に憤る男。妻と子には「出稼ぎ」だと偽って各地を渡り歩きながら犯罪を繰り返す男。顧客からいわれのない侮辱を受けるサウナの受付係の女。単調な工場労働に飽き、歓楽街に身を投じ同い年のダンサーと恋に落ちる青年。中国が直面する様々な問題を内包した4つの物語は微妙に連携し、時には暴力的な手段に訴えざるをえない中国の庶民の現状を浮き彫りにする。その見事な構成が評価され、カンヌ映画祭脚本賞を受賞した。(東京フィルメックスのウェブより)

 

 

 なんともやりきれない、シリアスな映画でした。この監督の作品は、注目しながらも、一つ一つが長いこともあり、つい噂を聞くだけで来てしまいました。「長江哀歌」はすぐそこに録画してあるのに・・・。

ということで、初チャレンジです。4つの話が並行して描かれるのですが、起きている場所もず~と移動しているようです(しかし、中国の地理に詳しくない私は、その概念までは理解できませんでした)。監督曰く、「微博(ウェイボー)をはじめとしたウェブメディアが急速に広まり、中国全土で起きた事件を誰もが瞬時に知ることができるようになったことから、”中国での人と人のつながり、社会に対しての向き合い方が変わったと感じた”ことが本作製作のきっかけ」なんだそうです。

だからと言って、「しらゆき姫殺人事件」のように、ライブでツイッターをする人が描かれるわけではありません。人々は相変わらずアナログで人間くさく、起きていることもやっていることも普遍的なことです。

村の共同所有だった炭鉱、その利益はみんなに配分するという約束だったのに、一人の男と村長に独占されてしまい、村人にはな~んの恩恵もないことに怒っている男。主要道路には、乗りもしないのに村長やその実業家の外車が停めっぱなしになっています。他のみんなは簡単に長いものに(いや、金銭的なものにと言うべきか)巻かれてしまい、だれもがへつらっています。その実業家が村に帰ってくるともなると大変です。いやらしいことに、なんとプライベートジェットで乗り付けるのです。そんな必要、ある?そして着飾った音楽隊による歓迎の演奏やダンス。騙されたみんな、それでいいの?でも、現実はやはり権力とお金にはへつらうしかないのです。抗議した主人公の男は、ボコボコにドツかれて終い。どうにもならない現実。そして、ここまで淡々と進んできた映画が、静かに反転。でも、思わず男にエールを送ってしまっている小さい自分がいることにハッとしてしまいます。

冒頭に少し映っていたバイクに乗る男。2話目はこの男が主人公です。田舎の村に妻子を置いたまま、出稼ぎに出ている男。送金はきちんとありますが、どうにも怪しい。妻は「ここでも暮らせるわ」と言いますが、息の詰まるようなこんな田舎では生きてゆけないと思っている男。閉塞感にさいなまれているこの男は、実は銃の発砲音に興奮を覚える人間だったのです。

第3話は、不倫をしている女性が主人公。いつまで待っても煮え切らない男の態度。「奥さんに言ってくれたの?」と問うも「ほのめかした。理解したはずだ」などとわからんことを繰り返すばかり。見ているこちらは腹が立ちます。こんな男のどこがいい。さっさと捨てれば!なんてね。

ところで、この女性は某サウナの受付の仕事をしています。ある日、男の妻(若い男を連れている)に襲われ、ボコボコにされてしまいます。怖いですねぇ、ここまでやるもんですかね。そして、この女性は、オフの時間に洗濯をしていてサウナ客に目をつけられ、マッサージを要求されます。でも、彼女は受付嬢であって、マッサージの手ほどきは受けていません。その旨、いくら説明しても男性客は引き下がりません。要求はどんどんエスカレートし、札束を持って彼女を叩き始め、「金はあるんだ。金はいくらでもあると言ってるだろう。お前ごときの女、言いなりにできないわけはないんだ」と暴言を吐きまくって叩き続けます。下品ですね。何の成金でしょうね。

偶然果物ナイフを持っていた彼女は、とうとう抵抗してしまいます。もちろん、彼女の方が犯罪になってしまいます。でも、これだけ女性が虐げられる社会って、なんなのでしょうね。中国に限らず、どこでも起こり得るだろうと思われるだけに、怖いです。それに、ここのサウナ、性サービスを提供してるのだったら、用心棒くらい置いてないのかしら。現実的には、そんなところ少ないのかな。

そして最後は若い青年の物語。製縫工場で働くも、環境は劣悪。友人を頼って都会に出るも、少しでも賃金のいい方をと選ぶと、華やかなナイトクラブに行き着いてしまう。しかし、どこも現実なんて同じ。下品な金持ちオヤジが威張っているだけ。同じクラブの女性とほのかに恋愛するも、彼女だって性サービスの提供者。そのジレンマに加え、逃げて来た製縫工場からの追っ手、きちんと送金したのに母親からの「無駄遣いしてるんじゃないの」の叱責の電話。なんでこんななんだろう。一人で泣く青年は・・・。

つらいですね、気分が悪くなるほど。特に、最後の若者の章はつらすぎました。それでなくても社会は厳しいのに、母親ってどうしてあんなに責め立てるんでしょう。どこまで行ったら「成功」として、文句を言わなくなるんでしょうね。これは、日本の親でも同じでしょうけど。

これらの生々しい話に、微博(ウェイボー)がどうかかわっているのか、私にはよくわかりませんでしたけど、直接的な暴力、間接的な暴力、言葉の暴力。いろんな暴力を描くことによって、人間の本質的な問題は暴力ではないか、歴史はその繰り返しではないか・・・そんなことを言いたかったのではないか、という気がします。

この監督の作品が、本国中国ではまったく公開されていないと聞くに及んでは(監督は”徐々には変わって来ている”と希望を持って語っていましたが)、人ってどこまでも偽善的なんだなぁ、と思いました。そういう私も、自分を押し殺して社会で生きているわけで(どんなにムッとしていても、すぐに営業スマイルが出る自分が怖かったり・・・)、人のことは言えないわけですが。

 

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トスカーナの贋作(Copie Conforme)

2014年06月16日 08時04分44秒 | 日記

  イランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督がイタリアのトスカーナ地方でロケを行い、主演にフランス人女優ジュリエット・ビノシュと、これがスクリーン・デビューの英国人オペラ歌手ウィリアム・シメルを迎え、国際色豊かな体制で撮り上げた異色の恋愛ドラマ。偶然に出会い、ひょんなことから偽りの夫婦を演じているかに思われた一組の男女を主人公に、彼らの会話から浮かび上がってくる2人の不可解な関係を、虚構と真実がないまぜのアイロニカルなタッチで描き出していく。
 イタリア、南トスカーナ地方の小さな村。ここで、本物と贋作についての新刊を発表した英国の作家ジェームズの講演が行われた。その講演を聞きに来ていたギャラリーの女主人はメモを残し息子と共に退席する。やがて、女のギャラリーにジェームズが現われ、2人は彼女の案内で近くの名所を散策するべくドライブに繰り出す。車中では本物と贋作を巡る議論が熱を帯びていく。その後、カフェで一服する2人は、店主に夫婦と誤解されたのを機に、ゲームを楽しむように長年連れ添った夫婦を演じ始めるのだが…。(allcinemaより)

 

 

 

 録り置きの消化です。2010年の映画。不思議な映画でしたね~。キアロスタミと言うよりは、イエジー・スコリモフスキーの映画のような。

講演に来ていた英国の有名作家は「本物の価値を証明するという意味で、贋作にも価値がある」という趣旨の本を書いたようで、この考えはこの先、二人が一緒に過ごす間も絶え間なく論議されます。「本物を描くより贋作を描く方が難しい」とか、なるほどと思われるようなことも多く語られます。

しかし、それが主題のように見えて、実際は、今日知りあったはずの若くない男女が、愛の駆け引きをしているようにも見えます。

実際、作家は英国人であり、講演のあったイタリアでギャラリーを持っているジュリエット・ビノシュはフランス人です。最初、仕事で彼とのインタビューを設定していたビノシュは、彼に合わせて英語を話しています。

そして、彼女が彼を案内する形で史跡を訪ねるうち、夫婦に間違われ、大人な二人はそれを楽しむように。

しかし、二人がいろいろ話している内容が、濃密だったり、ふいにビノシュが「他人の話じゃないわ」とふくれたりするので、我々観客は「あれ?実は本当の夫婦なのかな」と、とまどったりもします。でも、冒頭で彼の講演を一緒に中抜けした息子に「母さん、目がハートになってたよ」などとからかわれていたしなぁ・・・と、思いとどまったりもするのです。

そんな時、彼らは英語・フランス語をごっちゃに話しています。でも、意志は疎通しているのです。あるいはイタリア語も交っていたのかもしれません。まったくもって不思議な雰囲気でした。

そして、どこまでが本気でどこまでがおふざけなのか、まったくわからないまま、言い争ったり、寄り添ったりしながら、とうとう「新婚旅行で泊まった部屋」にまで行きつきます。

この、一種独特な、難解で不思議な雰囲気は、ビノシュでないと出せなかったでしょうね。相手の男性は、本来はオペラ歌手ということで、う・・・ん、監督の慧眼としか言いようがないくらい素晴らしかったですね。

私は元来凡人なので、この手の映画は苦手です。しかし、凡人ゆえの強い憧れをビノシュやイザベル・ユペールなどの女優さんに対して抱いていて、時々チャレンジします。今回も、深いところまではよくわかりませんでしたが、やっぱり私にはない、そのエキセントリックさが素敵でした。

こんなこと、私もしてみたい。もちろん、ここまで乗ってくれる(?)男性がいれば、と言うのが大前提ですが、こんな知的な男性と、この歳になって夫婦のふりなんて、素敵じゃないですか。

いや、深いところまで読めてないだけで、本当の夫婦の再生物語だったのかもしれません。その辺はよくわかりません。

2度見たいとは思いませんでしたが(笑)、ちょっと憧れたかな。

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