田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

ニューヨーク 冬物語(Winter's Tale)

2014年05月30日 07時53分24秒 | 日記

 

 アカデミー脚色賞を受賞した「ビューティフル・マインド」ほか、「ダ・ヴィンチ・コード」「シンデレラマン」などロン・ハワード作品の脚本家としても知られるアキバ・ゴールズマンが初監督を務め、マーク・ヘルプリンの全米ベストセラー小説を映画化したファンタジードラマ。2014年、冬のニューヨーク。約100年にわたり若き日の姿のまま生かされた男ピーターは、すべての記憶を失くし、生きる価値さえ見出せないでいた。そんな中、余命わずかの美しい令嬢ベバリーとの運命的な恋と、はかなく散った命についての記憶がよみがえる。コリン・ファレルが主演し、ヒロイン役を新星ジェシカ・ブラウン・フィンドレイが務めた。そのほかの共演にジェニファー・コネリー、ウィリアム・ハート、ラッセル・クロウら。(映画.comより)

 

 

 

 美しい映画でした。根っからのファンタジーで、コリン・ファレルは美男とは言い難いとは言え(笑・ファンの方、ごめんなさい)、薄命な美人と魅力的な男性とのフェアリー・テイルでした。

冒頭、アイルランド移民だった両親が、結核ゆえアメリカ入国を許されず、赤ん坊のコリンだけでもと、小舟に乗せて海に放つシーンがあるのですが、ちょっと怖かったです。もちろんあの時代、結核を持つ自分たちと長い船旅で母国へ帰ったところで、その先の人生なんて・・・と思ったのでしょうが、体力のない赤ん坊をあんな沖から・・・。うまく流れ着いて本当によかった。思えばここからすでにファンタジーは始まっていたのかもしれませんね。

そして長じてついた泥棒稼業。何かにつけて才能のある彼は、泥棒としても一流です。しかし、そんな彼が、かつての上司に追われる中、お金持ちの令嬢と恋に落ちるのです。

令嬢ベバリーは、母も結核で亡くしてますし、自分も高熱がずっと下がらず、もはや絶望的に結核であることはわかっています。余命も少しだと宣言されているようです。

そんな彼女ですから、一人で留守番中にハンサムな泥棒と鉢合わせしても動じません。むしろ、人生に刺激を求めていたのかもしれません。彼女のあまりの美しさに、盗む気が失せた泥棒さんに、お茶を出しちゃったりします。

そんなこんなで恋に落ちてしまった二人。コリンを付け狙う悪魔、ラッセル・クロウに狙われても、なんとコリンは白馬に乗って颯爽と現れ、彼女をさらってしまいます。なんて素敵な!誰でも恋するでしょ!

しかし、恋をしたからと言って結核は治りません。ラッセルの謀略もあり、やっぱり彼女は亡くなってしまいます。そしてラッセルに追われたコリンは、天馬である幸運の白馬を逃がし、自分はブルックリン橋から川に落とされてしまいます。

悪魔のラッセル・クロウ、なんでここで死体を確認しないかな。だって、下は水なんだもの。コンクリートじゃなくて。そりゃ、自分は歌いながら飛び込み自殺して成功しただろうけどさ(「レ・ミゼラブル」。関係なくてゴメン)。

ともかく、コリンは生きていました。歳をとらないそのままの姿で、100年も。そして記憶を失くしたままニューヨークの街をさまよっていたのです。何故自分はここにいるのか。自分は誰なのか。

そして、ベバリーにそっくりな赤毛の少女との運命的な出会い。同じセリフ。そこから少しずつ、記憶が紐解かれてゆきます。

 

<ここからネタバレ>

 

個人的には、ここからが少し興醒めな展開となりました。自分が生かされていたのは、この子(癌という設定になっていた)を助けるためだったと悟り、奔走するのです。そこへ、こちらも同じ姿のまま生きている悪魔、ラッセル・クロウがまたもや追って来ます。まぁ、そこのところは、コリンもそうなんだから、ましてや悪魔は歳をとらないかなぁとも思いますが、じゃぁなんで記憶を取り戻せずにさ迷っているときに見つけて始末しなかったか。ずっと簡単なのに。

悪魔のくせに、100年間も気付かなかったのかな(笑)。で、コリンも100年間も赤毛で病気の女の子が他にいなかったのかな。なんでこの子が特別なのかがわからなかった。ひょっとして、ベバリーの生まれ変わり?

ともかく、ベバリーの幼かった妹は、100歳もとっくに超えているはずなのに、今や父親の会社の社長となっており、颯爽と仕事をしているところもファンタジーだし、姿の変わらないコリンにとまどうジェニファー・コネリー(癌の少女の母親役)に、「長く生きていればいろんなことがあるのよ」と普通に言い放つところも素敵だし(なんか彼女にそう言われると、多分自分も「そうかなぁ」と思ってしまうと思った)、いろんなレベルのファンタジーがあらゆるところに散りばめられています。

そして、最終的に少女を救えたコリンは、羽の生えた白馬に乗って天高く飛んで行ってしまうのです。すごい!却って斬新。

そして、クレジットの時にバックに大写しにされるコリンとベバリーが見つめあうアップの画。美しい!監督、どこまでロマンチストなんだ、と思いましたね。なんだかせつなくて涙が出そうでした。少女を救っても、やっぱり愛していたのはベバリーだったのね、って。

久しぶりにベタベタのロマンスを見せてもらって楽しめました。心が洗われる思いです。やっぱり恋がしたいですね。

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メイジーの瞳(What Maisie Knew)

2014年05月21日 08時10分28秒 | 日記

 

 メイジーの瞳の場面カット画像

「綴り字のシーズン」のスコット・マクギー&デビッド・シーゲル監督が、離婚する両親に翻弄される少女の日常を描いたヒューマンドラマ。ロック歌手の母と美術商の父の間に生まれた少女メイジー。日頃から喧嘩してばかりの両親はついに離婚を決め、メイジーはそれぞれの家を行ったり来たりすることに。ところが、忙しい父はベビーシッターのマーゴに、母は新恋人リンカーンにメイジーを預けるようになり……。原作は「ある貴婦人の肖像」「鳩の翼」などで知られるヘンリー・ジェームズの小説。2012年・第25回東京国際映画祭コンペティション部門では、「メイジーの知ったこと」のタイトルで上映された。(映画.comより)

 

 

 う~ん、なんか考えさせられましたね。メイジーの実の両親は、絵に描いたようにわがままです、子供よりずっと。常に自分中心で、育てることもできやしないのに、一人前(?)に養育権を主張して譲らない。そのくせ、自分一人に認められずに相手と半々(10日ごとに行き来する)になると、子供の前でも平気で相手を罵る。そして、いざ預かってみると、学校の迎えには来ない、夜じゅう仲間と騒いでる、喫煙・飲酒しまくる、あるいは仕事を口実に子供を放置する、子供の前でも電話ばかりしている、などなど。そんなんだったら、最初から「自分がみる」なんて言わなきゃいいのに、と思うくらいです。

そんな両親を非難するのは簡単です。「誰も知らない」と一緒ですね。でも、そんな彼らでも、メイジーのことを深く愛していることは間違いなく、そして、自分のことを顧みるに、「大して変わりはないんじゃないか」と思い知らされるわけです。まだ彼らの方が、経済的に余裕があるだけマシなのかも、と。

とにかく映画全体がおしゃれ。メイジーのお部屋はとってもかわいいし、もちろんメイジーちゃんも超かわいい。こんなの反則!って思うくらいかわいくてつぶらな瞳。決して両親を怒ったりしないし、状況もよく理解するし、両親が自分を愛してくれていることもちゃんと理解している。ちょっと出来過ぎなくらい(笑)。

そして、衣装!ソフィア・コッポラ監督作品も手掛ける、ガーリーな衣装には定評のあるデザイナーを起用したのだそうです。メイジーは、モデルさながら、とっかえひっかえかわいらしい衣装に着替えて私たちの目を楽しませてくれます。かわいい!

物語は結構悲惨なはずなのに、こう言った要素が映画を柔らかく見せているのだと思います。おしゃれなインテリアや出で立ちがかわいいと、悲壮感が漂わないですものね。

しかし、若い元ナニーと再婚した父親も、若い長身のイケメンと再婚した母親(うらやましい!)も、結局はメイジーをほったらかし、パートナーの都合も聞かずにほったらかすものだから、誰にも会えずに夜の街をさまようことになったりもします。

結局はそれぞれのパートナーが常識人だった、としか言いようのない展開となります。それでも、ロックスターの母親は、ツアーの途中に突然娘を迎えに来て感じた、娘の思考の変化を素直に受け入れ、「私もそうだった」とほほ笑んでみせるのです。この辺は潔い。

この映画は、明確な結論を示してはいません。これからメイジーはどうなるのか、ちょっぴり心配なフシもあるのですが、やはりメイジーは、どんな状況でも柔軟に受け入れてゆくんだろうなぁ、と思います。

敢えて難点を言えば、ジュリアン・ムーアは老け過ぎじゃなかろうか。もちろんその独特の存在感は唯一無二のものですが、メイジーの母親と言うにはいかにも・・・(笑)。

でも、いい映画です。

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チョコレートドーナツ(Any Day Now)

2014年05月18日 11時21分34秒 | 日記

 1970年代アメリカの実話を基に、母親に見捨てられたダウン症の少年と一緒に暮らすため、司法や周囲の偏見と闘うゲイカップルの姿を描いた人間ドラマ。ゲイであるがゆえに法の壁に阻まれる苦悩を、テレビドラマ「グッド・ワイフ」シリーズなどアラン・カミングと、『LOOPER/ルーパー』などのギャレット・ディラハントが熱演する。メガホンを取るのは、『17歳のカルテ』などのトラヴィス・ファイン。血のつながりはなくとも、少年を守るため奔走する主人公たちの無償の愛が胸を打つ。(yahoo!映画より)

 

 

 ものすごい人気でした。こんな小さな映画なのに、満席・立ち見でした。映画を立って見たのは本当に久しぶりです。これほどの人気だとは!配給会社さ~ん、もっと上映館を広げればもうかりますよ~(笑)。

さて、時は1970年代。主演のアラン・カミングは、シンガーを夢見ながらも、ショーダンサーとして日々舞台に立っています。気心が知れた仲間もいて、それはそれで楽しい日々でした。

ある日、魅力的な男性ギャレット・ディラハントに出会います。お堅い仕事に就き、ゲイだと目覚めるのも遅かった彼は、実は周りに隠しています。

そんな凹凸な二人が付き合い始めて間もない頃、アランはすぐ隣に住む、母親に見捨てられた少年に出会います。ダウン症の彼は、お人形を抱っこしたまま、廊下に立っていたり、ひとり残されていたり。挙句に薬物所持で捕まった母親は帰って来れなくなり、その少年マルコは急きたてられるように施設へと連れて行かれてしまいます。

やりきれない気持ちを抱くアラン。しかし数日後に、施設を抜け出し、街を一人で歩いているマルコを見つけるのです。

誰にも愛されずにほったらかされている子供。こんなことが許されてなるものか。僕が面倒をみることはできないのか、とばかりに行動を開始します。さしあたっては、施設の人に見つかるまでの間、彼ら(アランとギャレットね)と一緒に住み始めます。精一杯の愛情を注ぐ彼ら。

しかし、ゲイカップルに対する偏見と法の壁は厚かったのです。

自身も弁護士であるギャレットは、手を尽くしてその権利を得ようとします。このへんの裁判劇は、「アイ・アム・サム」でもそうだったように、弁護に立つ者のまったく関係ない事柄までほじくり出され、攻めたてられ、どこからそんな理論が出てくるのかと思うほど悪意に満ちた誘導尋問が繰り広げられます。見ているこちらが情けなくなるほどです。

裁判の主題は、法の網目からこぼれおちる子供たちを救うことではないのか。ゲイの私生活をおもしろおかしく暴くことなのか。ストレートな自分が偉いのか。

そして弁護士として社会的地位を確立していたギャレットまでもが、その地位を追われてしまうのです。また、その追う方も手段を選びません。彼らを追い落とすためだけに、マルコの母親に「きちんと面倒をみます」と宣言させて出所させてしまいます。もちろん、その後は知らんぷり。彼らはマルコ(とその母親)のことなど、どうでもいいのです。ゲイの奴らを追い落としさえすれば。

結果、物語は最悪の結末を迎えてしまいます。やりきれません。

その歌唱力を認められたアランが、成功してゆく過程も並行して描かれてはいくのですが、歌っている彼の姿も悲しみに溢れています。

こんな時代があったなんて。もちろん、今はどれほど違うのか、実体験としてはなにも知らないのですが。

彼らは、仕事も家もきちんと持っていました。そしてマルコには惜しみなく愛情を注ぎました。それ以上何が?ゲイだから、何?

悲しいですね。人は皆、同じなのに。単なる趣味・嗜好で優劣がつくものではないのに。

やりきれなさすぎるので、つらい思いをするのが苦手な人には勧めません。

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とらわれて夏(Labor Day)

2014年05月15日 08時10分42秒 | 日記

 「JUNO ジュノ」「マイレージ、マイライフ」のジェイソン・ライトマン監督が、過去にとらわれた男女が障害を乗り越えて愛し合っていく夏の5日間の出来事を、13歳の少年の視点から描いたドラマ。9月はじめのレイバー・デイ(労働者の日)を週末にひかえたある日、アメリカ東部の小さな町で暮らすシングルマザーのアデルと13歳の息子ヘンリーは、偶然出会った脱獄犯のフランクに強要され、自宅に匿うことになる。危害は加えないと約束したフランクは、アデルの家事を手伝い、ヘンリーには野球を教えて過ごし、ヘンリーはそんなフランクを次第に父のように慕うようになるが……。アデル役に「愛を読むひと」のケイト・ウィンスレット、フランク役に「ノーカントリー」のジョシュ・ブローリン。原作は、J・D・サリンジャーとも同棲していたことのある女性作家ジョイス・メイナード。(映画.comより)

 

 

 個人的にはよくできた映画だと思いました。アメリカでは不評だったらしいですね。まぁ、男と女でも受け取り方も違うでしょうしね。それにしても、ジョシュ・ブローリンのなんと芸達者なことよ。なんでもこなすんですね。情けない男や悪人、熱血正義漢からこ~んなロマンスまで。しかも、今回はちゃんと脱獄犯っぽく、粗野な感じで登場します。大したものです。

冒頭は、何があったかの説明はなく、ただ神経を病んでいるらしいシングルマザーのケイト・ウィンスレットと、そんな母を一生懸命守ろうとする13歳の息子ヘンリーが描写されます。なかなか通常生活がうまくいかない母を助けるため、「一日夫券」なるものを作って、朝食をベッドまで運んだりする息子の健気な姿。思わず、「私も病みたい」と思ったのはいけないことでしょうか。

離婚した父親は、元秘書だった女性と結婚し家庭を持っていますが、向こうにも同年代の連れ子がいたりして、皆とうまくやろうと一生懸命なわりには空回りしているようです。

ケイトは働いている様子もなく、どうやら生活保護を受けている様子。そんな母子が、クーポンを換金してお金が入ったのでスーパーに買い物に行った際に事件は起こります。

ヘンリーが母親から離れて書籍売り場にいたところ、トイレから男が出てきます。怪我をしている様子。そして、「車に乗せて欲しい。あの女性が連れか」「僕のママだよ」「そうか。協力してくれそうだ」そう言ってケイトに近づき、脅すようにして車に乗り込みます。そして、「君たちに危害を加えないから、少し休ませてほしい」と申し出るのです。こんなシチュエイション、怖いでしょうね。映画を見ている私たちは、ジョシュは悪い人ではないってわかっているからいいけど、実際はどんな凶悪犯かわかんないですものね。

それにしても、体格はか弱くないのに、いかにも繊細そうなケイト。うまいですねぇ。ジョシュが「協力してくれそうだ」と言ったのがわかるような気がします。これ、私だったら「あ、あの女か。やめておこう」とか言われるのかな、と少し想像してしまいました(笑)。

家に上がり込んでからのジョシュ。最初こそ強面ですが、徐々に心をほぐしてゆきます。殺人犯の脱獄囚であることがテレビで再三放映され、ピンと張りつめた緊張の中、縛り上げたケイトに自作の料理を口まで運んで食べさせるジョシュ。な~んにもしてないのに、ぐっと寄った映像のエロチックだったこと。

この映画、実はベッドシーンもありません。キスでも2・3回くらいです。それなのに、半ばまで本当に画面から溢れんばかりのエロスを垂れ流しています。こんなに描けるものなんですね。監督、うまいですね。最初からこんなに「危害を加えない人」ってわかってたら、私も是非(笑)。

多分、この家に入った瞬間に、普通ではない荒れように、ジョシュは何かを感じたのです。それで、放っておけなくなった面もあるのではないかと思います。やっぱり壊れそうな女性って、魅力的なんですね。ちょっとうらやましい。

息子に野球を教えるわ、家や階段の修理をするわ、料理をするわ、近所のおじさんが持ってきた食べきれない桃を上手にピーチパイにしてくれるわ(このレシピを教える際、3人でパイ生地や桃の砂糖漬けをこねる様子もまたエロい)、至れり尽くせりです。素晴らしい!薪の数を業者にごまかされていたことまで発見するのですから!

さてしかし、周囲は警戒態勢が敷かれている中、外にも出れない生活がそうそう続くことはありません。なんとかして前に進もうとします。

きっちり計画された逃亡生活。はたしてうまくいくものなんでしょうか。本当なら、ここからがもっと緊張するべきなんでしょうが、なぜかケイトとジョシュの愛が定まってしまうと、話が一気に緩んでしまいます。やはり話の根幹が男女の駆け引きだったのでしょうか。話の視点は息子のヘンリーだったはずなのにね。

しかしそれは、私が長い人生経験から「そんなのうまくいくはずないわ」と最初から冷めていたからそう思っただけかもしれません。

その逃亡がうまくいったかいかなかったかは別として、映画は最後の大オチを大変うまくまとめてあります。不意に登場するトビー・マグワイア。予想できる平凡なオチという見方もできるとは思いますが、私は好きです。

人生って捨てたもんじゃないんだな、って、ここで思ってしまう私って、かなり変かも(笑)。

 

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ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!(Hot Fuzz)

2014年05月12日 08時17分33秒 | 日記

 

 ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ(原題:ドーン・オブ・ザ・デッド)」をパロディ化したホラーコメディ「ショーン・オブ・ザ・デッド」が絶賛され、カルト的人気を誇るイギリスの俊英エドガー・ライト監督が、同作の主演サイモン・ペッグらと再度タッグを組んで作り上げたアクションコメディ。平和な田舎に左遷されたエリート警官エンジェルは、そこで起こった不気味で残虐な事件の捜査を開始。しかし、村人たちは揃って能天気で、どこかおかしく……。(映画.comより)

 

 

 すみません、すみません。本当にすみません。実は見逃していたんです。「ショーン・・・」も「宇宙人ポール」も、またまた「ワールズエンド」まで見た身としては、今さらこれを見たと言うのも非常に恥ずかしかったのですが、本当なので仕方がありません(笑)。

 

 と言うことで、本作です。ちょっと予想と違いました。まさかサイモン・ペッグが超優秀なエリート・ポリスマンなんて。と見せかけて・・・という類の「気休めの報酬」みたいな展開になるのかと思いきや、サイモンは最後まで優等生でした。今までのイメージが強すぎて、どうにも違和感がありましたが。

それに、ゾンビも出て来ないんですね。これも意外でした。私、先入観ありすぎですね(笑)。

冒頭からつるべ打ち(古!)のように、サイモンの上司としてマーティン・フリーマン、スティーブ・クーガン、ビル・ナイが連続で登場します。驚きマックス(心なしかマーティンが若い)。そして「できる君が目障りなんだよな~」などと正直に言われて、本当に田舎に飛ばされるサイモン。

そこは平均年齢高そうな平和な田舎町。警察官たち(署長にジム・ブロードベント。その息子にニック・フロスト。同僚にはバディ・コンシダインの顔も)も超のんき。なにがあっても「事故」で片づけてしまいます。

しかし、この警察署の面々やその他の細かい配役は、イギリスのテレビを見ている人にとっては爆笑モノなんですってね。署の受付に座っている男性も、同じ人がハゲてたり長髪にしたりしながら出てるんですってね。気がつかなかった!そう言えば「昨日の人は?」などとわざとらしく聞く場面もあったなぁ。

ともかく、平和に見えるけど何かがおかしい。エリート警察官の勘が冴えわたります。

話はあらぬ方向へと展開しますが、よく考えるとこういう「凝り固まった古い価値観で形成された田舎」って、現実にありそうで怖い。事実、ゾンビより怖いかも。

ニックが夢中だった「ハートブルー」や「バッド・ボーイズ2バッド」、見たな~って懐かしかった。「バッドボーイズ・・・」なんかは、評判は悪かったけれど、私は好きでした。

私が007を見始めたときのボンド、ティモシー・ダルトンを見れたのもとってもうれしかったし(相変わらずカッコよかった。しかし、この映画を見るまで彼はアメリカ人だと思ってました)、三文俳優の彼女役をやってた、女優志望の若い女性が、ウディ・アレンの「恋のロンドン狂想曲」でアンソニー・ホプキンスが血迷って結婚した若い女性と一緒じゃないのか、とか、いろいろ思い巡らせながら見るのも楽しかったです。

さすがに最後、サイモンがたった一人で完全武装して帰って来た時は、「ロンドン警察を呼ぶべきだろう・・・」と思いましたが、ここまで来ると、そんなことはどうでもよかったようです。

胸がすく・・・というほどのことはないのですが(笑)、問題が解決した後は、またもや冒頭3人の豪華ショット。今度は「ロンドンに戻って来る気はないか」とのこと。なんでもいいけど、サービス精神旺盛ですなぁ!うれしかったです。(実はビル・ナイのファン。あのスリムボディが素敵)

しかし、あともう一歩つきぬけていれば、もっと笑えたかも。(そんな映画じゃないか・・・)

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