田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

GODZILLA 星を喰う者

2018年12月29日 11時43分25秒 | 日記

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 「ゴジラ」シリーズ初のアニメーション映画として製作された「GODZILLA」3部作の最終章。2万年をかけて進化した最大のゴジラ=ゴジラ・アースと、ゴジラから地球を取り戻すべく戦う人類の壮絶な戦いを描く。武装要塞都市「メカゴラシティ」を起動させてゴジラ・アースに挑んだハルオたちだったが、その過程でガルグやベルベらビサイルドたちと人間たちとの間に亀裂が生じる。また、ハルオはゴジラ・アースに勝てる唯一のチャンスを捨ててしまい、かつてない敗北感に襲われる。その一方で、エクシフの大司教メトフィエスは、ある秘めた目的のため信者を増やしていた。やがてゴジラ・アースに太刀打ちできるものがいなくなった地球に、金色の閃光をまとった「ギドラ」が降臨する。監督は、劇場版「名探偵コナン」シリーズの静野孔文と、「亜人」の瀬下寛之。脚本は「PSYCHO-PASS サイコパス」など数多くのヒット作を生み出している虚淵玄。(映画.comより)

 

 

 

 

 アニメゴジラ三部作の最終章。予定通り作られ公開されたということは、興行収入も悪くなかったのでしょうね。うちはチビ息子がゴジラファンで、何なのかと思うほどいろんな知識を持ち合わせています。勉強はできないのに・・・(笑)。ということで、チビ息子と一緒に鑑賞。

 物語は一作目からきっちりつながっています。全部見ないとわからない。この完結編では、今までの謎がすべて説明され(謎と思われていなかったことまで解明されます。例えばハルオの過去とか)、希望あふれる未来まで提示されます。でも、人間の欲には限りがないのです。結局、いつの時代もそうですが、「歴史は繰り返される」。わたしが生きているたったの50年余りでも、あれほど美しくクリアな音を求めて進歩し続けたはずの「音」がなぜか「レコード」に回帰している。じゃぁなんのために進歩してきたのか、と個人的には思っているわけです。最初からそのままでもよかったってことじゃないか、と。それがわからないから進歩するんだと言われればそれまでですが、人は便利さと快適さを求めて進歩するのに、結局古いものを懐かしむ性癖があるから、それが”人と違うのだという先端感”を伴う限り、ぐるぐる回るのでしょうね。形を変えてでも。

 ということで、この「アニメゴジラ」シリーズ、一作目から作り手の”脳内少年”の嬉々とした姿が思い起こせるほど男子の夢追い映画だったと思うけど、ここにきて、映像やセリフこそシャープで現代的なれど、詰まるところ過去に何度も描かれた真実ってことで、やや既視感ですよね。いやそれは、私が歳を取っていていろんな映画をたくさん見てきたからってだけなんですけど。若い人には新鮮で、私もそうやって数を重ねてきたんでしょうけど。

 ともかく、もう少し期待していたかなぁ、というのが正直な感想です。未来の世界で特殊な才能を持つのが「若い女性形」だったり、男子が作った理想の話なんだなぁ、ってところですね。DVDで充分かも。そうそう、マニアにはうれしい”ギドラ”も登場します。コアなファンには、このギドラにも一言あるようですけど、まぁそれはさておき、ゴジラとの共演シーンはそれはそれですごい”画”でした。

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スターリンの葬送狂騒曲(The Death of Stalin)

2018年12月23日 16時34分51秒 | 日記

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 1953年の旧ソ連を舞台に、独裁者スターリンの死によって巻き起こった政権内部の争いを辛辣かつコミカルに描き、ロシアで上映禁止となって話題を集めたブラックコメディ。粛清という恐怖で国を支配していた絶対的独裁者スターリンが急死した。厳かな国葬が執り行われる一方、その裏では次期最高権力者の座を狙う側近たちが熾烈な争いを繰り広げる。出演は「ファーゴ」のスティーブ・ブシェーミ、「ハングオーバー!」シリーズのジェフリー・タンバー、「007 慰めの報酬」のオルガ・キュリレンコ、モンティ・パイソンのマイケル・ペイリン。エミー賞受賞とアカデミー賞ノミネートの経歴を持ち、テレビシリーズ「官僚天国 今日もツジツマ合わせマス」など政治風刺作品に定評のあるアーマンド・イアヌッチが監督・脚本を手がけた。(映画.comより)

 

 

 

 こ~んな映画が田舎に降りてきたので、鑑賞してみました~。それなりにおもしろかったのですが、かの有名な「旧ソ連」の独裁者スターリンの映画なのに、みんな素知らぬ顔でイングリッシュ・スピーキングで、俳優さんもスティーヴ・“変な顔”・ブシェミやルパート・フレンド(スターリンのアホ息子役)などで、まぁそれは仕方のないことなんだろうけれど、最後まで違和感のぬぐえない映画になってる感じでした。オルガ・キュレンコはまだ東欧系な感じで、少しなじんでましたけどね。最近彼女、よく見ます。そういえばごく最近も「ジョニー・イングリッシュ」で見ました。美人なのに大真面目にバカなことやっててウケました。

 ともかく、映画は、スターリンの所業にはいっさい触れず、彼が急死した後の取り巻きのドタバタを描いたもので、みんな「我こそは」と思って地位と権力をつかもうと必死になるさまがおかしく描かれますので、話としては割とある感じかと。

 しかし、これが実話に近いものならば、スターリンにこれほどのバカ息子がいたというのも笑えませんね。まぁ誇張されているのでしょうけれど。たいそうに「上映禁止になった」と騒ぐほどの作品でもなかったような気もします。もちろん、ロシアでは深刻なんでしょうけれど。DVD鑑賞をお勧めします~。

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華氏119(Fahrenheit 11/9)

2018年12月14日 16時11分18秒 | 日記

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 アメリカの銃社会に風穴を開けた「ボウリング・フォー・コロンバイン」や医療問題を取り上げた「シッコ」など、巨大な権力に対してもアポなし突撃取材を敢行するスタイルで知られるドキュメンタリー監督のマイケル・ムーアが、アメリカ合衆国第45代大統領ドナルド・トランプを題材に手がけたドキュメンタリー。タイトルの「華氏119(原題:Fahrenheit 11/9)」は、トランプの大統領当選が確定し、勝利宣言をした2016年11月9日に由来。ムーア監督の代表作であり、当時のジョージ・W・ブッシュ政権を痛烈に批判した「華氏911(Fahrenheit 9/11)」に呼応するものになっている。16年の大統領選の最中からトランプ当選の警告を発していたムーア監督は、トランプ大統領を取材するうちに、どんなスキャンダルが起こってもトランプが大統領の座から降りなくてもすむように仕組まれているということを確信し、トランプ大統領を「悪の天才」と称する。今作では、トランプ・ファミリー崩壊につながるというネタも暴露しながら、トランプを当選させたアメリカ社会にメスを入れる。(映画.comより)

 

 

 

 

 おもしろかった・・・。今まで、結構マイケル・ムーア監督って「ツメが甘いな」と思ってて、「だからって、どうなのよ」と思うことも多かったのです。なので、今回もあんまり期待してなかったのですが、田舎で上映されてたこともあり、機会を得て見てみると、これが結構おもしろかった!

 トランプさんが当選してきた過程をリアルタイムで知っている私たち。確かに、この映画でも描かれる通り、誰もがクリントン氏が当選すると思っていました。まさか、トランプさんが当選するなんて。私も例にもれず「戦う相手がトランプ氏だったクリントン氏は、なんてラッキーな人なんだろう」と本気で思っていました。しか~し!イギリスのブクレジットと同じで、ふたを開けてみると予想外の結果だったのです。ブクレジットは”私一人が反対しても結果は変わらないだろう”と考えた人が多かった結果、脱退派が勝ってしまった・・・と聞きました。誰よりイギリス人が一番驚いたとか。もちろん真偽のほどはわかりませんし、大統領選挙とEU脱退は根本的に違う問題です。でも、同じくらい驚いたなぁ。

 そして、トランプ氏の威を借りた政治家たちの癒着ぶり、傍若無人ぶりも描かれます。でも、ここはトランプ氏でなくてもあるんだろうと思いました。自分さえいい思いをすればそれでいい、という政治家は少なくないはずです。普通の大人だってまぁそうです。私も楽してお金がいっぱい欲しい(笑)。そして、今回の映画は、トランプ氏批判一辺倒ではなく、政治腐敗で汚染した水しか飲めなくなってしまった街を大々的に訪問したオバマ大前統領までが、水を飲む振りだけしてさっさと行ってしまう様子も描かれます。住民の落胆ぶりったらありません。何かが変わるはずと信じていたのに。そこの地域の子供たちは、みな病気になっています。飲料水が悪いとわかっているのなら引っ越せばいいじゃないか、というものかもしれませんが、賃貸に住んでいて、かつお金がある人はそうするでしょう。でも、お金に余裕がない人、家が売れない人などは、どうしようもありません。こんな映画、ありましたね。ジョン・トラボルタの「シビル・アクション」、ずいぶん古い映画ですが。確か当時から実話だと聞きました。「エリン・ブロコビッチ」だって、似たような話ですよね。人間の欲とは、これほどあさましいものなのかと失望します。

 マイケル・ムーア監督、見かけも歳取りましたね。でも、心意気は変わらず。世の中が、彼の批判や突撃取材で、良いほうに変わっていってるのか、どうなんでしょうか。そう願います。

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世界で一番ゴッホを描いた男(中國梵高 China's Van Goghs)

2018年12月02日 16時22分03秒 | 日記

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 中国・深セン市近郊の町でフィンセント・ファン・ゴッホの複製画を描き続けている男が「本物のゴッホの絵を見る」という夢を実現するため、アムステルダムを訪れるまでを描いたドキュメンタリー。中国・深セン市近郊にある「大芬(ダーフェン)油画村」。ここでは世界の有名画家の複製画制作が産業として根付いており、世界市場の6割ものレプリカがこの地で制作されていると言われている。出稼ぎでこの町に来たチャオ・シャオヨンは独学で油絵を学び、ゴッホの複製画を20年間も描き続けている。そんなシャオヨンは、いつからか本物のゴッホの絵画を見たいという夢を抱いていた。ゴッホが実際に描いた絵を自身の目で見てゴッホの心に触れ、何か気づきを得たいという思いは日増しに強くなり、その夢を実現するため、シャオヨンはゴッホ美術館があるアムステルダムの地を訪れるのだが……。(映画.comより)

 

 

 

 

 こんな世界があるのですね。そもそもは1989年、香港の画商が20人の画工を連れてきたのがこの村の始まりなんだそう。今では一万を超える画工が、日々複製画の制作に取り組んでいます。主人公の趙小勇は、出稼ぎでこの街にやって来て職を得、独学でゴッホの複製画10万点以上を家族とともに描いてきました。元々才能があったのですね。本物を見たこともないのに、写真だけを見て絵を描くのです。映画では、たくさんの若者が、暑い中ランニングシャツ一丁で絵を描く姿が何度も映ります。はっきり言って、職にあぶれて流れ着いた者もいるわけです。それでも、彼らは写真だけを見て、より早く、よりきれいに仕上げ、挙句に買いたたかれたりもするのです。

 もちろん、どんなに教えても描けない奴もいます。教えるほうも、教えることに慣れてないのか、どこをどう直せという具体的な指示が出せないまま「描き直せ」などと言うものですから、結局同じものが出来上がってしまい、また叱られる、という繰り返しになることだってあるようです。しかしながら、ただの素人がこんなに描けるのか、と感嘆するほど、やっぱり皆上手に描けるようになってゆくのです。すごいですねぇ、凡人な私はただただ驚きました。こんなことが、まったく絵の教育を受けてない集団において、可能なのですね。

 複製画を描かれるのは、ゴッホだけではありません。ここではありとあらゆる複製画が制作され、世界中に売られてゆくのです。そんな中、リーダー格の趙小勇は、いつか本物のゴッホを見てみたいと夢を描くようになります。取引先ブローカーの「アムステルダムまで来ればいいよ。案内するよ」の誘いもあり、妻に「お金がないわよ」と言われつつの決心。仲間とともにとうとう念願の訪問となります。

 しかし、どこかにそれなりに展示されていると思っていた自分の作品が、路上の土産物屋で雑多に売られていたことにまずショックを受けます。よくわからないような安いリュックなどと同等に並んでいる・・・。ブローカーもこうして地元で見ると、スウェットみたいなのを着た普通~のおじさんだったり。そして、実際に美術館でゴッホを見てみると、根本的に筆遣いから違うじゃないですか。少なからずショックを受けるわけです。

 そして、中国の一つの村の現実を描いた前半とは打って変わって、後半はアムステルダムでの趙小勇の「ゴッホと自己を見つけるための幻想旅」となります。夢で逢えたのはゴッホだったのでしょうか。これほどの違いがわかった今、自分は今までと同じように描けるのだろうかと。しかし、当時のゴッホは貧しかったため、ふんだんに絵の具を使っていたわけではなかったことを理解していた趙小勇は、絵画そのものだけではなく、展示や保存の方法にまで感動していたのです。

 街全体がアートなアムステルダム。いっぱしの芸術家として、ゴッホの幻まで見た趙小勇はしかし、いろんなインスピレーションを受けて前を向くのです。

 すごい映画でしたね。贋作と言えども、これだけ描こうと思ったらかなりの才能が必要とされるはず。自負する気持ちもわかるような気がします。いや、私才能ないので、わかってないかもしれませんけれど。ただ、この幻想体験は、凡人にはうらやましい限りです。趙小勇、今はどうされているのでしょうか。

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