田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

エンド・オブ・キングダム(London Has Fallen)

2016年06月29日 07時20分37秒 | 日記

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 ホワイトハウス陥落の悪夢から2年。アメリカ大統領ベンジャミン・アッシャー(アーロン・エッカート)のもとに一本の電話が入る。それはイギリスの首相が不可解な死を遂げたという報せだった。各国首脳はロンドンで行われる葬儀のため集結。街は史上最高度の警護態勢が敷かれるが、突如首脳たちを狙った同時多発テロが勃発する。数々の歴史的建造物が崩壊し、犠牲者が増え続ける中、ベンジャミン・アッシャーとシークレットサービスのマイク・バニング(ジェラルド・バトラー)は、命からがら逃げ出すことに成功。この世界的危機を回避すべくテロリストに立ち向かっていく……。(movie walkerより)

 

 

 

 これね~、前作見てなかったんです。もうひとつの、ジェイミー・フォックスが大統領をやった映画、あちらを見たのは鮮明に覚えているんですけどね。それでかなり迷ったのですが、娘が「どうしても見たい」と言い張るものですから。なんか、いい評判を聞いたようで。

さて、映画は登場人物が前作とかなり共通している模様。冒頭のシーンも、なんか物語がつながっている感じ。やっぱり前作を見ておくんだった。軽く後悔。しかし、そんなことをつらつらと考えている暇もなく話は急展開。イギリスの首相が急死したとの速報が入り(そんなバカな!)急遽大統領はロンドンで行われる葬儀に参加することに。

シークレットサービスを辞することを考えていたジェラルド・バトラーも、そんなこと言い出すチャンスもないまま同行することに。ちなみに妻のマリア・ベロは妊娠中。えぇっ!二人とも、いくつで結婚したんでしょうねぇ。

ともかく、あんまり計画する暇もなくロンドンへ行くことになった二人。現地では当然世界中から各国の首相が集まっています。と、そのとき勃発する大規模テロ。もう、おかしいほどめちゃくちゃです。ロンドン中が燃える、ビッグベンは崩れ落ちる、橋は落ちる・・・。なんなんですか。いくら映画とはいえ、よくここまで描いたと思います。イギリスもよう文句言わんかったんやなぁ。イタリアの首相は若い愛人とデートしているところで建物ごし死ぬし、日本の首相は「渋滞してるねぇ。間に合うのかな」などとタクシードライバーと話している間に「あ~~ぁ」と橋ごと落ちてゆくし、そのくせアメリカ大統領だけ助かるし、もうコメディ映画かと思いました。

しかしその後の展開もなかなかにすごい。次から次へと行動を起こすテロリスト集団。緻密な計画に基づき、あらかじめあちこちに同胞を仕込んであります。彼らにだって、テロを起こす大義名分はあるのです。アメリカは無人機で殺戮を繰り返しているんですから。それは冒頭で描かれます。

ここで、助かったはずのアメリカ大統領もウソのような追撃を受けます。「主人公は助かるんだよな」と安易に構えていた私は椅子から落ちそうになりました。もう、ジェラルド・バトラーも怒り炸裂。味方とはっきり認識できる人以外は、誰かれ構わず撃ちまくります。さすがの大統領も「今の・・・殺す必要が?」と質問するほどです。まぁどちらの気持ちもわからんではないです。

切羽詰まると「マイク」「ベン」と呼び合う二人。もはや見ている方は「???」と疑うほど親密な二人は、手に手を取り合って(?)助け合います。しかし、いくら親しくても、大統領を「ベン」と呼んでいいのか?よくわかりませんが。日本でも親しいSPには「シンゾウ」なんて呼ばれたりしてるのかしら(笑)。

アメリカ現地から対策の指揮を執るのは副大統領のモーガン・フリーマン。彼の方が大統領に見えちゃったりしますよねぇ。なかなかに手に汗握る展開の後、そもそもの陰謀も暴かれます。こちらの理由がつまらなかったりするのですが。

設定すべてを「映画だから」と笑い飛ばせることができるなら、これほど痛快な映画はありません。しかし、まさか第3弾を作るってこと、ないよなぁ。

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デッドプール(Deadpool)

2016年06月27日 07時47分41秒 | 日記

 マーベルコミック原作の人気作「X-MEN」シリーズのスピンオフで、「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」に登場した異色のヒーロー、デッドプールを主役に描くアクションエンタテインメント。好き勝手に悪い奴らをこらしめ、金を稼ぐヒーロー気取りな生活を送っていた元傭兵のウェイド・ウイルソンは、恋人ヴァネッサとも結婚を決意し、幸せの絶頂にいた矢先、ガンで余命宣告を受ける。謎の組織からガンを治せると誘われたウェイドは、そこで壮絶な人体実験を受け、驚異的な治癒能力と不死の肉体を得るが、醜い身体に変えられてしまう。ウェイドは、赤いコスチュームを身にまとった「デッドプール」となり、人体実験を施したエイジャックスの行方を追う。「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」でも同役を演じたライアン・レイノルズが、毒舌家で自己中心的という型破りなアンチヒーローのデッドプールに扮した。全米ではR指定作品として記録的な大ヒットを飛ばした。監督は、視覚効果分野出身で今作が初長編作となるティム・ミラー。(映画.comより)

 

 

 

 「ウルヴァリン」のスピンオフ映画も見たはずなんですが、彼のことはまったく覚えていませんでした。でもまぁ、予告なんかを見る限りではおバカ映画なんだろうと気楽に構えていました。しかし、案外に真面目な映画でしたね。確かにデップーは口が悪くてお下品ですが、愛する女には一途だし、行動の目的も真っ当です。少し相手チームを殺しすぎかもしれませんが。

しかし、末期ガンだけどまだ未来ある若い(そして元特殊隊員だから強い)男性が、誘惑に負けて不死身の肉体を得る、という設定が安易ですねぇ(笑)。まぁ元々鍛えられてて体力があるから治験にも耐えられるだろうと言うことなんでしょうけれど。ミュータントに変異する素養をもっていたからだったかな。細かいことは忘れましたけど(忘れたのか!笑)

でも、自分をこんな姿に変貌させた兄さんもめっぽう強い。これが「新生トランスポーター」のエド・スクレインです。私、見てませんけど。彼が言った「元に戻せる技術は私しか持たない」という一言を信じ、どこまでも追い詰めてゆきます。「こんな醜い姿だと彼女の元に戻れない」と思い込んで。

バカですねぇ。本当に彼女のことを愛してさえいれば、容姿なんて関係ないのに。それ以外のことに支障はないのだから。と、女である私はそう思いながら鑑賞していたわけです。

そんなこんなで、案外まじめなデップーと、絵に描いたような優等生XーMENコロッサスとその弟子ネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッド、エド側には大好きなジーナ・カラーノ姐さんを配し、実に見応えのある戦いが始まります。アホらしいけどおもしろかったですねぇ。

個人的には、醜くなってからのデップーと同居する盲目のおばあさんが好みでした。実にカッコいいばあさんでさ!密かに次は彼女のスピンオフじゃないかとも思いました。

あと、デップーの無二の親友、バーの経営者(?)を演じたT・J・ミラーがツボでした。こういう人、好きです。友達に欲しいかも。ちょっと若い頃のジャレッド・レトのような。

お勧めですが、言葉は「テッド」並みに露骨です。好きではない人は要注意。

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心霊ドクターと消された記憶(Backtrack)

2016年06月26日 16時58分59秒 | 日記

ポスター/スチール 写真 A4 パターンA 心霊ドクターと消された記憶 光沢プリント

 「戦場のピアニスト」のオスカー俳優エイドリアン・ブロディが主演したミステリー。「ナルニア国物語 第3章:アスラン王と魔法の島」「ザ・ライト エクソシストの真実」などの脚本を手がけたマイケル・ペトローニが、自身2作目の長編監督作として手がけた。娘を亡くし、悲しみに暮れる精神分析医のピーターのもとに、ある日、エリザベスと名乗る少女が現れ、1枚のメモを残していく。メモを調べていくと、ピーターが受け持つ患者全員が、23年前の1987年7月12日に、ピーターの故郷で起きた列車事故で亡くなっていたことがわかる。そのことをきっかけに、自身の記憶が塗り替えられていることに気付いたピーターは、事故の調査を続け、自身の歪められた記憶の先に隠された真実に迫っていく。(映画.comより)

 

 

 

「情けな顔」のエイドリアン・ブロディの面目躍如。蓋を開けてみればなんてことのなかった物語が、サム・ニールの重厚な演技と、どこまでも「優(やさ)おとこ」なエイドリアンの演技が相まって、最後まで目の離せない映画に仕上がっていました。

人は耐えられないほどの大きな衝撃を受けると、本当に記憶が飛んでしまうことがあります。本当に、ある期間の記憶がまったくないのです。その間、普通に仕事をこなし、普通に普段の生活を送っていたとしても。そこに一年に一度の「職場旅行」が入っていたとしても。これは一種の生存本能というか、生きてゆくために自分を守れるようになっているのでしょうね。

そして、その後の記憶が書きかえられていることもあるようです。こちらの方(記憶の書き換え単独)では、大きな衝撃でなくとも、その人の性格などにより、まま起きることがあるようです。これらを同一視してはいけないのかもしれません。いや、きっとそうなのでしょうね。

ということで、テーマはまさにそういうことでした。数年前に、自分の不注意から愛娘を死なせてしまった(といっても、目を離したすきに車にはねられたのだから、彼一人の不注意ってことはないと思うけど。個人的には娘さんもわりと大きかったようにも思うし・・・)精神科医(エイドリアン)が、失意のまま診察を続けているシーンから始まります。妻はあれ以来伏せってばかりでノイローゼだし、「自分がしっかりしなければ」と気負い、恩師であるサム・ニールに患者さんを紹介してもらいなから生活しています。それにしても妙な患者ばかりです。いくら精神科でも、みんながそろいも揃ってそんなに辻褄が合わないことを言うなんて、変です。でも、エイドリアンは精一杯対応しています。

そしてある日とうとう、忽然と消えたり変な時間に診察室に入り込んでいたりする少女が現れ、さすがにエイドリアンはおかしいと思い始めます。恩師に相談しながら、真相を暴こうとするのですが、突き詰めれば突き詰めるほど、原因が自分と自分の周りにあったことがわかる・・・そんなお話です。

事実がわかってみると、案外ありがちな筋です。もっと練れなかったのか、と思うほどです。そのことと娘さんを亡くしたこととの関連は低いように思うし、ショックの大きさは確かに想像を越えるものだったと思うけど、当時「おかしい」と思う者はいなかったのかとも思うし・・・。まぁ、お話は突っ込みどころ満載としても、映画は短くて見やすかったし、エイドリアンがハマってました。それにしても、あんまりよなぁ・・・。そりゃショックだったと思うよ。かわいそうに。(当時は)小さい子供なのに。

エイドリアンのファンなら、是非。そうでなければ「機会があったら見よう」でいいと思います。

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アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち(The Eichmann Show)

2016年06月18日 18時29分42秒 | 日記

The Eichmann Show movie poster image

 ナチスドイツによるホロコーストの実態を全世界に伝えるために奔走したテレビマンたちの実話を、テレビドラマ「SHERLOCK シャーロック」のワトソン役で知られるマーティン・フリーマン主演により映画化。1961年に開廷した、元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判。ナチスのユダヤ人たちに対する蛮行の数々とはどういうものだったのか、法廷で生存者たちから語られる証言は、ホロコーストの実態を明らかにする絶好の機会だった。テレビプロデューサーのミルトン・フルックマンとドキュメンタリー監督レオ・フルビッツは、真実を全世界に知らせるために、この「世紀の裁判」を撮影し、その映像を世界へ届けるという一大プロジェクトを計画する。プロデューサー役をフリーマン、ドキュメンタリー監督役をテレビシリーズ「WITHOUT A TRACE FBI 失踪者を追え!」のアンソニー・ラパリアがそれぞれ演じる。監督は「アンコール!!」のポール・アンドリュー・ウィリアムズ。(映画.comより)

 

 

 

 最近マーティン・フリーマンががんばってますねぇ。なんかよく見かけると言うか。ついこの前も「シビルウォー」でふいに見かけたような気がする(笑)。

さて、この作品はかのハンナ・アーレントも傍聴したという、世紀の「アイヒマン裁判」をなんとか世界中に配信するために奔走したテレビプロデューサーたちの奮闘を描いたものです。もちろん、1960年代初頭ですから、今のような素早い配信はあり得ません。いちいち録画・編集し、世界中に郵便で送るのです。もちろん時間差は生じますが、そこを少しでも短く、なるべく素早く世界中の人々に真実を伝えようとしたテレビの裏側の人たち。お国はイスラエルですから(どこでもそうだったのかもしれませんが)、撮影許可などなかなか下りません。カメラが見えるとダメだとかね。それで、マーティンたちはカメラを壁に埋め込むのです。「裁判所の壁をぶち抜いてもいいのか」と、少し怪訝には思いましたけれど、よかったのでしょうね(笑)。

映画自体は「スポットライト」と同じくらい地味です。また彼の裁判が長いんです。最初こそ物珍しさで視聴率は取れますが、延々と続く読み上げなどが何日も続き、人々は見なくなります。当たり前ですよね、きっと私でもそうなります。それが、俄然視聴率が上がるようになったのは、やはり生き残った人々の生々しい証言が始まったからです。悲惨すぎて聞いていられません。映画なのに、気分が悪くなりそうでした。証言の後、失神する人まで現れます。本当に、本当に、同じ人間どうしで、これだけのことをできるのだろうか、今の時代に生きる私には信じられません。でも、歴史は現実ですものね。

アンソニー・ラパリアは、「いくらアイヒマンでも表情くらいは変わるはず」と信じて顔のアップを映し続けます。マーティンが「全体を」と言っても聞きません。衝突する二人。しかし、アイヒマンの表情はほとんど変わらずじまいだったのです。そういえばそうでしたね。少し前に「ハンナ・アーレント」を見たときは、ハンナの人生は主軸だったためにそこに気づかなかったけれど、そういえば「スペシャリスト」で実録を見たときも淡々としていましたね。まぁ言ってみれば、本人は「命令に従っただけで、私がやらなかったら他の誰かがやっていただろう」くらいに思っているのですから、当たり前かもしれません。

歴史的事実は皆が知っているので書きますが、結果的には「命令に従っただけ」と罪を認めようとしなかったアイヒマンも、ある証言で「助言した」(提案した、だったかも)と発してしまうのです。自発的な関与を認めてしまったアイヒマンはお縄となるのですが、だからといって何が後味がいいものでもありません。地味だけど、なんともつらい映画でした。

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オマールの壁(Omar)

2016年06月12日 18時38分17秒 | 日記

 

 Cover art

 「パラダイス・ナウ」のハニ・アブ・アサド監督が、緊張下にあるパレスチナの今を生き抜く若者たちの現実を、サスペンスフルに描く。第66回カンヌ映画祭ある視点部門審査員賞を受賞し、第86回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。長きに渡る占領状態により、自由のない日々を送っているパレスチナの若者たち。パン職人のオマールは、監視塔からの銃弾を避けながら、分離壁の向こう側に住む恋人のもとへと通っていた。そんな日常を変えるため、オマールは仲間ともに立ち上がるが、イスラエル兵殺害容疑で捕えられ、秘密警察より拷問を受けることとなる。そこでオマールは、囚人として一生を終えるか、仲間を裏切りスパイになるかという究極ともいえる選択を迫られる。100%パレスチナの資本によって製作され、スタッフは全てパレスチナ人、撮影も全てパレスチナで行われた。(映画.comより)

 

 

 

 この映画、案外思っていたのと違った感じでした。同監督の前作「パラダイス・ナウ」は、自爆犯の一日を描いて緊張が続く映画でしたが、今回のは、その国の価値観が大きく響いているとは言え、男女を巡るストーリーで、突き詰めればパレスチナでなくてもよかったかも、と思うほどです。そんなこと言ったら怒られるかもしれませんが。

舞台はもちろんパレスチナ。私は中東情勢に詳しくないので、認識が間違っているかもしれませんが、ともかく、元は一つの国だったところが朝鮮半島のように分断されているのです。そして、それは後からやってきたイスラエルの人々が「ここはイスラエルの聖地だ」と言って占領・分断しているのであって、パレスチナとイスラエルはにらみ合っているのが現状です。

それでも、パレスチナの若者が危険を冒して壁をよじ登るのですから、イスラエルの力の方が強いと言うことなのでしょうね、今のところ。

オマールは真面目なパン職人ですが、フリーの時間は幼馴染と3人でよくつるんでいます。そしてガールフレンドは、仲間のリーダー格の男の妹なのです。そんなこんなで、日々やり過ごしているのですが、やはりそこは若い男の子たち。なにか行動を起こそうということになり、手始めにイスラエル兵を襲うことにします。それ自体は成功したのですが、あれだけ完璧だと思っていたのに足が付いてしまい、オマールは拘束されます。そしてイスラエル・秘密警察の犬になるか、仲間の名前を吐くか、一生囚人として過ごすか、の選択を迫られるのです。

若いオマールは、「犬になる」と言っておいて仲間をかばい、秘密警察を出し抜く考えですが、そんなこと向こうは百も承知。よかれと思って行動しているオマールは、どんどん追い詰められていきます。何を考えているかわからない狡猾な秘密警察、自分と同じように何食わぬ顔をしている犬が他にもいるかもしれない現実、さらには不審な恋人の言動。話は二転三転します。この「二転三転する」コアのストーリーが、男女のお話なんですね、実際。なので、パレスチナだから、と言うのではなく、普通に(結構)つらかったですね。日本の男子でも、同じ反応をするかもしれません。

ウェブによっては「衝撃のラスト」とか書いてあるものもありますが、私はそうは感じませんでした。そんなもんでしょう、って感じです。

しかし、あの「壁」を登るとき。周りにいる人がみな手を貸してくれるからと言っても、やっぱり危険ですよね。イスラエル軍は本当に撃ってくるんですから。頂上で一発当たればそれまでじゃないですか。あんなにしょっちゅう越えるなんて、怖いなぁ。それとも、脅しであんまり当たらんようにしているのかしら。細かいことはよくわかりませんが、シリアスな映画でした。

 

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