マーベルコミック原作「キャプテン・アメリカ」シリーズの第3作。マーベルヒーローが集結した「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」後の物語となり、キャプテン・アメリカとアイアンマンという「アベンジャーズ」を代表する2人のヒーローの対立を描く。人類の平和を守るアベンジャーズは戦いは全世界へと広がるが、その人的・物的被害大きさから、アベンジャーズは国際的な政府組織の管理下に置かれ、無許可での活動を禁じられる。一般市民を危機にさらしてしまったことへの自責の念から、アイアンマンはその指示に従うが、「自らの行動は自らの責任で持つべき」という持論のキャプテン・アメリカは反発。2人の意見はすれ違い、一色触発の緊張感が高まっていく。キャプテン・アメリカ、アイアンマンらおなじみのアベンジャーズの面々に、アントマンやブラックパンサー、そしてスパイダーマンと新たなヒーローも続々参戦。(映画.comより)
正直に言います。「どうせマーベル、所詮ビッグバジェットの派手映画」と思ってました。すみません、反省します。確かに映像は派手ですが、よくできた物語でした。
このシリーズも佳境に入り、ますます「筋を知ってないと入り込めない世界」になってきました。しかし、それゆえの奥深さも出てきたように思います。私は原作コミックを読んでないので、本当の関係性はどうなのか知らないのですが、今回の冒頭からの展開は、少し悲しかったですね。
正義のため、みんなのために悪をやっつけると、それだけの被害も出る。過去に起きたどの戦争でもそうだと思うのですが、片方がまったく無傷ということはあり得ない。少し前に見た「バットマンvsスーパーマン」でもそうでしたね。それで、人類から非難を浴びるわけで、アベンジャーズを国連の監視下に置こう、ということになったのです。
ま、個人的には、国連の監視下に置いたところで、さほどに状況が変わるわけではなく、言ってしまえば「責任を転嫁できるようになる」だけではないか、とも思うわけです。決定機関が責任を負いたくなくてぐずぐずと結論を先延ばしにするか、持って回ったようなどうとでも取れるような表現で解決しようとするか。どうせ行き着くところ、そんなものだとは思うのですが、この映画ではそこまでは描かれません。その「人類の決定」を巡って、受け入れるかどうかで仲間割れする、描かれるのはそこまでです。
その過程で、キャプテン・アメリカの唯一無二の親友との関係性や、洗脳された彼ら(バッキーたち戦闘能力が高かった戦士たち)を使い悪の組織が何をやってきたかが明らかになってきます。人として、許せないことも出てきます。また、長く眠りについていたキャプテンは、人類の組織のもろさやいいかげんさも体で知っています。また、アイアンマンは、両親との過去をとても反省していて、やりなおせるバーチャルな機械を作ったりもします。
そんなこんなで、お話盛り込み過ぎな感がなきにしもあらずな展開となりながらも、アントマンからスパイダーマンまで、「グランドホテル」も真っ青なオールスターで映画は進んでゆきます。
複雑ですね。何が正義で何が悪なのか。個人的には、ポール・ベタニーが分析の上放った言葉「こちらが強くなればなるほど、それに比例して悪も強力になってる」・・・がとても印象に残ってます。じゃぁ最初から「強い正義」が出てこなければそれなりに収まってたってこと。なんなの、その存在意義。世の中ってそんなものなんだろうけれど、アベンジャーズの世界でもそうなのね。悲しいような、必然なような。
この映画では、一連のキャストがそのまま用いられているところも魅力です。例えば、トニーの両親はもはや必然としても、「インクレディブル・ハルク」のウィリアム・ハートがそのままの役で出てたり。私、エリック・バナとジェニファー・コネリー、そしてハルクの父親はニック・ノルティの作品の方が印象が強いので、ウィリアム・ハートのことはすっかり忘れていたのですが(「ハルク」作品としては両方見ている)、そう考えれば、きちんと覚えている人にとっては「あ~」って感動ポイントだったかもしれません。
とにかく、予想以上によくできた渋い作品でした。次回作も見たいです。